orangette
木曜日、佐久間と約束していたので、大樹は朝食を済ませると、映画館へ向かった。
映画館の前で、スマホをチェックしている佐久間を見つけて近寄ると、大樹が声を掛ける前に気づいて顔を上げた。
最終日前だった所為か、朝1番の空いている時間帯でも客入りはまあまあだった。
映画は期待通りで、見終わった後に二人とも少々興奮状態だった。
まだ、時間があるので軽くお茶でもしようということになり、近くのカフェに入ることにした。
「その後、どうなん?真澄とは」
軽い調子で訊かれ、大樹も軽く答えた。
「どうって…。今まで通りですよ」
「ふ…ん。大樹ってさ、女の子は駄目なのか?」
「え…?いや、駄目とかじゃなく相手にされないし」
そう言って大樹が笑うと、佐久間は首を傾げた。
「ん、なことねえだろ?俺の彼女の友達でも、大樹のこといいって言ってる子いるらしいぞ」
「ええ?嘘ですよぉ」
大樹が驚くと、佐久間は真面目な表情で言った。
「いや、ほんとだって。ふわふわの癖っ毛が可愛いんだってさ。母性本能くすぐるらしい」
「えー?」
照れて少々赤くなると、大樹は言われた自分の髪をキュッと掴んだ。
「女の子から可愛いって言われることはあるけど、それは男扱いされてないからですよ。異性として見られたことなんかないし…」
「それは、大樹がそう思ってるだけだって。今の女子って、男らしさとか求めてない子も多いらしいぞ。だから、大樹みたいの、案外モテるんじゃね?」
「そんな…」
大樹が戸惑っていると、佐久間は笑みを見せた。
「辛いならさ、考え方変えてみろよ。真澄に拘ることないと思うぞ」
ハッとして顔を上げると、佐久間は労わるような表情をしていた。
「先輩…」
辛いなどと言った覚えはない。顔に出したつもりもなかった。
それなのに、何かを察したのだろうか。
大樹が言葉を選んでいると、テーブルの上に置いてあった携帯が着信を知らせて震えた。
見ると、相手は真澄だった。
“映画終わったろ?今、どこ?俺も授業終わったし、昼飯一緒に食おうよ。迎えに行くから”
それを見て、笑みを見せると大樹は佐久間に言った。
「俺、何にも辛くなんかないですよ?でも、心配してくれて、ありがとうございます」
「そうか?それならいいけど」
もう1度、笑みを見せると、大樹は真澄に返信を打った。
「映画、どうだった?」
そう訊いた真澄の顔に笑みはなかった。
「う、うん…。面白かったよ。まだ続くみたいだし、次のも絶対観たいって思った」
本当は良かったシーンを伝えたかったが、ネタばれは拙いと思い、大樹は余計なことは言わなかった。
「明日までだっけ?」
「うん、そう」
目を上げず、真澄は大樹の顔を見ずに、皿の上のパスタを巻いて口に運んだ。
(機嫌悪い…)
そう思ったが、大樹は何も言わなかった。
すると、ふっと目を上げて、やっと真澄が笑った。
「次回作は、絶対一緒に行こうな?」
「う、うん。もちろん…」
もしかして、佐久間に嫉妬してくれたのだろうか。
「今日、午後の授業は?」
「一コマだけ。その後はバイト行く」
「あー、俺も今日は遅番なんだよなぁ」
残念そうに言ったところを見ると、部屋に来てくれるつもりだったのかも知れない。大樹も残念に思ったが、何も言わなかった。
以前の大樹だったら、きっと、来てほしいと言っただろう。だが今は、真澄を束縛しないように気を付けていたのだ。
真澄と一緒に学校へ行くと、待っていたのか、国分が教室の前に立っていた。
気になったが、大樹は真澄と別れて自分の教室へ向かった。
振り返りたかったが、我慢して振り向かなかった。気に留めていないと思われたかったのだ。
一瞬しか見なかったが、待っていた国分の表情は硬かったように見えた。そして、その国分の姿を見た真澄の表情も、明るくは見えなかった。
このところ、付き合い始めた頃のように、真澄がいつも傍に居てくれるようになった。
部屋にも、誘わなくても来てくれるし、泊ってもくれる。一緒に食事をすることも多くなり、大樹は夢子に教わったレシピで真澄のために料理をする機会が増えた。
