1℃


-9-

週が明けた月曜日、重光は言った通り、ピアスを外し、髪を黒く染めて登校した。
周りの生徒は彼の変化に戸惑っているようだったが、それよりも噂になっていたのは双子の事だった。
あの後、海は家から姿を消したらしい。
何処へ行ったのか行方も分からないという話だった。
陸はと言えば、一人で登校し、誰とも口を利かず、また一人で帰って行った。
先にHRが終わった重光が、遠慮がちに黒田のクラスの戸口に立った。
それを見つけ、黒田が笑顔で近づくと、重光は周りを気にしながらぎこちなく笑みを浮かべた。
今まで接点がなかった二人が親し気にしているのを見て、周りは驚いているようだった。だが、黒田は全く気にせずに重光を促して昇降口へ歩き出した。
「黒い髪も似合うよ」
「そうか?なんか、自分じゃねえみてえで落ち着かねえけど」
そう言いながら、重光は自分の髪を弄った。
「今日、塾?」
訊かれて黒田は頷いた。
「あのさ…、雪は勿論、大学行くんだろ?」
「うん、そうだね」
黒田が答えると、重光は黙って頷いた。
その様子が、なんだかおかしい。昇降口で靴を履き替え、また一緒になると黒田は言った。
「どうかした?」
「ううん…。何処の大学行くのかな、と思っただけ…」
「まあ、一応志望校は決めてるけど…」
「あの…、そこさ、遠い?」
「うーん…、まあ、まだ入れると決まった訳じゃないけど、入れたとしたら家からだとキツイかなぁ。まあ、頑張れば通えなくはないけど…」
それを聞いて重光は少し項垂れた。
「そか…」
その様子で、黒田は気が付いた。
まだ2年生だが、卒業したら会えなくなるのではないかと心配しているらしい。
(可愛いなぁ、もう…)
相好を崩しそうになり、黒田は慌てて顔を引き締めた。
「俺が下宿したら一緒に住む?」
「えッ?」
驚いて顔を上げると、重光は黒田を見上げた。
「知己、就職するんだろ?近くで仕事見つかったら、半分家賃出してよ。ルームシェアしよう」
「ほ、ほんと?」
「うん。まあ、俺が何処の大学行くかまだ分からないし、知己の就職も何処になるか分からないけど、予定しておいてよ。……あ、それまでに俺が知己に振られなきゃだけど」
そう言って黒田が笑うと、重光は真剣な顔になった。
「んなの、有る訳ねえだろ。……それより、おまえが……」
そこまで言うと、重光は黙った。
まだ、黒田の心が離れるかも知れないと不安なのだろう。冗談でも悪いことを言ったと、黒田は思った。
「ごめん。冗談だよ」
「……うん」
頷いたが、重光は顔を上げなかった。
「好きだよ、知己。今、キスする?」
「ばッ…」
驚いて顔を上げ、重光は真っ赤になって周りを見回した。
すぐ傍に人は居なかったが、下校する生徒たちが、そこここに歩いていた。
「や、やめろよ、からかうの…。心臓に悪りぃ」
「からかってないよ。俺はみんなに知られたって平気なくらい、知己のことが好きなんだ」
「わ、分かったよ。信じるから…」
赤くなった頬が可愛くて触りたかったが、黒田は我慢して言った。
「塾、休もうかな。何処か遊びに行こうか」
だが、喜ぶかと思った重光は少し怒った顔をした。
「駄目だろ。ちゃんと行けよ。それに俺、今日バイトの面接だし」
「えっ?もう見つけたの?」
黒田が驚くと、重光は頷いた。
「うん。たまたま、ウチの近くのコンビニで募集してたから行ってみたんだ。そしたら、今日面接してくれるって言うから」
「へえ?じゃあ、俺も付いて行こう。どんなとこか見たいし」
「だから、塾行けって。まだ、決まった訳じゃねえんだし」
「大丈夫。まだ、時間に余裕あるし、それに、知己の家の場所、知りたいし」
黒田が言うと、重光は困惑の表情を浮かべた。
「けど、ウチは…」
「中に入れて欲しいとは言わないよ。ただ、どの辺に住んでるのか知りたいだけ」
黒田の答えに、重光は安心したような表情を浮かべた。
やはり、母親とその彼氏を見られたくないのだろう。

