歩いていこう
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伊関は持っていたおにぎりを座卓の上に置くと、弥の方に向き直ってその両肩に手を置いた。
「おまえの”色”と庸介さんは関係ねえよ。おまえがただ、そう思い込んでるだけで、庸介の存在はただの切欠だ。だから、離れたからって見えなくなったりしねえ。そんな考えさえ捨てりゃあ、おまえの”色”は消えたりしねえよ」
だが、弥は首を振った。
「ううん、違うよ。庸介さんが居たから見えたんだよ。……だって、庸介さんは僕の運命の…」
「違うッ……」
伊関は首を振り、ガクガクと弥の肩を揺すった。
「そんなんじゃねえっ。庸介はただの、おまえの”初恋”なんだよ。運命とか、そんなもんじゃねえんだ」
「……初恋…?」
「そうだ。初恋だよ…」
伊関は弥の肩から手を離した。
「だから、そんな思い込みは、もう棄てちまえよ。おまえを好きになってくれる人は、庸介の他にもきっと居る。きっと、新しい出会いがある。だから、おまえの色は永遠に無くなったりしねえんだ」
「僕を、好きになってくれる人……?」
「ああ…」
「好きに……」
弥は何かを思い出したような表情をすると、そっと自分の唇に触れた。
「あの時……、庸介さんは僕を抱きしめてキスしてくれた。あの時、ほんの一瞬だけ……庸介さんが凄く近くに居るって思った……」
「弥……?」
はらっ…、と弥の瞳から不意に涙が零れた。
「でも、…すぐに困った顔になって、また、遠くに行っちゃうのが分かった。庸介さん、僕を好きじゃなかった?だから、あの時みたいなキスは2度としてくれなかったの……?」
ガシッと、また弥の肩が激しく掴まれた。
「もう、止せッ……」
言うなり、伊関は弥の唇を奪った。
「ふっ……」
そのまま、畳んだ布団の上に押し倒されて、弥は伊関の太い腕に身体を抑え付けられた。
「好きだったらなぁ、相手を欲しくて堪らなくなる。欲しくて、欲しくて、奪ってでも手に入れたくなる。それが普通なんだよ」
自分を見上げた弥の目をじっと見下ろし、伊関は言った。
「おまえは、いい加減そこから出て来なくちゃいけねえ。長い事かけて作り上げちまった籠の中から、もう出てこなくちゃ駄目だぜ」
「……出るの…?どうやって……?」
不思議そうに弥は言い、伊関はその目を見つめたまま静かに言った。
「俺が…、出してやるよ」
言い終わると、伊関の唇が再び近付き、今度はさっきよりもずっと深く重なった。
侵入してきた舌に口中を愛撫され、弥は驚いてもがこうとした。
だが、伊関の腕は弥が逃げることを許さなかった。
「ぅぅう……、う…ん」
呻いて、弥は必死で伊関の身体を押し返そうとした。
まるで生き物のように、彼の舌が自分の口中で蠢く。そんな事をされるのは生まれて初めてのことだった。
「欲しがるって言うことが、どういうことか分かるか……?」
キスの合間に伊関は言い、とうとう弥の舌を捕らえると何度も激しく吸い、歯を当てては緩く噛んだ。
弥はもう抵抗も出来ず、必死で伊関のシャツを握り締めて、ただ喘いだ。
「奪われるようで、怖いか……?」
目を閉じたまま、自分のシャツを掴む弥に伊関は言った。
「怖い……」
弥が答えると伊関はその唇の横に唇を押し付けた。
「だったら、もっと怖がれ…」
伊関はそう言うと、弥の服を捲り上げて肌を露出させた。
「い……っ?」
誰かに、身体に触れられたことなど初めてだった。弥は驚いて目を見開くと伊関を見上げた。
「んぁっ…、や……」
グリッと強く乳首を摘まれ、逃げようとして無意識に弥の腰が動いた。
だが、大きな伊関の体の下で、その抵抗は何の役にも立たなかった。
「ふ………ぅ…」
敏感に尖った部分を指が擦り、もう一方を舌が転がした。
水以外のもので、そこが濡らされる感触を初めて味わい、弥は戸惑い恐れた。
生暖かく滑り、柔らかく擦られる。
ゾワゾワと、今までに感じたことの無い何かが背筋を這い登って行く。我知らず涙が頬を伝い、唇を噛んでいないと声を上げて泣きそうだった。
