水が流れるように
「えっ?いいいいい、今、な、なんて言った……?」
親友の禮児の口から突然飛び出した言葉に、国春は一瞬頭の中が真っ白になった。
「俺はホモだ。そんでもって、おまえに惚れてる。そう言ったんだ」
「そそそ……そんなことおまえ、突然ッ」
目の前の男前な顔を見て何故かカーッと頬が熱くなる。
ふざけているんだと思い込もうとしたが、そうするには禮児の顔は余りにも真剣だった。
大体、同期入社して6年、最初から気が合って研修合宿の時から親友として付き合ってきたというのに、今更こんな事を言われてもどうしていいのか分からない。
そうモテる方ではないが、この6年の間に国春には彼女がいた時期だってあった。
その全てを、禮児は傍にいて見てきたのではないか。
四つん這いでグッと迫って来られ、国春は腰を下ろしたまま思わず後ろへ下がった。
「突然とか言いやがるな。大体おまえが鈍感過ぎるんだ、馬鹿」
少々、腹立たし気に禮児は目を細めて言った。
「だ、だっておまえ、今までそんな事ひと言も…」
「ああ、はっきり言ったことは無かったかも知れねえ。けど俺は、ホモだってことは隠しちゃいなかったぜ。気付かねえ方がどうかしてる」
「そ、そんな事言ったって…」
パニックは治まっていなかったが、国春は過去の事を必死で思い返してみた。
そう言われれば、腑に落ちない点が多々あったような気がする。
大体、女子社員に人気ナンバーワンの禮児なのに、今までに特定の彼女が居た事がない。
いや、それどころか、女の話しもした事がないし、マンションへもしょっちゅう遊びに行っているが、女の影さえ感じたこともなかった。
合コンは人寄せに頼まれてたまに出ているようだったが、一度だってお持ち帰りしたことはなかった。
振り返って見れば、確かに禮児には女の影が無さ過ぎた。
惚れ惚れするような男前で、ジムで鍛えている身体も羨ましいほどに均整が取れている。学生時代ラグビーをやっていた国春に比べればウエイトこそ足りないが、190センチの国春と並んでも数センチしか小さくない。
仕事も出来るし、センスもいい。
こんな、女にモテる為に生まれてきたような禮児が同性愛者だなんて信じられなかった。
(しかも、俺の事が好きだって?)
世の中間違っている。
国春はそう思った。
「だ、だけどよ…、なんで俺?俺はほら、こんなデカぶつだしさ、可愛いトコなんか全然ねえし、好きだなんて言われたって信じられねえっていうか、馬鹿馬鹿しいっていうか…」
まだ後ろへ下がりながらそう言うと、禮児はハーッと溜息をついた。
「あのな、ノーマルな男にも人それぞれ女の好みがあるように、俺たちにだって好みがあるんだよ。俺はおまえみたいなでっかくて厳ついくらいの男が好きなんだ。もうはっきり言わせてもらうがな、国春、おまえは俺のストライクゾーンど真ん中なんだよ」
「ひえええ……」
おかしな声が国春の唇から出て来たが、それは何処か感心するような響きでもあった。
「おまえがノンケなのは勿論知ってる。だから、今まで何も言わなかった。けど、そろそろ俺も限界だ」
「げ、限界…?」
グッとまた禮児が迫ってきた。
今までに近付いた事がないほど目の前に禮児の顔が迫って来て、国春は思わずゴクッと喉を鳴らした。
その時だった。
「ぅんッ…あぁッ……」
後ろの壁からなんとも言えない艶っぽい声が上がった。
「ん?」
グッと眉を寄せ、禮児の動きが止まる。
「ああ…、いい、そこッ……」
それは、明らかに男の、そして性行為による喘ぎの混じった声だった。
「ここ?」
そして、そう訊いた方の声も間違いなく男だった。
すると、視線を壁の方に移していた禮児が、それを国春に戻してまじまじと見つめた。
「と、隣……お仲間らしくって…」
なんとも間抜けな笑みを浮かべ、国春は言った。
去年、隣に引っ越して来たのが男2人だということは知っていた。引越しの日に2人そろって挨拶に来たからだ。
珍しいとは思ったが、最初は、友達同士で住んでいるのだろうと思って疑わなかった。
だが、そうではないと気付いたのはその数日後だった。
今のように、どう考えても“あの時”らしい声が、薄い壁を通して聞こえてきたからだ。
最初はギョッとしたが、他人の趣味に立ち入る気はない。今ではもう国春も慣れてしまって、始まるとTVの音やヘッドフォンで誤魔化したりしていた。
だがまさか、今この時に聞こえてくるとは、余りに間が悪過ぎるではないか。
「ふうん…」
何故か、禮児の目がきらりと光ったように国春には感じられた。
「ハル…」
スッと、また禮児の顔が近付いて来た。
「ま、ま、ままま、待てっ、待て待て、待てッ…」
国春は慌てるとグッと禮児の肩を押した。
「無理だから、俺。わ、悪いけど、無理だってッ」
ピッタリと背中を壁に押し付け、国春は情けない顔でそう言った。
すると、背後から聞こえていたアヤシイ声がぴたりと聞こえなくなった。
「俺…、そういうの無理だ。ゴメン、禮児…」
禮児は無表情だった。
ただじっと国春を見つめると、一瞬、フッと目を閉じた。
「だよな」
それは、あっさりとした、乾いた声だった。
スッと体から力を抜き、禮児は後ろへ下がった。
「安心しろよ。最初から、期待なんかしちゃいねえから」
そう言うと、禮児は立ち上がって上着を掴んだ。
「じゃな。……お休み」
さっさと立ち去って行く禮児の後ろ姿を、国春はやや呆気に取られて見守った。
だが、すぐに我に返ると、立ち上がって彼の後を追った。
「おい、禮児ッ」
だが、禮児は立ち止まらなかった。
後ろも振り向かず、さっさと靴を履くと玄関から出て行った。
「待てよッ、禮児……、禮児ッ」
慌てて後を追ってドアを開けたが、もう禮児は階段を降り始めていた。
「禮児…」
その後ろ姿を呆然と見送っていると、背後に視線を感じて国春は振り返った。
「あ……」
目が合って、相手もばつの悪そうな顔になった。
それは、隣のホモカップルの髭の方の男で、ドアの隙間から顔だけを出していた。隣の争うような声に驚いて、何事かと覗きに来たらしい。
「……ども」
国春が曖昧に頭を下げると、向こうも苦笑いをしながら頭を下げた。
「あの…、大丈夫です?」
心配そうに訊かれ、益々ばつが悪くなった。
「はい。すんません、お騒がせしました」
国春はもう一度頭を下げると、玄関の中に入ってドアを閉めた。
その途端、ハーッと大きな溜息が口から漏れた。
こんな事態を、一体、誰が予測しただろうか。
それとも、国春だけが鈍感で、普通なら気付いた事なのだろうか。
「俺ぁ、どうすりゃいいんだよ…?」
途方に暮れたように呟き、国春は両手で頭をがしがしと擦った。