26.秘めごと
「貯まらねえもんだなぁ…」
銀行預金の残高を見て、島津は大きく溜め息をつくと、それを持ったままゴロリと寝そべった。
目の上にもう1度それを翳し、金額を確かめてみるが桁数が増える訳も無かった。
「俺の安月給じゃ、これが精一杯か」
今年40を過ぎたが、未だに会社ではペーペーだった。
仕事が出来ないと言うよりは出世欲がまるで無かった所為だが、それでもリストラもされずに働けるだけでも幸運だろうと思っていた。
物欲も無く、女とも無縁。
嫌いでは無いが、必死になって手に入れたいと思うような女にも巡り合わず、また、自分独りの生活に何ら不便も感じずに中年と呼ばれる歳に差し掛かってしまった。
それでも、今までは寂しいとも思わなかったのだ。
「なんかこう、水面に漂ってるゴミと言うか…。あ、言葉が悪いけど。つまり、我関せずと言うか、一種の世捨て人と言うか…」
仲の良い後輩の石橋が、良く島津を評してそんな事を言うが、確かに当たっていると自分でも思う。
何かの為に頑張ろうとか、今以上の生活を手に入れようとか、島津にはそんな欲がまるで無かった。
しかし、何処を探しても情熱と呼べるものなど持っていないように見える島津が、普段からは想像も出来無いような顔を見せる瞬間がある。
そして、それを知っているのは湯川祥司だけだった。
「んぁッ、祥司ッ、もっと、もっと欲しい…ッ」
身体の奥深くに、湯川の精をたっぷりと受けた直後、引こうとする身体に縋り付いて島津は言った。
「すぐには無理だ。俺だっておまえと同じ年なんだぜ?」
苦笑した湯川の身体を尚も自分の方に引き寄せながら島津は言った。
「頑張るから、抜くなよ…。このままキスしてくれ」
こと湯川の事になると、どうしてこうまで貪欲になれるのか島津は自分の事乍ら不思議でならなかった。
離したく無い。
一緒にベッドに入る度にそう思う。
そしてその思いは、日に日に強くなっていくのだ。
「祥司…、もっと…」
「まったく、なんでこう可愛くなるかな?オッサンの癖に…」
笑いながらそう言って、湯川はまたキスを落とした。
出会ってから2年。
身体を重ねるようになってから1年半。
自分はもう、湯川無しでは生きられないと島津は思う。
自分の中には存在しないのではないかとさえ思っていた欲が、こんなにも強く激しい形で潜んでいたとは思いもしなかった。
「ん……、祥司…」
そこを収縮させて、締め付け、緩め、島津は自分の中にある愛しい男のものを刺激した。
薄っすらと、引きかけていた汗が、また額を濡らし始める。
眉間に皺を寄せて集中する島津を、湯川は上からじっと眺めていた。
「ふ…すげ…。また…」
湯川の呟きが聞こえたが、元気を取り戻してきた事は受け入れている島津の方が良く分かっていた。
「もういいよ、克哉」
そう言うと、湯川はゆっくりと腰を引き、そしてまた、ゆっくりと繰り出した。
島津は両脚を抱えると、動き出した湯川を見上げた。
歳よりも幾らか老けて見えるが、湯川は渋い二枚目だった。
同い年とは言え、うだつの上がらない自分とは違って、湯川は自分で設計事務所を構えている一国一城の主だった。
そして、妻帯者でもあった。
「ふ…。溢れてきた…」
中を突くことで、さっき放った自分の精が島津のアナルから毀れてきたのを見て、湯川は嬉しそうに言った。
「硬くなって来たろ?」
訊かれて島津は頷いた。
自分の中で育ち、湯川でどんどん満ちていく。
この感覚が、堪らなく好きだった。
もっと奪ってくれたらいい。
そして、もっと奪わせて欲しい。
だが、それを口にする事はない。
「もっと擦って……」
代わりに島津はそう言って目を閉じた。
週末は、いつも暇を持て余している。
手に持っていた預金通帳を投げ出すと島津は大きく伸びをした。
「愛人の哀しさってやつか…」
家庭のある湯川は、週末は決してここには来なかった。
だが、呟いた後で、苦い笑いが島津の口元に現れた。
「そんなに綺麗なもんじゃねえなぁ」
一間切りのアパートだったが、今までの自分には十分だった。
だが島津は、もっと大きな家を手に入れたいと思い始めていた。
大きな家を手に入れて、湯川と一緒に暮らしたい。
叶わぬ夢と思っていても、一縷の望みを棄て去る事は出来なかったのだ。
「ガラにもねえこと、考えちゃってるよな」
何時になるかも分からない。家を手に入れる前に、棄てられてしまうかも知れない。
そして何より、“一緒に住みたい”と、自分が言えるとは思えなかった。
何も欲しがらない振りをして、本当はこんなにも貪欲だ。
湯川の家庭など、本当はずたずたに壊してしまいたいと思う。
この歳になってこんなに激しい恋をする事になろうとは自分でも信じられなかった。
「会いに来いッ、馬鹿ヤロウッ」
叫んで目を閉じた時、玄関のドアが開く音がした。
「おう、来たぜ」
驚いて起き上がった島津の目に、玄関で笑う湯川の姿が飛び込んできた。
「祥司ッ」
「なんだよ?会いに来たんだぜ」
驚いて固まってしまった島津を笑い、湯川は構わずに中へ入って来た。
そして、そこに落ちていた預金通帳に気づいて拾い上げた。
「へえ?克哉、おまえ案外貯め込んでんだな?これなら大丈夫か…」
「だ、大丈夫って、何が?」
来た事のない週末に現れた訳も、そして今の言葉の意味も分からず、島津は動揺して聞き返した。
すると、湯川は島津の隣にどっかりと腰を下ろした。
「離婚が成立した。会社以外の財産は全部やっちまって、すっからかんだ」
「なっ…」
事も無げに言った湯川に、島津は驚いて言葉を失った。
「望んでなかったか?克哉。けど俺は、おまえと一緒に住みたいんだ」
「しょ……」
言葉より先に身体が動いていた。
「イッ…てぇっ」
押し倒されて、湯川は顔を歪めながら笑った。
「手加減しろよ。もう若くねえぜ」
「俺だって…」
同い歳だ、と言おうとして、島津は込み上げてくるものに喉を詰まらせた。
「祥司ッ」
言葉の代わりに唇を押し付け、島津は夢中で貪った。
唇を離すと、湯川が下から見上げて島津の頬を両手で包んだ。
「まったく、なんでこんなに可愛いかな?だから、離したくなくなっちまう」
親指で島津の唇を拭うと、湯川はフッと笑った。
「一生、面倒見ろよ?」
ギュッと抱き寄せられて、島津はただ、何度も何度も頷いた。