egoistic
壮士と一緒に元の家に帰って来た歩は、毎日が楽しくて仕方なかった。
あんなにも悩んだ月日が嘘のような気がする。
昔のように、歩の傍にはいつも壮士が居た。傍に寄っても、もう嫌な顔などされない。
いつもいつも、その背中ばかりを見ていたが、今は肩を並べて、そして手を伸ばせばすぐ届く所に歩いているのだ。
2人で出掛けることもあったが、何処へも行かない日でも、大抵どちらかの家へ入り浸っては、離れていた時を取り戻すかのように一緒の時間を過ごした。
だが、ふと時折、歩は怖くなる事があった。
こんな幸せが、本当に長く続くのだろうか。
そして、思い出すのだ。
壮士には彼女が居る。
部屋に遊びに来ていても、壮士の携帯から着信音が聞こえると歩は思わず身体を硬くしてしまう。
彼女からの電話か、メールではないだろうかとハッとするのだ。
(大丈夫…。壮士は別れてくれるってはっきり言ったし…)
そう思っても、完全に不安を拭い去る事は出来なかった。
その日も、家族がみんな出掛けたからと電話をもらい、壮士の家でお昼を食べて、一緒に夏休みの宿題をした。
座卓の上に宿題を広げて、分からない所を壮士に教えてもらい、歩は集中して問題を解いていった。
「暑いなぁ…」
30分ほど経った時、隣で独り言を呟き、壮士がエアコンのリモコンを手繰り寄せた。
ずっとつけたままなのだが、今日は気温が高過ぎて余りクーラーが効かないらしい。壮士は額の汗を拭いながら設定温度を下げた。
「アユ、首筋に汗が流れてるぞ」
ツイッと指で拭われ、歩はビクッとして首を縮めた。
「止めろよ、くすぐったい…」
振り払おうとした歩の手を壮士が掴んだ。
「あっ…、やッ」
避けようとしたが間に合わなかった。
掴んだ手を引き寄せられ、歩は壮士に唇を押し付けられた。
「ん…」
すぐに舌が入りこんできて、歩は呻いて目を瞑った。
もう数え切れないほどキスを交わしたが、それでもその度に歩はドキドキした。
嬉しいのと恥ずかしいので、顔が熱くなる。その所為で、また汗が流れた。
すると、壮士の手が、タンクトップの裾から入り込んで来た。
ベタ付く身体を触られて、歩は嫌がって身を捩った。
勿論、触られるのが嫌なのではない。汗ばんだ身体を触って、壮士が不快感を覚えるのではないかと思ったのだ。
「やだよ、壮士。俺、いっぱい汗掻いてるから…」
「いいよ、そんなの。俺だって同じだ」
「で、でも…」
短パンのファスナーを開けられて歩は焦った。せめてシャワーぐらい浴びさせて欲しい。
だが、壮士はどんどん歩に圧し掛かってきて、とうとうカーペットの上に押し倒されてしまった。
キスをしながら歩のズボンと下着を下ろそうとするが、汗でべとついた身体に布が張り付いて、中々上手くいかなかった。
「ええいっ、もうッ…」
ムードは諦めたらしい。壮士は身体を起こして忌々しげに叫ぶと、歩の身体から衣服を剥ぎ取り始めた。
「ちょっ…、壮士ッ…」
歩が慌てて起き上がり手を押さえようとすると、壮士はすぐにそれを振り払った。
「いいから脱げよ。しよう?な?」
「い、嫌だってッ…。宿題は?」
「あとでする。ほら、脱げって、アユ」
「や…」
抵抗しようと、幾らかは試みた歩だったが、結局何時もの様に壮士の思い通りにされてしまった。
着ている物をすっかり剥ぎ取られ、明るい日差しの入る部屋の中で裸にされると、恥ずかしくて壮士の眼を見ていられなかった。
汗で塩辛い筈の肌の上を、壮士の舌と指が動いて行くのを、歩は目を瞑ったまま感じていた。
丹念に乳首を愛撫され、声を我慢出来なくなると、両腕を瞼の上に載せて喘ぎ始めた。
やがて、壮士の手が股間に届き、濡れたそれを弄りながら、もう一方の手が後ろを解し始めると、もう歩には少しの余裕も無くなってしまった。
「もういい?アユ…」
壮士もまた、興奮した声で言った。
歩が頷くと、壮士は両手でその脚を開かせた。
「もっと開いて、アユ…」
「やだ…」
恥かしくて閉じようとする歩の脚を、半ば強引に壮士は開かせた。
「もっと、アユ…」
恐る恐る歩が見ると、壮士は興奮している様子で、その顔は少し赤らんでいた。
何度も夢で歩を犯したと言っていたが、その時と同じようにしたいのか、こうして歩の脚を大きく開かせて挿入したがることがあった。
それを、歩は嫌だとは思わなかった。
ただ、恥ずかしいだけで、嫌悪感はない。それで壮士が満足してくれるなら、どんな要求にだって応じたいと思っていたのだ。
見ると、もう潤滑剤を塗り付けてあるのか、怒張して濡れた壮士の性器が、大きく開かせられた歩の中心に宛がわれようとしていた。
また眼を逸らすと、ゆっくりと身体が割られるのが分かった。
その感触が、歩の口から声を迸らせた。
「ああ…、アユ……気持ちいいよ…ッ」
深く歩の中に入り込むと、壮士は感動したように言った。
(ほんと……?)
