探しもの


-7-

花屋は半分だけシャッターが下りていた。
その店の前に章生は居た。
そして、その前には、いつも花を買いに来ていたあの女の子が立っていた。
「どうしてですか?だって、芹沢さん、彼女居ないって言ったじゃないですか」
「そうだけど、今日は付き合えないって言ったでしょう?約束があるんです」
困惑した表情でそう言った章生を、女の子は泣きそうな顔で見上げた。
「だって、私…、今日が誕生日だって聞いたから、プレゼントも用意して……。少しぐらい、私に時間をくれたって…」
「菊池さん……」
必死になって自分の気持を訴えようとしている彼女を、柚木は可愛いなと思った。
彼女の手には、自分でラッピングしたらしい大きな包みがあった。もしかしたら、手作りのセーターか何かだろうか。
その震える手を見ている内に、柚木は何故か胸が詰まった。
「今晩は…」
声を掛けると、章生がハッとして柚木を見た。そして、何故か安堵したような表情を浮かべた。
「柚木さん、すみません…。すぐに店を閉めますから…」
「あの…」
柚木は、チラリと傍らに立っている女の子に視線を走らせた。
「私はいいですから、今日は彼女と一緒に行ってください」
「え……?」
その言葉に、シャッターに掛けようとした章生の手が止まった。
「折角の誕生日なんだし、私なんかと一緒じゃ、やっぱり味気無いですよ。また、その内にお付き合いしてください。…それじゃ…」
無理をしている訳ではなかった。
勇気を振り絞って自分の気持ちを告げた彼女の方が、何一つ本心を言えない自分よりも相応しいように感じたのだ。
「ゆ、柚木さん…ッ」
だが、驚いたことに、章生は柚木を追ってその腕を掴んだ。
「なんでです?約束したじゃないですかっ?」
「は…」
驚いて目を見張り、柚木は必死とも言える章生の顔を見上げた。
「嫌じゃ無いって、そう言ってくれましたよねっ?」
「し、しかし…」
柚木は、章生の後ろで自分達を見ていた女の子の方へ視線を移した。
一瞬、呆気に取られたような表情を浮かべていた彼女の顔が、段々に泣きそうに歪んでいくのが見えた。
「でも、折角彼女が…」
「けど、俺は…・・」
言いかけて、章生は言葉を切った。
彼の目にも、女の子の表情が見えたのだろう。それ以上言えば、彼女をもっと傷付けると気がついたのだ。
「もう…、もう、いいです。…、無理言って、済みませんでした」
涙を必死で堪え、それだけを言うと、女の子は足早に去って行った。
「……追いかけなくていいんですか…?」
遠慮がちに柚木が訊くと、章生は辛そうな顔で首を振った。
「申し訳ないけど、俺…。彼女をそんな風には思えないんです」
「そうですか…」
もうこれ以上、自分が口を出す事ではない。柚木はそう思って、黙り込んだ。
「済みません。すぐに閉めますから…」
気を取り直すようにそう言って笑みを見せた章生に、柚木は頷いた。
彼女の誘いを断る口実に、自分が必要だったのかも知れないと、ふと思った。
だが、そうだとしても、腹立たしいとは思えなかった。どんなことが理由だろうと、今夜の相手に章生が選んでくれたのは自分なのだから。
“青柳”まで歩いていく道すがら、章生はさっきの女の子の事を話題にした。
「大学生らしいんですが、ちょっと前から、良く花を買いに来てくれるようになって…。店が終わってから、ご飯食べに行かないかとか何度か誘ってくれたんですが、俺は、どうしてもそんな気になれなくて、いつも断っていたんです」
柚木が黙って頷くと、章生は先を続けた。
「可愛いとは思うけど、何だか妹みたいで…。仕草とか話し方とか、俺の妹に良く似てるんですよ。その所為なのか、どうしても女性として見る事が出来なくて…。慕ってくれるのは、すごく嬉しいんですけどね…」
「そうだったんですか…」
「はっきり断らなかった俺が悪いんです。でも、今夜は先約があるからって、ちゃんと言ったんですけどね」
苦笑した章生に、柚木はもう1度頷いた。
彼女の事は章生個人の事で自分には関係ない。それなのに、彼がちゃんと説明してくれた事が嬉しかった。
やはり、父親に相談するように、自然に話してくれたのかも知れない。
