イヌー市川と吉岡の場合ー


-3-

「あっちー」
ガチャリとドアが開き、Tシャツの胸の辺りを摘んで、パタパタと風を送りながら吉岡が入って来た。
湯上りで火照った肌が、やけに艶かしい。
それが、市川にとってはいっそ腹立たしくさえ思えた。
ゴロリとまた寝返りを打ち、市川は大の字になって下から吉岡を見上げた。
「な、なに?」
その視線のきつさに驚いたのだろう。吉岡は足を止めて怪訝そうに市川を見下ろした。
「別に…」
それでもじっと見上げている市川に何か不穏なものを感じたのだろう、吉岡はサッと視線を外すと、テレビの前にしゃがみ込んだ。

「あ、なあ…、ゲームでもする?」 背を向けて、テレビ台の下からゲーム機の載ったワゴンを取り出そうとしている吉岡を後ろから眺め、市川はむっくりと身体を起こした。
ガッ、と腕を掴み、驚いて振り返った吉岡の身体を引き寄せて、そのまま布団の上に押し倒した。
あっ、と短く叫び、吉岡は押し倒された衝撃で一瞬目を瞑ったが、すぐに目を開け、強張った顔で市川を見上げた。
「え、詠慈?」
「抱かせろよ」
「え?なに…?」
言われた意味が分からないのだろう。ポカンとした顔で吉岡は聞き返した。
「抱かせろって言ったんだ」
「え…、あっ…」
ザッと穿いていた短パンごと下着を引き下げられ、吉岡は驚いて身を起こそうとした。
その身体に上から圧し掛かると、市川は片手で下着を下ろし、猛った自分の性器を掴んだ。
そして、片腕で吉岡の脚を抱えたまま、それを彼の後ろへ宛がう。グッと腰を入れると、呆気に取られていた吉岡の顔がサッと蒼褪めた。
忽ち、その目の中に恐怖が宿る。
慌てて市川の両肩に手をやり、ギュッと掴んで押し返そうとした。
「いっ、嫌だッ…、詠慈ッ……」
だが、体重を掛けた市川の身体を吉岡が押し返せる訳が無かった。
膝を持って脚を開かされると、無理やり入り込んで来た市川の身体をどうすることも出来なかった。
「あうッ…」
グッと押されて、吉岡の腰が持ち上がる。
市川は自分の肩を押す吉岡の手首を掴むと、引き離して彼の頭上で押さえ込んだ。
「嫌だッ、詠慈ッ、こんなの嫌だッ」
激しく首を振り、吉岡は怯えた目で市川を見上げた。
(そうだ。俺を怖がれ…)
じっと、その怯えた目を見下ろし、市川は思った。
(俺を怖がって、俺から逃げろよ、潤也。そして、もう近付くなっ…)
ギリッ、と握り潰さんばかりに、市川は吉岡の細い手首を掴んだ。
痛みに顔を歪め、吉岡が涙を滲ませた。
「嫌だ……、詠慈…。無理やりなんて、嫌だ…」
そう言って市川は弱々しく首を振った。
その拍子に、溜まっていた涙が目尻から零れ落ちた。
「潤也?」
吉岡の言葉に戸惑い、市川は眉を寄せた。
すると、ポロポロと涙を零しながら、吉岡はじっと市川を見上げた。
「優しくしてくれよ。ちゃんとキスして、身体に触って…?無理やり入れるだけじゃなくて、もっと…、優しくして欲しい。詠慈……」
「潤……ッ?」
驚いて、市川が思わずグッと圧し掛かると、まだ宛がっていた先端がそこを擦った。
「んんっ…」
艶っぽい声が上がり、市川がハッとして見ると、吉岡の股間でも彼自身が勃起し掛けていた。
「潤也…ッ」
カーッと、全身に血が滾るような気がした。
市川は押さえ込んでいた吉岡の手を離すと、彼の顔を両手で包み、夢中で唇を押し付けた。
「…ぅんっ」
その余りの激しさに喘ぎ、吉岡はギュッと市川の浴衣の袖を掴んだ。
苦しくて逃げようとする吉岡の舌を夢中で吸い上げ、市川は両手を滑らせると彼のシャツの下に潜り込ませた。
触れたくて堪らなかった吉岡の白い肌を、シャツを捲くりあげて露にする。
男とは思えないほど綺麗な色をした乳首が誘うように尖ってそこに現れた。
躊躇いがちにそっと触れると、吉岡はビクッと身体を震わせた。
「やっ…」
恥ずかしいのだろう。
サッと顔を背け両腕で顔を隠す。
その様子が、益々市川を興奮させた。
「潤也…」
唇を近付け、そっと含む。
ほんの小さな粒が、舌の上でコリッと転がった。
「んふっ…」
グッと指を噛んで、吉岡が声を堪える。
もうそれだけで、市川はゾクゾクと背筋が震えるのが分かった。
後はもう夢中だった。 両方を代わる代わる、執拗に吸い、舌先で突付き、緩く歯を当てた。
声を上げないように必死で堪えていたが、吉岡の唇からは喉からせり上がってくる喘ぎが漏れ続けた。
そして、その股間は先走りですっかり濡れていた。
「詠慈ぃ…」
堪え切れなくなったのだろう。もじもじと膝を擦り合わせ、吉岡は泣きそうな声で市川を呼んだ。
まさか自分の下で、吉岡がこんな顔をして自分の名を呼ぶ日が来るとは。
(夢を見てるのか?)
市川には、これがまるで、さっきの妄想の続きとしか思えなかった。
だが、すっかり上気した顔で横たわる吉岡は、自分が邪な夢の中に思い描いていたよりもずっと艶めいていた。
その唇をまた夢中で吸い、市川は片手を彼の股間に下ろした。
扱くようにしてその滑りを拭い、濡れた手を後ろに回す。
双丘を割りながら前から後ろへと指を滑らすと、緊張して、吉岡の柔らかかった臀部がキュッと引き締まった。
両手がまた、市川の袖を掴む。
市川は唇を離すと、吉岡の潤んだ瞳を見下ろした。
「ここに挿入れたい。いいか?潤也」
「うん…」
声は聞こえないほど小さかったが、吉岡ははっきりと頷いて見せた。


