イヌ・3


-7-

夕方になっても隆哉は帰らず、夏樹は心配になって探しに出た。
知らない土地なので、そう遠くへ行く事はないだろう。
多分、海岸辺りを歩いているのではないかと思い、夏樹は海水浴客も殆ど居なくなった海へと向かった。
すると、海の方を向いて堤防の上に座っている隆哉の姿を見つけた。
その後ろ姿を見ると、夏樹の胸は詰まった。
折角、こうして来てくれた隆哉に対して無神経なことばかりしてしまった。嫉妬されて嬉しいだなんて不謹慎だった。
あんな寂しそうな後ろ姿でひとりっきりで座らせているなんて、自分はなんて馬鹿なのだろうか。
「リキ…」
近寄って行って後ろから声を掛けると、隆哉は振り向く代わりに少し項垂れた。
「ごめん…」
「ううん。俺こそ、ごめん」
夏樹が素直に謝ると、隆哉はやっと顔を上げて振り返った。
「折角リキが来てくれたのに。嫌な思いさせて悪かったよ」
「夏樹…」
自分の為に予定を変更して来てくれた隆哉だった。それを思うと、夏樹はきちんと自分の気持ちを話さなければいけないと思った。
「リキが来てくれて、ホントに俺、嬉しくて…。恥ずかしがってカッコつけて、ちゃんと言えなかったけど、ホントに俺、リキとずっと一緒にいられるんだって思ったら、嬉しくて堪らなかったんだ。だから…、だから…」
夏樹は隆哉の背中に顔を押し付けた。
「帰らないでよッ」
隆哉の身体が動いて夏樹の方を向くと、すぐに両手がその体を抱き寄せた。
一瞬、しがみ付いたが、夏樹はすぐに身体を離した。
すぐ近くに人影はなかったが、遠くにはチラホラとまだ海で遊ぶ人達が居たのだ。
隆哉は苦笑すると、夏樹に向かって頷いた。
「帰ったりしないよ」
「ホント?」
「うん。俺だって、夏樹に会いたくて飛んで来たんだから。もっともっと、沢山、夏樹と一緒にいたい」
「リキ…」
隆哉のシャツの裾を掴んで、夏樹は目を伏せた。
「今晩、リキの部屋で寝る。あそこは、鍵が掛かるから…」
それで意味は伝わる筈だと思った。
そして、その通りに隆哉にはちゃんと伝わった。
「今晩だけ?」
訊き返されて夏樹は真っ赤に頬を染めた。
「ずっとでも、いいけど?」
「じゃあ、ずっとがいい」
「うん…」
夏樹が頷くと、隆哉は嬉しそうに笑った。
引っ張り上げてもらって、夏樹も堤防の上に並んで腰を下ろすと海を見つめた。
「明日は一緒に泳ごう?お盆になると海へ入れないから」
「うん。夏樹、嫉妬して、ごめんな?」
言われて夏樹は首を振った。
「ううん…。ほんとは、ちょっとだけだけど、嬉しかった」
「え…?」
「だって、リキが焼き餅やいてくれるなんて思わなかったもん」
「どうして?俺、多分、かなり嫉妬深いみたいだけど」
恥ずかしげに隆哉は言ったが、夏樹は曖昧に笑って目を逸らした。
自分が彼を好きなほど、多分、隆哉は自分を好きではない。心の底で、夏樹はいつもそう思っていた。
それは、夏樹の劣等感がそうさせているのだが、今度の事で少しだけその劣等感が拭われたような気がしたのだ。
「13日にお祭りがあってさ、夜は花火なんだ。海の上に船を出して、そこから上げるんだぜ」
「へえ。綺麗だろうなぁ…」
「うん。まあ、そんなに大きな花火大会じゃないけどさ、海上花火ってのが一応ウリなんだよ。海の上に半円形に花火が広がってさ、綺麗だよ」
「ふうん。楽しみだなぁ」
「ここの堤防も、花火見物で人がいっぱいになるから、リキが泊まる部屋の窓が、実は特等席なんだー」
「そっか。あそこからなよく見えるよなぁ。ふうん、じゃ、ゆっくり家で見物出来るね」
「うん、リキ…」
「うん?」
「来てくれてありがとな…」
照れ臭くてそっぽを向いたまま、夏樹はボソッと言った。
その、真っ赤になった耳朶を嬉しそうに見つめ、隆哉は頷いた。
「こっちこそ、誘ってくれてありがと」
「うん。あの、俺さ、もう1個、リキに謝んなきゃなんないんだ…」
「え?何を?」
怪訝そうに訊き返した隆哉をチラリと見て、夏樹はコクッと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「前、初めてチューした時、俺、ファーストキスだって言ったろ?」
