まるで、帯波にのまれるように


-2-

まっすぐ家には帰らず、そのまま近くの商店街へ行くと、今夜持っていく酒やつまみなどを買った。
思い立って花火も買い、家に戻ると買って来たビールや缶チューハイを冷蔵庫の中へ入れた。
「母ちゃん、俺、今夜飯いいわ」
台所に居た母親に言うと、米を研ぐ手を止めて母は振り返った。
「出掛けるの?」
「ああ。友達が遊びに来たんだ」
「あら。なら、今夜うちへ泊まるんじゃないの?」
「いや…。浜の民宿に宿取ったらしいわ。俺も今日はそっちへ呑みに行くから、飯も向こうで何かつまむ」
「そう。うちへ泊まればいいのにねえ。無駄なお金使うことないのに…」
「まあ、そういう奴なんだ」
母親も自分と同じことを言ったのを聞き、鉄太は思わず苦笑した。
彼は否定したが、城が突然現れたのにはきっと何か理由がある筈だと鉄太は思っていた。
確かに城とは友達だし、サーフィン以外でも、呑みに行ったり一緒に遊んだりすることもある。
だが、それはいつでもお互いがもっと親しい友人と一緒だった時で、今までに、城と2人きりで会った事は無かったし、会おうと約束し合った事も無い。
幾ら気まぐれに思いついたとは言っても、城が何の理由も無く自分に会いにここへやって来るとは思えなかった。
掴み所が無くて飄々としていて、陽気だが騒がしい所は無い。どんなに惚れた恋人にでも、“さよなら”と言われたら、ただ“ああ”と言ってしまう淡白さを感じる。
誰とでも分け隔てなく付き合い、誘われれば遊びに行く。だが、誰か特定の人間に執着することも無い男だった。
そんな城だったから、勿論、鉄太は自分が彼にとって特別な存在だとは思っていない。わざわざ、何の用も無しに会いに来るような関係だとも思っていなかった。
「俺に相談…、なんてある訳ねえしなぁ…」
呟きながら、鉄太はごろりとソファに横になった。
城が何かを相談する相手に自分を選ぶとは思えない。良く知らないが、城にはサーフィン繋がりで歳の離れた友達も多かった。
中には立派な職についている人や、人格者も居る。相談することがあるなら、そういう相手を選ぶだろう。
「なーんだろなぁ…」
訪ねて来てくれたのは嬉しいが、なんだか鉄太は釈然としなかった。
「ま、いっか…」
多分、何かあるなら今夜分かるに違いない。今ここで、グダグダ考えていても仕方が無い。
そう言えば、さっき城が足を洗っていた時に気付いたが、彼がいつもしていたシルバーのリングが左手の親指に嵌っていなかった。
ピアス以外、余りアクセサリー類を着けない城だったが、その左の親指に嵌めたごついリングだけは外したのを見たことが無かった。それを思い出し、鉄太は身を起こすと肩肘を突いて頭を支えた。
別に、大した理由は無いのかも知れない。飽きたとか、無くしたとか、そんなことなのだろうとは思う。
だが、鉄太はそれが妙に気に掛かった。
「まさか…、関係ねえよな…?」
自分を訪ねて来たことと、城がそのリングを外したことと何か関連があるのだろうか。
そう思いながら、鉄太は左手を上げて自分の指を見た。
日に焼けた手は、開くと指と指の間が妙に白い。鉄太と同じようにこんがりと焼けた城の指もきっとこうなっているだろう。
心の中を誰にも見せない城。
そんな城を熱くさせるものが鉄太にはサーフィン以外に思い当たらなかった。いや、サーフィンに対する情熱だって、表からは良く見えない。
だが、ただ何となく波に乗っているように見えて、きっと城は誰よりも努力している筈なのだ。天才的な素質は確かにあるのだろうが、それだけでプロになれるほど甘いスポーツは何も無い。
それと同じで、もしかすると自分の知らない所で城は誰かと熱い関わりを持っているのかも知れない。
あのリングを外させるような影響を、城に与えた人間が居るのかも知れない。
そう思うと、鉄太は何故か少し嫉妬した。あの城を熱くさせるような人間が居るのかと思うと、少々悔しい気がしたのだ。
