イヌ・4
-2-
HRを終えると、始業式に出る為に全員が講堂へ移動を始めた。
すると、好奇心旺盛な何人かが、すぐに小高に声を掛けて案内がてらに一緒に歩き始めた。
みんなに質問されて、愛想良く答える小高の声が夏樹の耳にも入って来た。その受け答えを聞いているだけで、夏樹にも小高の性格が何となく分かった。
小高には見た目の愛くるしさから想像しがちな、甘ったれた所はまるで無かった。はきはきとして快活で、多分、誰にでも好かれる明るい性格らしい。
「吃驚したなぁ…?」
前を歩いて行く小高達を見ながら、隣に並んで歩いていた隆哉が言った。
「え…?」
「いや…。夏樹と同じくらい小さいから…」
「…うん。チビ仲間だな」
普通に答えようとしたが、僅かに夏樹の声は震えた。
「あはは…。そんなこと言うと怒られるかもよ?向こうも、夏樹と同じで気が強そうだから」
「そ…かな…?気をつけよ…」
弱々しく答えると、夏樹は目を逸らした。
小さくて気が強い。多分、それは隆哉の好みのタイプなのだ。
「あ、ごめ…。怒ったか?小さいって言われるのが嫌なの知ってるのに…。ごめんな?夏樹」
腕を掴まれて、夏樹は顔を上げずに首を振った。
「別に…。怒って無いよ」
「夏樹…?」
夏樹の態度がおかしいと思ったのか、隆哉は怪訝そうな表情で覗き込む様に夏樹を見た。
「なんでもない。ホントに、怒って無いから」
夏樹が答えた時、小高と一緒に歩いていたクラスメートが隆哉を呼んだ。
「リキーッ、小高君、剣道部に入るんだってー」
「えっ?」
隆哉と同時に、夏樹も驚いて思わず顔を上げた。
見ると、小高は立ち止まって隆哉が近付くのを待っていた。
「え…と?」
首を傾げて隆哉を見上げる小高は本当に男の子とは思えないくらい可愛らしかった。
それを見て、夏樹の胸がまたジリッと痛んだ。
「あ、力丸だよ。力丸隆哉」
隆哉が慌てて名乗ると、小高は嬉しそうに笑って頷いた。
「うん、力丸君、剣道部なんだって?俺も中学からやってて、向こうでも剣道部だったんだ。だから、こっちでも続けてやりたいと思って。…後で、顧問の先生の所に連れてってくれないかな?」
「そうなんだ。うん、勿論、いいよ。じゃあ、後で一緒に行こう」
「良かった。じゃ、また後で」
軽く手を上げてそう言うと、小高は講堂の入り口で待っていた友達の所へ走って行った。
「へえ…、剣道部に入るのか」
その後ろ姿を見ながら、嬉しそうに隆哉が言った。
夏樹の胸が、またジリジリと痛む。
嫌な予感は、消えるどころか益々強くなるばかりだった。
始業式とHRが終わり、隆哉は夏樹に少し待っていてくれるように言った。
「小高君を連れて行って来るから、ちょっと待っててくれる?すぐ戻るから」
「うん、分かった。教室に居るよ」
夏樹がそう言うと、隆哉の後ろに居た小高が顔を出した。
「ごめんね?えっと…、石橋君」
にっこりと笑われて、夏樹も思わず笑みを浮かべた。
本当に、小高は誰にでも愛想がいい。
「ううん。いってらっしゃい…」
夏樹が言うと、2人は鞄を置いたまま連れ立って歩き出した。
「なあ、みんな、“リキ”って呼んでるよね?俺もそう呼んでいい?」
気さくに話し掛ける小高を見て、また夏樹は嫌な気持ちになった。
気にしないようにと、何度自分に言い聞かせても上手くいかない。
「ああ、勿論。いいよ」
隆哉の方も、愛想良く小高に答えた。
「じゃあさ、俺の事も“君”とかつけなくていいよ。名前でもいいし…」
段々小さくなる2人の会話を聞きながら、夏樹は1人になった教室で唇を噛んだ。
自分は隆哉に小さいだけで選ばれたのではない。そんな理由だけで、隆哉が自分を“好きだ”と言ってくれたのではない筈だ。
ちゃんと分かっていた筈なのに、夏樹は怖くて堪らなかった。
