イヌ・2
親友である隆哉の事を好きだと気付き、苦しくて苦しくて堪らなかった。
自分の平凡な、いや、醜いとさえ思える容姿が嫌で、鏡を見る度に泣きたくなった。
チビだとかサルだとか、女の子達から馬鹿にされる自分。
学年で1番小さな身体。
真っ黒な顔。そして、ゴワゴワした硬くて真っ黒な髪。
身体は小さくても、せめて色白で美少年と言える顔立ちだったら、隆哉の告白を嘘だなどと思わずに堂々と恋人として隣に立っていただろう。
だが、夏樹にはそう思える自信が少しも無かったのだ。
何故なら、隆哉が出来過ぎた男だったからだ。
男から見ても惚れ惚れするようなハンサムな顔立ち。
学年で1番背が高く、逞しい身体。
成績も良く、勿論スポーツ万能。 加えて、剣道でも一目置かれる選手だった。
そんな隆哉が、こんなちっぽけな自分を好きだなんて夏樹にはとても信じられなかった。
だが、隆哉に初めて抱かれた日から、夏樹もやっと少し自信を持つ事が出来るようになった。それは、隆哉が本当に自分を求めてくれているのだと感じたからだった。
「本当に俺だけ?」
隆哉の腕の中に入る度、夏樹は思わず訊いてしまう。
後から思い出すと、なんて女々しいのかと嫌になる。だが、その時になると訊かずにはいられないのだ。
そして、
「そうだよ。夏樹だけだ」
訊くたびに答えてくれる隆哉の言葉に、安心する事が出来るのだ。
それは多分、まだ夏樹の中に不安が残っているからだろう。
傍にいる時は感じないが、隆哉を遠くから見る度、彼が自分とは別世界の人間のように思えて、夏樹はすぐに不安になってしまう。
それに、最近では隆哉とセックスする事も少し怖くなっていたのだ。
元々、普段が優しい反面、性行為になると隆哉は驚くほど強引だった。
夏樹が嫌がっても有無を言わせないところがあるし、力の差が大きい分、夏樹の抵抗は空しいだけで、却って隆哉を興奮させたりした。
勿論、夏樹だって、隆哉に抱かれるのが嫌なわけではない。
最初は怖かったし、痛みもあったので辛かったが、身体が慣れてきた今では快感も十分に得られるようになっていた。
だが、隆哉は夏樹の家に来る度に必ず彼を抱こうとする。それが、なんだか夏樹を不安にさせるのだった。
(まさか、エッチしたいだけなんてことないよな?)
思わずそんな事を考えてしまい、夏樹は嫌な気持ちになってしまうのだ。
「やっ…」
Tシャツを捲くり上げ様とした隆哉の手を、夏樹は思わず振り解いた。
「夏樹?」
「今日は…、今日はヤダッ」
「どうして?」
隆哉に訊かれ、夏樹は急いで言い訳を探した。
「ちょ、ちょっと今日は、風邪気味で…」
「えっ、ホント?」
隆哉は驚くと、急いで夏樹の額に手を当てた。
「ほんとだ。なんだか少し熱っぽいみたいだ…」
言いながら隆哉は夏樹の目をじっと見た。
「目も潤んでるし。夏樹、寝た方がいいんじゃないか?」
真剣に心配している表情でそう言われ、夏樹は少々ばつが悪くなった。
「う、うん…」
顔が火照っているのも目が潤んでいるのも、今の今まで隆哉に濃厚なキスをされていた所為だったが、今更、嘘だなどと言えない。夏樹は仕方なく頷いた。
「具合が悪いのに押しかけてゴメンな?下に行って、薬、探してこようか?」
「う、ううん…。大した事無いし、平気」
「そっか。なら俺は帰るから、ゆっくり休みなよ」
「え?」
荷物を持って立ち上がった隆哉を、夏樹は呆然と見上げた。
「明日から合宿だから暫く会えないけど、毎日メールするから。合宿が終わったら、一緒に遊びに行こう?早く、風邪治しておいて?」
隆哉はそう言ってにっこり笑うと、部屋を出て行ってしまった。
「うそ……」
まさか、こんなにあっさりと帰ってしまうなんて、思ってもいなかった。
夏樹は呆然としたまま、隆哉が出て行ったドアを見つめた。