「うん、これも旨いよ。ビール買ってきて正解だったな」
シナモンと蜂蜜に漬けた豚肉を焼いただけの料理だったが、一緒に入れた赤ワインで肉が柔らかくなっていて塩加減も丁度良かった。
夢子のレシピはいつも真澄に好評で、美味しそうに食べる姿を見て、大樹は今回も作って良かったと思った。
「このパンもね、夢子さんのお裾分けなんだ。クリームチーズ付けて食べると美味しいんだって」
トーストした雑穀入りバケットに、クリームチーズを添えて出すと、真澄は早速手を伸ばした。
「うん、旨いわ。なんか最近、大樹のお陰で食生活豊かだよなぁ。外食するの馬鹿々々しいよ」
「俺だって真澄が来てくれるから作るんだよ。折角教えてもらっても、一人じゃ、中々食べ切れないしね」
「なら、遠慮せずに来よう」
「うん」
本当に、毎日でもいいから来てほしかった。その為なら、なんでもするのに、と大樹は思った。
「そう言えば、来週の土曜日、またライブあるみたいだね」
今日の午後、宮下に誘われていたのを見ていたので、大樹は真澄に訊いた。
「う…ん。けど、俺は行かないかな」
「そうなの?好きなバンド、出ないの?」
「いや…。まあ、ひとつは出るんだけど、今回はいいや。ライブ代も馬鹿にならないし、ジャケットも取り置きしてもらってて、金掛かるし」
「あ、そ…か」
「それよりさ、黒須さんに、ロックの話聞かせてって頼んでよ。俺にもお勧めのバンドあったら教えてほしいって」
「あ、うん。きっとオーナー喜ぶよ。話し出したら止まらないって、いつも夢子さんが言ってるもん」
「そうなんだ。吞みながら語りたいなぁ」
「じゃあ、今度誘ってみるね。昔のバンド仲間がやってるお店もあるみたいだし、連れてってくれるかも」
「マジ?うわぁ、行きたいわー」
目を輝かせた真澄を見て、大樹は少し胸が熱くなった。
自分の力とは言えないが、それでも真澄をこんなにも喜ばせることが出来た。それだけで、感動していた。
この前、国分が教室の前で待っていた時、何を話したのか気になっていたが、大樹は何も聞かなかった。
もしかしたら、いつになったら自分と別れるのかと真澄を問い詰めたのかも知れない。
だが、近頃の真澄の様子からすると、すぐに別れを切り出されることはないように思える。
(このまま、一緒に居られたらいいのに…)
そう思ったが、口には出さなかった。
この頃の真澄を見ていると、どうしても欲が出てしまう。別れずに済むかも知れないと思ってしまうのだ。
だが、期待は持ち過ぎてはいけないと思う。
だから、大樹は何も言わなかった。
次のアルバイトの日に、大樹は真澄に言われたことを黒須に言ってみた。
「いいよ、いいよ。行こうよー。嬉しいなぁ、若い子に誘ってもらえて。夢ちゃんに訊いて、都合のいい日教えるからさ。真澄君に言っといて」
「はい、ありがとうございます。真澄も喜びます」
真澄のアルバイトが遅番じゃない日に、黒須も体が空く日があったので、三人で黒須の友人の店に行くことになった。
そのことを、学食で話している時に、国分が姿を現した。
「なに、真澄?来週の土曜、ライブ行かないのか?」
少し表情を硬くして国分は言った。
「ああ、俺は行かないよ。宮下にもそう言ったけど」
「だって、”TSC”出るんだぞ?」
「ああ、まあ、そうだけど…。今回はやめとくよ」
どうやら、真澄の好きなバンドのことらしかったが、真澄は乗り気にならなかった。
それを見て、国分はちらっと大樹を見た。
だが、大樹には何も言わず、また真澄を見つめて言った。
「なあ、この前のことまだ怒ってんの?今度は気を付けるしさ。絶対、迷惑掛けないから…」
そう言われても、真澄は表情を変えなかった。
「いや、もう怒ってないし、気にしなくていいよ。行かないのは、そのせいじゃないし。けどもう、他の予定も入れちゃったんだよ」
真澄の言葉を聞いて、国分はまた大樹を見た。
「あの…」
水を掛けたことを謝ろうかと思い、大樹は口を開きかけた。だが、さっと真澄に手を掴まれて言葉を飲み込んでしまった。
