月光


夜の帳に包まれ、若い修道僧は必死で暗い道を歩いていた。
もう、歩き続けて3日になる。
だが、歩いても、歩いても、彼の不安は拭えなかった。
背後を何度も振り返り、誰も追って来ないことを確かめたが、それでも安心する事が出来ない。いつか捕まるような気がして、怖くて堪らなかった。
動かない足の所為で前のめりになり、何度もそこに膝を突く。
それに、もう空腹に倒れそうだった。
神に仕えていた、あの祈りの場を出てもう3日、口にした物と言えば、乾ききった黒パンがひとつと水筒いっぱいの水だけだった。
ふらふらになりながらも、恐怖の所為で足を止められない。まるで、夢遊病者のように虚ろな様子で、彼は歩き続けた。
捕まれば、間違いなく異端として裁判に掛けられる。そうなれば、罰を逃れる事が出来るとは思えなかった。


神以外の愛を受け入れてしまった罰。
相手は2つ年上の粗野な庭師だった。


巌のような身体をした男だった。
育ちも悪く、教養も無い。だが、ハンサムで、そして雄臭い男の魅力に溢れていた。
最初は、裏庭で薬草の世話をしている時だった。
そっと後ろから近付いて来た彼に気付かず、その太い腕に腰を抱えられ、気付いた時には肩の上に担ぎ上げられていた。
「なっ、何をする…」
叫ぼうとした声を、何故尻窄みに飲み込んでしまったのだろうか。
容易く薪小屋に連れ込まれ、見上げた時には男の腕は衣の下へ滑りこんでいた。
「やっ、止めろッ」
墨染めの僧衣の下には何も付けていない。
男の荒れた手が太腿を登って来るのを感じ、ゾクゾクと背筋を震わせた。
「いつも、俺の事を見てたろ?知ってるぜ?」
嘲笑うように男は言った。
「馬鹿を言うなッ。そこを退きなさいっ」
だが、そう言いながらも男の手を払い除けようとはしなかった。
やがて、男の手が辿り着き、それを掴む。
その瞬間、甘い声が喉を駆け上ってきた。
「ふふッ、何を言ったって駄目だ。こうして身体が教えてくれる」
言いながら、庭師は修道士の唇にもう一方の手で触れた。
「そこに咲いてる庭薔薇の色とそっくりだ」
低い声で呟き、庭師はその薔薇色の唇の中に我が指を差し入れた。
「んぐ」
苦しげに喘ぐその顔さえ妙に艶かしく、庭師は無骨な指で彼の舌を捏ねるようにしてその表情を楽しんだ。
やがてそれを抜くと、その濡れた指を衣の中へと差し入れた。
「やめ……、やめろ…」
囁くように言って震えながら、修道士は縋るようにして胸のロザリオを握り締めた。
だが、庭師から逃れようとはしなかった。
そうして、己に負け、彼は今、肉欲の罪に身を落とそうとしていた。


庭師の言う通りだった。
何時も、その屈強な身体を見つめずにはいられなかった。
夜な夜な、その腕に組み敷かれている自分を妄想しては、罪に震える事を繰り返していたのだ。


庭師の濡れた指がその部分に触れた。
苦痛よりも、罪悪感、そしてそれよりも堕ちてゆく恐怖。
しかし、それにも勝る快楽への開放を枯渇する心。

ロザリオを握り締めたまま、修道士は我から脚を開き男の指を飲み込んでいった。
何処を攻めればいいのか、男の指は知っていた。
その動きに翻弄され、初めて味わう快感にすすり泣くと、修道士はいつしかロザリオを手放し、両腕で自分の脚を抱えていた。

はぁ……っ…はぁ…っ……はぁっ…。

恐ろしいほどに大きく自分の喘ぐ息が耳元で聞こえた。
訳の分からない熱が体中を覆い、気付いた時には庭師の身体に縋っている自分が居た。
「ああッ…」
とうとう歓喜の声を上げ、修道士は庭師の猛った男根をその身の中へ受け入れた。
酷い痛み。
だが、それに勝る快楽。
それに負け、味を覚えた。


