手の内


-3-

個室の座敷でまた高級な料理をご馳走になったが、味など少しも分からなかった。
酒も少し飲んだが、ちっとも酔わない。
社長が僕を見る視線ばかりが気になって、ソワソワと落ち着かなかった。
「食欲が無いのか?」
「……はい」
僕が答えると、社長は少し笑った。
「俺が怖いか?」
「はい…、怖いです」
正直に答えると、また笑みを浮かべる。怒っている様子は無かった。
「俺が嫌いか?」
今度の質問には、何故か即答出来なかった。
あんなに酷いことをされ、僕の意思など関係なく振舞う彼を、何故か僕は嫌いになれなかったからだ。
答えずにいると、社長はじっと僕を見つめて言った。
「こっちへ来い」
今度は、僕も首を振った。
「いや…」
「来るんだ」
鋭い視線に射抜かれて、僕は唇を震わせながらゆっくりと立ち上がった。
何故、逆らえないのだろう。
僕はそう思いながら彼の方へ歩いて行った。
傍へ行くと腕を引かれ、彼の前に膝を突いた。
「お願いです…、まだ身体が…。今日は許して下さい」
訴えると、社長は震える僕の身体を両手で抱き寄せた。
「分かった。許してやる」
低い声でそう言うなり、彼は僕の唇を奪った。
思わず引きそうになった僕の身体を強引な腕が絡め取る。
こんなに熱いキスは初めてだった。
恐ろしいほどにドキドキと鼓動が早まり、耳の後ろが熱くなる。すぐにぼうっとなって、僕は何をされても逆らえなくなっていた。
舌を捏ねられて喘ぐと、脚から力が抜けていき、僕は縋るようにして社長の身体に掴まった。
「どうした?嫌だったら逃げろ」
僕がそう出来ない事を確信している声で彼は言った。
悔しくて目を伏せたが、僕の身体は動かなかった。
「逃げないなら、もうおまえは俺のものだ」
静かだが、有無を言わせぬ口調だった。
目を上げると、その視線が僕を射抜く。
そして僕に、もう逃げられない事を悟らせた。
「いつも……こんなことを……?」
何故か気になってそう訊いた。
僕の他にも、こうやって周りの人間に手をつけているのだろうか。
「馬鹿を言うな」
笑いながら彼は答えた。
「気に入ったものだけだ」
僕が目を上げると、指が頬を撫でた。
「……気に入ったものは、中々ない…」
なら僕は、彼にとって特別だと思っていいのだろうか。
そう思った時、恐ろしいほどに胸が熱くなるのを感じた。
「何故…?」
だが、何故僕なのだろう。
そう訊こうとしたが、最後まで言わせてはもらえなかった。
「もう、黙れ」
そしてまた、唇が押し付けられた。
「ふ……ぅ…」
今度はもう、最初から、僕の腕は彼の体にしがみ付いていた。
熱く激しい舌の愛撫が、下半身を疼かせる。
痺れるような感覚に襲われ、思わず腰が揺れてしまう。
何度も喉を鳴らしたが、飲み切れなかった唾液が唇の横から漏れ糸を引いて伝ってゆくのが分かった。
唇が離れても、僕はしがみ付いたまま社長の顔を見上げた。
「厭らしい奴だな。そんな、もの欲しげな目をして」
笑われて頬に血が上った。
身体を離そうとすると、社長の手が僕の股間を(まさぐ)った。
「……ッ…」
硬くなっているのを確かめて、また彼の口元に笑みが浮かんだ。
「だが、そんな処もいい…」
「最初から……、そういうつもりで僕を選んだんですか…?」
「気に入ったから、おまえにしたんだ」
言いながら、手が移動してシャツの裾をズボンの中から引き出した。そして、その裾から手が入り込んできた。
「俺は気に入らんものを傍には置かん」
「気に入ったら、みんなセックスの相手をさせるんですか?」
すると、社長はまた面白そうに口元に笑みを浮かべた。
「いいや。手を付けたのはおまえだけだ」
シャツの下に入り込んできた片手が脇腹を撫で上げ、親指が滑って硬くなっていたその部分を探り当てた。
ビクッと身体が震え、僕が身を引こうとすると、背中を支えていた片腕にグッと反対に引き寄せられた。
「嬉しいか?」
訊かれて、僕は悔しくて首を振った。
僕だけだと知って、本当は嬉しかったからだ。それを言い当てられたことが、悔しくて堪らなかった。
そして、何より、嬉しいと思ってしまった自分が1番悔しかったのだ。
「嘘をつけ」
言いながらまた、社長は笑った。
「身体は正直だ…」
「んあっ……」
指先でクリクリと弄ばれて思わず声が出てしまった。
恥ずかしくて下を向くと、その耳元で社長が言った。
「明日からは、いつでも出来るようにしておけ。いいな?」
驚いて顔を上げたが、僕は結局、嫌だとは言えなかった。



あれから2週間、彼は本当に自分の気の向くままに僕を抱いた。
僕はもう、逆らうこともなくなった。
すべては無駄だと知ったからだが、でも、もうそれだけではない事に自分でも気付き始めていた。