その様子を見て、国分は顔を強張らせた。
「分かった。もういい…」
ぼそっとそう言うと、国分は席を立って行ってしまった。
その後姿を見送って、大樹は言った。
「いいの…?」
すると、真澄は少し笑みを見せて言った。
「いいんだよ。今回は、黒須さんと吞む方が楽しみだし」
「そう…」
だが、大樹は少し不安だった。
国分は明らかに、大樹に対して腹を立てていた。
真澄が自分とライブに行かないのは大樹が何か言ったせいだと思ったのだろう。真澄が大樹を庇うようなしぐさを見せたのも面白くなったのかも知れない、
だが、全部真澄の意思で決めたことだし、大樹が口を挟むことではない。
大樹は不安な気持ちを振り払って、真澄と話を続けた。
黒須との呑み会は、大樹が思っていた以上に盛り上がった。
黒須の仲間がやっている店は、当然のようにロックが流れ、店の雰囲気もロックのテイストが強く、客層もそれらしい連中が多かった。
だが、ガチャガチャしている訳ではなく、大人っぽくて落ち着いた店だった。
そんなところも気に入ったのか、真澄は始終上機嫌で、珍しくはしゃいでいるようだった。
途中で黒須の友達が二人合流すると、話も更に盛り上がって、酒も進んだ。
「いいなぁ、こういうの」
大樹に、嬉しそうにそう言うと、真澄は黒須たちのバンド時代の話に目を輝かせた。
その夜は、大樹の部屋へ一緒に帰っても、真澄は上機嫌のままだった。
「ありがとな、大樹。大樹のお陰でいい人たちと知り合えたよ。また吞もうって言ってくれたし、なんか世界が広がった感じで嬉しいわ」
抱きつかれて、大樹は真澄の背中に手を回した。
「そんな…。俺のお陰とかじゃないよ。”CLOSS”でバイトすることになったのなんか、たまたまだし…。俺こそ嬉しい…」
大樹の言葉に、真澄は顔を上げて彼を見た。
「ロックの話、分かんなくても仲間に入れてもらえて…。一緒に居られて、すごく楽しかった」
「大樹…」
言いながら、真澄は顔を近づけて大樹の額に自分の額を押し付けた。
「何言ってんの?大樹抜きでなんか、有り得ないよ。馬鹿だなぁ…」
そう言うと、真澄は大樹にキスをした。
「ごめんな?大樹…」
「ん…?」
「頭から、大樹にロックは分からないだろうって決めてかかって、誘いもしなかった。聴かせてみれば分かり合える部分もあったのに。今みたいに…」
「ううん…。俺こそ、ちゃんと聴きもしないでロックを否定してたし、頑なになってたところもあったし。…ごめんね?」
真澄は笑みを浮かべて首を振ると、大樹の体を抱き直した。
「な、今度の休み、デートしようか?」
「ほんと?」
真澄の言葉に少し驚き、大樹の目が大きくなった。
デートなんて本当に久しぶりだった。
「どこか行きたいところ、ある?」
訊かれて首を振ると、大樹は真澄の肩に頬を付けた。
「どこでもいいよ。真澄の行きたいところ、どこでも俺は嬉しいから」
「ほんと?じゃあ…」
考えながら、真澄はまた大樹を抱きしめた。
もしかすると、このまま、終わりは来ないのだろうか。
真澄は、ずっと傍に居てくれるのだろうか。
なんだか、そう思えて、大樹は期待が膨らむのを感じていた。
楽しい一夜を過ごし、真澄にデートにも誘われて大樹の気分は浮き上がっていた。
このまま、ずっと真澄と別れずに済むような気がして、口元が綻びそうになる。だが、人目を気にして意識して引き締めた。
だが、そんな大樹を、国分が現実に引き戻した。
教室へ行くために廊下を歩いていると、行く手に大樹を待っていたらしい国分の姿が見えた。
大樹は急に息苦しさを覚えたが、逃げる訳にもいかない。そのまま教室の手前に居た国分に近づいた。
「大樹」
「おはよう…」
大樹が言うと、国分は挨拶を返す代わりに少し頷くようにした。
「話があるんだけど」
言われて、大樹は思わずコクッと唾を飲み込んだ。
「あ、後でいい?授業始まるし…」
「いいよ。じゃあ、終わってから」
「う、うん…」
大樹が場所を指定すると、国分は頷いて、自分の授業を受けるために別の教室へ向かった。
何を言われるのか正確には分からなかったが、見当はついていた。