壮士が自分の身体に満足しているのだと思うと、歩は嬉しくて涙が滲みそうだった。
1度果てても、まだ名残惜しそうに、壮士は歩の身体を離さなかった。
キスをして、また挿入するつもりなのか、脚を抱えようとする。
「もう、駄目…。宿題するんだろ?」
歩だって名残惜しかったが、許せばきっと起き上がれなくなるまで壮士は離してくれないだろう。押し返そうとした時、机の上で壮士の携帯が鳴った。
「電話…、壮士」
「いいよ」
携帯の方を振り向きもせずに壮士は言った。
「駄目ッ。電話出ろよッ…」
壮士の顎を片手で押しながら、歩は携帯の方を指差した。
「ちっ…」
舌打ちをして渋々起き上がると、壮士は手を伸ばして机の上から携帯を取った。
そして、そこに出ていた相手の名前を見ると、慌てて座り直した。
「もしもし?うん…」
クルリと背を向け、壮士は話しながら部屋から出て行った。
その様子を見て、歩の心に急に不安が募った。
きっと相手は、例の彼女だ。
起き上がって服を拾うと、歩は何となくその場に正座した。
相手は彼女に違いない。そうじゃなければ、壮士は自分の前で話をする筈だった。
(なんだろ…?デートの約束?)
そう思うと、ツキンと胸が痛んだ。
別れてくれるとは言った。だが、まだ別れた訳ではない。
デートの約束だってしないとは限らない。
歩の家に居る間、壮士は殆ど毎日彼女とメールのやり取りをしていた。しないと煩い、とも言っていた。
壮士は、彼女には他に相手がいて自分はセフレのようなものだと言っていた。だが、それなら毎日のようにメールを寄越したりするだろうか。
壮士が思っているのと、彼女の気持ちは本当に同じなのだろうか。
歩には違うように思えてならなかった。
「ごめん、アユ…。俺、ちょっと出掛けるわ」
部屋に戻って来て、壮士はそう言った。
「え…?今から…?」
歩が驚いて聞き返すと、壮士は済まなそうな表情で言った。
「麻里果…って、俺が付き合ってた…。この前、電話では別れたいってことを言ったんだけど、会ってちゃんと話しようってことになってさ。今から会いたいって言うから…。どうせ話すなら、早い方がいいだろ?アユだって、早くはっきりさせた方がいいよな?」
「うん…」
だが、彼女の方が別れたくないと言ったら…?
「壮士、…俺、ここで待っててもいい?壮士が帰って来るの…」
「え?」
「ここで宿題して待ってる」
シャワーを浴びる為、クローゼットから着替えを出していた壮士に歩は言った。すると、壮士は振り返って歩の顔を見た。
すっと唇の端が持ち上がりコクッと頷く。
「いいよ。すぐ帰ってくるから、待ってろよ」
「うん」
壮士は着替えを持って立ち上がると、歩の前にしゃがんだ。
「大丈夫だよ、アユ。俺の気持ちは決まってるから」
「…うん。分かってる…」
勿論、信じている。
だが、それでも歩の中の不安が消える事はなかった。
すぐに帰ってくる、と壮士は言ったが、待つ方の歩にとって1分が何時もの何倍にも長く感じた。
5分置きぐらいに時計を見てしまい、宿題も中々捗らなかった。
そして、時計を見た後には必ず溜息が出る。だから、歩の口からは休むことなく溜息が漏れていた。
だが、そんな状態で1時間ほどすると、テーブルの上で歩の携帯が鳴った。
慌てて開くと、相手は壮士だった。
「もしもし?」
「あ、アユ…、悪い…」
いきなり謝られ、歩の心臓がドクンと音を立てた。
(なに?まさか…、まさか…、別れられないとか言うなよ?)
ドキドキと煩いほどに音を立てる胸を押さえて、歩はゴクッと唾を飲み込んだ。
「なに?どうか…した?」
「うん…、麻里果のヤツ、おまえに会わせろってきかなくてさ…。今から、そっちに連れてってもいいかな?」
「え?…ええっ?な、なんで?なんで俺に会いたいのさ?」
余りにも思いがけない展開に、歩は驚きを隠せなかった。
自分に会って、一体どうすると言うのだろうか。まさか、壮士と別れろとでも言うつもりなのだろうか。
「まあ兎に角、会えば分かるよ。30分ぐらいで行くから。じゃ…」
「ちょっ…壮士ッ…」
此方の返事も聞かずに切られてしまい、歩は慌てた。
だが、もうどうしようもない。
30分後には壮士が麻里果を連れて、ここへやって来るのだ。
「お、俺…」
そう呟くと、歩は慌てて立ち上がった。
さっき、壮士の後にシャワーを浴びたが、碌に鏡も見なかった。髪の毛もタオルで拭いただけでドライヤーも掛けなかったし、ぐしゃぐしゃになっているかも知れない。
女じゃないんだから容姿なんて関係ないと言われるかも知れないが、それでもなるべく良く見られたいというのが心情だった。
そうでなければ、自信を持って対決する事が出来ない。
「た…、対決…?」
その言葉が頭の中に浮かぶと、歩は愕然として立ち止まった。
「べ、別に、そんなんじゃないよ。何考えてんの?俺…」
呟いて振り切るように首を振ったが、どうしてもその言葉が頭の隅から出て行かなかった。
急いでバスルームに行き鏡を見て点検すると、歩は髪を整えて、顔もじっと見ておかしなところは無いかチェックした。
