イヌ・4
楽しかった夏休みも終わり、今日から新学期という日の朝、夏樹は隆哉を待って家の門の前に立っていた。
祖母の家で、隆哉と2人きりの時間を満喫したのだが、帰って来ればまた、隆哉には部活が待っていて会える時間は限られていた。
だが勿論、その事に対して夏樹は不満を表したりはしなかった。
隆哉は、自分の自由が利く範囲で十分に夏樹の傍に居てくれたし、相変わらず我が儘を聞いてくれてもいたのだから。
だが、祖母の家で朝から晩まで、いや、それこそ寝床の中まで一緒に過ごした後だけに、夏樹は少々寂しい気持ちがしていた。
自分に対しての自信の無さから来る不安は、夏樹の中で大分薄れていた。それは、隆哉の態度や言葉が、夏樹の心を励ましてくれるからだった。
だが、一体、隆哉は自分の何処が好きなのだろうと考えてしまうのは止められなかった。何故なら、幾ら考えてもその理由が夏樹には分からなかったからだ。
「可愛い」
と、隆哉は言ってくれるが、それが美醜の意味から来る言葉だとは夏樹には思えなかった。自分が、一般的な意味での“可愛さ”など持っていない事は、夏樹自身が1番良く知っているのだ。
だったら、隆哉の“可愛い”は、一体自分の何を指しているのだろうか。
「小さいってことかなぁ…」
そう思って、夏樹は顔を顰めた。
確かに、“小さい”イコール“可愛い”なら、自分は可愛い部類に入るだろう。何しろ、学年で1番小さいのだ。
いや、2年生と3年生にも自分より小さい男子は居ない。それを考えると、学校で1番小さい男子生徒ということになる。
女子の中には、勿論、自分より小さい生徒は居るが、男子と女子では訳が違う。
小さい女子は可愛いが、小さい男子は馬鹿にされるだけだ。
夏樹は活発で、身体は小さいが勝気だし、滅多に馬鹿にされることもなかったが、それも半分は、大きな隆哉がいつも傍に居てくれるからなのかも知れない。
隆哉が剣道の有段者だと知っている人間は多いし、隆哉に守られている部分が、きっとあるに違いなかった。
それを、夏樹だって男として不本意に感じない訳ではない。
だが、隆哉に比べたら、見た目だけではなく自分は確かに弱いのだ。
その力の差は、どんなに抵抗しても、隆哉に自由にされてしまう事を思えば明白なことだった。
実は最近、その隆哉が、どうやら小さい物が好きらしい事に夏樹は気付いた。
2人で買い物に出掛けた時、ペットショップの前を通ったのだが、夏樹が子犬や子猫を眺めている隣で、隆哉はしきりにハムスターや子リス、ハツカネズミなどを嬉しそうに眺めていた。
それに、ミニチュアの玩具なども好きらしいと分かった。
家に行って分かったが、隆哉はチョコのおまけについているミニチュアの玩具を集めていたのだ。
思い掛けない趣味を知って、夏樹はそのギャップに微笑ましさを感じたのだが、良く考えてみるとそれらと自分の間に共通項がある事に気付き、少々愕然としたのだ。
「俺…、小さいから撰ばれたのかな…」
そう考えると複雑な気持ちになった。
だが夏樹は、それならコンプレックスだった”小さい”と言う事に感謝しなければとも思ったのだ。
小さい所為で隆哉が好きになってくれたのなら、小さくて良かったと夏樹は思った。
だが、そう考えた矢先、今度は自分の身体が大きくなったら隆哉の興味は失われてしまうのだろうかと不安になってしまった。
大きくなりたい。隆哉のように、男らしい身体に憧れる。
だが、自分がそうなる事を隆哉は望んでいないのかも知れない。
(そう言えば…)
以前、隆哉に言われた言葉を夏樹は思い出した。
「小さくたっていいだろ?夏樹はそのままでいいよ。そのままで十分だよ」
あの言葉は、慰めではなく、隆哉の本心だったのかも知れない。
何だかまた、むくむくと不安が押し寄せ、夏樹は額の汗を拭いながら溜息をついた。
「ゴメン…、待った?」
声に振り向くと、そこにはやはり額に汗をびっしょりと浮かべた隆哉が立っていた。
「ううん、大丈夫。おはよ…」
「おはよう。今日も熱いな」
「うん。あのさ、リキ、やっぱ遠回りになって大変だし、朝はウチに寄らなくていいぞ」
「え…?いいよ、大丈夫。俺、苦じゃ無いし」
以前、隆哉の気持ちを確かめたい余り、遠回りになるのを知っていながら、朝は自分の家まで迎えに来てくれと我が儘を言った夏樹だったが、今ではそれを後悔していた。
その為に、隆哉は20分も早く家を出なければならないのだ。
朝の20分がどれほど貴重か、夏樹にだって分かる。増してや、毎朝トレーニングの為に走っている隆哉にとって、その20分はずっと貴重に違いないのだ。
だが、それを言うと、隆哉は笑って首を振った。
「平気だって。心配しなくても大丈夫だよ」
「でも、ウチへ寄らなかったらあと20分は寝ていられるだろ?」
「いや。いつも5時半には起きてるし、結構余裕だよ。それに、夏樹と一緒に学校行ける方が嬉しいし」
「リキ…」
隆哉の言葉が嬉しくて、夏樹の頬が僅かに赤らんだ。
