光を恋う羽虫の如く
「ちッ…」
手で掬った水で顔を洗った時、唇に“ちりっ”と痛みが走った。
鏡に映すと、思った以上に腫れている。
三田はその部分をそっと指で押して見た。
それは、昨日、三田が素直にキスをさせなかったことに腹を立てた櫛川が、血の滲むほどに噛んだ所為だった。
顔に残る水滴をタオルで拭き取りながら、その傷に当たる感触に三田は再び顔を歪めた。
三田が不本意にも闇金融業者の社長である櫛川と関るようになって二月が経つ。
最初は、自分の置かれた立場の理不尽さにどうしようもなく腹が立ち、情けなさに死ぬ事まで考えた三田だった。
だが、慣れだろうか。
今はもう、それほど悲観的な気持ちではなくなっていた。
部屋に戻ると、テーブルの上で携帯電話が鳴った。
「はい」
「お呼びだ。5分で仕度しろ」
「はい」
いつも通り、櫛川の部下が横柄な態度で言うのに答えると、三田はクローゼットを開けて、手早く服を着始めた。
真っ白なワイシャツを着て、ネクタイを締め、ダークグレーのスーツを身につけると、三田は何も持たずに部屋のドアの前で待った。
すぐに、外側から鍵を開ける音がして、櫛川の部下がドアを開けた。
「行くぞ」
またもや横柄にそう言うと、部下は頷いた三田に顎を杓った。
部屋を出ると彼に付いて廊下を歩きエレベーターに乗る。
三田がこのマンションの一室から出られるのは櫛川の呼び出しがあった時だけだった。
地下の駐車場から車に乗せられ、三田は5分ほど離れた櫛川の事務所へ向かった。
その櫛川に莫大な借金があっが、それは、彼自身が作った借金では無い。
親友だった寒川という男が三田を保証人にして踏み倒した借金だった。
ある日、三田が勤める会社に強面の男が2人やってきて、仕事中の三田に借用証を突き付けた。
「三田恵佑さん、借金返済の期日が過ぎてます。速やかに、元金に利子を添えて全額お支払い下さい」
言葉だけは丁寧だったが、その口調も態度もまるで脅迫だった。
「そ、そんな金、知りませんッ」
だが、驚いてそう言った三田の前に突き付けられた借用証には、確かに保証人の欄に三田の名前があり捺印もされていた。
「こっ、これッ…」
学生時代からの親友だった寒川に、マンションを借りる為の保証人になってくれと言われて書類に署名した。
だが、その書類がいつの間にか借用証にすり替わっていたのだ。
一番信頼していた男だった。
その男に騙されたのかと思うと、三田は悔しいよりも悲しくて、その場に崩れるように跪いた。
「兎に角、事務所の方へ来てもらいましょうか。ここじゃあ、皆さんに迷惑でしょうから」
聞こえよがしにそう言うと、男はせせら笑いながら部屋の中の皆を見回した。
すると、もう1人の若い方の男が無理やり三田を立たせて部屋の外へと連れ出した。
腑抜けのようになった三田を、2人は自分達の事務所へと運んだ。
そこに待っていたのは社長の櫛川だった。
「三田恵佑さん、近日中に5700万、全額お支払い頂きたい」
デスクの向こうで、形のいい唇に冷たい笑みを浮かべながら櫛川は落ち着いた声でそう言った。
冷静な時の三田だったら、これが本当にヤクザかと驚いたに違いない。
長い脚を組み、革張りの椅子の腕にゆったりと肘を乗せた櫛川は、まるで貴族ででもあるかのような気品のある顔立ちと物腰だったからだ。
「そんな金、払えません」
所謂、インテリヤクザというものなのかも知れない。聡明そうな目を細め、櫛川はぼつりと言った三田の顔をじっと見つめた。
「払えないとは?払う意思がないということですか?」
「いいえ。去年、前の会社が潰れて、やっと2ヶ月前に今の会社に就職したんです。借金を払えるような蓄えなんてありませんよ」
さっきの騒ぎで、その会社にももう戻れまい。
自棄になってそう答えた三田に、櫛川は納得したように頷いて見せた。
「なるほど。では、臓器でも売りますか?」
事も無げにそう言われ、三田はギョッとして顔を上げた。
櫛川の表情はさっきと少しも変わってはいなかった。
口元に浮かんだ笑みを消す事もなく、櫛川は見開いた三田の目を凝視している。
「金が無いなら、作ってもらわなければなりませんからね。もし、他に売るものが無いなら、身体を売ってもらうしかないでしょう?」
ゴクッと、三田の喉が鳴った。
櫛川は本気で言っている。
それが、三田にも分かったからだ。
だが、恐怖よりも先にあったのは諦めだった。
信頼していた寒川に裏切られたショックが、三田を自暴自棄にさせていたのかも知れなかった。
ここまで来る間の車の中で、三田は寒川との楽しかった思い出ばかりを振り返っていた。
本当の友達だと、無二の親友だと、自分だけがそう思っていたのかと思うと、情けなくて悲しくて、もう何もかもがどうでも良く思えてしまったのだ。
「分かりました。腎臓でも肝臓でも、何でも提供します」
三田の答えを聞いて、今までまったく表情を変えようとしなかった櫛川の眉が僅かに動いた。
「自分を騙した男の為に、命を棄てると?随分、寒川が愛しいと見える」
櫛川の言葉に、三田は冷笑を漏らした。
「そんなんじゃない」
すると、今度は櫛川の眉が大袈裟に上がった。
「恋人では無いのか?」
「まさか。違いますよ」
吐き棄てるように三田が言うと、櫛川はそこに立っていた部下達に目で合図をして部屋から出て行かせた。
「では、三田さん、身体を売ってもらいましょうか」
大きく息を吸い肩を上げると、三田はそれをカクッと落としながら頷いた。
「ええ」
「だが、売るのは臓器じゃ無い。そして、買うのは俺だ」
「え?」
意味が分からずに三田は顔を上げると、怪訝そうに櫛川を見た。
「俺が買ってやる。1回ヤらせたら5万。俺を満足させたら10万。あんたの借金から引いてやるよ」
やらせる?