足音で、社長が近づいて来たのが分かった。
腰に手を回されて、僕の動きが止まる。
「早く、それを戻してしまえ」
手に持ったファイルはもう1つだけだった。それを僕が棚に戻すのと、彼が僕のズボンのファスナーを下ろすのは同時だった。
「こんな所で……、嫌です。誰か来たら…」
「ここには誰も来ない。もう、知っている筈だ」
もう下着まで下ろされ、僕は資料の棚に両手を突かされた。
「お願い…ッ。無理に入れないで…」
「痛いのが嫌だったら慣らしておけと言った筈だ」
「そんなこと…・・」
幾らなんでもそこまでは出来ない。僕が首を振ると、社長は容赦なく両手の親指で双丘を割った。
「ちゃんと、濡らしてあるな?」
僕が頷くと、そこに硬いものが宛がわれた。
そして、すぐにメリメリと食い込んでくる。
「あぅっ……、いた…、いた…いぃ…」
「力を抜け。もう、いい加減、慣れたらどうだ」
勝手なことを言うと思った。
だが、何故だか腹が立たない。
もう身体だけではなく、心さえ、彼に抱かれる事を受け入れてしまったからだ。
そして身体は、すぐにその大きさに慣れてしまう。
「ん…んっ…」
痛みが減り、段々に声を抑えていることが辛くなる。
そうなるともう、身体が勝手に快感を追い求めた。
「もう、イきそうか…?」
耳元で低く囁かれて、僕は喘ぎながら頷いた。
「このままだと、ファイルにかかるぞ」
「いや……ぁっ……」
僕は慌ててシャツの裾を掴んだ。



トイレで汚れたシャツを洗い、僕が社長室に戻ると、テーブルの上には新しいシャツが載っていた。
誰かに急いで買いに行かせたのだろう。
僕の方を見ようともせずに、社長はそれを顎で指した。
「着替えろ」
「はい…」
素直に頷いて、僕はそれを手に取った。
こんな事は初めてではなかったので、もう驚くことはなかった。
勝手なことばかりしているように見えて、彼は必ず僕が困らないようにフォローしてくれるのを忘れなかった。
「由委」
「はい?」
着替えている途中で呼ばれ、僕が顔を上げると、社長はじっと僕を見ていた。
「明日から家に来い」
「え……?」
「家から大学へ行け」
「それは……、社長の家に住めということですか…?」
驚いて聞き返すと、社長はすぐに頷いた。
「そうだ。夜も傍に居ろ。もっとゆっくり、おまえを抱きたい」
僕は驚いて、すぐには返事が出来なかった。
「明日、迎えをやる」
だが、彼は僕の返事など待ってはいなかった。
決め付けるように言うと、もう手元に視線を落としてしまった。
いつだって、拒絶する事は許されない。
僕はまだ前を(はだ)けたまま、デスクを回って彼の傍へ行った。
勢い良く近付いて行った僕に、さすがに驚いたのか彼は顔を上げた。
その首に腕を回し、僕は彼の膝の上に乗った。
「なんだ?」
驚いたようだが、彼は怒らなかった。
その強い光を帯びた瞳を見つめ、僕は言った。
「キスしてください…」
すると、僅かに笑った口元で彼は僕にキスをしてくれた。
「それで……?」
唇を離すと、彼は面白がっているような表情でそう訊いた。
「僕をどうしたいんです?貴方にとって僕は、一体なんなんです?……・どうして?どうして……僕なんですか……?」
苦しかった。
何一つ確信の持てない今の自分の立場が、僕は苦しくて堪らなかった。
そんな僕を嘲笑うかのように、社長は僕を膝に乗せたままゆっくりと椅子の背凭れに身体を預けた。
口元に浮かべた満足げな笑みはまだ消えない。
泣きそうになっている僕を下からじっと眺めると、僕の腰に両手を回して指を組んだ。
「分かってるか?そんなことを俺に訊く時点で、おまえはもう俺の手の中にいる」
僕の瞳から涙が零れて落ちた。
そうだ。
勿論、もう僕にも分かっている。
僕はもう、とっくに落ちている。
だからこそ、彼に何の言葉も貰えないことが辛くて堪らないのだ。
あの面接の日に、彼のこの視線に射抜かれた時から、もう僕は抗えはしなかったのだ。
「言葉が欲しいか…?」
言われて、僕は目を上げた。
「そんなものがなんになる?偽りじゃ無いとどうして分かる?」
それには答えず、僕は彼の身体にしがみ付くと、その肩に頬を押し付けた。
「悔しい……」
ほんの少しの抵抗さえ出来ずに、こうして彼の手の中に落ちてしまった自分が悔しくて堪らなかった。
そして、もう後戻りが出来ない事は自分自身が一番良く分かっていた。
クスッと彼の笑うのが耳元で聞こえた。
「俺の家に来るな?」
僕は諦めて目を閉じると彼の肩の上で頷いた。
「はい…」
僕が小さく返事をすると、社長の手がゆっくりと項を撫で始めた。
本当に、言葉なんか要らないのかも知れない。
僕の髪を撫でる彼の手が、思いの他に優しい事に気付き、僕はしがみ付いていた彼の肩に、更にギュッと頬を押し付けた。