「んあッ…」
十分に解したつもりだったが、それでもやはり痛みが強いのだろう。
市川の身体が入り口を抉じ開けただけで、吉岡は顔を歪めて市川の肩をギュッと掴んだ。
「潤也、息吐いて、口で…」
必死で言われた通りにしようとしているが、それでも辛いのだろう、吉岡の身体は強張ったままだった。
肩を掴んでいた吉岡の指が食い込み、市川も顔を歪めた。
両腕で吉岡の脚を抱え、市川はゆっくりと、だが力強く腰を繰り出した。
「うくぅぅ……ぅっ…ううッ…ううぅッ…」
痛みに吉岡の顔が激しく歪む。
だが、市川の身体を受け入れようとして必死になっているのは確かだった。
「口開けて…」
動きを止めて市川が言うと、吉岡は何とか唇を開いた。
その歯の間に舌を差し込み、市川は噛まれる覚悟で口蓋を撫でながら、また腰を繰り出した。
「ふぁぁぁっ…」
歯を食い縛ろうとして市川の舌に当たり、吉岡は我慢して口を開いたまま声を上げた。
お蔭で、身体に力を入れる事が出来ず、市川はすんなりと奥まで入り込む事が出来た。
「潤……」
零れた涙を頬や目尻から拭ってやり、市川は何度もキスを落とすと、吉岡の身体が自分に慣れるのを待った。