机の上に突っ伏すようにして顔を載せると、ゴワゴワした自分の髪が腕に触った。
コンプレックスから、自棄になって丸坊主に刈ってしまった髪だった。それが今、伸び掛けて一層不恰好になっている。
1本1本が硬くて縮れている夏樹の髪は、少し伸びた所為で全部が立ち上がってしまっているのだ。
その髪を憎々しげにギュッと掴み、夏樹は目を閉じた。
夏休みに海の近くの祖母の家で過ごした所為で、元々地黒だった肌は益々黒くなり、前も後ろも見分けが付かない程だった。
髪の毛と同様にぼさぼさした垢抜けない眉と低い鼻。そして、これもコンプレックスだったアヒルのように尖った上唇。
そんな自分の容姿を、隆哉のお蔭で少しずつだが気にしなくなっていたのだ。だが、小高基の出現は、前向きになりかけていた夏樹の気持ちを打ち砕くには十分だった。
「馬鹿みたいだ…」
夏樹は呟くと、今度は両手で自分の髪を掴んだ。
(リキは、転校生だから親切にしてるだけだ。剣道部だから、案内してるだけだ。別に、アイツの事が好きだからじゃ無いのに…。なのに俺、馬鹿みたいに不安になって…)
情け無いと思う。
見っとも無いと思う。
男の癖に、容姿の事など気にするなと自分に言い聞かせようとした。だが、何度気持ちを切り替えようとしても上手くいかなかった。
早く隆哉が帰って来れば良いと思った。
早く、2人きりになりたい。
2人きりになって、抱き締められて、不安な気持ちなど吹き飛ばしたいと思った。何時ものように、隆哉の腕の中に入ったら、きっと安心出来る筈だった。
「お待たせ、夏樹」
声を掛けられて、夏樹はハッとして顔を上げた。
帰りも話が弾んだらしく、楽しげな隆哉と小高が教室に入って来て、其々の机から鞄を取った。
夏樹も椅子から立ち上がると自分の鞄を取って背中に背負った。
「訊いたらさ、基も同じ方向なんだって。途中まで一緒に帰ろうよ」
(基だって…?)
ジクン、と夏樹の胸が音を立てた。
たった数十分で、もう名前で呼び合う仲になったのか。
「う…、うん。いいよ」
必死で笑うと、夏樹はそう言った。
「ほら、去年、コンビニの先にマンション出来たろ?あのマンションの6階なんだって」
隆哉の説明を受けて、夏樹は頷いた。
確かに、そのマンションなら夏樹の家から5分も離れていない。だから、一緒に帰ろうと言うのに何の不思議も無かった。
「そうなんだ。あそこか…」
「うん。コンビニが近くて便利だよね。石橋君もあのコンビニを良く使うの?」
「う、うん。1番近いの、あそこだから…」
「そっか。じゃ、結構学校以外でも顔合わせるかも知れ無いね」
屈託の無い笑顔を向けられて、夏樹も精一杯愛想良く頷いた。
「でも、なんか嬉しい」
クスクスと笑いながら、小高は言った。
「前の学校でも飛び抜けてチビだったしさ、今度もきっとそうだろうなって思ってたけど、石橋君が居てちょっと嬉しくなっちゃった。ごめん…」
ペロッと可愛く舌を覗かせた小高を見て、隆哉がクスッと笑った。
そんな些細な事にまで傷ついている自分を知り、夏樹は益々自己嫌悪に陥った。
だが、隆哉の前で良いカッコをしたいばかりに、夏樹は必死で自分の気持ちを偽り、唇に笑みを貼り付けた。
「い、いいよ。俺も…、なんか親近感湧くし…」
「ホント?じゃあ、俺も夏樹って呼んでいい?」
「う、うん。いいよ、勿論…」
「良かったぁー…」
心から嬉しそうにそう言って、小高は満面の笑みを浮かべた。
「俺、転校なんか初めてだしさぁ、やっぱ身体が小さいと馬鹿にされたりするんだろうなって、ちょっと心配だったんだ。まあ、こう見えても俺、けっこう気が強いから、苛めを甘んじて受ける気は無かったけどさ」
クスクスと笑い、小高は先を続けた。
