花と棘
洗ったまま、水切りもせずに鉢に積まれた苺をひとつ取ると、その蔕の根元にフォークを差し、ざくざくと赤い実から器用に切り取った。
その、水滴のついたままの苺を練乳の入った小さな器に入れると、今度はそれをまた、フォークで小さく切る。
熟し切った苺は柔らかく、中まで真っ赤だった。
フォークで容易く切り取られ、練乳を絡められる。
真っ赤な苺に乳白色のどろりとした練乳が絡むと、更にその色が鮮やかに感じられた。
それを、ツッと滴らせたまま、形のいい唇が開き、咥える。
すぐに、つるり、と、苺は中へと消えた。
その様を、ただ部屋の隅に正座したまま、都祈春はじっと見ていた。
用があるからと呼ばれ、この部屋に来たのは1時間も前になる。
だが、肝心の用が言いつけられる事は無く、ただ、忘れ去られたように部屋の隅に置かれたまま、言葉を掛けられることも無かった。
しかし、都祈春にとって、こんな事はもう慣れっこだった。
苦痛だと感じたのは、随分子供の頃の事で、最近では麻痺してしまったのか、こんな仕打ちにも心が痛む事は無くなった。
自分より七つも若いこの主人は、まだ21歳だった。
日本舞踊・若美弥流家元、若宮千里。
天才の名を欲しいままにしている美貌の舞踊家だった。
先年、父の万里から家元の座を譲り受けたが、本人は弟子の育成に興味は無く、教室に出る事は滅多に無い。
言わば千里は流派の看板で、弟子たちの稽古の方は、専ら、宗家の万里と千里の2人の姉たちが受け持っていた。
もっとも、最下部まで含めれば千人からの弟子が居る家元だけに、直に稽古を付けてもらえる弟子はほんの一握りに過ぎない。その中の僅かな1人が、内弟子でもある都祈春だった。
都祈春は先代の万里からの内弟子で、若美弥流に入門したのは、まだ中学生の時だった。
元々、若宮家の遠縁に当る家に生まれ、早くに両親と死に別れた所為で万里に引き取られた。
踊りの筋が良いと万里に見込まれて、直に仕込まれた所為もあって、3年程で名取りとなり、今は勿論師範の資格を持つ。内弟子の仕事の他にも、流派の経理や稽古場も四つほど任されていて、忙しい日々を送っていた。
だが、そんな忙しい都祈春が何を置いても優先させなければならないのが、家元の世話だった。
「午後から、稽古つけたるよって…」
気だるげに声を掛けられ、都祈春は顔を上げた。
「ありがとうございます」
軽く手を突いて頭を下げると、都祈春は言った。ずっと年下でも、勿論家元に対して、言葉遣いを崩す事は無かった。
「こっちに来よし」
言われて都祈春は立ち上がると千里の傍に座り直した。
「朝の稽古、気張り過ぎたわ。脚が張ってしゃあないわ。揉んでくれへんか?」
「はい」
返事をすると、行儀悪く膝を崩し、千里は裾を割って白い脚を都祈春の前へ投げ出した。
まるで少年のようにしなやかに伸びた脚を膝の上に乗せ、真っ白な足袋を脱がせる。
そして、都祈春は指先からゆっくりと揉み始めた。
日々、脚腰を使っている体だ。柔らかな弾力の中にも、その下には流石に発達した筋肉が隠されている。そんな二つの感触を都祈春の指先が密かに楽しんだ。
ぐうっと、指先に力を込め、ツボを刺激するようにして上へと進む。脹脛を上り、膝から太腿へと手が移動した。
内腿へ指が伸びると、ぴくん、と千里が震えた。
くすぐったかったのか脚が強張る。
ふっと、都祈春が視線を上げると、まだ苺を口に運びながら千里もじっと都祈春を見ていた。
ぐちゅっ、と、苺の潰れる音が千里の口の中から聞こえた。
その目を見ながら、都祈春はゆっくりと指を上らせた。
「悪戯したら、あかんえ」
その言葉に、都祈春の指が止まる。
呼ばれた理由は、どうやら違っていたらしい。
「昨夜、亜紀姉と出掛けたんやってな?」
亜紀というのは万里の長女だった。都祈春よりも二つ年下の26歳になる。
「はい。今度の会の記念に配る手拭の事で染め屋さんの方へ…」
答えると、千里は口を曲げて嫌な笑みを浮かべた。
「嘘言うてもあかん。分かってんねんで」
「……何の話です?」
「手ぇ、止まってるえ」
ぴしりと言われて、都祈春はまた指を動かし始めた。
「お父ちゃん、亜紀姉と春さんを結婚さすつもりなんやろ?そんなん、匂わしてるの気ぃ付いてるんよ」
忌々しげに言われたが、都祈春は表情を変えなかった。
「私は、そんなお話は頂いておりませんが」
「嘘や」
「嘘じゃありません」
視線を逸らさずに都祈春が答えると、千里は暫くの間、その目を睨むように見ていた。
「嫌や。…許さへん」
燃えるようなその目を見て、都祈春はゾクッと背筋を震わせた。
天才肌だけに、千里は少々エキセントリックな所がある。
そして、激しい。
妥協しないし、させない。
我が儘で傲慢。
だが、惹きつけられる。
その芸にも、美貌にも……。
「では、どうします?このまま私を飼い殺しますか?」
言い終わらない内に、頬に平手が飛んだ。
ビシッと激しい音と共に、都祈春の頬を痛みが襲った。
「春さんに、自由なんか無い。俺のもんや。亜紀姉になんかやらへんで」
理不尽とも言える言葉を並べられても、都祈春は逆らわなかった。
内心に湧き上がる喜び。
所有される事に異を唱える気など更々なかった。
ゆっくりと、張られた頬を撫でている都祈春の前で、千里は後ろに両手を突くと、大胆に裾を割って脚を開いた。
「なあ…?」
誘って、都祈春を見上げる。
その目をじっと見て、都祈春は言った。
「今日は、嫌なんでしょう?」
微動だにせずにそう言うと、千里は苛々と首を振った。
「うるさい。はよ、…して」
手をつけたのは、千里が16の時だった。
誘ったのはやはり、千里の方。夜中に、都祈春の部屋に忍び込んで来てのことだった。
「俺のこと、好きやろ?」
平静を装っていたが見抜かれていたらしい。
日に日に成長し、美しく育っていく千里を見つめ続けていた。そして、この少年に心を奪われて行く自分に、抵抗する事は出来なかったのだ。
「ずっと見てたの知ってるんよ。……抱かせたるさかい…。なぁ……」
それは、恐ろしい程に熱い身体だった。
都祈春は腕の中に入って来た千里を貪るように抱いた。
あれから、二人の間は何も変わっていない。
千里は主人であり、そして今は師匠でもある。
だが都祈春は、千里の身体が自分以外の誰も知らない事をちゃんと知っていた。
股間に屈む前に、チラッと都祈春は千里を見上げた。
与えられる快楽に期待しているのか、千里は頬を高潮させてさっき苺を含んでいた唇を舌で濡らした。
「あかんえ?離さへんのやから…」
都祈春は答えなかった。
だが、そっと唇に笑みを浮かべると、ゆっくりとそこへ顔を沈めていった。
何処をどうすれば千里が乱れるのか、都祈春は勿論知り尽くしていた。
離さないのは、私の方ですよ。
他の男に余所見などさせない。
掌中の、この美しい花を、都祈春は決して手放したりしないと思った。