一壺天
-2-
同窓会の会場は、クラスメートの1人がオーナーの料理屋だった。
その奥座敷を借り切って、懐かしい顔が集まった。
出席したのはクラスの半分ほどだった。
10年も経てば、消息の分からない人間も出て来るし、日程を合わせられない人もいる。今は遠くに引っ越してしまった人間もいるし、半分集まればいい方だろう。
少々遅刻気味で滑り込んだ寿士は、もう集まっていた全員の歓声じみた声で迎えられた。
すぐに見回したが、やはり思った通り、櫂人の姿は見えなかった。
手招きされて、高校時代に仲の良かった友人たちの傍に座った。
その向かい側に、早苗の姿を見つけて寿士は少し驚いた。
「幹事の木本君がね、クラスメートには違いないんだから出て来いって声を掛けてくれたの」
「そう。来れて良かったね。あ…」
彼女の突き出た腹を見て、寿士は言葉を止めた。
「うん、7ヵ月。2人目なんだ」
「へえ?上の子は?ご主人が?」
「うん。見ててくれるって言うから出てきたの。でも、お酒は飲めないけどねぇ」
残念そうにそう言うと、早苗はウーロン茶の入ったグラスを忌々しげに振って見せた。
寿士が笑うと早苗も笑い、傍にあったビールの瓶を取ってお酌をしてくれた。
「変わらないねえ、遠藤君は。まだ、結婚してないの?」
「うん…、まあ」
もうすぐ結婚するのだと、なんとなく言いそびれた。
幹事の木本が全員揃った所で乾杯しようと立ち上がった。
寿士と早苗も其々グラスを持って立ち上がった。
宴も酣になったが、寿士は少し疲れてしまいそっと会場を抜け出すと表へ出た。
本当に、誰1人、櫂人の事を口に出す人間はいなかった。
あんなに目立つ男だったのに、誰も彼もが櫂人の事を記憶の中から消し去ってしまったと言うのだろうか。
店の前の歩道に据え付けられてあったベンチに腰を下ろすと、寿士は見るとも無しに店の入り口を眺めた。
すると、引き戸が開いて早苗が姿を見せた。
「どうしたの?」
声を掛けると早苗はすぐに隣に腰を下ろした。
「ちょっと、疲れちゃって…」
「大丈夫?」
心配そうに寿士が腹を見ると、早苗は笑いながら頷いてそこを擦った。
「ねえ、遠藤君、前にさ、あたしのアパートに櫂人を迎えに来てもらった事があったね?」
「え?あ、うん…」
丁度櫂人の事を考えていただけに、急に切り出されて寿士は面食らった。
だが、早苗は寿士に視線を向ける事もなく話を続けた。
「あの時さ、あたし、遠藤君に嘘ついたんだ」
「え?嘘って?」
「櫂人のアドレスに、男の名前は遠藤君しかなかったって言ったでしょ?あれ、嘘だったの」
「……そうなの?」
「うん…」
早苗はやっと寿士を見ると何故か寂しそうに笑った。
「男の名前ってだけじゃないよ。櫂人のアドレスにはね、遠藤君の名前しかなかったのよ」
「え?」
その意味が良く理解出来ず、寿士はまじまじと早苗の顔を見た。
「櫂人はね、訊かれれば誰にでもアドレスを教えちゃうヤツだった。だけどね、誰の番号もアドレスに入れた事がないの。あいつの方から電話をもらった女なんて、多分1人もいないよ」
それを聞いて、寿士は愕然とした。
何故、櫂人は自分の番号だけをアドレスに登録したのだろうか。
「あれ見た時にね、何だか口惜しくってさ。誰もなれなかったのに、男の遠藤君だけが櫂人の特別になれたのかと思ったらさ、何だか妙に敗北感を覚えちゃってねえ」
苦笑した早苗を寿士は不思議そうに見た。
「特別?俺が…?」
すると、早苗は答えず、また視線を前に向けた。
「あの時さ、なんで櫂人があんなに酔ったのか知ってる?」
「…いや」
「櫂人が孕ませた事になってる女ね、ホントは別の男が父親だったのよ。櫂人はそれを知ってて、それでも学校を辞めてその女と子供の為に働こうと思った。……でも、結局は本当の父親が名乗り出てきてね。あっちは、大学もちゃんと出て会社勤めしてる男だったし、櫂人は高校中退して職だってまだ決まってなかった。酷い話だけど、そりゃ女の親は向こうを選ぶよね。……結局、櫂人は必要なくなっちゃったのよ」
「そんな…」
顔を歪めた寿士を見て、早苗も同じように辛そうな顔で頷いた。
「流石に荒れて、友達のパブで潰れちゃってね。店に置いとけないってんで、あたしの部屋に連れてきたんだけど、あの頃あたし、ちょっとヤバイ男と付き合ってたからさ」
言いながら苦笑し、早苗は腹が張るのかまた両手で膨らみを擦った。
「遠藤君、あれから櫂人とは?」
「いや、全然会ってないよ。何処にいるのかも、知らないし」
「そうなの?あたし、遠藤君とは会ってるのかと思ってたよ」
「そんな……、俺なんか全然特別なんかじゃないよ。多分、友達でもなかったんだ」
「そんなことないでしょ?だったら、櫂人のアドレスに遠藤君の名前だけが入ってた筈ないよ」
寿士は答えなかった。 大体、櫂人からは1度だって電話をもらった事などなかったのだ。
