苦い蜜
-2-
その日の夜、淳から電話があった。
「明日、暇?遊び行っていい?」
いきなりそう言ってきた淳に、勇人は一瞬答えを躊躇った。
昼間の光景が、脳裏に蘇ったのだ。
コクッと、無意識に喉が鳴る。
「い、いいけど……」
擦れた声でそう答えると、何処かいつもとは違う声音で淳が言った。
「じゃあ、明日…」
それだけを言って電話は切れてしまった。
意味有り気な、何か背筋を震わせるような電話だった。
明日、自分と淳の関係がこれまでとは全く違ってしまうような予感に襲われ、勇人は無意識に自分の腕を抱きしめた。
翌日の昼過ぎ、家族が出払った家に淳はやって来た。
最初から、何か言いたげに勇人を見ていたが、部屋に入るとじっと見つめてきた。
今まで彼と居て一度も感じたことの無い緊張が勇人の身体を強張らせていた。
何か言おうとしたが言葉が出てこない。
そして、先に口を開いたのは淳の方だった。
「昨日、見たんだ?」
言った後で、“にやり”と笑った。
その途端、目の前の“親友”は勇人の知らない人間に変わっていた。
「なあ?見たんだろ?」
近づいてくる彼に畏怖を覚え、勇人はじりじりと後ろへ下がった。
だがやがて、壁に背中が着き、後退はそこで止めざるを得なかった。
「勇人、どう思った?気持ち悪かった?」
湿った指が汗ばんだ勇人のシャツの上を上って来た。じっと逸らさずに見上げているその目は、勇人の反応を楽しんでいるように見える。
「それともさ、したくなった……?」
コクッと、また勇人の喉が鳴った。
小さな喉仏が目の前で上下に動くのを見て、淳はニッと唇の両端を持ち上げるようにして笑った。
エアコンを掛けていなかった部屋は、じっとりと蒸し暑かった。
汗ばむ身体を押し付けるようにして、淳はゆっくりと勇人の唇にキスをした。
その途端、勇人は自分の中の何かが壊れていくのが分かった。
押し退けることも出来ず、淳に舌で口の中を犯されると、下腹部に血が集まってくるのが分かった。
淳の誘いを、自分は跳ね除けることは出来ないだろう。
これが“口止め”だと分かっていても、これから始まる淳との淫らな行為を、勇人は激しく欲していた。
「座わんなよ。いいことしてあげる」
クスクスと笑いながら淳が言い、勇人は言う通りにベッドへ腰を下ろした。
すると、その前に膝を突き、淳が勇人のベルトに手を掛けてハーフパンツの前を開けた。
「凄い、俺のよりおっきくて剥けてるんだ…」
嬉しそうに言って、淳は一瞬、ぺろりと唇を舐めた。
そして、次の瞬間、ぱくりとペニスを口に含まれ、勇人は思わず情けない声を上げてしまった。
「ひゃっ…」
目を上げた淳が含んだままで少し笑った。
キスさえ初めてだった勇人にとって、これは余りにも過激な行為だった。だが、その初めての感覚にすぐに酔ったようになって息を荒げた。
「ぅんっ…、んんっ…ぁッ」
駄目だと思っても声が出てしまった。
ねっとりとした淳の舌は、自分の手で慰めるのとは全く違い、経験の無い少年を造作もなく溺れさせた。
「あっ…、あっ出るッ。じゅ…、淳っ、出るよッッ…」
勇人が叫ぶと、淳は口を離して手でペニスを激しく擦った。
「あはッ…、あっ、あぁっ…、ああ…あん」
精液を激しく噴き上げ自分の腹を汚すと、勇人は荒い息で胸を上下させたまま力を抜いた。
「良かった?」
訊くと、淳はまだ呆けたようになって目を瞑ったままの勇人にチュッと口付けた。
「んん…」
頷いた勇人を見てクスリと笑い、淳はまだ勃起の納まらない勇人のペニスをゆっくりと撫でた。
「もっといいことしてあげようか?」
「ん…?」
勇人が目を開けると、淳はまた、あの媚びる様な目でじっと見上げた。
「俺の中に入れたくない?ホントのセックスしようよ」
「え…?」
ゴクッとまた、勇人の喉が動いた。
あの男がしていたように、自分が淳を抱くのか。
その光景が蘇り、忽ち勇人の体が熱く燃えた。
初めてのセックスで、勇人は淳の身体が与えてくれた快楽にすっかり夢中になってしまった。
夏休みに入ると、勇人は入り浸るようにして淳の家へ通った。
勇人の家と違い、母親も働いている淳の家には昼間は彼しかいない。それをいい事に、勇人は淳に会いに行っては彼の身体を求めた。
だが、最初は何度か抱かせてくれた淳も、やがて迷惑そうな顔をするようになった。
圧し掛かって唇を吸おうとした勇人を、淳は邪険に押し返した。
「ううんッ、やっ…。今日は、宿題するだけって言ったろ?」
「宿題は後でちゃんとやるよ。いいだろ?したいんだ…」
「嫌だよッ」
ドンッと突き飛ばされ、勇人は尻餅をついた。
