まるで、帯波にのまれるように
子供の頃、本当に弟のように可愛いと思っていた夏樹と久し振りに再会したこの夏、彼がまるで違った存在に見えてしまい、鉄太は戸惑っていた。
高校生になったのは分かっていたが、それでも、まだまだ子供だとばかり思っていた。
だから、小さい頃の面影を残す夏樹の容姿を見て、何処かホッとしていたのだ。多分、夏樹に変わって欲しく無いと望んでいたからだろう。
だが、夏樹には、驚いた事に”彼氏”がいた。しかも、その彼氏とちゃんと大人の関係になっていたのだ。
隆哉の嫉妬から、予測もしていなかった事態が起き、電話の向こうから夏樹の喘ぐ声が聞こえて来た時、鉄太は自分が酷く狼狽しているのを感じた。
艶っぽいその声が、あの夏樹の幼さを残す唇から発せられているのかと思うと、とても信じられなかったのだ。
タブー視されている同性愛だが、自分は偏見を持っているつもりはなかった。だが、それが夏樹の身に起こっているのだと思うと、些か冷静さを失いそうになったのも事実だった。
しかし、きちんと夏樹の気持ちを確かめ、そして、隆哉の方も真剣なのだと確信した。だから、野暮な事は言うまいと決めた。
少なくとも、自分は夏樹の味方でいてやりたいと思ったからだ。
だが、人目を憚りながらもお互いをいつも意識している2人を見ると、何だか溜息をつきそうになってしまうのだ。
それは、何処かくすぐったいような、そして、少々ほろ苦いような、不思議な思いだった。
勿論、夏樹のことを恋愛対象で見た覚えは1度も無い。だが、大事な物を取られたような気持ちがしたのも事実だった。
その2人も、お盆が終わると夏樹の両親と一緒に帰って行った。
これで、また来年の夏になるまで会う事も無いだろう。
海水浴客もめっきり減った海岸へ出掛け、鉄太は堤防に腰を下ろして海を見つめた。
来年の夏も、夏樹の傍には隆哉の姿があるのだろうか。
それとも、また別の相手を連れて来るのだろうか。
そう思って、鉄太は苦笑した。
そもそも、自分こそ来年はどうなっているのか分からない。人のことなど気にする処ではないのだ。
ここへ帰って来る前に彼女と別れたと夏樹には言ったが、本当は大分前から会わなくなっていた。
これと言った、はっきりした理由があった訳ではない。
彼女は可愛かったし、付き合った当初は楽しいと思った。だが、何かが違うような気がして、会う度に疲れが残るような思いがあったのも確かだった。
自分が無理をしているのだと感じたのは、付き合い始めて数ヵ月が経った頃だった。
その内、彼女と会うよりも海へ行く回数の方が多くなってしまった。
その前にも付き合った子は何人かいて、その時は感じなかった。多分、自分がサーフィンを始めたことが原因だろうと思った。
無理して合わせて彼女と付き合うより、気の合った仲間の顔を見て、夢中で波に乗っている方が楽しかったし、何倍も充実して感じたのだ。
(そろそろ、終わりだな…)
一時よりも、大分人が少なくなった海岸を眺めて、鉄太は思った。
海水浴も、もうそろそろ終盤だ。海の家も来週には閉じるだろう。
鉄太も八月が終わる前に下宿へ帰るつもりだった。
「やってんなぁ…」
北浜を見ると、まだ大勢のサーファーが波の上に居た。多分、知っている人間も何人か居る筈だった。
鉄太は堤防を降りて、北浜へ向かって歩き出した。
波に乗る人影を見ながら歩いていると、ふと、目に付いた男がいた。
「ん…?」
立ち止まって手を翳し、鉄太はじっとその男を見た。
見事なフォームでボードの上でバランスを取る姿は、そこに居る他のサーファー達とは明らかに技術が違うのが分かる。
「まさか…」
鉄太はその見覚えのあるシルエットに、思わず砂を蹴って走り出した。
自分が実家に帰っているのは知っている筈だった。だが、だからと言って彼がここへ来る理由が無い。
鉄太は半信半疑ながら、そのプロ並みのテクニックでボードを操る男の方へ駆けて行った。
すると、波の上から見て走って来る鉄太に気付いたのか、その男はボードの上に腹這いになって寄せる波と共に砂浜へ戻って来た。
「ジョーッ…」
近くまで来て確認すると、鉄太は驚いて彼の名を呼んだ。
「よう、鉄…」
ボードを抱え、濡れた髪を掻き上げながら城晃俊は真っ白な歯を覗かせた。
引き締まった真っ黒な身体。太陽と潮で焼けた髪。
眩しそうに切れ長の目を細めてその前に立つと、城は自分よりも幾らか高い鉄太の目を見上げた。
