イヌ・4


-17-

やはりあのまま眠ってしまい、寝坊した夏樹は母親に起こされて慌ててシャワーを浴びた。
朝食もそこそこに家を飛び出し、ギリギリ間に合って教室に入ると、まだ隆哉は来ていなかった。
そして、小高の姿も見えなかった。 何だか嫌な予感がして、夏樹は眉を顰めたが、HRが始まると、担任が2人からは連絡が来ていると告げた。
何で2人して遅刻なのかと教室がざわめいたが、担任はそれについて何も説明はしなかった。
1時限目が終わっても2人は姿を見せず、そのまま昼休みになってしまった。 夏樹は心配になって何度もメールを送ったが、隆哉からの返事はなかった。
「夏樹君」
諦めて弁当を取り出した所で、戸口に立った美雪に手招きされ、夏樹は席を立った。
「夏樹君、お弁当?一緒に食べない?」
「あ、うん。いいよ。ちょっと待ってて…」
そう答えて、夏樹は席へ戻ると、目を丸くしたり、何か言いたげに自分を見ている友達連中を軽く牽制し、弁当の包みを持って美雪の所へ戻った。
まさか夏樹に女の子の迎えが来るとは思わなかったのだろう。しかも、美雪は夏樹よりも背が高く、スタイルも顔も中々なのだ。
2人が廊下へ出た途端、口惜しげな雄叫びが教室の中に響き渡った。
苦笑して美雪を見ると、夏樹は彼女に言った。
「何処で食べる?屋上?」
「うん、そうだね」
自分の出現が夏樹の教室に騒ぎを齎したと知っているのか、それとも気付いていないのか、美雪は相変わらず飄々としていた。
「土曜日、楽しかった。また、映画見に行こうね?」
「うん、いいよ。今度はちゃんと最後まで見るからね」
「あはは…。そうだね」
話ながら階段を上り、2人は屋上へ出た。
何組かの生徒が弁当を広げていたが、市川たちの姿は見えなかった。
夏樹と美雪も他の生徒たちと離れた場所に座り、弁当を広げた。
「自分で作ったの?」
弁当を指して夏樹が聞くと、美雪は頷いた。
「うん、まあね。ウチのお母さん、働いてる上に料理が嫌いでさ。結構小さい頃から台所に立たされてるんだ、私」
「へえ…。じゃあ、美雪は料理が上手いんだ」
「まあ、一通りは作れるよ。上手いかどうかは別だけどね」
「そんなことないだろ。その弁当だって旨そうだし」
「いやいや、手抜きだよ、手抜き…」
こうして仲良く弁当を食べている所を見れば、確かに2人が付き合っているのだと思う人間もいるだろう。
だが、夏樹にしても初めてだったが、美雪は性別を超えて“友達”だと思える相手だったのだ。そして、美雪の方でも同じだといいと思っていた。
「美雪はさ、好きな人とかいないの?」
余り恋愛には興味無さそうには見えたが、美雪だって年頃の女の子なのだし、もしかしたら誰か好きな相手がいるのかも知れない。
だが、夏樹が訊いても美雪の反応は淡々としたものだった。
「今の所はいないなぁ…」
「そうなんだ?彼氏欲しいと思わないの?」
「いや…、そりゃまあ、欲しくない訳じゃないけどね」
そう言うと、美雪は笑った。
「ただ、皆みたいに、探してまで彼氏作らなくてもいいかなぁ…って。今んトコはそんな感じ?」
「ふうん…」
美雪の笑顔に釣られて、夏樹も笑うと頷いた。なんだか、それもまた美雪らしくていいと夏樹は思った。
「そう言えばさ…、私、勘違いしてたね?ごめん……」
「え?何が…?」
夏樹が訊き返すと、美雪は少しばつの悪そうな顔になった。
「うん…。私、やっぱり余計なことしたんだなって思ったんだ。…だって…、夏樹君と力丸君はただの友達じゃなかったんだよね…?」
「み…、美雪…」
「友達じゃなくて、付き合ってるんだよね。…そうでしょ?」
夏樹は一瞬絶句したが、すぐに気を取り直した。
そして、美雪の顔を真正面から見ると言った。
「どうして、分かったの…?やっぱり、映画館で……?」
「うん。前から、普通の友達にしてはちょっと変だなと思ってたんだ。でも、小高君が現れるまでは、はっきりとは分からなかった」
「そう…。やっぱり、鋭いな…美雪は…」
夏樹の言葉に、美雪は少し苦笑気味に笑った。そして、すぐにまた真面目な顔に戻って言った。
「ねえ、やっぱり私の所為なのかな?私が余計なこと言ったから、最近力丸君との間が変になったんじゃない?」
心配そうに訊かれて、夏樹は笑みを浮かべるとすぐに首を振った。
「ううん、違うよ。美雪のことは関係無い。すれ違ってたのは、別の理由なんだ。それに…、俺たちは大丈夫だから。俺の気持ちもリキの気持ちも、変わったりしてないよ。それはもう、ちゃんと確かめ合ったから……」
美雪に知られても、思った程自分がショックを受けていない事に夏樹は気付いていた。
それというのも、多分、美雪は自分達の本当の関係を、何となく分かっているのではないかと思っていたからだろう。
「そう?ほんと?それなら良かった…」
心からホッとした表情を見せてそう言った美雪だったが、その顔にはすぐに翳りが差した。
「ねえ……、小高君と力丸君は何にも無いんだよね?」
何もないとは言えないだろう。だが、それを説明するには小高の病気のことまで言わなくてはならない。だから、夏樹は首を振った。
「うん、何もないよ。リキは転校生で部活も一緒だから基に親切にしてるだけだよ。だから、美雪はなんにも心配しなくていいよ」
「そう……。それならいいんだ…」
そう答えた美雪だったが、多分、彼女は納得していないだろうと夏樹は思った。だが、これ以上深く追求してくるつもりもないのだろう。
こういう所が、夏樹が彼女を好きな理由だった。
自分の好奇心よりも、相手の事を思いやってくれる美雪の性格が夏樹はとても好きだと思うのだ。
2人が弁当を食べ終えた頃、屋上の入り口に隆哉の姿が見えた。
きっと、自分を探しに来たのだろう。夏樹は目敏くそれに気付くと、美雪に断り、すぐに立ち上がって駆け寄った。
「リキ…、心配してたんだ」
「うん、ごめん。携帯、切ってあったから…」
「な…?やっぱり、基……?」
声を潜めて、夏樹は心配そうに隆哉を見上げた。
隆哉は夏樹の腕を取ると、ドアの外へ導いて踊り場の隅へ連れて行った。
「今朝、迎えに行って、途中までは歩いてきたんだ。けど、無理してたんだろうな…。急に歩けなくなって……」
「それで…?」
「うん。救急車を呼ぼうと思ったんだけど、基がどうしても嫌だって言うんで、俺が負ぶって家まで戻ったんだ。そして、基のお母さんの車で病院へ……」
「そっか…。リキも付いてったんだろ?」
訊くと、隆哉は辛そうに頷いた。
「基が…、付いて来てくれって言うんで、一緒に乗って行った。俺が居たって何にも出来ないんだけど…。結局、病院へ行っても治療室へ入ってしまったから、後は基の傍へは行けなかったし…」
「そうか…。それで、基は、どうなの?」
「うん…。少し落ち着いたけど、このまま入院になるらしい。クラスの皆には、放課後のHRで先生から話があると思う」
夏樹が頷くと、隆哉はポケットを探って夏樹に封筒を差し出した。
「それからこれ。病院へ行く車の中で基から渡されたんだ。夏樹に渡して欲しいって……」
「俺に…?」
些か眉を寄せて、夏樹はその封筒を見た。
「うん。多分、今日学校へ来て、自分で渡すつもりだったんだと思う。でも、事情が変わったんで、俺に預けたんじゃないかな」
「そ…か…」
夏樹はそれを受け取ると、すぐに封を切った。壁を背にして寄り掛かり、夏樹はすぐに小高からの手紙を読み始めた。