すぅっと、肌に冷気を感じ、目を開けるとジーンズのファスナーが開かれていた。
ただ驚いて見つめるしか出来なかった弥の目に、伊関の手の動きが映る。途端に、温かい手が、そこを弄るのを感じた。
「駿二さん……?」
「……まさか、自分でも、したことねえのか?」
信じられないと言いたげに、伊関は涙を浮かべて頷く弥を見た。
「なら、覚えな」
「いぁっ…、あっ……」
唇から声が自然に零れ、弥の背中が何度も持ち上がった。
すぐに伊関の手を汚して達すると、弥は放心したようになって横たわっていた。
その下半身から、伊関はジーンズと下着を脱がせた。
「ひゃっ……?」
あらぬ所に指を感じ、弥は驚いて目を見開いた。
「いッ……。駿二さん…ッ?」
再び伊関のシャツを両手で掴み、弥は怯えた目で彼を見上げた。
「痛てえか…?」
「うっ……くっ…ぅ…・・ッ」
身体を縮こまらせ、目の縁を真っ赤に染めて弥は零れてくる呻き声を押さえ込もうとしていた。それを見て、伊関は食い縛っている口元に続けてキスを落とした。
「我慢するな。痛かったら痛いって言え。怖かったらそう言えばいい。泣きたかったら声を上げて泣けよ」
それでも弥は身を縮めたままで、ただ伊関のシャツにしがみ付いていた。
「もっと表に出だすんだよ、弥。叫んでいいんだ。……泣き叫んで、辛いって言え…っ」
「駿二さ……」
脚を大きく開かされて弥は益々怯えると伊関を見上げた。
「泣いちまえよ、弥…」
「イッ……」
グリッと、熱い大きなものがそこを侵すのを感じ、弥は息を止めた。
「や……」
初めて、今までに感じたことの無い恐怖が弥を襲っていた。
涙を浮かべて首を激しく振り、何とか伊関に嫌がっていることを伝えようとした。
だが、伊関はじっと弥を見下ろしたまま容赦なく腰を進めてきた。
「い…た…」
か細い声でそう言い、弥は伊関の胸を弱々しく叩いた。
「や…だ。しゅ…じさ…。ヤッ……やだ……やだぁっ」
最後は叫ぶようにそう言い、弥は激しく伊関の胸を叩いた。
その手首を捕まえ、伊関は万歳をさせるように弥の頭上で押さえ込んだ。
「やだよぅっ、駿二さんッ、怖いッ…・怖いよッ…」
激しく首を振り、泣きじゃくりながら弥は言った。
今までに出したことが無いほど感情を露にし、そして泣いた。
「そうだ、もっと泣けよ。もっと叫んで、全部出しちまえよ」
「いぁあっ…・痛いぃぃ…」
恐ろしいほど大粒の涙が弥の目尻から零れ落ち、玉のような汗がびっしりと額に浮いて髪を濡らした。
グリグリと、感じたことの無い痛みと共に伊関が自分の中に入ってくる。
今までに、誰一人として入った事の無い”自分”の中。それは、身体のことだけではなかった。
「くぅぅ…。千切れられそうだ……」
呻いて伊関が小さく呟いた。 彼の方も、とても快感を得られるような状態ではなかった。
顔を顰め、その痛みに耐えると、押さえ込んでいた弥の手首を離し、股間で縮こまってしまった弥自身に手をやった。
「弥……」
ヒクッ、ヒクッ、と泣き続ける弥に、伊関は何度もキスを落とした。
「駿二さ……。痛いよぉ……」
まるで、子供のようにしゃくり上げ、弥は泣いた。
そんな弥の頬を愛しそうに唇で愛撫しながら、伊関はゆっくりと手を動かした。
やがて、弥の泣き声が止み、頬に血の色が差してきた。
「いいぜ…馴染んできた。もう少し、入るからな…?」
「ぅく……ぅん…」
ゆっくりとまた、もっと深いところへと伊関が入ってくる。
だが、弥はもう泣かなかった。
恐怖感はいつしか消えていた。
体の奥で駿二が息づいているのを感じると、何故だか怖いとは思わなくなっていた。
弥はまだ涙の残った瞳で伊関を見上げた。
「駿二さん……、僕のこと、好き……?」
「ああ…。好きだよ」
頷いてくれた伊関の眼差しの温かさが弥の胸に染み渡っていく。
「僕も……」
弥の両腕が、伊関の首に回された。
「僕も…、好き……っ」
弥の中から外へ出ることの無かった言葉。
