イヌ・4


-3-

送信者は小高だった。
その名前を見て、夏樹は放り投げるようにして携帯をテーブルの上へ戻した。
嫌な予感はやっぱり当った。何の用事かは知らないが、さっきの今で、もうメールを寄越す必要があるのだろうか。
「なんだよ…?なんで、そんなにリキに近付こうとするんだよ…ッ」
口惜しげにそう言うと、夏樹は乱暴に制服を脱ぎながらバスルームへ向かった。
裸になると、声も掛けずに中へ入る。
泡を流す為にシャワーの下に居た隆哉が、少し驚いて顔を上げた。
「夏樹…?」
「汗でベタベタして気持ち悪いから…。早くさっぱりしたいし、俺も一緒に入る」
「あ、うん。そうだな…」
「リキ…、身体、洗って?」
「えっ?あ、うん…、いいよ」
珍しい夏樹の態度に一瞬怪訝そうな顔をしたが、隆哉はすぐに頷いた。
今まで、性行為の後で動けなくなった夏樹を、隆哉がバスルームへ運んでそのまま洗ってやる事はあっても、自分から一緒に入ろうなどと言ってきた事は1度も無いし、こんな態度を見せる事も無かった。
それが、甘えた事を言ってギュッとしがみ付いてきたのだから、隆哉は少々面食らったようだった。
だが、夏樹にはもう、意地を張っている余裕など無くなっていたのだ。
いつもは恥ずかしさが先に立って、素直に甘える事など出来ないが、隆哉を失うのではないかという恐怖感が夏樹に我を忘れさせてしまった。
ボディタオルにソープをつけて隆哉は夏樹の身体を洗い始めた。
「そっち向いて?」
「うん…」
背中を洗ってもらいながら、夏樹は鏡の中の隆哉を見つめた。
隆哉の態度は何時もと変わらない。
いつも通り、優しいし、夏樹の我が儘を黙って聞いてくれる。何処にも、何も、変わった所など見当たらなかった。
だが、それでも夏樹は不安を拭い去る事は出来なかった。
(馬鹿ッ…。何で俺、リキを信じられないんだよっ…)
心の中で愚かな自分を呪ったが、それでも夏樹の恐怖が去る事はなかった。
「夏樹…」
「あっ…」
タオルを持っていない方の隆哉の手が脇腹を滑って上り、夏樹の乳首の上で止まる。泡の付いた指にキュッと摘まれて、夏樹の身体がビクッと震えた。
普段なら、自分の部屋以外の場所で悪戯されると嫌がって怒る夏樹だった。
本心では嬉しくても、ベッド以外の場所でセックスするのは恥ずかしくて堪らない。だから、つい逃げようとしたり隆哉を詰ったりしてしまうのだ。
だが、今日は何も言わなかった。
「いいの…?夏樹…」
黙って逃げようともせずじっとしている夏樹に驚いたのか、隆哉が訊いた。
「ん…」
真っ赤になった夏樹が頷きながら俯くと、隆哉がタオルを離して両手を滑らせてきた。
「夏樹…」
耳元で囁く声と共に、隆哉の手が動く。
泡の付いた滑る指で両の乳首の上を擦られて、すぐにそこが勃起するのが分かった。
「んっ…んっ…」
妙に響く自分の声が酷く恥ずかしくて、夏樹は必死で唇を噛んだ。
隆哉の身体が押し付けられていた背中で、むくむくと硬い物が育つのが分かった。それを感じると益々熱くなり、夏樹は無意識に腰を揺すった。
「こっち、来て…」
興奮した掠れた声で隆哉が言い、夏樹は湯船の蓋の上に両手を突かされた。
「あっ…」
すぐに後ろから隆哉の指が入って来た。
ビクッとして仰け反った夏樹の脚の間に隆哉の膝が入る。
「もっと、脚開いて…」
言われて、脚を開き腰を突き出すと、すぐに指が増えて奥まで抉ってくる。痛かったが、夏樹は何も言わなかった。
多分、バスルームでのこんな行為は初めてなので、隆哉もいつもより興奮しているのだろう。自分を求めてくれるのが嬉しくて、夏樹は抵抗しなかった。
ボディソープの滑りに手伝わせ、隆哉は夏樹の身体を性急に解した。
「ごめ…ッ、俺、もう…」
(う、嘘ッ…、だって、まだ…)
自分の身体の準備が十分でないのは分かり切っていることだった。いつもなら、もっと丁寧に快感を引き出してくれる隆哉だったが、今日は余りに早過ぎる。
だが、夏樹はそれでも何も言わなかった。
だからと言って、平気な訳ではない。グリッと突き入れられて、思わず身体に力が入った。
「いッ…痛いぃぃッ…」
我慢するつもりでも、余りの痛みに口から悲痛な声が迸る。だが、そんな夏樹を見ても、隆哉は力を緩める事はなかった。
「ごめん…、夏樹、ちょっとだけ我慢して?」
「や…」
