続・手の内
-2-
翌日は講義が遅くまであり、僕の出社は定時を過ぎた後になった。
急いで社長室へ行くと、僕が挨拶をするのも聞かず社長は不機嫌にコーヒーを持って来るように言いつけた。
僕は急いで鞄を置くと、また部屋を出て秘書室へ向かった。
ドアをノックすると、中から前島の声で返事が聞こえた。今日も、もう、女性秘書達は退社してしまったらしい。
先ず、昨夜奢ってもらった礼を言い、僕はコーヒーを取りに行こうとした。
すると、前島が立ち上がって来た。
「済みません、今日は忙しくて豆を挽いている暇が無かったので…」
「え…?」
「サイフォンに残っている分しかないんです。摂り合えず、一杯分だけ持って行ってくれませんか?」
「あ…、はい」
見ると、サイフォンの中には丁度1杯分のコーヒーしか入っていなかった。
社長は1日に何杯もコーヒーを飲むが、それはすべて秘書室で秘書達が用意している。
2つのコーヒーメーカーに代わる代わる淹れてあるのをサイフォンごと社長室に運ぶのだが、それが満たされていない事など、今までには無かった。
だが、無いと言われれば仕方が無い。僕はカップにコーヒーを注ぐと、それを持って社長室へ戻った。
「今は、これだけしかないそうです」
僕がそう言ってカップを置くと、社長は気にも止めずに頷き、それに手を伸ばした。
「温い…」
一口飲んで、顔を顰めると社長はカップを置いた。
「済みません…」
書類の束を取ろうとして伸ばしかけた手を止め、僕はそう言った。
すると、社長が目を上げて僕を見た。
「両親には話したか?」
「はい…」
社長の家に下宿する事を、僕は昨夜、両親に話した。
借金という形ではあったが、大学へ行く金を援助してくれた事もあり、僕の両親は榊社長を神様のように思っている所がある。
だから、この申し出も手放しで喜んだ。このまま僕が、この会社にスムーズに就職出来るのでは無いかと期待しているのだ。
だが僕は、昨夜、前島に言われた事がずっと気になっていた。
実力主義の社長が、僕を気に入った訳を。
「由委…」
「はい…」
立ち上がると、社長は僕の腕を掴んで化粧室の方へ引っ張った。
「ま、まだ駄目です…ッ」
慌てて振り解こうとすると、余計に社長の腕に力が篭った。
「何故だ?」
「ま、まだ、なにも…」
今日は急いでいたので、先ず出社の挨拶をと思い、何時ものようにトイレに寄らずに真っ直ぐここへ来たのだ。だから、僕の身体は何の準備も出来ていなかった。
「構わん。今日は俺がしてやる」
「あっ…」
社長専用の化粧室に入ったのは、それが初めてだった。
3畳間ほどの部屋に、まるで高級ホテルのような化粧台とピカピカに磨かれた鏡が有った。そして、その右手にトイレに続くらしいドアが見えた。
「手を突け」
何時も通りの有無を言わせぬ口調でそう言い、社長は僕を化粧台の前に押し出した。
目の前の鏡から目を逸らし、僕はそこに手を突いた。
社長の手で直ぐにジーンズと下着が下ろされ、洗面台に並んだ化粧品の中からアフターシェーブ用クリームの瓶を取ると、中身を掬い出した。
「んあっ…」
予告も無く、指は僕のそこを犯した。
そして、直ぐに増えて入り口から掻き回していく。
「いッ…、痛い……」
思わず声に出してしまったが、社長がそれを気に止める様子は無い。
だが、それでも幾らかの気遣いはあるのか、僕の身体が準備出来るまで、ちゃんと解してくれた。
「もう、いいな?」
そう訊いたが、返事を待ってはくれない。
頷く前に、再び、もっと硬く大きなもので僕は犯されていった。
「ぁはっ…ぁぁあ……」
堪えようとしても、声が漏れてしまう。
グーッと社長が入り込んでくるに従い、僕の身体はその快感に大きく反り返った。
彼を迎え入れる事に、僕の身体はすっかり慣れてしまった。