それから、部屋に戻り、置いた切りで少々温くなってしまったジュースを一気に飲み干すと、やっと息を付いた。
時計を見ると、後5分ほどで2人がやって来る時間だった。
なんだかどっと疲れてしまい、歩はテーブルの上に頬を乗せるとぐったりと力を抜いた。
力んだって仕方がない。
彼女がどう思おうとなんと言おうと、自分は壮士から離れるつもりなどないし、また、出来もしないのだ。
それにしても、恋人が男だと知られてしまう事に、壮士は何の抵抗も無いのだろうか。
(ないんだろうな…、きっと)
だから、平気で自分を会わせようとするのだろう。
それを思うと、歩は急に嬉しくなった。
堂々としていればいいのだ。壮士は自分を選んでくれたのだから…。
歩がテーブルの上から顔を持ち上げた時、ドアの外で階段を上って来る足音が聞こえてきた。
(き、来た…)
落ち着いたつもりだったが、やはりドキドキと心音が早くなった。
身体を強張らせたまま、歩はドアが開くのをじっと見つめた。
「ただいま、歩…」
勿論最初に顔を覗かせたのは壮士だった。
だが、その後ろに確かに彼女が居た。
「お…、お帰り…」
歩が強張った笑みを浮かべると、壮士に続いて彼女が入って来た。
「こんにちは。はじめまして…」
ペコッと頭を下げた彼女は、自分と同い年とは思えないほど大人びていた。
背も、きっと並んでみると歩よりも10センチくらい高いだろう。すらりと伸びた脚をミニスカートから惜しげもなく見せて、ノースリーブのブラウスの胸はその豊満さではちきれんばかりだった。
彼女を見て、歩は忽ちさっきの自信を失ってしまった。
理沙も綺麗だったが、麻里果の方が、もっと美人だったのだ。
(まるで、モデルみたいだ…)
気後れしたが、歩は必死で口元に笑みを浮かべようとした。
「は、はじめまして…。沢口歩です」
「あ、後藤麻里果です」
言いながらまた頭を下げ、麻里果は歩の前に腰を下ろした。
「へぇ…、マジ、男の子なんだ」
クスッと笑ってそう言うと、麻里果は歩の隣に座った壮士を見た。
「だから言っただろ?本当だって…」
「だって、“あゆみ”なんてさ、女だっているし…。まあ、でも、信じるよ。こうやって証拠を見せられちゃあね」
見た目とは違って気さくな性格なのか、麻里果はそう言うと歩に向かってニコニコと笑い掛けてきた。
「なんか飲むか?アユも、冷たいの持って来ようか?」
壮士に訊かれて歩が頷くと、麻里果がニヤニヤ笑って壮士を見た。
「アユも…だって。なんか、やらしー…」
「うっせぇ。コーラとかでいいか?」
「はぁい」
麻里果が手を上げて答えると、壮士は頷いて部屋を出て行った。
(彼女って言うより、友達みたいだ…)
やり取りを見てそう感じた歩だったが、思っていたよりもずっと2人の間に親密さを感じて嫌な気分になった。
「歩君は、壮士と幼馴染なんだってね?」
「あ、はい…。幼稚園の時、俺が隣に越してきて、それからずっと…」
「へえ…?最初から壮士のことを…?」
訊かれて、一瞬歩は迷った。
なにも、本当のことを答える必要はない。だが、それでは麻里果に負けるような気がして、歩は言った。
「はい。多分俺、壮士が初恋です」
その答えを聞いて、麻里果は目を見開いた。
「ふぅん…、一途なんだなぁ…」
感心したようにそう言うと、麻里果はクスクスと笑った。
「あのさ、私、でっかいけど年は一緒だよ?敬語、使わなくていいし…」
「あ…」
歩が赤くなると、麻里果はまた楽しげに笑った。
そこへ、壮士が飲み物を持って入って来た。
「なんだ?楽しそうだな?」
「ふふ…、いやね、壮士がなんで歩君なのか分かるなぁと思ってさ…」
「なんだそれ?」
麻里果の答えに壮士は怪訝そうに眉を寄せながら、持って来たコーラと氷の入ったグラスを渡した。
「サンキュ…」
次に歩にも差し出され、頷きながら受け取った。
やはり緊張していたのだろう。喉がカラカラだった。
歩は、受け取ったグラスにすぐに口をつけると、半分ほど一気に飲み干した。
そして、チラリと目を上げると麻里果を見た。
決して性的な意味ではなく、目の前の麻里果の豊満な胸を見るとドキドキした。
それは、この身体に壮士が触れたのだと思うからだった。
男と女だから、多少は違うかも知れない。だが、自分の身体で知っている壮士の手や唇の感触を、麻里果の身体も知っているのだ。
それは、嫉妬ともまた異なる、だが、とても嫌な感覚だった。
「でも、マジ男の子とはねえ…、驚き…」
妙に感心したように言うと、麻里果はコーラをグッと飲んだ。
麻里果の様子を見ると、壮士の相手が男の歩だという事に対して、馬鹿にしている訳でもも、また嫌悪を感じている風でもなかった。
それに、壮士に対して未練を感じている様子も見えない。
やけにフレンドリーで、別れ話をした直後の男女とはとても思えなかった。
本当に、身体だけと割り切って付き合っていたのだろうか。自分は無駄な心配をしていたに過ぎないのだろうか。