だが、それを意識して恥ずかしくなり、夏樹は隆哉から目を逸らした。
いつも、隆哉は自分に嬉しい言葉を言ってくれる。だが、それを素直に返す事が出来るかと言うと、それは夏樹には難しいことだった。
意地っ張りな自分が、いつも嫌だと思う。
その所為で、嫌われはしないかと気になってしまう。だが、照れ臭くて、どうしても素直に喜びを表す事が出来ないのだ。
「リキがいいって言うなら、いいけどさ」
また、可愛げの無い言葉を口にして、夏樹は途端に自己嫌悪に陥った。
だが、隆哉の方では慣れているので気にしている様子も無かった。
「今日は始業式だし、部活無いんだ。帰りも一緒に帰ろう?」
そう言われて、途端に嬉しくなった夏樹だったが、それを表情に出す事も無く、無愛想に頷いただけだった。
早く帰れた時は、隆哉は必ず夏樹の家に寄ってくれる。そうして、2人だけの甘い時を過ごす事が出来るのだ。
そう思うと、夏樹の心は、その表情とは裏腹にまるで弾むようだった。
教室に着くと、久し振りの挨拶を友達と交わしながら、夏樹は席に着いた。
すると、前の席の友達が振り返って言った。
「今日、ウチのクラスに転校生が来るらしいぜ」
「へえ?良く知ってるな」
夏樹が感心すると、友達は自慢げな顔をして言った。
「俺、今日日直だもん。さっき、日誌取りに職員室行って、情報を仕入れたんだ」
「ふうん…。で?どっち?女子?男子?」
夏樹が訊くと、彼は打って変わってガックリと肩を落とした。
「そこまでは知らん…」
「なぁんだ。大事だろ?そこが」
だが、どうせ、それはすぐに分かることだった。あと、5分もすれば担任の先生が連れて来る筈だからだ。
(どんな子だろう…?)
転入生が来るなんて、ちょっとした事件だ。夏樹も、なんだかワクワクしながらHRが始まるのを待った。
やがて、チャイムが鳴るのとほぼ同時に前の扉が開いて、担任教師が話題の転入生を伴って入って来た。
それを見て、一気に教室中がざわめいた。
「男…だよな?」
さっき、どちらか分からないと言った前の席の友達が振り返って夏樹に言った。
「う、うん…」
頷いたが、夏樹も半信半疑だった。
夏だというのに、少しも日に焼けていない。どんどん日光を吸収して黒くなる夏樹と違い、焼けると真っ赤になりそうな白い肌をしていた。
そして、夏樹が憧れて止まない、真っ直ぐでサラサラな髪。色は天然の栗色で、艶々としている。
瞳が大きくて、睫が長い。小動物系の可愛らしさで、顔だけ見ていたらとても男には見えなかった。
だが、彼が着ているのは間違いなく男子生徒の制服だった。
「ちっさ…っ」
「可愛いぃー」
「マジ、男の子?」
アチコチから声が聞こえ、転入生は僅かに頬を染めた。
その様子がまた愛らしい。益々、煩くなった教室に担任教師の声が響いた。
「えー、静かに。久し振りだな、みんな。元気そうで何よりだ。後で宿題を集めるからなー。…えー、もう、情報は来てるんだろうが、今日からこのクラスに転入して来た小高基君だ。みんな、仲良くするように」
「はぁーい」
一斉に元気な返事が聞こえ、担任教師は苦笑しながら頷いた。
すると、転入生はぺこりと頭を下げながら言った。
「宜しくお願いしますっ」
体育会系のキビキビとした動きが、見た目の印象とは違ったため、今度は軽いどよめきが起きた。
「空いてる席はこの列の1番後ろなんだが…、前の方がいいか?小高」
訊かれて、転入生はコクッと頷いた。
「あ、はい。でっかい人の後ろだと前が見えないんで…」
「そうだよな。…じゃ、菊池、席替わってやってくれ」
「はーい」
前から3番目にいた生徒が返事をして立ち上がると、転入生は彼に向かってにっこりと笑った。
「ありがとう」
「い、いや…」
男だとは分かっていても、その余りに可愛らしい笑顔に、菊池は少々照れた様子で頬を染めた。
その様子を見ていた夏樹は、何故だか急に不安な気持ちになった。
気になって、そっと盗み見るように隆哉を見ると、他の生徒と同じで彼も転入生の動きを見守っている。ただそれだけの事なのに、何故か夏樹は胸がざわつくのを感じた。
さっき、皆の中から声が上がったが、小高は本当に小さい。多分、夏樹と並んでも大して変わらないだろう。
だが、夏樹と違うのは、彼が“小さい”だけではない事だった。
(ホントに可愛い…)
小さくて可愛い転入生。
その存在が、急に夏樹を不安な気持ちにした。
今朝までの、あの弾むようだった気分がすっかり何処かへ行ってしまった。
不安に駆られ、夏樹はまた隆哉を見た。すると、隆哉はまだ小高の方を見たままだった。
(やだッ…)
ギュッと拳を握り、夏樹は目を瞑った。
自分の考えがどんなに馬鹿馬鹿しいか分かっている。だが、どうしても払拭する事が出来なかった。
(やだっ…、リキ、見ないでよっ…)
嫉妬する醜い自分に夏樹は激しい嫌悪を感じた。
だが、嫌な予感のようなものが心の底から沸々と沸いてくる。
この予感が当らなければ良いと、夏樹は祈るような気持ちになった。