枕元に胡坐を掻き、市川は眠る吉岡の顔をじっと見下ろしていた。
行為の後、ぐったりとしてしまった吉岡の身体を拭き、布団を掛けてやると、やがて眠ってしまった。
だが、市川は目が冴えて眠るどころでは無かった。
(どういうつもりだ?潤……)
欲しくて堪らなかった吉岡の身体を抱いたというのに、戸惑いと疑心ばかりが先に立って市川は喜ぶ事が出来なかった。
最中はもう夢中で、貪ること以外考えられなかった。
だが、こうして冷静になってみると、市川には吉岡の気持ちが分からなかった。
「そんなに俺が可哀想に見えたか?」
ぽつっと呟き、市川は額に掛かった吉岡の髪をそっと払った。
そして、吉岡を起こさないように気をつけて立ち上がると、服を着始めた。
身支度を終え鞄を背負うと、もう1度振り返って吉岡の寝顔を見た。
「ありがとな?潤也…」
フッと笑ってそう言うと、市川は静かに部屋を出て行った。



家に帰り、そっと自分の部屋に上がって竹刀を持つと、市川は近所の公園へ足を向けた。
夜が明けたばかりで、さすがに散歩する人影さえ見えない。
市川はゆっくりと竹刀を正眼に構え、暫くはそのまま心を落ち着けるようにじっと動かなかった。
だがやがて竹刀を振り上げると、一心不乱に素振りを始めた。
じっとりと滲んできた汗が、やがて竹刀を振り下ろす度に飛び散るようになった。
薄暗かった空がすっかり明るくなり、犬を連れて散歩する人がチラホラ現れ出しても、市川は竹刀を振るのを止めなかった。
幾ら振っても、心の中の吉岡への思いは振り切る事が出来ない。
昨夜、脳裏に焼き付けられてしまった、吉岡の肌や艶めいた表情を、消す事が出来なかった。
「くっ…」
それでも執拗に竹刀を振るのを止めず、腹立たしげに疲れた腕を振り上げた時、後ろから声が掛かった。
「なんだっ、その無様な恰好はッ」
ハッとして振り返ると、市川の目の前に怒りに震える吉岡の姿があった。
「潤也…」
呆然として竹刀を下ろすと、吉岡はつかつかと市川の前まで歩いて来た。
「形が崩れ切ってる。見っとも無い」
グッと下から睨みつけられ、市川は言葉もなくただその目を見るしかなかった。
すると、吉岡の目にぷくんと涙の粒が盛り上がってきた。
「やり逃げかよ?どういうつもりだ?」
口惜しげに言い、吉岡は零れた涙を手の甲で拭った。
「べ、別に逃げたつもりじゃ…」
「じゃあなんだよッ?目が覚めたらおまえが居なくて、ショックだったんだぞッ。ただの好奇心で俺を抱いたのか?一辺ヤれば気が済んだのか?そんな、そんないい加減な気持ちで、おまえは…」
涙がどんどん溢れてきて、吉岡は言葉を続けられなくなった。
「じゅ、潤也?」
泣き出した吉岡を見て慌てると、市川はその肩を抱くようにして木陰のベンチへ連れて行った。
そこなら誰かが通り掛かっても、余り目立つ事は無い。
並んで座るとすぐ、吉岡は市川のシャツを掴んだ。
「やっぱり、俺だけが好きなのか……?」
不安げな、涙のいっぱいに溜まった眼で吉岡は市川を見上げた。
「詠慈も同じだって思ったのにッ。嬉しかったのにッ…」
「潤也ッ…」
その意味を考える前に、思わず身体が先に動いた。
抱きしめてから、後になってジンとその言葉が胸に伝わった。
そして、市川は腕の中の存在を確かめるように目を閉じてギュッと腕に力を込めた。
「詠慈、好き…、好きなんだ。離れて行くなよ、頼むから、俺から離れて行かないで……」