浮きたつような気分は、もう何処かへ行ってしまい、大樹は胃の痛むような気持ちのままで授業が終わるのを待った。
授業を終えて、大樹が約束の場所へ行くと、ベンチに腰を下ろした国分が待っていた。
座るように示され、大樹が隣に腰を下ろすと、反対に国分は立ち上がって大樹を見下ろした。
威圧感を覚えて、大樹は少し怖かった。
だが、怯んではいけないと思い、顔を上げて国分を見た。
「話って、何?」
大樹の言葉に、国分の眉がヒュッと持ち上がった。
「言わなくても、分かってんじゃないの?」
強い口調ではなかったが、国分のそれは少し大樹を蔑むように聞こえた。
「…どういう意味?」
一度、唾を飲み込んだ後で、大樹は言った。
すると、国分は一度ため息をつき、それからまた見据えるようにして大樹に視線を向けた。
「まあ、大樹が必死にしがみ付こうとしてんのは分かるよ。真澄の機嫌取るために、あいつの好みに合わせてイメチェンしたり、好きでもないロック聴いたりさ。けど、無理して合わせたって、結局後で辛くなるのは分かってるだろ?」
「俺は…、別に、無理なんてしてないよ」
確かに、努力はしている。
真澄にもっと振り向いて欲しいからだ。嫌われたくないからだ。
何もしなくても、真澄に好かれる国分には分からないだろうし、惨めに見えるのかも知れない。
だが、それでも構わないと大樹は思った。
「そうかな?なんか、涙ぐましいと思ったけど」
馬鹿にするように言われ、大樹は一瞬、唇を噛んだ。
「……何が言いたいの?」
出て来た大樹の声は少し震えていたが、涙は零さなかった。
「はっきり言っていいの?」
訊かれて、大樹は俯いたまま、こくりと頷いた。
「じゃあ、言うけど…。いい加減、真澄を自由にしてやってよ。あの時、”檸檬”で言った事は本当だから。大樹だって分かってるから俺に水掛けたんだろ?」
はっきり言えと、促したのは自分だったが、いざ言葉にされると辛かった。
だが、大樹は決して泣くまいと思った。
泣いたら、もっと惨めになるからだ。
「でも…、真澄は違うって言った。俺の勘違いだって、そう言ってくれた。だから俺…」
「だからさっ…」
言葉を遮られ、大樹はやっと顔を上げた。
「それは真澄の同情だって分かってんだろ?真澄の気持ちはもう、大樹には向いてない。優しいからはっきり言えないだけで、ずっと前から分かってた筈だ。未練がましく付き纏うなって」
きつい言葉に大樹が黙ると、国分の後ろから声がした。
「何言ってんの?おまえ」
咎めるような大森の言葉に国分が振り返ると、並んで立っていた真澄が険しい顔で彼を見ていた。
一瞬、怯んだようだったが、すぐに国分は元の表情に戻った。
その国分の脇を通り、真澄は大樹の隣にゆっくりと腰を下ろした。
とうとう、この時が来たのだと大樹は思った。
労わるように手を置かれた肩が無意識に震える。
別れを言い渡されるのを、大樹は凍り付くような気持ちで待った。
だが、真澄は大樹にではなく、国分に言った。
「国分、後で話すから、何処かで待ってて」
「けど、真澄…」
「いいから、行けよ」
真澄の態度が不服そうだったが、国分は渋々その場を立ち去った。
そんな彼を睨んでいた大森が、振り返って、今度は真澄を睨んだ。
「おい、真澄。おまえマジで大樹と別れて国分と付き合うつもりなのか?」
それには答えず、真澄は彼を見上げた。
「悪い…。大樹と二人にして」
真澄の言葉を聞くと、大森は軽く溜め息をついて言った。
「マジなら俺、お前との付き合い、考えさせてもらう。あんなこと言わせて、大樹が何したって言うんだ?ひでえよ、おまえら…」
そう言って立ち去った彼の後ろ姿から目を落とし、大樹は地面を見つめた。
とても、真澄の顔を見る勇気が出なかったのだ。
「真澄…、行っていいよ。国分のこと、追いかけて?」
「大樹…」
「俺、分かってるって言ったよね?でも、真澄が否定してくれたから、だから、もう少しだけって思ったんだ。けど…、もういいよ。もう十分だよ」
やっと顔を上げると、大樹は真澄を見た。
