31.外回り


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外から戻ると、退社時間を過ぎていた所為か、課には社員が殆ど残っていなかった。
森下も直帰の予定だったが、佐倉が1度会社に戻りたいと言うので連れて来たのだ。
デスクに座り、森下が明日でもいい仕事を片付けている間に、佐倉は姿を消した。
行き先は分かっている。
多分、沢井と約束でもあったのだろう。
森下はデスクを片付けると部屋を出て昇りのエレベーターに乗った。
専務の秘書は、もういなかった。
勝手に部屋に入り、森下は専務室のドアに耳を押し付けた。


「別れないッ」
そう言っているのは佐倉ではなかった。
「息子だってもう高校生だろ?潮時だよ、幸雄…」
「嫌だッ、別れないッ」
沢井の声はまるで泣いているように聞こえた。
「俺は…、もう続けられない。これ以上は無理だ」
「まさか、会社も辞める気か?芳人、そうなんだろ?」
「世話になったな。幸雄…」
「芳人…」
悲痛な、沢井の声が最後だった。


森下はドアの前から離れると、秘書室を出てその壁に寄り掛かった。
間もなく、佐倉がドアを開けて通路に姿を現した。
森下の顔を見ると僅かに眉を上げたが、それだけだった。
「俺の部屋で飲まない?」
訊くと、首を傾げるようにして佐倉は頷いた。
森下は自分が間違っていたことを知った。
多分、沢井の温情で佐倉は会社にいられるのだろうと思った。その見返りに、身体を自由にさせているのだと思っていた。
だが、どうやらそれは、まるで見当違いだった。
沢井は間違いなく佐倉に固執している。いや、溺れていると言ってもいいのかも知れない。だが、佐倉の方では彼に特別な感情を持っている訳ではなかったのだ。
では、何故、抱かれていたのだろうか。
その答えを、森下は自分のマンションの部屋で聞いた。


「10年前、女房と2人の子供を事故でなくした…」
ゆっくりとグラスを揺すり、佐倉は何時も通り表情を変えずに話し始めた。
「余りの悲しみで、食べることも、眠ることも出来なくなり、その内に夢遊病者のように、現実と虚実の区別さえつかなくなった。……そんな、ただの、生きる屍のようになった俺を、現実に引き戻したのは幸雄だった」
カラン、とグラスの中の氷が揺れ、佐倉はそれを運ぶとほんの少し口に含んだ。
「気付くと、妻たちの仏壇の前で俺は幸雄に犯されていた。……皮肉な事に、その痛みと衝撃が、俺を正気に返らせたんだ」
「専務は、前からあんたを?」
訊くと、佐倉は溜息と共に頷いた。
「中学に入った頃、やたらと俺の身体に触りたがるようになった。興味本位で、誘われるまま、自慰の延長のようにお互いに慰め合ったりもしたが、やがて俺が幸雄の執着に恐怖を覚えるようになった。……だから、高校受験を理由に幸雄から遠ざかったんだ。その後は学校も分かれ、別々の大学に進学した」
「今の会社へは?」
「知ってるだろうが、あれは幸雄の義父の会社で、俺は大学卒業後にコネで就職した。幸雄はもう妻帯していたし、昔のことは若気の至りだったと思った。……だが、幸雄の俺への執着はずっと続いていたんだな…」
それきり、佐倉は口を噤んだ。
もう、話すべきことは何もないという事なのだろう。
だが、森下にはもっと聞きたい事があった。 いや、それこそが1番聞きたかった事だったのだ。
「なあ、なんで俺に抱かれることを承知したんだ?」
答える前に、佐倉はまたカランと氷を揺らした。
「……手が…」
ポツリと言うと、佐倉はまたグラスを口に運んだ。
「手?」
森下が聞き返すと、佐倉はグラスを離して頷いた。
「手が……、俺に触れた手が震えていたんだ」
「え?」
驚いて顔を見ると、佐倉は視線を森下に移した。
「それだけ…?」
不思議そうに聞き返すと、佐倉は頷いた。
「そう…。その手を見たら、拒む気になれなかった」
それでは……。
(哀れまれていたのは、俺の方か…)
そう思うと、森下はフッと唇を歪ませて笑った。
「なあ、セックスしようよ」
苦痛ではなく、快楽で、この男の顔を歪ませたいと思った。
「ああ」
頷くと、佐倉はグラスをテーブルの上に置いた。



1度もしたことはなかったが、唇を押し付けても佐倉は嫌がらなかった。
そのまま、歯の間に舌を押し込み、森下は佐倉の口中を舐った。
ゆっくりと手を這わせ、僅かに汗ばんできた肌を弄る。
親指の腹で擦ると、すぐに乳首が勃起して尖った。
その小さな粒を執拗に擦りながら、森下はキスを続けた。
角度を変えようとずらした唇の隙間から、佐倉の吐息が漏れた。
「気持ちいいの?」
訊こうとして唇を離すと、佐倉の目が潤んでいるのに気付いた。
そして、上気した肌が薄桃色に染まっている。
こんな佐倉を見るのは初めてだった。
カッと身体が熱くなり、森下は佐倉の身体を夢中で押し倒した。


「噛まれた時…」
息の上がった掠れた声で佐倉は言った。
森下の愛撫に我慢出来ずに、何度も喘ぎそうになるのを噛み殺す。
森下は佐倉が口を開くのを待って彼の顔を見つめた。
「噛まれた時、電気みたいなのが走って、何かから目覚めたような気がした…。このままでは駄目だと、漸くそんな気持ちになった……」
「また…、誰かを好きになれそう?俺の事…、好きになれそう?」
森下が訊くと、初めて佐倉が笑った。
「そうだな。そうなのかも知れない……」
「なら、俺のものになりなよ」
言った後で唇を押し付け、答えを聞かずにキスで塞いだ。
両腕が自分の首に回されるのを感じ、森下は鳩尾が熱くなった。


キスをしたまま佐倉の脚を抱えると、森下はゆっくりとその身体の中へ入っていった。
「ぅうんッ…」
グッと身体を反らし、佐倉が快感に喘いだ。
はぁっ、と大きな吐息と共に唇を離すと、佐倉はじっと森下を見上げた。
「いい顔するね?佐倉さんのそういう顔、ずっと見たかった気がする…」
些か感動した口調で森下が言うと、佐倉はクスリと笑って彼の身体を引き寄せた。
「もう…、外でするのは勘弁な?」
その言葉に、今度は森下がクスリと笑い、白いその項にガブリと歯を立てた。