苦い蜜


澄ました顔で自分の前で弁当を食べている親友の顔を、勇人(はやと)は黙って見つめていた。
無邪気で、まるで穢れないような顔をしたこの少年の、隠されていた淫らさを知ったのは、つい先日のことだった。
そしてその時、自分が何でも知っていると思っていた、そして知られているのだと思っていた彼が、本当は親友などではなかったのだと悟ったのだ。
何故なら、勇人は淳の事を、彼の本当の顔を、何一つ知らなかったのだから。


あの日、蒸し暑い淳の部屋で、唇を押し付けてきた彼を勇人は押し退ける事が出来なかった。 目の前の、たった一瞬前まで親友だった筈の少年は、急に媚びる様な眼をしたまったく別の妖しい生き物に変わってしまった。
「気持ち悪い?」
糸を引いて離れて行った唇が、薄っすらと笑みを浮かべながらそう言った。
「それとも、もっとしたい?」
ゴクッと、喉が鳴った。
淳の白い瞼に青い血管が浮いていることを、勇人は今日初めて知った。
半眼になった瞼の、その色がやけに艶かしい。
「なあ、もっと、しよ?」
圧し掛かられて、勇人はそのまま淳の背に腕を回した。
この誘いが、”口止め”だと知らなかった訳ではない。
だが、それを分かっていても、勇人はこの淫らな友を、その身体を、抱いてみたいと思わずにはいられなかった。
「すげえ当ってる…」
楽しげにそう言い、淳はクスクスと笑った。

あの日。

襖の隙間から垣間見た、淳とあの男の淫靡な情交の場面が、勇人の脳裏に急速に蘇った。



淳が隣の男に夢中になっている事を知ったのは、つい昨日の事だった。
最近、付き合いの悪くなった友を詰ると、また今日も歯切れの悪い答えが返って来た。
夏休みになったらプールへ行こうとか、待っていた映画が封切りになるので、それを2人で見ようとか、色々と計画していたのだ。
来年は高校受験で、清々と遊べる夏休みは今年が最後だ。それなのに、その話をしようとしても、淳ははぐらかしてばかりだった。
それに、最近では帰りも一緒に帰れない事が多くなった。
以前は、殆ど一緒に帰っていたのに、この頃では何かと理由をつけて、淳は勇人を置いて先に帰ってしまう事が多かった。
「女…、かよ」
仏頂面で、勇人は淳に言った。
「へ…?なんのこと?」
きょとんとした顔で、淳は飲んでいたペットボトルから口を離して言った。
「俺に内緒で、彼女でも出来たんかって」
まだ面白く無さそうに勇人が言うと、淳はプッと吹き出した。
「まさか。勇人に内緒で俺が彼女なんか作れる訳ないじゃん。大体、何時も一緒なんだもん。そんなの分かってるだろ?」
淳の言葉に、勇人はカッとなった。
「何時も一緒?違うだろ?この頃は、おまえ、俺を避けてばっかじゃねえ?」
「避けてなんかないよ。そりゃ、前みたいに毎日一緒に帰れなくなったけど、その他は大抵一緒だろ?朝だって、学校でだって」
「その、一緒に帰れない日に他の誰かに会ってんだろ?それが彼女なんじゃねえの?」
まだ仏頂面のままで、勇人は面白くなさそうにそう言った。
別に、淳に彼女が出来たっていい。自分より先に、というのは少々悔しいが、でも女の子と付き合いたいと思うのは当たり前のことだった。
ただ、自分に秘密にしていると言うのが勇人は気に入らないのだ。
今まで、何でも打ち明けあっていたのに、自分との間に淳が秘密を作ったのが許せない。好きな子が出来たなら、真っ先に言ってくれてもいい筈だった。
「だからー」
 呆れたように溜め息をつくと、淳は後ろの壁に寄り掛かりながら言った。
「彼女じゃないって。俺が会ってるのは男の人なんだよ」
「え?」
勇人が眉を寄せると、淳はクスッと笑った。
「俺さ、隣に引っ越してきた篠崎さんって人に勉強教わってんの。その人、元教師で今は家で原稿書いてるんだ」
「原稿って…、小説家なのか?」
「いや、翻訳やったり、あとはゴーストライターみたいなことやってるらしいよ。でも食えないんだって。だから、時たまカテキョの真似事して稼いでるらしい。それを知ってさ、母さんが篠崎さんに俺の勉強も見てくれって頼んだんだよ」
「なら、何で言わなかったんだよ?黙ってること無いだろ?」
勇人が面白くなさそうに言うと、淳は軽く肩を竦めた。
「だって、恥ずかしいじゃん…。勇人は塾も行ってないのに勉強出来るしさ。俺なんて、誰かに教わってもこの程度だもんなぁ」
口を尖らせながらそう言い、淳は持っていたペットボトルをまた口に運んだ。
「恥ずかしくねえよ。んなの、秘密にしてんな」
少々強い口調で言い、だが、表情を緩めて勇人は自分もジュースを口に運んだ。
だが、答えを聞いて勇人はホッとしていた。
やはり、内心では淳に彼女が出来たら嫌だと思っていたのだ。
淳に彼女が出来て、2人の時間が減るのは寂しい。淳に、自分以上の一番大事な存在が出来ることが嫌だったのだ。
「勉強なんか、俺が教えてやるのに」
勇人が言うと、淳はあからさまに嫌そうな顔をした。
「やだよ。勇人の教え方分かり辛いもん。自分は分かってるから、肝心なトコ端折るしさぁ。俺に合わせて教えてくれないじゃん」
「んなの、言えばちゃんと…」
「いいの、いいの。篠崎さんと俺、気が合うし、それにお陰で成績上がってきたんだ」
淳はそう言うと、立ち上がって汚れた尻を軽く払った。
「今日も今から篠崎さんちに行くんだ。また明日な?勇人」
飲み終わったペットボトルをゴミ箱へ放り込むと、淳は勇人をコンビニの前に置き去りにして走り出した。
「なんだよ…」
その後姿を眺めながら、勇人は面白くなさそうに呟いた。
勉強嫌いの癖に、あんなにいそいそと家庭教師の下へ向かうなんておかしい。勇人は不貞腐れたようにジュースを飲み干すと立ち上がってペットボトルをゴミ箱へ入れた。