「誰でもね、櫂人の特別になりたかったのよ。でも、なれなかった。……櫂人が学校を辞めなきゃならなくなった原因を作った女の事、あたしも酷いと思って怨んだけど、でも、気持ちは分からなかった訳じゃない。その子も必死で、櫂人を自分のものにしたかったんだと思う」
「何でみんな、そんなに櫂人が好きなのかな…?」
自分にはどうしても分からない答えを、寿士は早苗に求めて言った。
「さあ?どうしてかなぁ。捕まえられないから、必死になるのかな?はは…、そんなの答えになってないか」
「…いや、そうなのかも知れないよ」
寿士が答えると、早苗はその顔を覗きこむようにして言った。
「ねえ、櫂人に会いたくない?」
「え…?」
寿士が見ると、早苗はポケットに手を入れて名刺サイズのカードを取り出した。
「今、ここで店長やってる。まあ、そう言っても、従業員は2人しかいない小さい店だけど」
渡されたカードには、レストランの名前が書いてあった。
ここから、そう遠くはない。
閉店時間は10時になっていた。
「まだ、開いてるかな?」
「うん、多分。まだ10時前だし…」
「あの……」
立ち上がりながら言いかけると、早苗は全部を聞く前に頷いた。
「いいよ。みんなにはあたしから言っておく」
「あ、ありがとう」
礼を言うと早苗は頷いて笑った。
少々迷いながら、やっと店を見つけると、確かに看板も小さく目立たない店だった。
だが、灯りはまだ点いている。
寿士はゴクッと1回唾を飲み込むと、ドアの取っ手に手を掛けた。
ガラスを嵌めこんだ木の扉の向こうは、テーブル席が4つとカウンターに5席しかない狭い店だった。
閉店間際だったので、客もカップルが1組居ただけだった。
すぐに、“いらっしゃいませ”と言って近付いて来た男が櫂人だと分かった。
そして向こうもすぐに分かったのだろう、寿士を見るなり目を見張った。
櫂人は、余り変わっていなかった。
白いシャツに黒いスラックス。そして、黒いギャルソン風のエプロンを掛け、手には今下げて来たらしい使用済みの皿を幾枚か載せていた。
「あっ、あの…ッ」
挨拶さえ出来ず、再会の言葉さえ掛けられず、ただ焦って寿士は櫂人を見上げた。
「俺…ッ、おまえに言いたかった事があって…」
「え…?」
驚いて、櫂人はただ呆然と寿士を見つめた。
「言いたかったんだ。だけど、…だけど、どうしても言えなくて、だから…ッ」
そこまで言って、店の客がこちらを注目している事に気付いた。
寿士はハッと我に返って口を噤むと、サッと下を向いた。
「ご…ごめん…」
すると、あの時のように櫂人の手が優しく寿士の肩に乗った。
「俺も、聞きたかったよ。…多分、ずっと待ってたのかも知れない」
「櫂人……」
顔を上げると、櫂人は笑っていた。
「なあ、ゆっくり話そうよ」
言いながら、櫂人はカウンターの方を示した。
「あそこで待っててくれるか?」
「う、うん…」
他の客の視線を避けるようにしながら、寿士はカウンターに近付いて腰を下ろした。
勢いでやって来て、そのまま勢いで口走ってしまった。いい大人の癖に見っとも無い事をしたと思った。
確かめもせずにいきなり店に来て、櫂人だって迷惑だったろう。
だが、櫂人は咎めなかった。
(待っていた…?)
本当だろうか。
そして、自分が何を言おうとしていたのか、本当に分かっているのだろうか。
「遠藤…」
呼ばれて顔を上げると、寿士の前にワインの入ったグラスが置かれた。
「あ、いいよ。俺…」
「いいから。俺の奢り」
「悪い…」
「いいって」
「あの…、いい店だな?」
「ああ。まあ、雇われだけどな」
「うん…」
一息つくと、さっきまでの勢いを無くしてしまった。
寿士は所在無げに置かれたグラスに手を伸ばした。
「何度もさ、連絡しようかと思ったんだ」
「え…?」
意外な言葉を聞き、寿士は伸ばした手を止めた。
「ずっと気になってた。遠藤のこと。何でかなぁ…。忘れられなかったよ」
「櫂人…」
見ると、櫂人は照れたように笑った。
「なあ、今夜、大丈夫だよな?店終わるまで待ってろよ?」
「…うん」
「10年分の話、色々あるから」
「うん」
「……俺も、言えなかったこと、ちゃんと言う。だから…」
「うん。……うん」
馬鹿みたいに、同じ事を繰り返すしか出来なかった。
嬉しくて、自然と涙が滲む。
それを隠したくて、寿士はどんどん下を向いた。
会いに来て良かったと思った。
櫂人の特別に、本当に自分がなれていたのかは分からない。
だが、もしかしたら、これからなれるのかも知れない。
そんな気がして、寿士は酷く胸が熱くなった。
捕まえられないから、必死になる。
自分もまた、あの頃からずっと、櫂人を捕まえたくて堪らなかったのだろう。
だが、勇気を出して手を伸ばしさえすれば、櫂人はその手を捕まえてくれたのかも知れなかった。
(10年も掛かった……)
そう思って見ると、櫂人はあの時とちっとも変わらない顔で寿士を見つめて笑った。