その後はもう、躊躇いなど無かった。
自分から庭師を誘い、人目を盗んでは快楽を貪った。
だが、その密会が、とうとう人に知られる事になってしまったのだ。



反省室に軟禁された彼を逃がしてくれたのは先輩の修道士だった。
庭師は捕まって、格子の嵌った部屋の中へ閉じ込められてしまった。
助けたかったがその余裕も無かった。多分、今頃は酷い拷問を受けているだろう。
逃がしてくれた修道士は、別れ際、素早く口づけをくれた。
そして、すぐに悔いるようにして膝を突くと、ロザリオを握り締めて祈り始めた。
多分、彼もまた恋という魔物から逃れようと必死になっていたのだろう。
彼が布に包んだ黒パンと水筒を持たせてくれた。
それだけを持って、ただ只管に人目を逃れて歩き続けてきたのだ。

もう一歩も進めない。

そう思った時、月光に晒され、小高い丘の上に朽ち果てた教会が見えた。
間違いなく無人であろうそこに、彼は足を向けた。
雨露さえ凌げればいい。 なんとか、身体を休める場所さえあれば…。
よろよろと、最後の力を振り絞るようにして彼は丘を登り始めた。


崩れ掛かった石の門を潜り、前庭に足を踏み入れた。
すると、外から見た時は瓦礫の山に見えたその庭には無数の薔薇が咲き乱れていた。
それが、月の光を浴びて修道士の目に浮かび上がってきた。
「美しい」
思わず呟き、彼は薔薇の中へと足を踏み入れた。
青白く光る大輪の薔薇に指を伸ばした時、背後から声が掛かった。
「私の庭に、何の用だ?」
確かに、さっきまでそこには誰も居なかった。
だが、振り向くと、崩れた門の石の上に脚を組んで座っている男が居た。
「す、済みません。余りに美しかったので」
答えながら、まじまじとその男を見た。
いや、正確には目を奪われてしまったと言った方がいいだろう。
それ程に、男は美しかった。
まるで、この世のものとも思えぬ。こんな、薄暗い月明かりだけでも男の美しさはちゃんと伝わった。
多分漆黒であろう肩から落ちる髪は艶やかに光を放ち、それとは対照的に白い肌はまるで月の光に透けるようだった。
切れ長の大きな瞳は恐ろしいほどに煌き自分に注がれている。
その目を見つめていると、何もかも投げ出してしまいたいような不思議な気分に陥った。
「旅の者か?」
「はい。疲れ果てて、休める場所を探していました。物置の隅なりとて構いません。どうか、一夜の宿をお貸し願えませんか?」
すると、男はじっと視線を注いだままで言った。
「大分、腹も減っているようだ。付いて来るといい」
そう言うと立ち上がり、教会の入り口へ入って行った。
見ると、さっきまであばら家の様に感じていた教会が白く聳え建っていた。
正面の窓には、キリストの生誕を描いた美しいステンドグラスが見える。
さっき通った時には、そんなものがあったようには見えなかった。
鐘楼も崩れていて、その原型さえ分からなかった筈だったが、今見ると、ちゃんと教会の天辺に黄金色の鐘が下がっていた。
何だかおかしいと感じたが、空腹と疲労で目がどうかしていたのかも知れないと思い直した。
男に付いて中へ入ると、正面には十字架が、そして、その傍には少々薄汚れたマリア像が幼子を抱いて立っていた。
修道士は、そこに膝を突き、指を組んで祈りを捧げた。
「こっちだ」
奥の扉の前で男が言った。
しかし、この男はどう見ても神父には思えない。
黒いビロードの上着に、やはり黒いマントを羽織り、何処か貴族然とした形をしている。そんな男が、何故この教会に暮らしているのか不思議でならなかった。
だが、今はそんな事を言っている余裕は無い。修道士は立ち上がると、男の後に付いて奥の部屋へ入って行った。