驚いて顔を見ると、淳は頬に血を上らせて少し強張った表情をしていた。
「勘違いしてるみたいだから言っておくけど、俺、勇人と付き合ってるつもり無いからな?エッチしたからって彼氏みたいなつもりでいるんなら、困るからッ」
「じゅ、淳?」
勿論勇人は、もう淳を以前のようにただの友達だとは思っていなかった。
何度も熱いキスをして、そして、セックスする仲になって、もう親友に戻れる筈が無い。淳の方だって、好きだから抱かせてくれたのだとばかり思っていたのだ。
「あのさ、俺に当たり前みたいに乗っかってくるの、止めてくれる?ウチに来れば犯らせてもらえるとか思ってるのかも知れないけど、俺は別に勇人としなくたって足りてるし、それに、相手が勇人じゃ、イマイチ満足度がね…」
馬鹿にするようにそう言われ、勇人はカーッとなった。
大体、自分の方からセックスしようと誘って来たのではないか。それなのに、今更、こんな言い草は無い。
「なっ、なんだよッ。俺は淳のことが好きだからッ…」
勇人が言うと、淳はまるでせせら笑うような表情を見せた。
「嘘つけ。勇人はただ、俺と犯りたいだけだろ?悪いけど俺、好きな人居るし。これ以上、勇人のセフレ、続ける気ないから」
「セ、セフレだって?」
淳の言葉にショックを受けて勇人が叫ぶと、淳は怒ったような目で勇人を見た。
「言ったろ?俺は好きな人いるの。だから、勇人は彼氏じゃないから。ちょっと興味があったし、それに口止めしたかったから犯らせただけ。これ以上、しつこくするなら絶交するからなっ」
「じゅ、淳…」
余りのショックに、勇人は言葉も出なかった。
ずっと、恋人同士だと思っていた。親友から一歩進んだ関係になったのだとばかり思っていた。だが、そう思っていたのは自分だけだったらしい。
好きな人…。
淳の口から何度もその言葉が出てきた。
そして、それがあの男のことなのだと勇人は気づいたのだ。
(あんなヤツッ。あんな、オヤジッ。絶対に淳を弄んでるだけだ。それなのに、何で俺よりいいんだよッ)
淳の家を出て自分の家に帰る途中で、勇人は悔しさに涙ぐんだ。
ずっと一緒にいて、淳の事は何でも分かっているつもりだった。自分はこんなにも淳を大切に思っているのに、何故、あんな得体の知れない中年の男などに負けるのだろうか。
腹が立った。
どうしようもなく怒りが込み上げた。
我慢出来なくなり、勇人はくるりと踵を返すと淳の隣の家へ向かって道を戻り始めた。
篠崎の家は相変わらず門扉が開いていた。
構わずに中に入り、勇人はこの前と同じようにして庭に回った。
虫が飛び交う濃い緑の匂いの中、勇人は開け放たれたガラス戸の向こうを眺めた。
この暑さにクーラーもつけていないらしく、男は雪見障子を開けた部屋の中に座っていた。
長袖のシャツをきちんと着て、机の前に正座をし、何かを書いていた。
メタルフレームの眼鏡が良く似合って、勇人が思っていたよりもずっと品のいい知的な感じのする男だった。
年齢は50に近いだろうか。
篠崎は勇人が居るのに気付いていないのか、全く目を上げようとはしなかった。
声を掛けるかどうか、暫く躊躇い、勇人は篠崎を見つめていた。
この男が、自分の子供のような年齢の淳の尻を嬲っていたのかと思うと、何だか信じられないような気がした。
「あの…」
やっと決意して声を掛けたが、篠崎はやはり顔を上げようとはしなかった。
「なにか、用ですか?」
表情も変えずにそう言い、篠崎は手を動かし続けた。
「少し、話があるんですけど…」
勇人が言うと、篠崎はやっと手を止めて彼の方を見た。
「どちら様でしょう?」
「あ、あの俺…、淳の友達です」
「ああ…」
理解したように頷くと、篠崎は体の向きを変えて勇人の方を向いた。
「君が勇人君ですね?」
そう言った男の顔を見た時、何故か勇人はゾクリとした。
ニッと笑ったその顔が、今までの神経質そうだとも言える印象をがらりと変えてしまったのだ。
その奥底に潜んでいる淫らな何かが、勇人の尾てい骨に疼きを覚えさせた。
「それで、私に何か?」
笑みを消し、そう訊いた篠崎からは、もうさっきの妖しい雰囲気は感じなかった。
勇人はコクッと喉を鳴らすと、数歩近付いて縁側の沓脱ぎの前に立った。
「あの、もう淳に構うのは止めてくれませんか?どうせ、淳を弄んでるんだろうけど、それって犯罪だって知ってますよね?」
話している内に勇気が出てきて、勇人は少々強い口調でそう言った。
すると、男は目を伏せながら嘲笑うように唇を歪めた。
それを見て、カッと勇人の頭に血が上った。
どうせ何も出来ないと思っているのだろうが、いざとなったら警察に通報してやるつもりだった。
