コーヒー1杯の間に


その男は、いつも窓辺にいた。

久遠が出社前に必ず朝食をとるカフェ。
その窓際の席に、毎朝必ず座っている男が居る。
テーブルにはエスプレッソらしいカップ。
そして、長い脚を格好良く組み、大抵は新聞を広げていた。
幾らか外国人の血が混じっているらしく、端整なその顔は、男から見ても溢れんばかりの色気を感じた。

そう。

男に対してなど、一度も興味を持ったことのない久遠だったが、この男だけは特別だった。
毎朝、久遠は密かに、この男を眺めるのを楽しみにカフェへ足を運んでいたのだ。
一体どんな仕事をしているのか分からなかったが、勤め人である事は確かだろう。
毎朝、久遠と同じようにスーツに身を包み、仕事鞄らしいケースも傍に置いてあった。
(今朝は、ベルサーチ・・・か・・・)
その辺の吊るしのスーツを着ている久遠とは違い、その男の身なりには金が掛かっていた。
だが、それがまるで嫌味では無い。
しっくりと似合って、彼の魅力を惹き立てていた。
彼の存在を知って、もう二月余りになるが、勿論、久遠とその男に接触する機会などなかった。


だが、今日…。
いつものようにカップ越しに盗み見ている久遠の視線を、その男の目が初めて捕らえた。



ドキン…っと、胸が鳴った。
すると、久遠の動揺を笑うかのように、男の唇が薄っすらと笑みを浮かべた。
口元へ運んだカップが、まるでストップモーションを掛けられたかのようにそこで止まってしまった。
そのまま、目が離せなくなった久遠の視線を捕らえたまま、男は僅かに顎を杓った。
(え……?)
笑みを含んだ目で、男は久遠をじっと見ると、ゆっくりと瞬きをして立ち上がった。
足を向けたのは出口では無い。
どうやら、化粧室へ向かったようだった。


ドッドッ…と、久遠の心臓が鼓動を早めた。
その意味を、自分は取り違っていないのだろうか。
だが、久遠はやっとカップを動かして、コーヒーをゴクッと飲むと、それをソーサーの上に置いた。
そして、すぐに立ち上がると男の後を追った。


化粧室のドアの前で、無意識に衣服や髪を撫でた。
掌が異常に汗ばむ。
それもまた無意識に、ズボンの尻に擦りつけて拭っていた。


化粧室の扉に手をかけて引く。
すると、そこには、さっきの男が腕を組んで此方を見ていた。
「あの…」
話しかけようとした久遠の腕を、男が素早く掴む。
そして、あっという間もなく、久遠は個室の中へ連れ込まれていた。
「ずっと、見てたね?」
気付かれていたとは知らず、久遠の頬にカッと血が上った。
それを見て、男は声を立てずに笑った。
「俺のこと、好きか?」
答えられず、久遠はゴクッと喉を鳴らしただけだった。


間近で見る男の目は、混血ゆえか幾らか青味がかっている。
その、艶やかさが久遠の鼓動を更に早めていた。
ちろり、と、幾らか厚めの唇を男の舌が濡らした。
濡れるといっそう悩ましげに見える。
久遠は下半身に血が集まってくるのを感じた。


「俺も好きだよ、あんたみたいなタイプ・・・。ずっと、機会を狙ってたんだ」
「…ほんとに?」
信じられないと言いたげに久遠が聞き返すと、男の腕がその首に絡んできた。
「ああ…、ほんと…」
言葉の最後は聞こえなかった。
その代わりに、濡れた唇が久遠に押し付けられた。
その滑りを感じた途端、久遠は股間でググッとそれが育つのを感じた。
男の身体を掻き寄せ、その唇の中に夢中で舌を捻じ込む。
獣のように息を荒げ、久遠は男の舌を捏ね回した。
苦しげにハァッと息をつき、男が舌を差し出す。
その上下を、擦るようにして何度も、久遠の舌が行き来を繰り返した。
「…んん…、噛んで…」
囁く声が、久遠の背筋をゾクゾクと震わせる。
今まで、どんな女からも感じたことが無い強烈な色香を、久遠はこの男から感じていた。


言われた通りに舌を緩く噛んでやると、男は喘いで股間を摺り寄せてきた。
その硬さを感じて、更に昂ぶる。
久遠は男の背から手を滑らせると、上着の下に入り込ませて胸を弄った。
薄いワイシャツの生地越しに、その突起が指に触れる。
それを人差し指でグリッと押した。
「んッ……」
ビクッと身体を震わせ、男は急いで久遠から離れた。
だが、見上げた目は笑っている。
「やばい…。会社、行けなくなりそうだ」
それは、久遠も同様だった。
これ以上、この男を抱きしめていたら、この場でその衣服を剥ぎ取ってしまいそうだった。


「お先…」
突然、ガチャリ、と個室の鍵を外し男は言った。
「あんたは抜いてから来た方が良さそうだぜ?」
ニヤリと笑うと、男はサッと衣服を直して化粧室を出て行った。
「ちょ…ッ」
置いてけ堀にされ、久遠は呆気に取られて閉まったドアを見つめた。



からかわれたのだろうか。
それにしては、随分と濃厚なキスだった。
呆然としたまま久遠が席へ戻ると、もはや窓辺に男の姿は無かった。
やはり、からかわれてしまったらしい。
がっくりと肩を落として、久遠は席に座った。
だが、溜め息をついて無意識に取り上げたカップの脇に、一枚のメモを見つけた。

「今夜」

とだけ書かれた下に、携帯電話の番号が記されていた。
湧き上がってくる笑みを堪え、久遠はすっかり冷めてしまったコーヒーを、口の中へ流し込んだ。