「熱く、かぁ……」
そう言えば、自分にもそんな相手はいないな、と鉄太は思った。
この前まで付き合っていた彼女も、そして、その前に付き合った何人かの相手も、その時は大切に思えたし好きだったが、思い返してみれば熱く燃えるような恋ではなかったように思う。
いつでも自分は、彼女が1番ではなかった。彼女といるのも楽しかったが、それよりも友達といる方が気が楽だったし、彼女よりも大切な友達が常にいたのだ。
(だから、フラれんだな…)
そう思って、鉄太は苦笑した。
モテるが長く続かない。それが鉄太の恋愛の常だった。



日が落ちる前に風呂に入ると、夕方、買ってきた酒類と花火を持って、鉄太は城の待つ民宿へと出かけた。
「おまえの分も、飯、頼んどいた」
出迎えた城にそう言われ、鉄太は礼を言って部屋に入った。
持ってきたビールとつまみを渡すと、城は嬉しそうな顔でそれを受け取り、早速、テーブルの上に並べた。
「ここ、飯は下でみんなと一緒だろ?」
旅館ではないので、泊り客の部屋に一々食事を運んではくれない。1階にある大広間で全員一緒にとる筈だった。
「ああ、そうみたいだな。けど、自分たちで運ぶって言ったら部屋で食ってもいいって言ってたぜ。出来たら呼んでくれるってさ」
「ふうん、そうか。じゃあ、ゆっくり呑めるな」
鉄太の言葉に城は頷くと、缶ビールをひとつ取り、浜風の吹き込む窓辺へ腰を下ろした。
「いいなぁ、やっぱり海の傍は…」
「ああ…」
「鉄、大学終わったらどうするんだ?こっちへ帰って来ねえの?」
「んー…、まだ決めてねえ」
そう言うと、鉄太は缶のプルトップを起こしてビールに口を付けた。
「そっか…。俺な、今学期で大学辞めることにしたんだわ」
「えっ…?」
さらりと言われ、鉄太は驚いて目を見開くとビールを煽る城の横顔を見た。
ゴクッと喉を鳴らした後で、城は缶を唇から離すと肩を竦めた。
「どうせ、波乗りで食うつもりだし、大学出たって仕方ないからな…。それなら早いトコ向こうへ行って、プロテスト受けた方がいいかと思って」
本当に淡々と、城はそう言うと、またビールの缶に口を付けた。
もしかして、城は自分に別れを言いに来たのだろうか。
鉄太はそう思って、急に寂しい気持ちになった。
「けど…、卒業するつもりで入ったんだろ?勿体なくねえの…?」
鉄太の言葉に、城はまた肩を竦めた。
「目的も無く、何となく入っちまった大学だからな…。受験の頃は、まだハワイに戻るって決めてなかったし。でも、もう決めたから…」
本当にあっさりしている、と鉄太は思った。
いつもいつも淡々として、城は迷うことなんか無いのかと思う。迷ってばかりの自分とは余りに違いすぎるように鉄太には思えた。
「寂しいな…。ジョーが居なくなると…」
本心から、鉄太はそう言った。
べったりと一緒に居た関係ではないし、友達と言っても特別仲が良かった訳でもない。だが、今になって考えてみると、ジョーの存在は自分が思っていたよりも自分の中で大きかったように思えた。
その城が居なくなるのかと思うと、酷く寂しくて離れがたいような気持ちになっていた。
鉄太の言葉に、ジョーは何も言わなかった。ただ、黙ってビールの缶を煽り、ずっと波を見ていた。
「もう、みんなには言ったのか?」
波乗りの仲間や友達が城には沢山いる。その連中も、城がいなくなると知ったら寂しがるだろうと思った。
「いや…。まだ、誰にも言ってない。……言わずに行こうかと思ってる」
「え…?」
鉄太が驚いて顔を見たが、城は相変わらず表情を変えずにビールを飲み続けていた。
それなら、自分にだけ知らせに来てくれたというのだろうか。
自分は、城にとってそんなに大事な友達だったのだろうか。
もしかすると、城の方でも自分が感じているような思いがあるのだろうか。一緒にいた時間は短くても、特別な何かを感じていてくれたのだろうか。
淡白な性格に思えるこの城に、そんな風に感じてもらえていたのだとしたら、それは嬉しいことだった。