そう思うと、急に胸が詰まる気がした。
「たまには…、違う所へ行きましょうか?」
突然立ち止まって、章生がそう言った。
「え……?」
「誕生日だし、少し高級な所へ行きましょうよ。俺、奢りますから…」
「だ、駄目ですよ、そんな…。それなら、私がご馳走します」
慌ててそう言った柚木に、章生は首を振った。
「いえ、今日は俺が無理言って付き合ってもらったんですから…」
「無理なんかじゃ有りませんよ」
柚木が言うと、章生は嬉しそうに口元を緩めた。
「でも、俺が奢ります。そうしたいんです…」
「なら…、いつもの“青柳”でいいです。あそこが、一番落ち着くし」
その言葉に、章生はまた少し笑った。
「そうですね。結局、あそこが一番落ち着きますね」



“青柳”の暖簾を潜り、2人はいつもの小上がりへ陣取ると、向き合って座った。
3、4品の料理を注文し、いつものように酒を1本頼むと、お互いの猪口に酌をし合い、それを乾杯するように軽く合わせた。
「お誕生日、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
猪口の酒を一口飲むと、柚木はそれをテーブルの上に置いた。
そして、傍らに置いてあった鞄を引き寄せると、その中からあの手袋の袋を取り出した。
「あの、これ…。大したものじゃありませんが…」
「い、いやッ…」
章生は驚いて持っていた箸を置くと、差し出された袋を柚木の方へ押し戻した。
「気を遣わないで下さいって言ったじゃないですか。困りますよ、柚木さん…」
遠慮する章生に柚木は笑みを見せると、何度も心の中で練習した台詞を口に出した。
「いえ、あの…。申し訳ないけど、わざわざ買ったものじゃ無いんです。だから、遠慮しないで下さい」
「え…?」
「バーゲンの時、つい衝動買いしてしまったんですが…。後で嵌めて見たら、私には大きかったんです。でも、バーゲン品でそれ1つしかなかったし、交換も出来なくて…。だから、良かったら使ってくれないかと…」
その言葉に、章生は袋を受取ると中身を取り出した。
「あ…、手袋…」
「はい。サイズも見ないで買っちゃって…」
章生は自分の手を合わせて見た。
「本当だ。俺に丁度いいサイズです。これじゃあ、柚木さんには大きいですね」
「ええ…」
柚木が頷くと、章生は顔を上げて嬉しそうに彼を見た。
「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく使わせてもらいます」
「いえ、こちらこそ貰って頂けて嬉しいです」
章生は手袋を手に嵌めてみて、それを柚木に見せた。
「ぴったりだ…」
「良かった…」
心から、柚木はそう言って章生の手を見つめた。
やっと、渡す事が出来た。あの時、棄てなくて良かったと柚木は思った。
「嬉しいな。柚木さんから、プレゼントまで貰えるなんて…。今年は、本当にいい誕生日になりました。ありがとうございます」
「い、いやそんな…。余り物を押し付けてしまって…」
「ううん…。嬉しいです…」
言いながら、章生はまた手袋の嵌った自分の手を見た。
「すごく、嬉しいです」
「芹沢さん…」
本当に、棄てなくて良かったと柚木は思った。
本心を伝える事は敵わなくても、密かな想いをそっと届けられたような気持ちがして、柚木は胸が熱くなった。
「柚木さんの誕生日には、俺が何かプレゼントしますね」
「えっ…?い、いいですよ、そんな…」
驚いて、柚木は慌てて手を振った。
だが、章生は取り合わなかった。
「何がいいかな…?6月までに考えておこう…」
楽しげにそう言って、章生は笑った。
自分の誕生日が来るまで、自分と章生の付き合いが本当に続いているのだろうか。
そんな先のことまで、今は考える事が出来ない。だが、そうだったら本当にいいのにと柚木は思った。



翌日も、柚木の幸せな気持ちは続いていた。
朝、章生といつも通りに挨拶を交わし、仕事をして帰路に付く。だが、今日も寄り道をして、小栗の店へ足を向けた。
いつもの定位置でコーヒーを飲んでいると、久し振りにあの少年が店に入って来た。
「あ、おっさん…」
柚木の姿を見つけるなり席に来て、いきなり頭を下げた。
