手の内
-2-
すぐに何かを持って来ると、社長の指がまたそこに戻って来た。
今度はヒヤリとする何かが塗り付けられ、その滑りと共にするりと指が侵入してきた。
「うぐ……」
痛みと羞恥心で泣きたくなった。
だが、僕の様子など気に止める風も無く、社長は容赦なく指を動かして僕のそこを押し広げていった。
やがて、指が抜かれ僕の身体も、一旦、息をついた。
だが、それも束の間、すぐにもっと恐ろしいほどの痛みが僕を襲った。
「いやぁぁ……ぁっ…」
さすがに耐え切れなくて僕が叫ぶと、その身体を上から抑え付け膝が僕の脚をグッと割る。
「痛いぃぃっ、いた…い……ッ」
張り裂けそうな痛みに僕は叫んだ。
「もっと力を抜け」
「でき…ない……。出来ませんッ…」
泣きながら叫ぶと、また舌打ちが聞こえた。
だが、すぐに手が僕の股間に届き、そして意外にも優しい愛撫が始まった。
全身から噴出していた汗が、ヒヤリと冷たく感じる程に僕の身体から力が抜けていった。
「もう少し腰を上げろ。手が動かん」
言われて僕は両手を胸の下に抱え込むようにして腰を浮かせた。
「ん……んくぅ…」
巧みな愛撫に、段々に、また身体が熱くなる。
すると、社長の身体が、また更に深く僕の中に抉るように入り込んだ。
「ぁうっ……」
思わず引こうとした腰を、両手が強い力で阻む。
そして、掴まれたまま、激しく揺すられた。
結局そのまま、僕は社長が満足するまで離してはもらえなかった。
終わった後、僕はもう指1本動かせなくなっていた。
「そこで少し休んでいろ。仕事が片付いたら送ってやる」
まるで何事も無かったようにそう言うと、社長はデスクに戻ろうとした。
「あの…」
掠れた声で僕が呼ぶと、脚を止めて振り返りソファに横になったままの僕を見下ろした。
「なんだ?」
「これも、給料の内ですか……?」
無性に悔しくて彼を詰りたかったが、出て来たのはそんな言葉だった。
高額なアルバイト料には、こんな行為の代償も含まれているのだろうか。
「馬鹿を言うな」
社長は口を歪めてそう言っただけで、すぐに自分のデスクに座ってしまった。
僕は目を瞑り、何故抵抗もせずに抱かれてしまったのか、そのことばかりを考えていた。
2時間ほど休むと何とか動けるようになり、社長は僕の為に運転手付きの自分の車を呼んでくれた。
それに乗って家まで送ってもらうと、夜中だというのに母が起きて待っていた。
勿論、僕はもう、明日から会社に行くつもりは無かった。
その事を言おうとすると、先に母が口を開いた。
「お兄ちゃんがいい仕事を見つけてくれて良かったわ……」
「え…?」
母の口調が、何だかおかしいと感じて僕は聞き返した。
「父さんね、借金もあったのよ…。会社を辞めさせられたの、暫くは家族に黙ってたでしょ?その間に、誰かの口車に乗ったらしくて……」
以前の同僚にうまい話を持ち掛けられて、騙されてしまったらしい。母が言うには、知らない内に貯金も殆ど無くなっていたのだと言う。
「嘘だろ…?」
「嘘なら良かったわ……」
そう言った母の目には悔しげな涙が浮かんでいた。
「そんな…」
「ごめんね。お兄ちゃん…」
結局僕は大学を辞めなければならなくなった。
そして、辞めようと思っていたアルバイトを辞めることは出来なくなってしまった。
今や、僕のバイト料が家族の生活費として当てにされているのだ。
「弓ちゃんもアルバイトして授業料くらい何とかするって言ってくれたし、母さんも仕事探すから…」
高校生の妹までが働くと言っているのに、益々、自分が辞める訳にはいかない。
しかも、こんなに高額なアルバイト料を払ってくれる仕事は他には無いだろう。
「分かった……」
それだけを言うと、僕は自分の部屋に入った。
もう、風呂に入るのさえ面倒だった。
体中が痛み、そして虚脱感と疲労感が僕の全身を襲っていた。
翌日、僕は恐怖に駆られながら出社して、社長室へ行った。
すると、僕が部屋へ入るなり、社長は僕を見て言った。