そもそも、何故、麻里果は自分に会いに来たのだろう。
歩はそう思った。
口ぶりでは、壮士の付き合っている相手が男だと知り、それを確かめに来たような感じだが、本当に理由はそれだけなのだろうか。
すっかり飲み干してしまったグラスをテーブルに置くと、壮士が自分の分を歩に差し出した。
「なんか、喉渇いてるみたいだな?俺のも飲むか?」
「あ、サンキュ…」
反射的に受け取ると、それを見て麻里果がニヤニヤ笑った。
「やっさしいねえ?いいなぁ、ラブラブ…」
からかわれて、壮士はちょっと麻里果を睨むように見た。
「うっせえ。おまえだって居るだろ?ラブラブの彼氏」
その言葉に、麻里果の顔が一瞬曇った。
それを、歩は見逃さなかった。
「あはは…。言わなかったっけ?別れたんよ。あっちとは、とっくに」
「えっ?そうなのか?知らねえよ」
壮士が驚いて見せると、麻里果は何でもないような顔で笑った。
「だってさぁ…、不毛じゃん?向こうは幾ら待ってたって奥さんと別れるつもりなんか無いし…。麻里果ちゃん、こんなにいい女なのにさぁ、勿体無いでしょ?」
ふざけた調子で麻里果は言ったが、壮士は真面目な顔で頷いた。
「うん、俺は前から別れた方がいいと思ってたから…。正直、良かったと思うよ。マジ、麻里果なら他に幾らでもいい男がいるって」
「へへっ…、そうだよねー」
そう言って、また笑った麻里果の顔を見て、歩には分かった気がした。
麻里果がもう1人の男と分かれたのは、多分、壮士の為だったのだ。
最初は、お互いに本命が別にいてセフレとして割り切って付き合っていたのかも知れない。だがきっと、麻里果の方ではもう1人の男よりも、壮士の方を好きになってしまったのではないだろうか。
だから、向こうとは別れて、毎日のように壮士にメールを寄越した。
本当は、この夏休み中にでも本心を告げるつもりだったのではないのだろうか。
(諦める為…?)
自分に会いに来たのは、壮士を諦める為なのだろうか。
だとしたら、随分哀しい、と歩は思った。
多分、麻里果は友達として付き合っても気分のいい相手だろう。それは、壮士の様子を見ても分かる。
そしてきっと、彼女としても申し分のない相手に違いなかった。
もし、自分の存在がなかったら、壮士は疑いもなく麻里果を撰んだのではないだろうか。
それを思うと、なんだか複雑だった。
「さぁて、いつまでもお邪魔してちゃ悪いし…。そろそろ帰ろうかな…」
笑いながらそう言うと、麻里果は立ち上がった。
だが、ふと動きを止め、壮士の顔をじっと見た。
「そう言えばさ、壮士の初恋って誰?」
「は?そんなの、アユに決まってるだろ?」
臆面もなくそう言った壮士の隣で、歩は真っ赤になった。
それを見て、麻里果がまた笑う。
「はいはい、ご馳走さまぁー」
「バス停まで送る?」
「いいって、いいって…」
部屋を出ながらそう言うと、麻里果はリズミカルに階段を降りて行った。
その後から降りて行く壮士に続き、歩も階段を降りた。
「俺、送っていく。コンビニに行きたいし」
歩がそう言って、麻里果と一緒に玄関の三和土へ降りると、壮士が驚いて言った。
「えっ?じゃあ、俺も行くよ」
「いいよ、壮士は。すぐ帰ってくるし…。行こ、麻里果さん」
「あ、うん。じゃ、またねー、壮士」
麻里果は頷くと壮士に手を上げ、歩に続いて玄関から出て来た。
通りに出ると2人は並んで歩き始めたが、やはり麻里果はサンダルのヒールの分を除いても歩より10センチほど大きかった。
「なんか、私に話でもあった?もう、ちょっかい出したりしないし、心配しなくてもいいよ?」
そう言われて、歩は首を振った。
「そんなこと、思ってない…」
「壮士からも聞いてると思うけど、私たちってほら、最初から彼氏と彼女って訳でもなかったし。壮士は初めから好きな奴がいるって言ってたしねー」
「でも、麻里果さんは壮士のこと本気だったんじゃ…?」
歩が言うと、麻里果の足が止まった。
見ると、少々顔が強張っている。
「やだな…。もしかして私、同情されてんのかな…?」
歩は慌てて首を振った。
「ち、違うよ。そう言う訳じゃなくて…」
歩の困惑した表情を見ると、麻里果の顔がフッと緩んだ。
「優しいね。歩君…」
「お、俺…」
なんと答えていいか分からず、歩はただ首を振った。
自分と麻里果の立場が逆だったら…。
そう思ったら、酷く怖くなった。
麻里果を1人で帰すのが、なんだか切なくて堪らなかった。
だからと言って、こうして付いて来ても何か出来る訳ではないというのに。
「あっついねえ…。ねえ、アイス、奢ってよ」
「え…?」
丁度そこはコンビニの前だった。
歩が顔を上げると、麻里果はそちらを指差して笑っていた。
「うん、いいよ」
勢い良く頷いて歩がコンビニのドアを開けると、後ろで麻里果がポツリと呟いた。
「アイスじゃ安過ぎるかなぁ…」
「え?」
歩が振り返ると、麻里果はニッと歯を見せて笑った。
「やっぱ、パフェにしよっかな」
「うん」
麻里果の気遣いが嬉しいと思う反面、やはり歩には彼女の気持ちが切なかった。