「この前はごめんなさい。俺、余計なこと言いました」
多分あの後で、大分小栗に絞られたのだろう。少年は、いつもとは別人のようなしおらしい態度でそう言った。
「い、いえ。そんな、気にしないで下さい…」
少年は頭を上げると、チラリと窓の外を見た。
「俺…、おっさんも俺と同じなんだなって思ったら、急に親近感が湧いちゃって……」
柚木が少年の顔を見上げると、彼は曖昧な笑みを浮かべた。
「俺も、随分長いこと見てるだけだった…。怖くて……」
その言葉を聞いて、柚木も笑みを浮かべて頷いた。
「俺、宙翔(ひろと)って言うんだ」
そう言って少年は照れくさそうに柚木に手を差し伸べた。
「私は、柚木です」
言いながら、柚木は宙翔の手を握った。
「あ、そうだ…」
何かを思い出したらしく、宙翔はポケットからキーリングを取り出した。
そして、そこにジャラジャラと下がっていたマスコットの1つを外した。
「これ、おっさんにやる」
「え…?」
差し出されたそれを見て、柚木は面食らった。
「これを買って着けた時、いいことあったんだ。おっさんにも、いいことあるかも知れねえじゃん?」
“いいこと”がどんなことなのか、勿論柚木には分かった。そして、そんな宙翔の気遣いが嬉しかった。
きっと、自分と同じように、柚木にも幸せが訪れるようにと願ってくれたのだろう。
「ありがとう…」
六つの面、全部が7のサイコロを受取り、柚木が嬉しそうに笑うと、宙翔もまた照れたような笑みを返した。
宙翔がカウンターに行ってしまうと、柚木はサイコロを鞄の中に仕舞った。
後で、財布の根付代わりにでもしようと、鞄の中にそれを入れた時、窓の外で誰かがこちらを見ているのに気がついた。
それは昨夜、章生の所へ来ていたあの女の子だった。
気付いた柚木の顔を睨むように見ると、彼女はすぐに視線を外して歩き去ってしまった。
彼女が自分を恨むのは仕方が無いだろうと柚木は思った。折角、勇気を出して章生に気持ちを告げたのに、とんだ邪魔者が現れたのだから。
フゥッと、溜め息をついてコーヒーを飲み干すと、柚木は鞄を持って立ち上がった。
「もう、帰んの?」
レジの前に立つと、宙翔がカウンターから声を掛けてきた。
「うん、サイコロありがとう。大事にしますから」
そう言うと、宙翔はまた照れたように笑った。
小栗に金を払って柚木は店を後にした。
時間が早いので、花屋はまだ明かりが点いている。それを横目に見ながら、柚木は駅までの道を歩き始めた。
すると、あの公園の入り口に、さっきの女の子が立っているのに気がついた。
まさか、自分を待っていたのだろうか。そう思って柚木が近付くと、女の子の方でも彼の方に近づいて来た。
「あそこから、いつも芹沢さんを見てるんですね?」
女の子は、いきなり切り口上でそう言った。
柚木は何も言えなかった。
強張った顔でただ彼女を見つめていると、その鋭い視線が突き刺さるように柚木に注がれた。
「いい年して…っ、それもおじさんの癖に…ッ。気持ち悪い…。まるで、ストーカーねッ」
蔑むようにそう言うと、女の子はさっと背を向けて歩き出した。
彼女の言ったことは、勿論、誰よりも柚木自身が分かっている事だった。だが、第三者に指摘されると、柚木は改めて自分の異常さを感じずにはいられなかった。
「気持ち…悪い…・・か…」
確かに、そうだろう。
ひっそりと、毎日のように、あの店から章生を盗み見ている。章生自身も、それを知ったらきっとそう言うに違いなかった。
柚木はゆっくりと歩き出した。
駅には向かわず、路地を入って“青柳”の暖簾を潜った。
「いらっしゃい。あれ?今日は1人?」
「ええ…」
章生の姿が無いのを見て、いつもの娘がそう声を掛けた。
「お酒を1本ください。それと…、煮込みを」
「はいよ」
威勢良く返事をして、娘はカウンターの中の父親に注文を言った。
柚木は鞄の中からあのサイコロと財布を出した。そして、それを財布のファスナーの部分に付けた。
持ち上げて少し振り、サイコロを揺らして見つめると、ふっと笑ってそれを鞄の中に仕舞った。
(いいこと、あるかな……?宙翔君…)
そう心の中で呟きながら、それを信じていない自分が、何だか無性に悲しく思えた。