「あ、うん…」
「あれ、違ってたんだ」
「え?」
眉を寄せた隆哉を見て、夏樹はまた不安げな顔になった。
「俺も忘れてたってか、全然記憶に無かったんだけど、ファーストキスは鉄ちゃんだったみたい」
恐る恐るそう打ち明けた夏樹に隆哉は言った。
「それ、幾つの時の話?」
「うーん、確か、俺が幼稚園の時だって」
その答えに、隆哉はプッと吹き出した。
「そんなの、ファーストキスに数えなくてもいいんじゃないの?夏樹が覚えて無かったくらいなんだし、赤ちゃんを可愛いと思ってするのと同じようなものだろ?」
隆哉の言葉に夏樹はホッとして笑みを見せた。
「やっぱ、そう思うか?でも、ちゃんと言わないと悪いと思って。嘘ついたみたいでやだし」
「うん。言ってくれてありがと。でも、これからもずっと、夏樹のファーストキスは俺だって思うことにするよ」
「うん。そう思ってくれたら嬉しい…」
素直に夏樹が自分の気持ちを言うと、隆哉も嬉しそうに笑って頷いた。
隆哉が不快に思わなくて良かった、と夏樹は思った。
やはり、きちんと打ち明けて良かったのだ。もう、これからは何でも隆哉に言おう。そうすればきっと、もっともっと近づけるのかも知れない。
そう思って見上げると、隆哉は腕を上げて大きく伸びをした。
「うーん、日が傾いてきたなぁ。さ、そろそろ帰ろうか?何も言わないで出てきちゃったから、小母さん達も心配してるかも」
「うん、そうだな」
頷いて向きを変えると、夏樹は堤防からぴょんと降りた。
2人の影が、大分長くなって並んで着いて来る。
風も幾分涼しくなってきたようだった。


家の近くまで戻って来ると、2階の自室の窓から鉄太が此方を見ているのが見えた。
(あ……)
さっき、電話で声を聞かれた事を思い出し、夏樹は思わず頬を染めた。
すると、何を思ったのか鉄太が此方に向かって手招きをした。
それを見た途端、隆哉が夏樹の手をギュッと掴んだ。
「リキ…」
「行くの?」
少し強張った調子で訊かれ、夏樹は迷った。だが、隆哉を見上げると頷いて見せた。
「多分、さっきの電話のことだと思う。俺、ちゃんと説明してくるから」
「え?」
「前に、リキのこと、彼氏なんだろって言ったんだ、鉄ちゃん。その時は違うって言ったけど、俺、ちゃんとホントのこと言ってくる。その方がいいと思う」
「夏樹……」
驚いた顔で隆哉は夏樹を見た。
彼にとって、夏樹の言葉は余程思い掛けないことだったのだろう。
男同士で付き合っている事を誰にも知られたくないと思っているのだろうと、隆哉は考えていたに違いなかった。
「あの時、電話でも言ってたし、俺…、鉄ちゃんは男同士とか、そう言うの差別しないと思う。だったら、ちゃんと知っておいてもらった方がいい」
親や他の友達に自分から打ち明けるつもりはないが、それでも隆哉と自分の関係を、話せる人には話してしまいたいと夏樹は思った。
何故なら、本当は、隆哉が自分の相手だという事を自慢したいほどに誇り思っているからだ。
その目を見て夏樹の想いが伝わったのか、隆哉の表情も柔らかくなった。
「一緒に行こうか?」
訊かれて、夏樹は首を振った。
「ううん。大丈夫。先に帰っててくれよ」
「分かった」
頷いた隆哉を残し、夏樹は鉄太の家に入って行った。
玄関のチャイムを押すと、すぐに鉄太がドアを開けてくれた。
「よ…」
笑ってはいたが、鉄太の表情はなんとなく複雑だった。
夏樹の方も少々強張った笑みを見せて挨拶代わりにぴょこっと頭を下げた。
「ま、上がれよ」
「うん。お邪魔します」
玄関でビーチサンダルを脱ぐと、夏樹は鉄太に着いて2階へ上がった。
部屋に入ると、鉄太が身振りで座るように示し、夏樹は素直に彼のベッドの上に腰を下ろした。
「あ、あの…、鉄ちゃん、さっきの電話の事だけど…」
緊張した空気が嫌で、夏樹は言われる前に自分から切り出した。
すると、勉強机の椅子を引き出し逆向きに腰を下ろした鉄太が、背凭れに腕を乗せて夏樹をじっと見た。