夏休みも半ばになり、隆哉たちの剣道部が明日から合宿に入るのは知っていた。
1週間、会えなくなる事も分かっていた。
だから本当は、夏樹だって、今日は時間が許す限り隆哉と一緒に居たいと思っていたのだ。
「エッチさせないから?だから?」
だから帰ってしまったのだろうか。
セックスが出来無いなら自分に用は無いということなのだろうか。
「リキ…」
また不安になって、夏樹は立ち上がると窓の外を見た。
隆哉の後ろ姿が通りの向こうに見える。
それを見送る内に、その後ろ姿が段々にぼやけていった。
自分の目に涙が溜まっている事に気付き、夏樹は急いで手の甲でそれを拭った。
女々しい自分が嫌で堪らない。
だが、隆哉の事となると、本来の夏樹の気の強さは影を潜めてしまう。そして、すぐに泣きたくなってしまうのだ。
恋した所為で、きっと変わってしまったのだろう。
こんな自分は嫌いだったが、それを変えるのは夏樹には難しかった。
「嫌だなんて、言わなきゃ良かった」
後悔しても遅いが、夏樹は思わずそう呟いた。
そしてすぐに、これで隆哉に嫌われたらどうしようかと思ってしまう。
本当は、隆哉を試したくて拒絶したのだ。自分への興味は性欲だけではないと、はっきりと感じさせて欲しかったのだ。
だが結局、夏樹の不安は大きくなるばかりだった。
「1週間も会えないのに…」
溜息をつくと、夏樹は机の上に置いた携帯電話を取り上げた。
今から電話すれば間に合うかも知れない。戻って来てくれるかも知れない。
そう思ったが、結局夏樹は電話を掛けなかった。
隆哉たちは学校の合宿所で合宿する筈だった。差し入れを持って行けば、会えるかも知れない。
なにか、飲み物か食べ物でも差し入れしよう。そしたら、少しぐらいは隆哉と2人きりで話が出来るかも知れない。
そう思って、夏樹は持っていた携帯を机の上に戻した。
隆哉は本当に、その日の夜からメールをくれた。
他愛ないやり取りだったが、それでも夏樹は嬉しかった。
心配していたが、隆哉は怒っている様子はなかったし、それどころか嘘で言った夏樹の風邪を本当に心配してくれていた。
嫌われていなかった。
いつも通り、自分を気遣ってくれる隆哉に、夏樹は少し安心した。
そして、益々隆哉に会いたくなってしまった。
だが、合宿の初日から押しかけたのでは、幾らなんでも鬱陶しいだろうと思い、夏樹は3日間行くのを我慢した。
その間中、夏樹はずっと隆哉の事ばかり考えていた。
もしかして、迷惑そうな顔をされたらどうしようとか、そもそも外部の生徒が合宿中の生徒の所へ遊びに行ったりするのは禁じられているのではないだろうか、などと、また余計な心配が生まれて来る。
だがそんな心配も、隆哉に会いさえすれば払拭されるような気がした。
3日目の昼頃、剣道部員全員で食べられるようにと思い、ファミリーパックのアイスキャンディを5箱も買い、夏樹は学校へ向かった。
昼休みを見計らって来たので、部員たちは食堂付近に顔を揃えていた。
「ん?石橋じゃん、どうした?リキか?」
夏樹たちと同じクラスのやはり剣道部員が、夏樹に気付いて声を掛けてきた。
「あ、うん…」
頷いて見回したが、その辺りには隆哉の姿は見えなかった。
「リキならあっち。ほれ」
些か苦笑しながら指さした方向を見ると、武道場の傍に隆哉の姿があった。
そして、隆哉は1人ではなかった。
いつもの如く、その回りには彼のファンの女子が取り巻いていたのだ。
「合宿初日から、昼休みになるといつもあの調子だよ。リキは俺らに迷惑かけまいとして、ああやって離れた場所で相手してんだ。呼んで来てやる?」
親切にそう言ってくれたクラスメートに夏樹は笑いながら首を振った。
「ううん、いいや。ちょっと用があってこっちに来たから寄ってみただけだし。あ、これ、みんなで食べなよ」