「優しくしてくれて、ありがとう。最初から同情だったのかも知れないけど、憧れの真澄と付き合えて夢みたいだった。何の取り柄もない俺と付き合うのなんか、きっと退屈だったと思う。ごめんね?俺ばっかり、幸せだった…」
とうとう涙を零した大樹を、真澄はぎゅっと抱きしめた。
「違うんだ。違う、違う…っ」
激しく首を振る真澄に釣られ、大樹の体も揺さぶられた。
「確かに、国分とは気が合って、趣味も合うし一緒にいるのが楽しかった。あいつと居ると大樹のこと忘れてたかも知れない」
真澄の正直な告白が、また涙を零させた。だが、大樹は黙って次の言葉を待った。
「1度だけだけど、酔った勢いでセックスもした。あいつは慣れてて、大樹を抱くのとは違った…」
分かっていても辛かった。
何も知らない自分より、真澄はきっと国分とのセックスに満足したのだろう。
唇を噛んで耐えたが、喉の奥が鳴ってしまい、大樹はぎゅっと目を瞑った。
そんな大樹の背中を真澄は優しく撫で続けた。
「最低なのは分かってる。大樹を傷つけて本当に悪かったと思ってる。全部俺が悪い。大樹は何にも悪くないよ。取り柄がないなんて、そんな風に思わないで。大樹は優しくて、可愛くて、俺を本当に癒してくれる大事な人だ」
それでも”恋人”ではいられないのだ。
どんなに嬉しい言葉をもらっても、たった一つの望みは叶えてはもらえないのだ。
真澄から離れようとした大樹だったが、彼の次の言葉に動きを止めた。
「これだけは信じてほしい。俺は国分に1度だって大樹と別れるなんて言ってない。最初は確かに惹かれたけど、段々に、あのキツさや自信満々な所が鼻について、いつの間にか大樹と比べてる自分に気が付いた」
その言葉に、大樹は思わず顔を上げて真澄を見た。
「あいつがキツいことを言う度に、大樹ならこんなこと絶対に言わないのにとか、俺のことをもっと考えてくれるのに、とか…。今だけじゃなく、大樹にだって何度もキツいこと言ったんだろ?それなのに、大樹は俺に愚痴一つ零さなかったよな…?」
優しい笑みを浮かべ、真澄は労わるような眼で大樹を見た。
「国分が大樹を攻撃するようなことをしても、大樹はあいつを悪く言わなかった。本当に優しいんだって思ったよ。……辛い思いさせてごめんな?一人で我慢させてごめん」
言葉が出てこなくて、大樹はただ、何度も首を振った。
そんな彼を真澄がまた抱きしめた。
「あんな酷いこと言わせてごめん。でも、言わせたのは俺だ。俺が迷ったからだ」
体を離すと、真澄は大樹の頬を両手で包んだ。
「もう、絶対に傷つけない。約束するよ。傍に居てほしいのは、大樹だけだ」
「真澄……」
じっと見つめられて、大樹の瞳にまた涙が滲んだ。
今度は喜びの涙だったが、零れる前に、また真澄がその体を深く抱いた。
真澄と国分が二人で話をしたらしいのは知っていたが、その内容を大樹は訊かなかった。
もう、今となっては自分が知る必要はないと思ったし、あの後、真澄が国分と一緒に居ることも無くなった。
心配していたらしい大森も、真澄が常に大樹の傍に居るのを見て、安心したようだった。
「真澄が本気で別れるつもりなら、俺が大樹に告ろうと思ってたんだけどなぁ」
にやにや笑いながらそう言われ、大樹は吹き出した。
「やめてよ、冗談…」
すると、大森は笑みを引っ込めた。
「いや、マジだって」
それを聞いて、一緒に笑っていた真澄が急に険しい顔になった。
「真澄は分かってないんだよ。おまえと付き合ってるって知られてるから何も言ってこないけど、大樹を狙ってる奴は結構いるんだぞ」
「ほんとか?」
「ああ。素直で可愛いし健気だし、女子よりいいって言ってる奴ら、何人も知ってる。うかうかしてたら、掻っ攫われるぞ」
「う、嘘だよ、そんなの。もうー、からかわないでよ」
黙り込んだ真澄を気にして、大樹は大袈裟に大森の肩を叩いた。
すると、傍を通り掛かった佐久間が笑みを浮かべて近づいて来た。
挨拶を交わした後で、佐久間が言った。
「大樹、おまえ、明日の夜空いてないか?」
「明日ですか?バイトの後は何にも無いけど…」