夏樹へ

リキから聞いたかも知れないけど、俺、明日また入院する。
一旦はかなり良くなったから、俺も家族も、このまま治ってくれたらいいって思ってたんだ。けど、やっぱ、駄目らしいよ。
仕方無いよな。
病気の事は、一部の人以外、誰にも言わなかった。
夏樹にも、隠しててゴメン。
けど、期限付きで学校に来てるって事、誰にも知られたくなかった。
最後の学校生活になるかも知れないから、他の皆と同じように接してもらいたかったんだ。
こんなの、かなり我が儘だって、自分でも分かってるんだ。ゴメンな?
こっちの学校には、ほんの短期間しか居られないし、親も反対したんだけど、どうしても、少しでもいいから学校へ行きたかった。
でも、本当に転校して良かったよ。
だって、リキや夏樹に会えたんだから…。

それから、夏樹にはもうひとつ、謝らなきゃならない事があります。
リキのこと…。
今更、言い訳にしかならないけど、俺、リキと夏樹は本当に親友同士なんだって思ってた。
だから、ほんのちょっとの間だけ、リキを独占させて欲しいと思った。
だから、あの時、あんなメールを打ったんだ。でも…、違ったんだよな?
ちゃんと見てれば分かったのに、リキが夏樹を見る目は、他の友達を見るのとは違う。
全然、違う。
なんで、気付かなかったんだろ……。
マジで恥ずかしい。
申し訳ない。
ホントに、酷いことしたって思うよ。
夏樹にだけじゃない。リキにも、俺はホントに酷いことしたと思う。
リキも夏樹も、優しいから、随分苦しめたんじゃないかって…。
今は、自分を恥じる気持ちでいっぱいです。