重光の家は3階建ての余り新しいとは言えないアパートだった。
そこから5分くらいの場所に、アルバイトを募集しているコンビニがあった。
面接の時間までに少し間があったので、重光は黒田を子供の頃よく遊んだ公園へ連れて行った。
そろそろ夕暮れなので、もう子供たちの姿は無かった。
だが、その滑り台の天辺に、大きな男が座っていた。
「陸……」
躊躇いがちに近づく重光の後ろから、黒田も滑り台の方へ歩いて行った。
「なんだ?その頭」
重光の黒くなった髪を見て、陸は馬鹿にしたように言った。
だが、重光は答えなかった。
「仲いいな。こんな詰まんねえ場所でデートかよ」
また馬鹿にするように陸は言ったが、重光はそれには答えず、別のことを訊いた。
「海は……?」
すると、その名前を聞いて、陸の顔が歪んだ。
重光から顔を背けると、吐き捨てるように言った。
「知らねえよ。……親父の金盗んで消えた。もう、この辺りには居ねえだろ」
「探さねえの…?」
重光が言うと、陸は声を出さずに笑った。
「俺の顔見たくなくて消えたんだろ。探してどうするよ」
だが、そう言って黙り込んだ陸の顔は寂しさを隠しきれていなかった。
何も言えず、重光が黙ると、陸は背けていた顔をこちらに向けた。
「悪かったな、シゲ。散々利用しちまって」
「え…?」
「俺ももう消えっからよ。まあ、勘弁してくれや」
「消える…?」
重光が訊き返すと、陸はポケットに手を入れたまま、漕ぐようにして身体を前に出し、滑走面を滑り降りた。
そして、立ち上がると、重光の前に立った。
「親父に、どこぞの全寮制の学校へやられるらしいわ」
感情を殺した声でそう言い、陸は重光に背中を向けて歩き出した。
「陸ッ。この滑り台でのこと覚えてる?あの時は、ありがとうッ」
背中に向かって重光が叫んだが、陸は振り返らなかった。
「知らねえな」
ぼそり、とそう言った声が、黒田たちの耳に微かに聞こえた。
その後姿が消えるのを暫く見送り、見えなくなると黒田は重光の腕を引いた。
「座ろう?」
そう言うと、重光は黙って頷き、黒田と一緒にベンチへ腰を下ろした。
「なにか、飲み物買ってこようか?」
黒田が訊くと、重光は首を振った。
「いや…。なんも要らねえ」
そう答えた重光の手を黒田はそっと握った。
すると、重光は黒田の手を握り直して指を絡ませた。
「俺…、何で陸たちが俺にあんなことしてたのか、本当は分かってた。……陸と海は俺を通して触れ合ってたんだ。直接は出来なかったから、ああするしかなかったんだと思う」
陸が言った”利用して”の本当の意味が、重光の言葉で黒田にも分かった。
「陸は本当は俺になんかキスしたくなかった。でも、海がした唇だからキスしたんだ」
「それを知ってて、好きにさせてたの?知己だって辛かった筈なのに…」
黒田が言うと、重光は寂しげに笑った。
「俺…、同情してたのかな?陸たちに…」
自分の感情が自分にも分からなかったのか、重光は黒田に問い掛けた。
だが、黒田にもその時の重光の気持ちを理解するのは難しかった。
「陸のこと好きだった。振り向いて欲しいと思ってたのかも知れない…」
重光の言葉を聞いて、黒田の胸が痛んだ。今でも、まだ陸を想っているのだろうか。
「けど…」
言葉を切り、重光は黒田の手をギュッと握った。
「雪のこと好きなんだって気が付いたら、なんか違うって思った。陸を好きだって思ってた気持ちは、なんか違うって…。だって俺…、こんなに怖くなかったよ」
じっと見つめる重光の眼に、薄っすらと涙が溜まっていた。
「雪に嫌われたらどうしようって、考えると怖い…。そんなこと、陸には思わなかった」
「知己…」
胸が震えた。
重光の言葉が黒田の胸を震わせた。
黒田は重光の肩を掴むと、唇を押し付けた。
「さっき、信じるって言わなかった?」
唇を離して黒田が言うと、重光は目を伏せた。
「ごめん…」
そう言うと、重光は黒田の肩に額を付けた。
「毎日好きって言えば安心する?」
そう言われて、重光は僅かに頷いた。
そして、小さな声で言った。
「エッチしたい…」
「だって、面接行くんだろ?」
笑いながら黒田が言うと、重光は顔を上げた。
「やっぱ、塾休めよ。そんで、終わるの待ってて?」
切なそうな眼で見上げられ、黒田はすぐに頷いてしまった。
「分かった。外で面接受かるの祈ってるから…」
「うん」
「その後、家に来る?」
「うん…」
重光の眼が潤むのを感じ、黒田はまた胸が熱くなった。
あんなにも冷えていた自分は、一体何処へ行ってしまったのだろう。
今は、もうそんな自分を思い出せない。
そして、こんなにも心を揺されることが怖いとさえ思った。
(でも、すげえ気持ちいい…)
そう思って、黒田はもう一度、重光の唇に熱いキスをした。