そして感情。
表す術を知らず、長いこと弥の中で眠っていた全てが、今、解放されようとしていた。
伊関の腕の中で気を失うと、弥はそのまま夜中まで昏々と眠った。
目覚めると、今朝と同じように弥は伊関の腕の中に居た。
全身の痛みに呻きながら起き上がろうとすると、隣で伊関が目を覚ました。
「水か…?」
「うん…」
頷くと、伊関が起き上がった。
「待ってろ。持って来てやるから」
立ち上がって、伊関は台所へ行くとコップに水を汲んで戻って来た。
「ほら…」
片手で弥の背中を支えて伊関はコップをその口元へ運んだ。
両手でコップを掴み、弥はゴクゴクと一気に水を飲み干した。
「もっとか?」
「ううん、もういい」
弥が首を振ると、伊関はコップを座卓の上に置いた。
「腹は…?なんか、食うか?」
「うん…。お腹空いた」
「待ってな、さっき晩飯に焼きそば作ったんだ。おまえの分も取ってあるから、温めてやるよ」
「うん……」
頷きながら、弥は周りを見回した。
「どうした?」
「暗いね…」
「夜だからな」
そう言いながら立ち上がると、伊関は天井から下がっている電灯の紐を引いて明かりをつけた。
そして、弥は分かった。
もう、自分の世界には色が無くなってしまったのだと。
だが、そのことを弥は伊関には言わなかった。
身体を庇いながら何とか起き出すと、弥は座卓の前に座って待った
間も無く、電子レンジで温めた焼きそばの皿を持って、伊関が戻って来た。
「ほら、食いな」
「うん…。頂きます」
だが、目の前に置かれた皿を見て、弥は箸を止めた。
「どうした…?」
「紅い…」
「うん?紅生姜か?嫌いだったか?」
「ううん……。嫌いじゃ無いよ…」
顔を上げて、弥は伊関を見ると笑った。
「大好き。紅生姜」
色の消えた筈の皿の中で、添えられた紅の色が、はっきりと弥の目に映った。
すべて失われた筈の”色”が、新たにやってきたように弥には感じられた。
それを齎してくれたのは、目の前に居る伊関なのだろうか。
「駿二さん…」
「ん?」
「ありがとう…」
いきなり礼を言われ、伊関はおかしそうに笑った。
「なんだ?急に……」
「ふふ……」
また笑うと、弥は真っ赤な紅生姜に箸を伸ばした。
翌朝、弥は伊関のアパートを出た。
出て来る前に、弥はあの時計を伊関に預けた。
「大事なものなんだろ?」
置いていくと言うと、伊関は怪訝そうな顔をした。
「うん…。でも、置いていく。…いい?」
「まあ、小さいもんだし、邪魔にもならねえからな。構わねえよ」
包んでいたハンカチから取り出し、弥はそれを伊関の箪笥の上に置いた。
もう、あの美しかった色は弥には見えない。これを持って行く意味を、もう弥は失っていた。
「弥、これを持って行きな」
そう言って、伊関は弥に神社のお守りを手渡した。
「交通安全。事故に遭ったりしねえようにな」
赤い布に金糸と黒い糸で縫い取りされたお守り袋を受取り、弥は笑みを見せた。
「綺麗。綺麗な赤…」
「ちゃんと歩けるか?無理なら明日にしなよ」
「ううん。大丈夫。ゆっくり行く」
「そうか……。おまえ、ちゃんと飯だけは食えよ?それから、今度はちゃんとした所に泊まるんだぜ」
「うん、分かった」
「弥……」
手を伸ばして、伊関は弥の身体を抱きしめた。
「無理すんなよ…。疲れたら、いつでも帰ってきな」
弥は伊関の胸から頬を離すと、そのまま彼を見上げた。
「駿二さん、待っててくれる……?」
伊関は笑いながら何度も頷くと、片手を挙げて弥の頭を撫でた。
「ああ、待っててやる。…だから、ちゃんと帰って来るんだぜ?」
「うん…」
嬉しそうに頷くと、弥はまた伊関の胸に頬を押し付けた。
歩いていこう。
でも、踏み出した一歩は以前とは違う。
弥はポケットから伊関に貰った守り袋を取り出した。
赤い色が、今でもはっきりと見える。
多分、世界に全部の色が戻ったら、伊関の下へ帰れるだろう。
歩いていこう。
籠の中から抜け出す為に。
歩いていこう。
新しい何かに、向かっていく為に。