だが、どんなにエゴを通しても、自分は壮士を離したくないのだ。
決して、離す事など出来ないのだ。
「俺も、パフェ食べよ」
歩も笑みを返すと、2人は並んでレジの上のメニューを眺めた。
あんなにも悩んだ月日が嘘のような気がする。
昔のように、歩の傍にはいつも壮士が居た。傍に寄っても、もう嫌な顔などされない。
いつもいつも、その背中ばかりを見ていたが、今は肩を並べて、そして手を伸ばせばすぐ届く所に歩いているのだ。
2人で出掛けることもあったが、何処へも行かない日でも、大抵どちらかの家へ入り浸っては、離れていた時を取り戻すかのように一緒の時間を過ごした。
だが、ふと時折、歩は怖くなる事があった。
こんな幸せが、本当に長く続くのだろうか。
そして、思い出すのだ。
壮士には彼女が居る。
部屋に遊びに来ていても、壮士の携帯から着信音が聞こえると歩は思わず身体を硬くしてしまう。
彼女からの電話か、メールではないだろうかとハッとするのだ。
(大丈夫…。壮士は別れてくれるってはっきり言ったし…)
そう思っても、完全に不安を拭い去る事は出来なかった。
その日も、家族がみんな出掛けたからと電話をもらい、壮士の家でお昼を食べて、一緒に夏休みの宿題をした。
座卓の上に宿題を広げて、分からない所を壮士に教えてもらい、歩は集中して問題を解いていった。
「暑いなぁ…」
30分ほど経った時、隣で独り言を呟き、壮士がエアコンのリモコンを手繰り寄せた。
ずっとつけたままなのだが、今日は気温が高過ぎて余りクーラーが効かないらしい。壮士は額の汗を拭いながら設定温度を下げた。
「アユ、首筋に汗が流れてるぞ」
ツイッと指で拭われ、歩はビクッとして首を縮めた。
「止めろよ、くすぐったい…」
振り払おうとした歩の手を壮士が掴んだ。
「あっ…、やッ」
避けようとしたが間に合わなかった。
掴んだ手を引き寄せられ、歩は壮士に唇を押し付けられた。
「ん…」
すぐに舌が入りこんできて、歩は呻いて目を瞑った。
もう数え切れないほどキスを交わしたが、それでもその度に歩はドキドキした。
嬉しいのと恥ずかしいので、顔が熱くなる。その所為で、また汗が流れた。
すると、壮士の手が、タンクトップの裾から入り込んで来た。
ベタ付く身体を触られて、歩は嫌がって身を捩った。
勿論、触られるのが嫌なのではない。汗ばんだ身体を触って、壮士が不快感を覚えるのではないかと思ったのだ。
「やだよ、壮士。俺、いっぱい汗掻いてるから…」
「いいよ、そんなの。俺だって同じだ」
「で、でも…」
短パンのファスナーを開けられて歩は焦った。せめてシャワーぐらい浴びさせて欲しい。
だが、壮士はどんどん歩に圧し掛かってきて、とうとうカーペットの上に押し倒されてしまった。
キスをしながら歩のズボンと下着を下ろそうとするが、汗でべとついた身体に布が張り付いて、中々上手くいかなかった。
「ええいっ、もうッ…」
ムードは諦めたらしい。壮士は身体を起こして忌々しげに叫ぶと、歩の身体から衣服を剥ぎ取り始めた。
「ちょっ…、壮士ッ…」
歩が慌てて起き上がり手を押さえようとすると、壮士はすぐにそれを振り払った。
「いいから脱げよ。しよう?な?」
「い、嫌だってッ…。宿題は?」
「あとでする。ほら、脱げって、アユ」
「や…」
抵抗しようと、幾らかは試みた歩だったが、結局何時もの様に壮士の思い通りにされてしまった。
着ている物をすっかり剥ぎ取られ、明るい日差しの入る部屋の中で裸にされると、恥ずかしくて壮士の眼を見ていられなかった。
汗で塩辛い筈の肌の上を、壮士の舌と指が動いて行くのを、歩は目を瞑ったまま感じていた。
丹念に乳首を愛撫され、声を我慢出来なくなると、両腕を瞼の上に載せて喘ぎ始めた。
やがて、壮士の手が股間に届き、濡れたそれを弄りながら、もう一方の手が後ろを解し始めると、もう歩には少しの余裕も無くなってしまった。
「もういい?アユ…」
壮士もまた、興奮した声で言った。
歩が頷くと、壮士は両手でその脚を開かせた。
「もっと開いて、アユ…」
「やだ…」
恥かしくて閉じようとする歩の脚を、半ば強引に壮士は開かせた。
「もっと、アユ…」
恐る恐る歩が見ると、壮士は興奮している様子で、その顔は少し赤らんでいた。
何度も夢で歩を犯したと言っていたが、その時と同じようにしたいのか、こうして歩の脚を大きく開かせて挿入したがることがあった。
それを、歩は嫌だとは思わなかった。
ただ、恥ずかしいだけで、嫌悪感はない。それで壮士が満足してくれるなら、どんな要求にだって応じたいと思っていたのだ。
見ると、もう潤滑剤を塗り付けてあるのか、怒張して濡れた壮士の性器が、大きく開かせられた歩の中心に宛がわれようとしていた。
また眼を逸らすと、ゆっくりと身体が割られるのが分かった。
その感触が、歩の口から声を迸らせた。
「ああ…、アユ……気持ちいいよ…ッ」
深く歩の中に入り込むと、壮士は感動したように言った。
(ほんと……?)