「あんたさッ…」
勇人が声を荒げようとした時、篠崎がスッと立ち上がった。
ハッとして口を噤んだ勇人に近づくと、篠崎は笑みを浮かべながら言った。
「そんなところじゃ話も出来ません。どうぞ、お上がり下さい」
「え?は、はい…」
丁寧な口調で言われ、勇人は思わず勢いを殺がれて頷いてしまった。
縁側の沓脱ぎにサンダルを揃えて脱ぐと、勇人は部屋の中に入った。
蒸し暑くてすぐに首筋を汗が伝い落ちたが、篠崎は涼しげな顔をして少しも汗ばんでいなかった。
その様子が酷く彼を冷たい人間に思わせ、また少し気後れがしたが、勇人は差し出された籐の座布団の上に座った。
「なにか、冷たいものでも飲みますか?」
「え?いや、いいです」
「遠慮しないで下さい。子供が居ないのでジュースはありませんが、麦茶で良かったらお持ちしましょう」
子供の自分に対しても、篠崎は丁寧な言葉遣いを崩そうとはしなかった。それが、他人行儀と言うよりも、却って自分を馬鹿にしているように勇人には感じられた。
きちんとコースターに載せ、篠崎は勇人の前に麦茶のグラスを置いた。
勇人は軽く頭を下げたが、グラスに手は伸ばさなかった。
「さて、君は私が淳君を騙して弄んでいると思ってるんですね?」
「だってそうでしょ?」
挑むように勇人が言うと、篠崎はフッと笑った。
「私は、淳君にここへ来るように誘ったことは1度もありませんよ。ここへはいつも彼の方からやってくる。セックスだって同じです」
最後の言葉の後、篠崎はじっと勇人の眼を見つめた。
その視線に、勇人はたじろいだ。
怖い、というのとも少し違う、それは何かの予感だったのだろうか。
「私が彼に強要したことなど、1度もありません。彼がしたがるからするだけですよ」
「そんなの信じられないッ…」
勇人が声を荒げると、篠崎は馬鹿にするような笑みを見せた。
「何故です?彼が、自分のものだから?」
言われて、勇人はグッと言葉を飲み込んだ。
まるで、この男は、勇人が淳から何を言われたのか知っているようだった。
「信じる、信じないは君の勝手ですが、それが事実です。彼が、もうここへ来たくないと言うなら私は止める気もないですし、他の誰と付き合おうが興味もありません」
言いながら、また篠崎の唇の端がひゅうっと持ち上がった。
それを見て、勇人の背筋がまたゾクッとなった。
「それが君だろうと、他の誰だろうと、私には関係ありませんから」
「そ、それならいいです…」
そう言って勇人が立ち上がろうとすると、その言葉に被せるようにして篠崎が言った。
「ただ、淳君の意思を無視する気はありません」
言いながら、篠崎はまた勇人の眼をじっと見つめた。
「君の言う事を、淳君が素直に聞くでしょうか?」
また冷笑され、勇人はカッと頬に血を上らせた。
馬鹿にされているのだとはっきりと分かった。腹が立ち、唇が震えた。
だが、さっきの淳の態度を思うと、言い返す言葉が見つからなかった。確かに淳が自分の言葉に耳を貸すとは思えなかった。
スクッと立ち上がると、勇人は縁側に向かおうとした。すると、篠崎が音も無く立ち上がって、彼の後ろへ立った。
「淳君につれなくされて私が憎くなったんでしょう?」
囁くようなその言葉が、自分の旋毛を撫でるのを感じ、勇人は余りの近さに驚いて振り返った。
すると、じっと間近で勇人の目を覗きこみ篠崎は言った。
「あの子は悪戯な子ですからね。悪い事をいっぱい教わったんでしょう?」
ゴクッと、自分の喉がなる音が異常に大きく聞こえ、勇人はドキリとした。
汗が、ツッと額から頬に流れて行った。
篠崎の手が脇腹に当たり、ビクッと身体が震える。振り解こうと思ったのに、何故か身体が動かなかった。
汗で湿ったTシャツの上を篠崎の冷たい手が上って来る。
ただ普通に撫でられているだけなのに、背筋がゾクゾクした。
「ぁ……ッ」
触れられて初めて、自分の乳首が勃起しているのが分かった。
思わず視線を下ろすと、布を持ち上げてくっきりとその形を誇示している。そして、篠崎の指が円を描くようにしてその形をなぞっていた。
(勃ってる……)
思った途端、ズクッと下半身に痺れが走った。
駄目だッ……。
頭の中で自分が叫ぶのが分かった。
突き飛ばせッ…。
だが、勇人はとうとう篠崎を突き飛ばせなかった。
その代わりに、萎えた脚の所為で後ろに居た篠崎に凭れ掛かった。
「おや、もう立っていられませんか?これぐらいで…」
クスクスと笑う声が耳朶を擽る。それまでもが、勇人の背筋を痺れさせていた。
「んっ、やっ…」
口ではそう言って激しく首を振ったが、勇人はベルトを外す篠崎の手を振り払おうとはしなかった。