「なにやってんだ?いつ来たんだよ?」
余りに思い掛けない城の登場に、鉄太は些か慌てると共に呆れてもいた。
来るなら来るで連絡をくれても良さそうなものだ。自分の携帯の番号だって知っている筈なのに、何故、何も言ってこなかったのだろう。
大体、城は夏休みが終わるまでハワイから帰って来ないのではなかったのか。
「昼頃着いた。おまえが言ってた通り、けっこういいな、ここの波…。けど、お盆過ぎたからか引きが強い」
最初から来る事になっていたような言い節で、相変わらず飄々とした城の態度に鉄太はまた戸惑った。
「ハワイじゃなかったのか?何で急に…」
自分が実家に帰る事は言ってあったが、それに対して城が何か言った訳でも無い。それなのに、どうして急に現れたのだろうか。
「ああ。先週帰って来て、暇だからさ。鉄の顔でも見に行くかと思って…」
真っ白な歯を見せて、また城は笑った。
「なら、連絡ぐらいしろよ。もしかして、俺が下宿へ戻ってたらどうするつもりだったんだ?」
鉄太が言うと、城は肩を竦めた。
「それならそれでいいよ。どうせ、そこの民宿に泊まる事にしてあるし」
顎で堤防の向こうを指した城に、鉄太は驚いて言った。
「なんだって?泊まるならウチへ泊まればいいだろ?無駄な金、使うことねえじゃん」
「いいよ。遠慮しながら泊まるよか、金出して宿に泊まった方がいいし。それに、民宿だから安いしな」
「まったく、おまえって…」
外国の生活が長かった所為か、城にはこういう所があった。
それが、付き合い易いと思う時もあり、また、妙に寂しいと感じる時もあった。
今日は後者の方で、鉄太は思わず溜め息を漏らした。
「いつまで居るんだ?」
「おまえは?」
反対に訊き返され、鉄太は答えた。
「俺は、来週ぐらいには戻るつもりだった」
「なら、俺も一緒に帰る」
「そうか…」
「さぁて…、今日はもう上がるかな。…慣らしに乗ってみたけど、さすがに疲れたわ」
言うと、ボードを抱えて城は堤防に向かって歩き始めた。
見回しても他に荷物は無さそうだったし、鉄太も並んで歩き出した。
城は、鉄太よりひとつ年上のやはり大学生だった。
父親の仕事の関係で、小学校低学年から中学の半ばまでをハワイで過ごしていたので、今も長期休暇には友人に会う為とサーフィンを楽しむ為に向こうへ帰る事が多い。
大学卒業後には、今度はプロのサーファーになる為に、またハワイへ戻るつもりらしかった。
鉄太が彼と知り合ったのは、やはり海だった。
友人に誘われて始めたサーフィンだったが、鉄太はすぐに夢中になった。
何度か海へ通う内に、そこに集まるサーファー達とも仲良くなり、その中に居たのが城だった。
城は、他のサーファー達とは一線を画していた。
兎に角、上手い。
その技術と恰好良さに、初心者の鉄太は強く憧れた。
城は初心者に対して親切に手解きしてくれる様なタイプの男ではなかった。気さくだが、どちらかと言えば”我関せず”な男で、人の世話を進んで焼くようなタイプではなかった。
だが、鉄太が悩んでいると、ひと言ふた言さり気なくアドバイスをくれたりする。鉄太の方も上級者ぶった所の無い、城のそういう接し方が好きだった。
すぐに仲良くなり、大学は違ったがサーフィン以外でも一緒に遊ぶようになった。
そして間も無く、鉄太は城がゲイだという事を知ったのだ。
彼には自分の性癖を隠すつもりは無かったらしく、あっさりと告白されて鉄太の方でも構える気にもならなかった。だから、その後でも2人の友達関係に何の変化も起きなかったのだ。
「今夜、呑みに来る?」
城が泊まる宿の前に着くと、足を洗う為の水道の前で彼が訊いた。
「うん。酒、買って来るわ」
鉄太が答えると、城は頷いて水道の蛇口を捻った。
「なあ…、なんか俺に話、あった?」
今度は鉄太が訊くと、城は軽く眉を上げて首を傾げた。
「別に。なんで?」
不思議そうに訊かれて、鉄太はちょっと首を振った。
「いや…、なんとなく…。違うならいいけど」
鉄太が答えると、城は軽く肩を竦めて砂の着いた足を洗い始めた。
気まぐれで来たように見せてはいるが、多分、城は何か自分に用があって来たのだろうと鉄太は思った。
だが、相変わらずの淡白な態度で、まるで鉄太に会ったのも偶然のようにさえ感じさせる。その、掴み所の無さに、鉄太は思わず苦笑してしまった。
(まあ、いいや…。何の用があって会いに来たのか、多分、今夜分かるだろ…)
鉄太はそう思って、城に声を掛けると彼と別れた。