「でも、クラスの奴等は皆親切だし、それに…、マジで自分と同じくらい小さい男子が居てホッとした。仲良く出来たらいいなって、最初から思ってたんだ」
「そ…、そうなんだ…」
なんと答えていいのか分からず、夏樹は曖昧に笑って見せた。
勿論、小高の気持ちが嬉しくない訳では無い。小さいと言う共通項で親近感を持たれるのは本意ではなかったが、仲良くなりたいと思ってくれたのは嬉しかった。
だが、夏樹は小高と仲良くなりたいとは思わなかった。
それどころか、出来ることなら近付きたくない。
いや、近付いて欲しくなかった。
チラリと隆哉を見ると、楽しげな表情で小高を見下ろしている。そんな彼を見ると、また夏樹の胸がジリジリと焦げていくのだ。
(…やだよ…。そんな眼で見るなよ…。リキ…)
「あ、そうだ。リキの携番とメルアド教えて?」
「あ、うん。いいよ」
2人の会話にビクッと夏樹の肩が揺れた。
「明日、朝練あるけど、基はどうする?やっぱ、放課後からにした方が良いかな?初日だし…」
「ううん、出るよ。早く慣れたいし…。明日の朝さ、待ち合わせして一緒に連れてってくれないかな?」
「そうだな。それじゃぁ…」
この疎外感はなんだろう。
2人の会話を聞きながら、夏樹はそう思った。
こんな時間が、これから先、どんどん増えていったら、そしたら自分は一体どうすればいいのだろうか。
「いい奴だな?基って」
小高の後ろ姿がマンションの玄関の中に消えると、夏樹の方を振り返って隆哉は嬉しそうに言った。
「う…、うん。そうだな」
「心配してたみたいだけど、あれならすぐにクラスや部にも慣れるだろ。友達もきっと、すぐに出来るよ」
「うん…」
頷いて夏樹が歩き出すと、すぐに歩調を合わせながら隆哉がその顔を覗き込む様にして言った。
「どうかした?なんか、元気無いけど…」
心配そうに言われて、夏樹は慌てて笑顔を作った。
「ううん。別にそんな事無いよ。あ、そうだ。コンビニに寄って昼飯買って行こうぜ」
「あ、そうだね。そうしよう」
「…あの、…リキ…」
「うん?」
「うんとさ…」
小高の事をどう思うか、本当は訊きたくて堪らなかった。
だが、それと同じくらいに隆哉の答えが怖くて怖気づいてしまい、結局、夏樹は別の言葉を探した。
「あ、あのさ…、今日は夜まで居られるんだろ?」
「うん、大丈夫だよ。何も予定は無いから」
「そっか。じゃ、早く行こう」
「うん」
足を速めると2人はコンビニエンスストアへ向かった。
そこで、昼食とおやつを仕入れてから夏樹の家へ行く。夏樹は一人っ子で両親は共働きなので、平日は夜まで誰も家に居ないのだ。
家に帰ると、夏樹はすぐに冷房をつけて、蒸し暑い部屋の中を冷やした。
「リキ、シャワー使う?先に使っていいよ。俺、着替え持って来るから」
夏樹が言うと、汗だくだった隆哉は喜んでバスルームへ向かった。
その間に、夏樹は2階の自分の部屋に上がり、やはり此方も冷房のスイッチを入れた。
後で絶対に此処へ来る事が分かっていたので、先に部屋を涼しくして置こうと思ったのだ。
自分の分と、それから、母には内緒でこっそり仕舞ってある隆哉の着替えを持って夏樹は下へ降りた。
サイズが違い過ぎるので、例え間に合わせでも夏樹のを貸す訳にはいかない。だから、隆哉は夏樹の部屋に自分の着替え一式を置いてあるのだ。
バスルームに着替えを置いて居間へ戻ると、コンビニエンスストアの袋から買ってきた食べ物を出した。
その時、テーブルの上に置いて行った隆哉の携帯からメールの着信音が聞こえた。
手を止めると、夏樹は携帯電話をじっと見つめた。そして、袋を離すと、躊躇った後で夏樹はそれに手を伸ばした。
普段は勿論、決して人の携帯など見たりしない夏樹だったが、今日は相手が気になって仕方なかったのだ。