いや、もうどんな言い訳も通用しない。僕の身体は、彼を欲しがっているのだ。
それを、誰よりも自分が良く知っている。そしてまた、社長も見抜いていた。
「由委、鏡を見ろ…」
耳元でそう囁かれ、僕は首を振った。
「見るんだ」
「ぅ…う…」
逆らえるのは一度までだった。
僕は羞恥で泣きそうになりながら顔を上げた。
Tシャツが胸までまくり上げられ、僕はもう殆ど裸だった。そして、その胸に社長の指が届いた。
「分かるか?こんなに立てて…。本当に厭らしい身体だな」
「ふ…んっ…」
指の腹で擦られて思わず鼻から声が抜ける。
甚振られているのだと知っていながら、だからこそ余計に感じてしまうのだから、厭らしいと言われても仕方がないのかも知れない。
そんな自分を嫌悪しながらも、社長の指が乳首を甚振るその動きから、僕は目を離せなかった。
小刻みに擦られ、摘んでは揉まれる。
実際に愛撫を受けている部分と、鏡の中のその姿が相乗されるようにして抗えないほどの快感を生む。
淫ら過ぎると頭の中では分かっても、身体はそれを拒もうとはしなかった。
「ぁんっ…ぁあっ…い…やぁ、いやぁ……」
堪えようとすればするほど、唇からは甘い声が漏れてくる。
社長の律動を促そうとして、無意識に腰が揺れた。
股間で立ち上がったものから、糸を引いて滴りが落ちるのを、鏡ははっきりと映し出しす。
まるで、榊英介の性の奴隷のような自分を、僕はとうとう、目も逸らさずに受け入れてしまった。
そして、ゆっくりと、社長が動き始め、僕は更に激しく声を上げた。
事が済むと、社長はさっさと身支度を終えて化粧室を出た。
ぼくはまだ、萎えた脚を動かす事が出来ず、化粧台の前の椅子から立ち上がれずにいた。
「なんだ?前島……居たのか?」
その声を聞き、僕は余りの驚きに息を止めた。
前島が、社長室に……?
一体、いつから……?
僕の姿はドアからは死角になっていて見えなかった筈だ。
だが、もし声が聞こえていたらと思うと、僕はカァッと全身が熱くなるのを感じた。
「コーヒーをお持ちしたのですが…」
「ノックくらいしたらどうだ?」
その口調から察するに、社長は前島が聞いていたかも知れない事など、まるで気にも止めていないようだった。
「しましたが、お返事が無かったので…」
「そうか。用がそれだけなら、それを置いてさっさと行け」
「はい。私も今日は9時ぐらいまでは残業する予定ですので、何かありましたらお呼び下さい」
「分かった」
「では、失礼致します」
前島が出て行く気配がしたが、僕はまだ脚の震えを止める事が出来なかった。
すると、外から社長の威圧的な声がした。
「由委、いい加減に出て来て仕事をしろ」
僕が何とか化粧室から出て来ると、社長は驚いた事に僅かだが笑みを浮かべていた。
「おまえが気にする必要は無い。いいな?」
「……はい」
思いも掛けず、自分を気遣ってくれた社長に何だかまた身体が熱くなり、僕は慌てて頷くと資料の束を手に取った。
資料室で、いつものように書類を分類していると、後ろから突然声が掛かった。
「なるほどね……」
ギクリとして振り返ると、そこには前島が立っていた。
「薄々は分かっていたけど、やはりそうでしたか…」
口元に浮かべた笑みが、僕を蔑んでいることを教えていた。
悔しくて唇を噛んだが、彼の目を見返す事は出来なかった。
ゆっくりと僕に近付き、前島は舐めるようにして僕の身体の隅々にまで視線を這わせた。
「まあ、予想はしてましたがね…。しかし、ずっと疑問でしたよ。何故、“きみ”なのか……?」
言いながら手が伸びて、僕の頬をすっと撫で上げた。
「でも、さっきの“声”を聞いて、ちょっとは分かったような気がします」
そう言った後、前島はクスクスと笑った。