「あ、あれは…、その…」
言い出したはいいが、なんと説明していいか分からず、その先が出て来ない。夏樹が口篭ると、反対に鉄太が口を開いた。
「あいつが彼氏だってのはすぐに分かったよ。てか、あいつが現れる前に夏樹の相手が男だってのは見当ついてたけどな」
「う、うん…」
確かに最初から、鉄太はそれを見抜いていたようだった。
だが、最初のからかうような調子とは、今の鉄太は明らかに違っている。それは勿論、さっきの電話の所為なのだろう。
「付き合ってんだから、そりゃ普通の友達とは違うだろうと思ってたし、俺は同性同士の関係を差別するつもりも無い。けど、正直言ってちょっとショックだった」
「鉄ちゃん…」
じっと見つめられて、夏樹は思わず視線を逸らした。
「性的な事を全くしてないとは思ってなかったけど、それは、抜き合うくらいの可愛いことだとばっかり思ってたんだ。……でも、夏樹、おまえあいつとセックスしてんだろ?」
はっきりと訊かれて、夏樹はドキンと胸が鳴るのが分かった。
だが、それを恥じてはいない。夏樹はそう思って顔を上げると、鉄太の事を正面から見た。
「してるよ。だって、好きなんだもん。俺、リキの事、すげえ好きなんだ…」
言った途端に、熱いものが込み上げた。
口に出すと、自分の感情の輪郭がはっきりと見えて、それだけで泣きたくなる。 そして、泣きたくなるほど、隆哉が好きなのだと、夏樹は改めて感じていた。
「なら、強要されてる訳じゃないんだな?」
心配そうに言った鉄太に、夏樹は慌てて首を振って見せた。
「ち、違うよッ。だって……、俺だって、リキと…」
さすがに恥ずかしくなり、夏樹は段々に小声になると真っ赤になって口を閉じた。
フッと溜息が聞こえ、夏樹が顔を上げると鉄太は笑っていた。
「なら、いいんだ。夏樹がちゃんと分かっててそうしてるなら、俺は何も言わないよ」
「え?」
「まあ、こーんな小さい時の夏樹を知ってる俺としては、正直ショックだったのは確かだよ」
言いながら鉄太は自分の膝の辺りに手をやった。
「それが、あんな色っぽい声を聞かされたんだもんなぁ。吃驚したよ」
ニヤニヤと笑われて、夏樹はまた真っ赤になった。
「オトナになったんだな、夏樹も…。なんだか、ちょっと寂しいわ」
しみじみとした口調でそう言うと、鉄太は苦笑した。
恐らく、鉄太にしてみれば、夏樹の兄のような気持ちだったのだろう。今度もきっと、夏樹の事を心配して呼んだに違いなかった。
「なんだよ?それ。オッサン臭せえの…」
鉄太の気持ちがくすぐったくて、夏樹はわざと憎まれ口をきいて口を尖らせた。
その唇を、鉄太は手を伸ばしてムニュッと摘んだ。
「やっ…」
夏樹がパッとその手を払うと、鉄太は笑った。
「あんま、無茶すんなよ?」
「分かってるよ…」
何の事を言っているのかすぐに気付いて、夏樹はまた頬を染めた。
「あ、そうだ…」
何かに気付いて立ち上がると、鉄太はクローゼットの前に置いてあった大きな旅行用のバッグに手を突っ込んで、ゴソゴソと何かを探し始めた。
「まさか、ゴムは使ってんだろうな?」
「つ、使ってるよッ」
「そっか…」
探していたモノを見つけたらしく、鉄太は立ち上がって振り向いた。
「ほれ。こういうの使ってるか?」
差し出されて思わず受け取ったが、夏樹にはそれがなんだか分からなかった。
「なに?」
すると、鉄太は夏樹の傍へ寄ってきてしゃがむと、またニヤニヤと笑いながら下から見上げて言った。
「ローション。潤滑剤だよ。何処に使うかは分かるよな?」
「えっ?」
カーッと忽ち真っ赤になった夏樹を見て鉄太はまた楽しげに笑った。
「まあ、これは男女用のだけどな。男同士でヤル時に使うヤツも多いらしい。その方が、夏樹の負担が軽くなる筈だ」
絶句したままローションのチューブを見つめる夏樹の背中を、鉄太はポンと叩いた。
「これ、夏樹にやるから使ってもらえよ。けど、程々にな?」
最後は耳元で囁くように言われ、夏樹はビクッとして体を離すと鉄太を見た。
すると、楽しげにクスクスと笑い、鉄太はまた夏樹の背中をポンポンと叩いた。