夏樹がレジ袋を差し出すと、クラスメートは中身を見て嬉しそうな顔をした。
「お、サンキュ。悪いなぁ」
「いや。じゃ、俺、もう行くわ」
「え?ホントにリキのこと呼ばなくていいのか?」
「うん。じゃ、稽古頑張れよ」
「ああ、ありがとな」
もう1度礼を言ったクラスメートに軽く頷くと、夏樹は足早にそこを離れた。
やっぱり、来るのではなかった。 隆哉のああいう姿は見慣れてはいるものの、見ずに済むなら見たくはない。
異性に興味を持たない隆哉だから不安になるということはなかったが、それでも余りいい気持ちはしなかった。
ほんの少しでいいから、隆哉と2人きりで話が出来たら。そんな風に考えて来てみたが、それはとても無理だと分かった。
やはり、合宿が終わるまで、大人しく隆哉の帰りを待つしか無さそうだった。
少々項垂れ気味に肩を落として夏樹が校舎を離れようとすると、前から来た、やはり剣道部の生徒とぶつかりそうになって足を止めた。
「おっと、ごめん…」
「あ、いえ。こっちこそ」
顔を上げると、そこに立っていたのは3年の副主将、吉岡潤也だった。
「あれ?リキの連れの……石橋君、だよね?」
「あ、はい…」
にっこりと笑い掛けられ、夏樹は曖昧に頷いた。
近くで見るのも話をするのも初めてだったが、夏樹は吉岡のことは良く知っていた。いや、この学校の生徒なら吉岡潤也を知らない生徒はいないだろう。
傍を通れば振り向かずにはいられないほど、吉岡は綺麗な顔立ちをしている。剣道部の美少年剣士のことは誰もが知っていた。
隆哉と2人で並んだところなど、女子達が溜息をつきながら眺めている。夏樹でさえ、隆哉と吉岡が並んでいるのを見て思わず見惚れそうになった事があった。
「リキに会いにきたの?呼んでもらった?」
「い、いえ。ちょっと近くまで来て、寄っただけだから。別に用事は無いんです」
「え?リキに会って無いのか?」
そう言うと、吉岡は夏樹の腕を掴んだ。
「おいでよ。呼んでやるから」
「い、いいですよ…」
「いいことないよ。折角来たのに。ほら…」
「あっあのッ……」
綺麗でおとなしやかな見た目とは違い、吉岡は案外やんちゃらしい。力強く夏樹の腕を引き、半ば強引に引っ張って行った。
「おーいッ、力丸ッ」
大声で隆哉を呼び、そちらに向かって手を振る。隆哉もすぐに気付いて、女の子達に素早く何か言うと此方に向かって走ってきた。
「夏樹っ、どうしたんだ?」
隆哉は夏樹を見て驚いたようだったが、とても嬉しそうでもあった。
その表情を見て、夏樹は少し安心した。
「うん、図書館まで来たから、寄ってみただけだよ」
夏樹が答えると、後ろからさっきのクラスメートが声を掛けてきた。
「あ、先輩、石橋にアイスの差し入れを貰いましたよ。ひとつどうぞ。ほら、リキも」
「お、悪いなぁ、石橋君。ありがとう」
嬉しそうにそう言って、吉岡はアイスキャンディを受け取ると、それを持って他の部員達の方へ歩いて行った。
「ありがとう、夏樹。夏樹も1本貰って一緒に食べよう?」
「あ、うん…」
それぞれに1本ずつアイスキャンディを取ると、隆哉に促されて夏樹は彼と一緒に渡り廊下の階段の所へ腰を下ろした。
そこは、日陰になっているので幾らか涼しいのだ。
「あんなにいっぱい、大変だったろ?悪かったなぁ」
隆哉にそう言われ夏樹は首を振った。
「ううん。安いヤツだし」
隆哉は頷きながらキャンディの袋を開けると、嬉しそうにアイスを口に含んだ。
「うう、冷たい。旨い…」
夏樹はその表情を見て、笑いながら自分も袋を開けた。
「練習、きついだろ?この暑さだし」
「うん、まあ。でも、やっぱり身になる事が多いよ」
そう言って、またアイスキャンディを咥えた隆哉の顔を夏樹は眩しそうに見上げた。