壮士が自分の身体に満足しているのだと思うと、歩は嬉しくて涙が滲みそうだった。
1度果てても、まだ名残惜しそうに、壮士は歩の身体を離さなかった。
キスをして、また挿入するつもりなのか、脚を抱えようとする。
「もう、駄目…。宿題するんだろ?」
歩だって名残惜しかったが、許せばきっと起き上がれなくなるまで壮士は離してくれないだろう。押し返そうとした時、机の上で壮士の携帯が鳴った。
「電話…、壮士」
「いいよ」
携帯の方を振り向きもせずに壮士は言った。
「駄目ッ。電話出ろよッ…」
壮士の顎を片手で押しながら、歩は携帯の方を指差した。
「ちっ…」
舌打ちをして渋々起き上がると、壮士は手を伸ばして机の上から携帯を取った。
そして、そこに出ていた相手の名前を見ると、慌てて座り直した。
「もしもし?うん…」
クルリと背を向け、壮士は話しながら部屋から出て行った。
その様子を見て、歩の心に急に不安が募った。
きっと相手は、例の彼女だ。
起き上がって服を拾うと、歩は何となくその場に正座した。
相手は彼女に違いない。そうじゃなければ、壮士は自分の前で話をする筈だった。
(なんだろ…?デートの約束?)
そう思うと、ツキンと胸が痛んだ。
別れてくれるとは言った。だが、まだ別れた訳ではない。
デートの約束だってしないとは限らない。
歩の家に居る間、壮士は殆ど毎日彼女とメールのやり取りをしていた。しないと煩い、とも言っていた。
壮士は、彼女には他に相手がいて自分はセフレのようなものだと言っていた。だが、それなら毎日のようにメールを寄越したりするだろうか。
壮士が思っているのと、彼女の気持ちは本当に同じなのだろうか。
歩には違うように思えてならなかった。
「ごめん、アユ…。俺、ちょっと出掛けるわ」
部屋に戻って来て、壮士はそう言った。
「え…?今から…?」
歩が驚いて聞き返すと、壮士は済まなそうな表情で言った。
「麻里果…って、俺が付き合ってた…。この前、電話では別れたいってことを言ったんだけど、会ってちゃんと話しようってことになってさ。今から会いたいって言うから…。どうせ話すなら、早い方がいいだろ?アユだって、早くはっきりさせた方がいいよな?」
「うん…」
だが、彼女の方が別れたくないと言ったら…?
「壮士、…俺、ここで待っててもいい?壮士が帰って来るの…」
「え?」
「ここで宿題して待ってる」
シャワーを浴びる為、クローゼットから着替えを出していた壮士に歩は言った。すると、壮士は振り返って歩の顔を見た。
すっと唇の端が持ち上がりコクッと頷く。
「いいよ。すぐ帰ってくるから、待ってろよ」
「うん」
壮士は着替えを持って立ち上がると、歩の前にしゃがんだ。
「大丈夫だよ、アユ。俺の気持ちは決まってるから」
「…うん。分かってる…」
勿論、信じている。
だが、それでも歩の中の不安が消える事はなかった。
すぐに帰ってくる、と壮士は言ったが、待つ方の歩にとって1分が何時もの何倍にも長く感じた。
5分置きぐらいに時計を見てしまい、宿題も中々捗らなかった。
そして、時計を見た後には必ず溜息が出る。だから、歩の口からは休むことなく溜息が漏れていた。
だが、そんな状態で1時間ほどすると、テーブルの上で歩の携帯が鳴った。
慌てて開くと、相手は壮士だった。
「もしもし?」
「あ、アユ…、悪い…」
いきなり謝られ、歩の心臓がドクンと音を立てた。
(なに?まさか…、まさか…、別れられないとか言うなよ?)
ドキドキと煩いほどに音を立てる胸を押さえて、歩はゴクッと唾を飲み込んだ。
「なに?どうか…した?」
「うん…、麻里果のヤツ、おまえに会わせろってきかなくてさ…。今から、そっちに連れてってもいいかな?」
「え?…ええっ?な、なんで?なんで俺に会いたいのさ?」
余りにも思いがけない展開に、歩は驚きを隠せなかった。
自分に会って、一体どうすると言うのだろうか。まさか、壮士と別れろとでも言うつもりなのだろうか。
「まあ兎に角、会えば分かるよ。30分ぐらいで行くから。じゃ…」
「ちょっ…壮士ッ…」
此方の返事も聞かずに切られてしまい、歩は慌てた。
だが、もうどうしようもない。
30分後には壮士が麻里果を連れて、ここへやって来るのだ。
「お、俺…」
そう呟くと、歩は慌てて立ち上がった。
さっき、壮士の後にシャワーを浴びたが、碌に鏡も見なかった。髪の毛もタオルで拭いただけでドライヤーも掛けなかったし、ぐしゃぐしゃになっているかも知れない。
女じゃないんだから容姿なんて関係ないと言われるかも知れないが、それでもなるべく良く見られたいというのが心情だった。
そうでなければ、自信を持って対決する事が出来ない。
「た…、対決…?」
その言葉が頭の中に浮かぶと、歩は愕然として立ち止まった。
「べ、別に、そんなんじゃないよ。何考えてんの?俺…」
呟いて振り切るように首を振ったが、どうしてもその言葉が頭の隅から出て行かなかった。
急いでバスルームに行き鏡を見て点検すると、歩は髪を整えて、顔もじっと見ておかしなところは無いかチェックした。