信じられない。

こんな言葉を吉岡の口から聞けるなんて、市川は信じられなかった。
だが、同時に嬉しくて、今にも飛び上がってしまいそうだった。
ジンジンと嘘のように胸が震える。
こんな感覚を味わった事は、今までに1度だってなかった。
「お、俺だって…」
やっと言葉を口にすると、吉岡が顔を上げた。
「俺だって、初めて会った時から、ずっと潤也が好きだった」
そう言ってじっと見つめると、やっと吉岡の顔が安心したように緩んだ。
ギュッと腕に力を込めて市川の胸に顔を埋めるとホッと息を吐く。
そして、甘えるようにして頬を擦りつけた。
「逞しくてドキドキする、詠慈の身体……」
そう言うと、また少し不安げな眼をして市川を見上げた。
「俺……変なんだ…」
熱っぽい瞳だと思った。
潤んで、まるで誘っているような瞳だった。
「それなら、俺だって変だ…」
言いながら顔を近付けると、その瞳にゆっくりと瞼が落ちた。
深く口づけず、市川は2度ほど軽く唇を吸うとすぐに離した。
「俺の部屋に行こう?」
すっかり日が昇ってしまったこの公園は幾らなんでも明る過ぎる。
市川が囁くように言うと、その眼を見つめたままで吉岡がコクンと頷いた。



「なんか飲むか?潤也。買って来てやるから、ここに座ってろよ」
「うん。じゃあ、ジンジャーエール」
「分かった」
少し無理をさせ過ぎたらしく、吉岡はまだちょっとぐったりとして気だるそうだった。
そんな彼を、映画館のロビーに残し、市川は売店の方へ向かった。
すると、トレイに飲み物と大きなポップコーンのカップを載せた隆哉が、向こうから歩いて来るのに出会った。
「リキ…」
「あ、主将…」
気付くと、隆哉は笑みを見せて頭を下げた。
「1人ですか?」
「いや、潤也と一緒だ。おまえは…」
1人か、と訊こうとして、トレイの上に飲み物のカップが二つ並んでいるのを見つけ、市川はキョロキョロと辺りを見回した。
すると、吉岡が座っている席から少し離れた場所に、夏樹の姿を見つけた。
向こうは隆哉1人に買い物をさせ、のんびりと映画のパンフレットを眺めている。そういえば隆哉は、同級生に夏樹の忠犬などとからかわれていた事があった。
だが、隆哉の気持ちは分からなくないと、市川は思った。
自分も、吉岡の為なら何でもしてやりたいと思うからだ。
「主将、上手くいったんですね?」
訊かれて、市川は照れ臭そうに笑った。
「なんで分かった?」
「さあ…、なんとなく。なんか、表情が違いますよ、いつもと」
「そうか?」
言いながら首を傾げ、市川は自分の顔を擦った。
すると、悪戯っぽくにやりと笑い、隆哉が耳元に顔を近づけて来た。
「幸せいっぱいの顔してます」
(こいつ…)
からかわれて苦笑すると、市川はお返しに隆哉の耳に囁いた。
「リキ、倉庫でヤるのは止めた方がいいぞ」
ガタッと、思わず取り落としそうになった隆哉のトレイを、市川は片手でサッと支えた。
「おっと、危ない、危ない…」
トレイを掴み直した隆哉の肩をポンポンと叩き、市川は軽く手を振ると売店の方へ歩き出した。
振り返ると、呆然とした顔で隆哉がこっちを見ている。
市川は思わずプッと吹き出した。
(幸せいっぱい……、か…)
思い出して、また自分の顔を撫でる。
そして、座っている吉岡の姿を探した。
すると、その視線に気付いたかのように、吉岡が此方を見た。
そして、ニッと笑うと、片腕で輪を作るようにしてその中から何かを掴み、口へ入れる仕草をした。
(うん?ポップコーン?)
同じようにして見せると、ウンウンと頷く。
市川は苦笑しながらOKをして見せた。
(どうやら俺も、リキを笑えねえな…)
だが、そんな事でさえ口元が緩みそうになる。
市川はギュッと指で唇の脇を引っ張って引き締めると、売店に出来ていた人の列に並んだ。