「社長だって若い健全な男性だ。幾ら仕事の虫だとは言え、性欲だってある。いや…、他人よりも強いかも知れませんねえ…」
言いながら頬にあった指が、肩に下りてきた。
「でもねえ、社長のような立場になると、矢鱈と女と付き合う訳にもいきませんよね。相手が妙な期待をしたり、面倒な事を言い出さないとも限らない。だから、そっちの処理は専ら、玄人の女で済ませていた。それは、手配していた僕が一番良く知っているんですよ…」
その言葉に、僕は顔を上げて彼を見た。
まさか、幾ら秘書だとは言え、そんな事までが彼の仕事だとは思っていなかったのだ。
この男は、自分などよりもずっと、榊社長のことを知っている。
その事実が、突然僕の心を揺さぶった。
「まあ、玄人女にも飽きて、ちょっと毛色の変わった相手が欲しくなったんだろうとは思ってましたが……」
クスクスと、前島は嫌な笑いを間に挟んだ。
「男なら確かに便利だ。結婚しろとも言わないだろうし、妊娠する心配も無い。それに…、セクハラで訴える事も難しいでしょう。…社長も、うまい相手を見つけたものですよ」
悔しくて、今にも涙が零れそうだった。
違うと、そんなんじゃないと、否定出来ない自分が悔しくて堪らなかった。
僕は社長から、言葉ひとつ貰ったことも無いのだ。
前島の酷い言い様を否定するものを何ひとつ持ってはいなかった。
「ただ…、それほどの魅力が君にあるとも思えなかったんで、不思議だったんですけどね…。でも、そう……」
じっと、値踏みするような視線で前島は僕を見た。
「多分、そういう点に関しても社長は見る目があるんでしょうねえ…。彼が食指を動かす何か……。さっきの“声”を聞いて、僕にも少し分かりましたよ」
また腕に手が掛かり、僕はキッとして前島を睨んだ。
クスリと笑い、前島は睨まれた事など気にも止めずに僕の腕を撫でた。
「どうです?今夜もまた付き合いませんか?」
「な……?」
「君の身体がどれ程のものなのか、僕にも教えて欲しい。……いいでしょう?」
カッとして、僕は前島の手を振り払った。
「ふざけないで下さいッ…」
すると、前島は僕をじっと見て言った。
「本気ですよ」
「な…っ。嫌ですッ。そんな…、どうして貴方となんか…」
「ああ、勿論、ただでとは言いませんよ。お金なら払いましょう。幾らです?」
「なにッ…・」
突然、カァッと、全身に火がついたようになった。
(こいつ……ッ)
人を何だと……。
思うより先に、手が出ていた。
「おっと…」
だが、怒りに任せて殴りかかった僕の腕は、がっちりと前島に押さえられてしまった。
「離せッ…」
悔しげに言った僕を、前島はまたあの蔑むような目で見下ろした。
「気取るなよ。たかが、“ダッチワイフ”のくせに…」
侮蔑を込めて、前島は言った。
それに対して、僕は何も言い返せなかった。
喉元まで出掛っていたのに、
「違う」
と言えない。
「じゃあ、社長にとっておまえはなんだ?」
そう聞き返されたら、僕は答えを持っていないから。
黙り込んで震え出した僕を見て冷たく笑うと、前島は僕の腕を離した。
「まあ、何れ機会もあるかも知れないし…。君が社長に飽きられるまでは、一応同僚ですからね。仲良くやりましょう、由委君」
楽しげにそう言い、僕の肩を叩くと前島は部屋を出て行った。
「ぅく……うぅ……ッ…」
その場に崩れるように膝を突き、僕は悔しさに泣いた。
何故、これほどまでに蔑まれなければならないのだろう。
何故僕が、こんな仕打ちを受けなければならないのだろう。
すべては、榊英介が僕をその手の中に入れたからだ。
「くそぉ…」
何が悔しいと言って、何が悲しいと言って、これほどまでに侮蔑されようとも、僕は榊社長に抱かれた事を後悔していないのだ。
離れられないと知っているのだ。
そこまで落ちてしまった自分が、堪らなく切なかった。