それから、部屋に戻り、置いた切りで少々温くなってしまったジュースを一気に飲み干すと、やっと息を付いた。
時計を見ると、後5分ほどで2人がやって来る時間だった。
なんだかどっと疲れてしまい、歩はテーブルの上に頬を乗せるとぐったりと力を抜いた。
力んだって仕方がない。
彼女がどう思おうとなんと言おうと、自分は壮士から離れるつもりなどないし、また、出来もしないのだ。
それにしても、恋人が男だと知られてしまう事に、壮士は何の抵抗も無いのだろうか。
(ないんだろうな…、きっと)
だから、平気で自分を会わせようとするのだろう。
それを思うと、歩は急に嬉しくなった。
堂々としていればいいのだ。壮士は自分を選んでくれたのだから…。
歩がテーブルの上から顔を持ち上げた時、ドアの外で階段を上って来る足音が聞こえてきた。
(き、来た…)
落ち着いたつもりだったが、やはりドキドキと心音が早くなった。
身体を強張らせたまま、歩はドアが開くのをじっと見つめた。
「ただいま、歩…」
勿論最初に顔を覗かせたのは壮士だった。
だが、その後ろに確かに彼女が居た。
「お…、お帰り…」
歩が強張った笑みを浮かべると、壮士に続いて彼女が入って来た。
「こんにちは。はじめまして…」
ペコッと頭を下げた彼女は、自分と同い年とは思えないほど大人びていた。
背も、きっと並んでみると歩よりも10センチくらい高いだろう。すらりと伸びた脚をミニスカートから惜しげもなく見せて、ノースリーブのブラウスの胸はその豊満さではちきれんばかりだった。
彼女を見て、歩は忽ちさっきの自信を失ってしまった。
理沙も綺麗だったが、麻里果の方が、もっと美人だったのだ。
(まるで、モデルみたいだ…)
気後れしたが、歩は必死で口元に笑みを浮かべようとした。
「は、はじめまして…。沢口歩です」
「あ、後藤麻里果です」
言いながらまた頭を下げ、麻里果は歩の前に腰を下ろした。
「へぇ…、マジ、男の子なんだ」
クスッと笑ってそう言うと、麻里果は歩の隣に座った壮士を見た。
「だから言っただろ?本当だって…」
「だって、“あゆみ”なんてさ、女だっているし…。まあ、でも、信じるよ。こうやって証拠を見せられちゃあね」
見た目とは違って気さくな性格なのか、麻里果はそう言うと歩に向かってニコニコと笑い掛けてきた。
「なんか飲むか?アユも、冷たいの持って来ようか?」
壮士に訊かれて歩が頷くと、麻里果がニヤニヤ笑って壮士を見た。
「アユも…だって。なんか、やらしー…」
「うっせぇ。コーラとかでいいか?」
「はぁい」
麻里果が手を上げて答えると、壮士は頷いて部屋を出て行った。
(彼女って言うより、友達みたいだ…)
やり取りを見てそう感じた歩だったが、思っていたよりもずっと2人の間に親密さを感じて嫌な気分になった。
「歩君は、壮士と幼馴染なんだってね?」
「あ、はい…。幼稚園の時、俺が隣に越してきて、それからずっと…」
「へえ…?最初から壮士のことを…?」
訊かれて、一瞬歩は迷った。
なにも、本当のことを答える必要はない。だが、それでは麻里果に負けるような気がして、歩は言った。
「はい。多分俺、壮士が初恋です」
その答えを聞いて、麻里果は目を見開いた。
「ふぅん…、一途なんだなぁ…」
感心したようにそう言うと、麻里果はクスクスと笑った。
「あのさ、私、でっかいけど年は一緒だよ?敬語、使わなくていいし…」
「あ…」
歩が赤くなると、麻里果はまた楽しげに笑った。
そこへ、壮士が飲み物を持って入って来た。
「なんだ?楽しそうだな?」
「ふふ…、いやね、壮士がなんで歩君なのか分かるなぁと思ってさ…」
「なんだそれ?」
麻里果の答えに壮士は怪訝そうに眉を寄せながら、持って来たコーラと氷の入ったグラスを渡した。
「サンキュ…」
次に歩にも差し出され、頷きながら受け取った。
やはり緊張していたのだろう。喉がカラカラだった。
歩は、受け取ったグラスにすぐに口をつけると、半分ほど一気に飲み干した。
そして、チラリと目を上げると麻里果を見た。
決して性的な意味ではなく、目の前の麻里果の豊満な胸を見るとドキドキした。
それは、この身体に壮士が触れたのだと思うからだった。
男と女だから、多少は違うかも知れない。だが、自分の身体で知っている壮士の手や唇の感触を、麻里果の身体も知っているのだ。
それは、嫉妬ともまた異なる、だが、とても嫌な感覚だった。
「でも、マジ男の子とはねえ…、驚き…」
妙に感心したように言うと、麻里果はコーラをグッと飲んだ。
麻里果の様子を見ると、壮士の相手が男の歩だという事に対して、馬鹿にしている訳でもも、また嫌悪を感じている風でもなかった。
それに、壮士に対して未練を感じている様子も見えない。
やけにフレンドリーで、別れ話をした直後の男女とはとても思えなかった。
本当に、身体だけと割り切って付き合っていたのだろうか。自分は無駄な心配をしていたに過ぎないのだろうか。
そもそも、何故、麻里果は自分に会いに来たのだろう。
歩はそう思った。
口ぶりでは、壮士の付き合っている相手が男だと知り、それを確かめに来たような感じだが、本当に理由はそれだけなのだろうか。