やはり本当は勉強しているなんて嘘なのではないだろうか。
彼女ではないとしても、他に誰か自分よりも気の合う遊び相手を見つけたのではないだろうか。
勇人は気づいていなかったが、それは完全に嫉妬だった。淳を誰かに取られたくないという思いが、勇人の何処かにあったのは確かだった。
躊躇ったが、どうしても気になって勇人は淳の家へ足を向けた。


淳の家は留守だった。
玄関は閉まっていて、チャイムを押しても応答が無い。
勇人は仕方なく、また門の外へ出た。そして、フッと隣の家を見た。
確か、古ぼけたその家は以前は空き家だった。淳の話が本当なら、ここに篠崎という男が越して来たことになる。
隣の門扉に近寄ってみると、僅かに開いていた。門柱には表札が無く、庭は余り手入れされているようには見えない。だが、確かに以前の荒れ果てた感じは無かった。
誰か人が越してきたことは間違いないらしい。
勇人は門扉を自分が通れるくらい押し開けると、中に入って行った。
玄関の引き戸に指を掛けて軽く引いてみたが開かなかった。呼び鈴を見たが、結局は押さずにその場を離れると、勇人は雑草の目立つ庭へ回った。


縁側の向こうの雪見障子は閉まっていた。
割れた部分を後からそこだけ取り替えたらしく、曇りガラスが1枚だけ素通しになっている。
躊躇ったが、縁側に膝を掛けると、勇人は身を乗り出して素通しのガラスから中を覗き込んだ。


薄暗い部屋の内部が勇人の目に入った。勇人 その部屋は無人だったが、襖が開いていてその向こうの部屋が覗けた。
中には2人の人間が居た。
ひとりは確かに淳だった。
そして、仰向けになった淳に圧し掛かるようにして、その男がゆっくりと身体を揺すっていた。
(なんだ…?)
最初、何をしているのか分からなかった。
目を凝らして、初めて勇人は淳の下半身が裸なのに気づいた。
(えっ…?)
自分で膝を抱えるようにして大きく足を開いた淳の格好に気づいた途端、2人が何をしているのか勇人はやっと理解した。
ゆっくりと、男が腰を繰り出す度、淳の身体が仰け反る。
そしてその顔は、高潮して愉悦の表情を浮かべていた。
コクッ、と喉が鳴り、勇人はハッとして口を押さえた。
まだ幼い淳の性器が、腹の上で勃起したまま揺れている。ここからでははっきりとは見えなかったが、淳が男を受け入れている場所が何処なのか勇人にも分かっていた。
男同士の性交を勇人は生まれて初めて目撃した。
それも、それを行っているのは自分の親友なのだ。

衝撃だった。
だが、目を離せなかった。

見たことの無い、そして、余りにも淫らな淳の姿から、勇人は目を離せなくなっていた。
やがて、自分で性器を扱き、男に突かれながら淳は精を吐き出した。