「じゃあ、合コン、参加しねえ?」
「えっ?合コン?」
驚く大樹に、佐久間はまた笑みを見せて言った。
「ほら、前に話した俺の彼女の友達で、おまえのこといいって言ってる子が来るんだけど、大樹も呼んで欲しいって言ってるらしくて。会うだけでもどうだ?可愛い子だぞ」
「い、いや、俺は…」
戸惑う大樹の手を、真澄がぎゅっと掴んだ。
見ると、真澄は不機嫌そうな顔をしていた。
「あー、先輩、大樹の代わりに俺はどうです?俺、明日の晩、暇なんで」
大森がそう言いながら前に出て、佐久間の視界を大樹たちから塞ぐようにした。
「おまえじゃ、大樹の代わりにはならないだろ」
「まあ、そう言わないで。盛り上げますよー、俺…」
言いながら、大森は佐久間を連れて、その場から離れて行った。
「もう、みんなして俺のことからかって…」
そう言って笑おうとしたが、真澄の表情を見て大樹は笑みを引っ込めた。
「嘘だよ、あんなの。俺がそんなにモテる訳ないって」
取り繕うように大樹が言ったが、真澄は何も言わなかった。
その代わり、大樹を引き寄せて人目も気にせず後ろから抱きしめると、肩に顔を埋めるようにして言った。
「今夜、部屋に行っていい?」
「う、うん、勿論…」
こちらを見ながら通り過ぎて行く学生の視線を気にしながら大樹が答えると、少し離れた所に国分が立っているのが見えた。
「真澄?」
「んー?」
気になって、大樹は離れようとしたが、国分の存在に気付いているのかいないのか、真澄は大樹を離さなかった。
ふいっと二人から視線を外し、国分は足早にその場を離れた。
その姿を見送りながら、大樹はまだ少し不安を覚えていた。
「なに、これ?」
大樹が食べていたお菓子を見て、自分も一つ摘まむと真澄はすぐに口に入れた。
「ん、旨い。噛むとちょっと苦みがある…」
「うん。そこがいいでしょ?」
大樹が訊くと、真澄は頷いた。
「うん。癖になる味…」
コーティングされたチョコの味に騙されて、中に潜んでいる苦味は、噛んでみなければ分からない。
見た目の甘さのせいで、本当の姿には気づかない。
大樹は、Orangetteをもう一つ摘まんで口に入れた。
あの日、真澄があの場所に来ることを大樹は知っていた。
知っていて、国分に来るように言ったのだ。
国分が自分に何を言うつもりなのかも分かっていた。
きっと、きつい言葉を投げるだろうことも分かっていたのだ。
国分が何度も自分に嫌なことを言ったのを目にして、真澄の心が彼から離れ始めているのを感じていた。
だから、あれは最後の賭けだった。
真澄も、そして国分でさえも、自分を善良だと、計算などしないと信じて疑わないだろう。素直で気弱で愚鈍だと思っているだろう。
それを分かっていて、大樹は最後の賭けに出たのだ。
”別れるなんて1度も言ってない”と、真澄は言った。それは嘘ではないのかも知れない。
だが、別れるつもりだったのは確かな筈だった。
熱を出した日、二人が話していてた内容からも、それは明らかだった。
真澄が大樹と別れて自分と付き合うと国分は思っていた。それは、思わせる態度を真澄が見せていたということだ。
「もう一つ…」
言いながら、真澄が手を伸ばした。
「コーヒー淹れる?」
大樹が訊くと、真澄はお菓子を口に入れるのを止めた。
「あ、うん。いいよ、俺がやる…」
そう言って立ち上がると、真澄はキッチンへ行き、コーヒーメーカーをセットして戻った。
そして、また大樹の隣に座ると、彼の身体を引き寄せた。
真澄に寄り掛かると、大樹は自分の肩を抱いている彼の手を大事そうに包んだ。
「なあ…」
「うん?」
「合コン、行かないよな?」
その問いに、大樹はすぐには答えなかった。
「大樹?」
見ると、真澄が不安そうな眼で見ていた。
そんな彼の表情を見るのは初めてで、大樹は不思議な気持ちになった。
「行く訳ないでしょ?」
大樹の答えを聞いて、真澄はホッとした表情を浮かべた。
「だよな」
そう言って、真澄は両腕で大樹の身体を包んだ。
「うん……」
その腕を両手で抱えるようにして、大樹は薄っすらと笑みを浮かべた。