なにを?
三田が戸惑っていると、その表情が面白かったのか、櫛川はニヤリと笑った。
「セックスだよ。俺にケツを差し出せって言ってるんだ」
「なッ…」
カーッと赤面しながら、三田は絶句した。
さっきまでの上品さは、もう欠片もなかった。
その代わりに、冷酷で残忍なもうひとつの顔が櫛川の表情に現れていた。
「諦めちまって素直に臓器を売るなんて言われちゃつまらねえんだよ。だから、あんたが1番苦痛を感じる方法で借金を返してもらう。いいな?」
「じょ、冗談じゃ無いッ…。そんな事が出来るかッ」
いきり立った三田を見て、櫛川は更に面白そうに笑った。
「出来るも、出来ねえも、あんたには選択する権利なんかねえんだよ。もう、ここからは一歩も逃げられねえ。あんたは俺の思うがままだ」
言いながら立ち上がると、櫛川はデスクを回って三田の前に立った。
威圧的な態度で三田を上から見下ろすと、櫛川はさも嬉しそうに笑った。
「毎んち、可愛がってやるよ。楽しみにしてな」
その言葉通り、三田はそのまま櫛川所有のマンションの一室へ監禁された。
そして、毎日のようにこうして呼び出される。櫛川の好きな時に、性処理をさせられる為だった。
現れた三田を見て、櫛川はクスリと笑った。
「すぐに脱がなきゃならねえってのに、相変わらずきっちりと着て来るな」
それは三田の意地のようなものだった。
ここには仕事をしに来ている。
櫛川に身体を売るのが、今の自分の仕事だ。だから、キチンと会社に行くようにネクタイを締めて出勤する。
「下だけ脱いで、ここへ上がれ」
顎を杓られて三田は頷いた。
上着を脱ぎ、ズボンと下着を脱ぐと、言われた通りに櫛川のデスクへ腰を下ろした。
「脚を広げろよ」
カッと三田の頬に血が上る。
恥ずかしさに思わず唇を噛み、歯が傷に当たる痛みで顔を顰めた。
だが、言いつけに背く訳にはいかない。三田は両手を後ろに突いて身体を支えると、櫛川の前にアナルを曝した。
「ほれ」
ジェルの容器を差し出され、指を出してそれを受ける。そして、命じられる前に自分でアナルにそれを塗りつけた。
「ふん…」
その様子を見て櫛川が冷笑した。
「随分慣れたな」
最初は涙を零さんばかりの顔でブルブルと震え、羞恥に耐えていた三田だった。だがもう、逆らっても痛い目を見るだけだと知っている。
「ほら、こっちもだ」
目の前に差し出されたピンク色のローターを、三田は口を開けて含んだ。
濡らしたそれを、櫛川がアナルへ近づける。三田は顔を背けて目を瞑ると、自分の指でそれを押し込んだ。
すぐにスイッチが入れられ、三田の中でローターがうねる。
靴下を履いたままの三田の指が所在無げにキュッと縮まるのを、櫛川はゆったりと椅子に腰を下ろしたまま面白そうに眺めていた。
毎日のことで、不本意ながらアナルで感じることを覚えてしまった三田だった。 ローターの緩い刺激でさえ、股間ではペニスが育ち始めていた。
「つまらんな…」
ポツリとそう言い、櫛川は顎を撫でた。
「こう慣れちまっちゃあ、ひとつも面白くねえ」
その言葉に三田は背けていた顔を上げて櫛川を見た。
冷酷なその目は射る様に三田を見つめていた。
「もう、掘られんのが気持ちいいんだろ?この頃じゃあ、俺のを銜え込んで腰まで振ってるぜ。気付いてたか?」
馬鹿にするように言われ、三田の全身がカーッと熱くなった。
本当にいつから、自分はプライドまで棄ててしまったのだろうか。
こんな屈辱的な行為を甘んじて受け入れるほど、心が麻痺してしまっている。
櫛川は手を伸ばして受話器を取ると、内線らしき番号を押した。
「ああ…。奴を連れて来い」
訝しげに自分を見た三田に含みのある笑いを見せると、櫛川は黙ってローターの目盛りをいっぱいに上げた。
「あッ…」
思わずクッと腰を持ち上げた三田の背後でドアが開き、数人の男が入って来た。