「大学を辞めるそうだな?」
事務の方にアルバイト時間を増やして欲しいと掛け合ったのが、もう耳に入ったらしい。
「はい…」
頷くと、社長はじっと僕の顔を見た。
「辞めてどうする?勉強するのは嫌いじゃ無さそうだが」
「家庭の事情で…。辞めなくてはならなくなったので」
「金か?」
訊かれて、一瞬戸惑ったが、僕は頷いた。
すると、社長は驚くようなことを事も無げに言った。
「金なら俺が出してやる。だから辞めるな」
「な……?」
「分かったら仕事しろ」
「あ…、あのっ…」
言うだけ言うと、書類に目を落としてしまった社長の方に、僕はデスク越しに身体を乗り出すようにして言った。
「そんなこと、貴方にしてもらう謂れは有りません」
「謂れ…?」
グッと社長の眉間に皺が寄せられたが、僕は構わずに先を続けた。
「経った2日間の付き合いしかしていない人に、金を出してもらうなんて、そんなこと……ッ」
一体、彼は僕をなんだと思っているのだろうか。
昨日の仕打ちを悔やんで、その慰謝料でも払う気なのか。
それにしては高額過ぎるだろう。
それとも、僕を妾にでもしたつもりなのだろうか。
そう思うと悔しくて堪らない。彼の施しなど、絶対に受けるものかと思った。
すると、社長は口元を歪めるようにしてフッと笑った。
「誰も、やるとは言っていない」
「え……?」
「大学を卒業すれば、就職するんだろうが?そしたら少しずつでも返してくれればいい。そこらの金融会社から借りるよりはいいだろう?俺は金利も取らんし、何年掛かったって構わん」
「そ……」
確かに、そんな出世払いでもいいのなら返せない訳では無いだろう。
だが、どうして僕にそこまでしてくれるのだ。やはり、昨日の事を彼なりに悪いと思っているのだろうか。
そう思って緩めかけた僕の表情は、次の彼のひと言でまた強張った。
「それとも、身体ででも払うか?」
馬鹿にするような口調に、僕の頭に血が上った。
「な……ッ」
カッとして口を開こうとすると、またせせら笑いながら社長が言った。
「冗談だ。仕事しろ」
僕に対する昨日の仕打ちなど、彼は微塵も気に掛けていないことが分かった。
このまま、僕の気持ちなど気にも留めてはもらえないのかと思うと、悔しいよりも先に悲しくて、僕はファイルの束を掴むと逃げるようにして部屋を出た。
金で僕を縛る気か……。
そう思ってすぐ、また僕は思い直した。
そんなことまでする意味が、一体何処にあるのだろう。僕を自分の下に留めて置きたいとでも思っているというのか。
だとしたら、その意味はなんだろう。
急に、胸が高鳴るのを感じた。
(何故……?)
抱えたファイルをギュッと強く抱きしめ、僕はその場に脚を止めた。
あんなことをした男を、何故僕は憎まないのだ。
その日は、昨日よりも早く仕事が終わり、僕は社長に挨拶をして帰ろうとした。まごまごしていると、また何をされるか分からないと思ったからだ。
だが、そんな僕を彼はまた引き留めた。
「飯に付き合え」
上着を着ながらそう言う彼に、僕ははっきりと首を振った。
「嫌です。今日は帰らせていただきます」
すると、社長は面白いものでも見るような表情で僕を見た。
すっと手が伸びて、僕の顎を掴む。そして、僕の目を覗き込むようにして彼は言った。
「付き合えと言っている」
「い…や…」
その目に見つめられて、僕の声から勢いが失われていった。
顎を掴んでいた手が離され、そしてそのまま、指が僕の頬を撫でた。
「付き合え」
指の甲が頬を撫で上げ、ゆっくりと僕の耳へと上ってくる。そして、項へと辿り着いた。
ゾクゾクと、僕の背筋が震える。
見つめていられなくなり、僕はついに目を閉じてしまった。
その時点でもう、僕の負けだった。
結局僕は、社長の車に乗り、料理屋へ運ばれて行った。
本当に、彼は一体、僕をなんだと思っているのだろうか。
それが知りたくて堪らない。
自分が彼にとってどういう位置にいるのか、僕は無性に知りたかった。