水が流れるように


-3-

残業だと言っていたので、禮児は多分食べてくるだろうと思った。会社帰りにコンビニに寄って弁当を買い、国春はアパートまでの道を歩いていた。
すると、少し先の塀の影に昨夜のメガネが立っているのに気付いた。
一体何をしているのか、背中を塀に預け腕を組んで自分の爪先をじっと見ている。
近付いて声を掛けようかと思った時、向こうから息を切らして髭の方が走って来るのが見えた。
「おせえんだよッ、1分以内に来いッ」
その姿を見るなり、メガネが言った。
ギョッとして眺めていると、すぐに恥ずかしげに頬を染めメガネは髭に腕を回した。
「おまえが来なかったら、俺は帰れねえだろ…?」
「うん…、ごめん…」
どうやら痴話げんかの挙句、メガネの方が部屋を飛び出して来たらしい。
国春は苦笑すると、方向を変えて別の道から帰る事にした。
まさか、抱き合っている2人の傍を通り過ぎる勇気はなかったのだ。
「男も女も、変わらねえってことか…」
好きだと思う気持ちも、大事にしたいと思う気持ちも、男女だろうと男同士だろうと変わりはないのだろう。
無愛想で可愛げがないと思えた昨夜のメガネが、髭の前ではあんなにも可愛くなる。
それが、愛し合っているということなのかも知れない。
だが、禮児を受け入れたとして、自分はあの2人のような関係を禮児と築く事が出来るのだろうか。
そう思ったが、国春は首を振った。
同じになれる筈はない。
そして、同じである必要は、きっと、ないのだろう。