思わず首を振りそうになって、夏樹は慌てて堪えた。
涙が滲んで、息が上がる。
ソープが滑って、つるんと一気に入ってしまった分だけ痛みも大きかった。
「くぅぅ…うっ…」
苦しげに呻いて拳を握り締めたが、それでも夏樹は我慢した。
隆哉に嫌われたくない。彼の気持ちが他に行くのを食い止めたい。
今、夏樹の心の中はそんな思いでいっぱいだった。
だから、痛みで涙がポロポロと頬を伝っても、抵抗しようとはしなかったのだ。
すると、入って来た時と同じようにして、するっと隆哉が夏樹の中から出て行った。
「ごめん…、夏樹…ッ」
「え…っ?」
驚いて振り返った夏樹を、隆哉がギュッと抱き締めた。
そして、涙で濡れた夏樹の頬に何度も唇が下りて来た。
「俺…、どうかしてた。こんなに夏樹に辛い思いさせて…。ごめんな?ごめん…」
「へいき…、俺っ…」
隆哉の身体に腕を回してしがみ付きながら、夏樹は言った。
隆哉が自分だけを見てくれるなら、少しぐらい痛い思いをしたって耐えられると思った。だが、隆哉は首を振って夏樹の目をじっと見つめた。
「平気なもんか…。痛かったろ?ごめんな…」
辛そうなその目が気になったが、夏樹が何か言う前に隆哉の唇が夏樹の唇を塞いでしまった。
そのまま、長いキスをされ、夏樹はもう何も言えなくなって、ただ隆哉にしがみ付いた。
「もう、出よう?お腹空いたろ?昼飯、食べようよ」
「え…?」
キスの後でにっこりと笑って言われ、夏樹は戸惑った。
見ると、あんなに猛っていた隆哉自身が今はもうすっかり落ち着いてしまっていた。
それが、夏樹には酷くショックだった。
まるで、自分を“要らない”と言われているように思えたのだ。
(う、嘘…ッ。なんで?…なんで…?)
自分もそうだが、若い隆哉の性欲がこんなに簡単に治まってしまうなんて信じられない。これではまるで、自分ではもう欲情しないと言われているようではないか。
「さ…。泡、流してあげるよ」
そう言うと、隆哉はシャワーを出して夏樹の身体に掛け始めた。
そして、自分も綺麗に泡を流すと、夏樹を促してバスルームを出た。
(リキ…?)
まさか、これでもう自分には触れないつもりなのだろうか。
いや、きっと昼食を食べ終えたら、いつものように自分の部屋で2人っきりの甘い時を過ごせるに違いない。
だが、そう思っていた夏樹の期待は見事に裏切られてしまった。
とうとうその後も、隆哉は夏樹にキスひとつしないまま、ただゲームをして、話をしただけで家に帰ってしまったのだ。
夜まで居られると言っていたのに、まだ夕方にもなっていない。それなのに、隆哉は帰ってしまった。
「うそ…」
隆哉が出て行ったドアを見つめ、夏樹は呆然と立ち尽くした。
隆哉が自分の家に来て、何もしないで帰った事など一度だって無かった。こんなに早く帰ってしまった事など無かった。
何も言わなかったが、もしかすると、何か気に入らない事があったのだろうか。自分の何かが隆哉を怒らせたのだろうか。
優しいから何も言わないで帰ったが、もしかするとそうなのかも知れない。そう思うと、夏樹は急いで携帯電話を取り出し、隆哉にメールを打った。
「リキ、何か怒ってるのか?俺、なんかした?なんか気に触ることしたなら謝るから、ちゃんと言ってくれよ」
階段に腰を下ろしたまま、夏樹はメールを打って送信した。
すると、すぐに隆哉の返事がきた。
「いや、夏樹は何も悪くなんか無いよ。俺こそ、ごめん。少し、頭を冷やすよ。ごめんな?」
その文面を読んで、夏樹は忽ち不安になった。
「どういう意味だよ…?頭冷やすって、なに…?頭冷やして、何を考えるんだよッ…」
涙声になってそう言うと、夏樹は膝頭に顔を押し付けた。
まさか、自分と付き合った事が間違いだったとでも言うのだろうか。
小高の出現で、それに気付いたとでも言うのだろうか。
付き合う相手を間違ったとでも言うのだろうか。
「や…だ…ッ」
明日は朝練があって、隆哉は小高と約束して一緒に行くことになっている。会いたくても、夏樹は学校へ行くまで隆哉の顔を見ることも出来ないのだ。
明日、学校で会った時、2人が今日よりも親密になっていたらどうしようと思った。
その内に、自分の入る隙が無くなってしまったら…。
隆哉を信じられない自分が、夏樹は酷く情けなかった。
だが、なんでもないと笑っていられるほど、夏樹は自分に自信を持つ事が出来なかったのだ。