すっかり飲み干してしまったグラスをテーブルに置くと、壮士が自分の分を歩に差し出した。
「なんか、喉渇いてるみたいだな?俺のも飲むか?」
「あ、サンキュ…」
反射的に受け取ると、それを見て麻里果がニヤニヤ笑った。
「やっさしいねえ?いいなぁ、ラブラブ…」
からかわれて、壮士はちょっと麻里果を睨むように見た。
「うっせえ。おまえだって居るだろ?ラブラブの彼氏」
その言葉に、麻里果の顔が一瞬曇った。
それを、歩は見逃さなかった。
「あはは…。言わなかったっけ?別れたんよ。あっちとは、とっくに」
「えっ?そうなのか?知らねえよ」
壮士が驚いて見せると、麻里果は何でもないような顔で笑った。
「だってさぁ…、不毛じゃん?向こうは幾ら待ってたって奥さんと別れるつもりなんか無いし…。麻里果ちゃん、こんなにいい女なのにさぁ、勿体無いでしょ?」
ふざけた調子で麻里果は言ったが、壮士は真面目な顔で頷いた。
「うん、俺は前から別れた方がいいと思ってたから…。正直、良かったと思うよ。マジ、麻里果なら他に幾らでもいい男がいるって」
「へへっ…、そうだよねー」
そう言って、また笑った麻里果の顔を見て、歩には分かった気がした。
麻里果がもう1人の男と分かれたのは、多分、壮士の為だったのだ。
最初は、お互いに本命が別にいてセフレとして割り切って付き合っていたのかも知れない。だがきっと、麻里果の方ではもう1人の男よりも、壮士の方を好きになってしまったのではないだろうか。
だから、向こうとは別れて、毎日のように壮士にメールを寄越した。
本当は、この夏休み中にでも本心を告げるつもりだったのではないのだろうか。
(諦める為…?)
自分に会いに来たのは、壮士を諦める為なのだろうか。
だとしたら、随分哀しい、と歩は思った。
多分、麻里果は友達として付き合っても気分のいい相手だろう。それは、壮士の様子を見ても分かる。
そしてきっと、彼女としても申し分のない相手に違いなかった。
もし、自分の存在がなかったら、壮士は疑いもなく麻里果を撰んだのではないだろうか。
それを思うと、なんだか複雑だった。
「さぁて、いつまでもお邪魔してちゃ悪いし…。そろそろ帰ろうかな…」
笑いながらそう言うと、麻里果は立ち上がった。
だが、ふと動きを止め、壮士の顔をじっと見た。
「そう言えばさ、壮士の初恋って誰?」
「は?そんなの、アユに決まってるだろ?」
臆面もなくそう言った壮士の隣で、歩は真っ赤になった。
それを見て、麻里果がまた笑う。
「はいはい、ご馳走さまぁー」
「バス停まで送る?」
「いいって、いいって…」
部屋を出ながらそう言うと、麻里果はリズミカルに階段を降りて行った。
その後から降りて行く壮士に続き、歩も階段を降りた。
「俺、送っていく。コンビニに行きたいし」
歩がそう言って、麻里果と一緒に玄関の三和土へ降りると、壮士が驚いて言った。
「えっ?じゃあ、俺も行くよ」
「いいよ、壮士は。すぐ帰ってくるし…。行こ、麻里果さん」
「あ、うん。じゃ、またねー、壮士」
麻里果は頷くと壮士に手を上げ、歩に続いて玄関から出て来た。
通りに出ると2人は並んで歩き始めたが、やはり麻里果はサンダルのヒールの分を除いても歩より10センチほど大きかった。
「なんか、私に話でもあった?もう、ちょっかい出したりしないし、心配しなくてもいいよ?」
そう言われて、歩は首を振った。
「そんなこと、思ってない…」
「壮士からも聞いてると思うけど、私たちってほら、最初から彼氏と彼女って訳でもなかったし。壮士は初めから好きな奴がいるって言ってたしねー」
「でも、麻里果さんは壮士のこと本気だったんじゃ…?」
歩が言うと、麻里果の足が止まった。
見ると、少々顔が強張っている。
「やだな…。もしかして私、同情されてんのかな…?」
歩は慌てて首を振った。
「ち、違うよ。そう言う訳じゃなくて…」
歩の困惑した表情を見ると、麻里果の顔がフッと緩んだ。
「優しいね。歩君…」
「お、俺…」
なんと答えていいか分からず、歩はただ首を振った。
自分と麻里果の立場が逆だったら…。
そう思ったら、酷く怖くなった。
麻里果を1人で帰すのが、なんだか切なくて堪らなかった。
だからと言って、こうして付いて来ても何か出来る訳ではないというのに。
「あっついねえ…。ねえ、アイス、奢ってよ」
「え…?」
丁度そこはコンビニの前だった。
歩が顔を上げると、麻里果はそちらを指差して笑っていた。
「うん、いいよ」
勢い良く頷いて歩がコンビニのドアを開けると、後ろで麻里果がポツリと呟いた。
「アイスじゃ安過ぎるかなぁ…」
「え?」
歩が振り返ると、麻里果はニッと歯を見せて笑った。
「やっぱ、パフェにしよっかな」
「うん」
麻里果の気遣いが嬉しいと思う反面、やはり歩には彼女の気持ちが切なかった。
だが、どんなにエゴを通しても、自分は壮士を離したくないのだ。
決して、離す事など出来ないのだ。
「俺も、パフェ食べよ」
歩も笑みを返すと、2人は並んでレジの上のメニューを眺めた。