禮児は9時過ぎに部屋にやってきた。
酷く疲れた様子で、上着を脱いで座卓の前に腰を下ろすと、すぐに煙草に火をつけた。
「ビールか?それとも、コーヒーがいいか?」
「…ビールにするかな」
「ああ、じゃ、待ってろ」
冷蔵庫から缶ビールを2本出し、国春は1本を禮児の前に置いた。
「飯は?」
「食った。課長がラーメン奢ってくれたよ」
「そうか…」
プシュ、とプルトップを起こし、禮児は缶に口を付けるとゴクゴクと中身を飲んだ。そして、フーッと息をつくと国春を見ずに言った。
「話ってなんだ?」
「……分かってんだろ?」
国春が答えると、禮児はまたビールの缶を口に運んだ。
そして、乱暴に濡れた口を拭うと言った。
「余計なことしたって言いてえのか?けど、ああでもしなきゃ、おまえあの子に自分から声を掛けたりしなかったろ?」
「ああ、そうかもな。でも、言いたいのはあの子の事じゃない」
「じゃあ、なんだ?」
「禮児、…おまえ、俺の事を好きだって言ったのは嘘か?俺をからかっただけか?」
その問いに、禮児は唇を歪めるようにして笑うと、持っていた煙草を咥えて深く吸い込んだ。
「馬鹿か…。からかう為なんかに、おまえとの関係を壊すような真似をするかよ?」
国春は持っていた缶をテーブルの上に置くと、目を逸らしたままの禮児の顔をじっと見た。
そんな筈はないと分かっていても、なんだか禮児は泣き出しそうに見える。
国春は胸が詰まるような思いがした。
「俺はな、禮児、おまえの事が誰よりも大事だ。おまえと居る時間が好きだし、誰と居るより楽しい。それを壊したくないし、誰かに壊されるのも嫌なんだ」
国春の言葉に、禮児はやっと彼の顔を見た。
「もし、俺が彼女を作る事でその関係が壊れるなら、俺はもう女は要らないと思う」
「ハル……」
驚いた表情を見せた禮児を見てクスッと笑い、国春は言葉を続けた。
「一昨日はあんまり吃驚して何も考えられなかった。けど、昨夜ひと晩、随分考えた。そして、これ以外の答えは幾ら考えても出なかったよ」
指に挟んだままの煙草がフィルターを焦がし、禮児は慌てて灰皿の中へそれを入れた。
「それ、どういう意味だ?俺の都合のいいように取っていいのか…?」
不安げな目で自分を見た禮児を国春はじっと見つめた。
「なあ、禮児、おまえは俺とどうなりたい?何が何でもセックスしなきゃ駄目か?そうじゃなきゃ、恋人にはなれねえか?」
国春が訊くと禮児はコクッと喉を鳴らした。
「そりゃ、好きなんだからな…、出来るもんならしてえさ。けど、それが1番て訳じゃねえ。大事なのは、そんな事じゃねえと思う」
その答えを聞いて、国春は笑みを浮かべた。
「それなら、俺と同じだよ」
「ハル…」
「俺はおまえの傍にいたい。これが、嘘も隠しもねえ今の俺の気持ちだ。それは、水が流れるように自然に思えることなんだ」
国春の言葉に、禮児の口元にも笑みが浮かんだ。
「水が流れるように…?」
「ああ…」
「ふうん…」
「俺は男同士のことは何も知らん。だから、気長に待ってくれよ。そんで、徐々に俺を懐柔してくれ」
「いいのか?そんな事言って…。俺は、おまえが思ってるよりずっと執念深いぞ。何しろ、6年も待ったんだからな?」
禮児の言葉に、国春は笑った。
「ああ、もう覚悟してる」
「ハル…」
禮児の身体が近付き、国春をグッと抱き締めた。
ハーッと安心したように禮児が息を吐いたのを聞き、国春は胸が熱くなるのを覚えた。
自然と、国春の腕にも力が篭る。
「ハル、気持ち悪かったら言えよ?」
耳元で禮児が囁いた。
何のことだと訊こうとする前に、唇がキスで塞がれた。
「む……ん…」
正直言って、少々焦ったのは確かだった。
(気持ち……、悪くはねえな…)
そう思って、国春は禮児の背中に腕を回した。
伸び掛けていた禮児の髭の感触が妙にくすぐったい。息苦しくて唇を開くと、そこに熱い舌が入り込んで来た。
にゅるん、と絡められて、思わずビクッと身体が震えた。
だが、押し返す気にはならなかった。
(駄目だ……。全然悪くねえ…)
舌を吸われても嫌じゃなかった。
「ん…ッ」
チュッと音を立てて一瞬離れたが、再び戻って来てまた深く重なる。それと同時に、国春はゆっくりと押し倒されていた。
禮児の身体の重みが愛しく感じる。煙草とビールの味も、何故かちっとも不快ではない。
国春は自分も禮児の舌を捉えると、絡ませて、そして強く吸った。
「は…」
唇を離して禮児が息を吐いた。
その顔を見上げると、まだ目を閉じたままで、濃い睫がゾクッとするほど艶めいて見えた。
カーッと、急に全身が熱くなり国春は慌てた。
(なんだ俺?全然、イケるぞ…)
気付かなかっただけで、自分の感情もまた、とっくに禮児と同じものだったのかも知れない。だからこそ、こんなにも大切に思えるのだろう。
(畜生、男前だなぁ……)
目を開いた禮児にじっと見つめられ、国春はまた、ゾクゾクと背筋が震えるのが分かった。
「ひとつ訊いていいか?」
「うん?なんだ?」
僅かに眉を寄せて禮児が言った。
「やっぱり、その……、俺が下か…?」
恐る恐る訊ねると、ニヤリと禮児の唇が動いた。
「当然」
「そうか…、やっぱりな…」
力無く国春が笑うと、禮児は楽しそうにクスクス笑った。
「大丈夫だ。今まで待ったんだからな、急いだりしねえよ。ハルがその気になってくれるまでのんびり待つから」
「ああ、そうしてくれ…」
「そうだ。隣のカップルにレクチャーしてもらったらどうだ?」
「まさか…」
国春が笑うと、禮児は笑いを引っ込めてじっとその顔を見た。
「ハル…」
「うん…」
国春も笑みを引っ込めると、ゆっくりと目を閉じた。
禮児の唇がまた重なり、国春はその身体をしっかりと抱いた。
脳裏に、一瞬、さっき見た隣のカップルの抱き合う姿が浮かんだ。
(俺たちには、俺たちの形がある…)
決して、同じものはひとつもない。
だがきっと、抱き合う2人の間には、いつも同じ想いがあるのかも知れない。
そんな風に感じて、国春は禮児の温かい背中をゆっくりと愛しげに撫でた。