誰にも知られたく無いって言っておきながら、俺は、自分の病気を武器にした。 それは、最初から卑怯だと分かってたけど、あの時の俺は必死だった。
リキに夢中でキスして、告って、しがみ付いてしまった。
きっと、跳ね除けらると思ったから、リキの腕が俺の身体に回された時、嬉しくて死んでもいいと思ったんだ。
同情だって分かってても、それでも良かった。
出来れば、本当に俺を好きになってくれたらいいって思ったけど、そんなの、無理だって分かってたから…。
自分が、こんな風に誰かを好きになるなんて、俺は今まで考えたことも無かった。
病気の所為で、いつも諦めてた部分があったから…。
リキにも夏樹にも迷惑掛けたし、苦しめたと思うけど、でも俺は、自分がリキを好きになった事が嬉しいと思うんだ。
本当に、ほんのちょっとの間だったけど、俺は幸せだったよ。

ありがとう。

さっきね、窓から外を見てたら、表の通りで夏樹とリキが抱き合うのが見えた。
それで、いっぺんに目が覚めたんだ。
2人の間を、割くような真似をしたんだってこと、やっと分かった。
もう、謝っても遅いけど、どうしても最後に夏樹にだけは言わなくちゃと思った。
本当は、ちゃんと言葉で伝えるべきなんだけど、またこんな手紙でゴメンな?
ホントに俺、カッコ悪いよな…。
夏樹、こんな俺に優しくしてくれてありがとう。
今度会う時には、もっと大きな人間になれていたらいいと思う。
そして、夏樹やリキに友達だと思ってもらえるように、恥ずかしいと思われないようになりたいと思う。
そして今度こそ、“ごっこ”じゃない相手が出来たらいい。
夏樹と、リキみたいな……。
その為にも、きっと帰ります。
本当に、ありがとう、夏樹。

基より


手紙を読み終わって、夏樹は暫く言葉が出なかった。
今ではもう、小高を恨む気持ちはない。
そして、素直にこうして自分の気持ちを伝えられる小高は、やっぱり強いと夏樹は思った。 読み終わった手紙を、夏樹は隆哉に渡した。小高も多分、隆哉も読むと思ってこれを書いたのだろうと思ったからだ。
読み終わって、隆哉は深い溜息をついた。
「俺…、今でも分からない。こうして、基の本心を知っても、自分の選択が間違っていたのか、正しかったのか、判断がつかないんだ」
夏樹が口を開く前に、隆哉は言葉を続けた。
「いや…、多分、間違ってたんだと思う。だって…、結局は夏樹のことも基のことも傷つけてしまったんだから……」
隆哉が黙ると、夏樹はゆっくりと口を開いた。
「間違ってたのかも知れない。けど…、正しいからって選ぶべきだとは限らないんじゃないかな…」
「夏樹……」
顔を上げた隆哉を、夏樹は正面から見上げた。
「確かに俺、凄い辛かったけど…。でも、リキがもし基の気持ちを突き放したとしたら、そしてそれを後から知ったとしたら、…きっと俺、今ほどリキを信じられなかったかも知れない。…そう思うんだ」
隆哉は夏樹の顔を驚いたような表情で見つめていたが、やがて、フッと笑みを見せた。
「やっぱり凄いな、夏樹は……」
「え……?」
「やっぱりカッコいいよ。うん、最高にカッコいい」
そう言ってギュッと抱き締められ、夏樹はカーッと頬を染めた。
「な、なに言ってんだよ。止めろよッ…、こ、こんなとこで…ッ」
何時人が通るか分からない、こんな場所で抱き締められ夏樹は慌てた。
そして、言われたことのない言葉を、自分が1番カッコ良いと思っている隆哉から言われて、恥ずかしくて堪らなかった。
(けど…、嬉しい……)
隆哉に男として認められたような気がして、夏樹は嬉しかった。
サッと周りを見回し、誰も居ない事を確認すると、夏樹は背伸びをして隆哉の首にぶら下がった。
「リキ…」
屈んだ隆哉に、チュッと素早くキスをすると、夏樹はまた彼の腕の中に体を埋めた。
(基…、俺も負けないよ。もう決して揺るがないくらい、強くなって見せるから……)
そう思って、隆哉の背中に回した腕に力を込める。
その確かな熱を、夏樹はもう一度、噛みしめるように味わった。