「んっ…」
ビールの缶を口につけた所で部屋に備え付けの電話が鳴り、城は慌てて口の中のビールを飲み込むと立ち上がった。
「はい。…はい、どうも。じゃ、今行きます」
答えると、受話器を置いて城は鉄太の方を振り返った。
「鉄、飯の用意出来たってよ」
「おう。じゃ、行くか」
答えると、鉄太もビールの缶をそこへ置いて立ち上がった。
部屋を出て階下へ向かう為に廊下を歩いている時、鉄太は隣に並んだ城を見て、またあの指輪のことが気になった。
「なあジョー、親指にしてたシルバーのヤツ、どうしたん?」
別に大した意味があって訊いた訳ではなかったが、城は珍しく少し強張った顔になった。
「ああ…」
言いながら左手を上げると、右手で親指を隠すようにして包んだ。
「別に…。飽きたからさ」
「ふん…?」
わざと軽く頷いたが、鉄太は眉を顰めた。
やはり、あの指輪は城にとって特別なものだったらしいと感じた。それを外したのは、何か大きな理由があるのだろう。
滅多に表情を変えない城が狼狽えたように見えて、鉄太は心が騒いだ。
大広間に泊り客全部の膳が並んでいたが、もう時期も終わりなので数組の親子連れとカップルが居るだけだった。
最盛期には泊り客で一杯だろう大広間も、この人数ではがらんとして少し寂しい。
広間の向かいにある調理場に顔を出すと宿の女将さんが2人に料理の載った膳を差し出した。それを手分けして部屋まで運び、テーブルの上に並べると2人は向かい合って腰を下ろした。
地元なので泊まることも無いし、鉄太は民宿で食事をするのは初めてだった。
料金は安いが、ここの主人は自分で漁船を持っていて漁をするので、出される魚介類は新鮮だったし、料理も思ったより豪華だった。
城が来なければ、多分この先もこんな経験はしなかっただろうし、鉄太は目の前に並んだ料理を珍しそうに見ながら笑みを浮かべた。
「旨そうだな。ウチの母ちゃんの料理よりずっといいわ。こっち来て良かった」
鉄太が言うと、城も笑って頷いた。
「ここは俺が奢るし」
「いや、それじゃ悪いよ。自分の飯代はちゃんと払ってくよ」
箸を伸ばしながら鉄太が言うと、城は首を振った。
「いや、ここは俺が払う。鉄にはまた後で奢ってもらうよ」
「ふ…ん?そうか、じゃ、そうするか」
「ああ」
頷いた城を見て、鉄太はふと気になっていたことを訊いた。
「なあ…。これっきりって訳じゃねえよな?また、会えるんだろ…?」
「え…?」
城は鉄太の言葉に顔を上げたが、その表情は何だか曖昧なものだった。
もしかすると、これが最後のつもりで自分に会いに来たのだろうか。
そう思うと、鉄太は妙に焦るような気持ちになった。
「なに?まさか、これが最後……?」
鉄太が慌てて身を乗り出すようにすると、城は相変わらずのポーカーフェイスで軽く肩を竦めて見せた。
「どうかな…。鉄が暇なら、また会えるかもしんねえけど…」
「ジョー…」
言葉を失った鉄太に、城はまた肩を竦めた。
「最後ったって、もう会えない訳じゃねえじゃん?俺だって親はこっちだし、行きっきりじゃねえしさ。鉄も遊びに来ればいいよ。鉄独りぐらいなら泊まれると思うし」
「あ…、ああ…、そうだな……」
確かにそうかも知れない。だが鉄太は、城がこれを最後に自分と会わないつもりだったことにショックを受けていた。
なんだか、城のハワイ行きには本人が言っている以上の複雑な事情があるように思えてならない。そして、それを自分だけには話して欲しいと思っていることに鉄太は気付いてしまった。
さっきも、そうだ。
居るかどうかも分からない、見たことも無い城の“相手”に嫉妬していた。
そして、この感情を、鉄太自身、理解出来ずにいたのだ。
「な…、ジョー?」
呼び掛けると、何を訊かれるのか知っているかのように、そしてそれを拒絶するかのように、城は鉄太の顔を見なかった。
「ん…?」
「やっぱ、なんかあったんだろ?」
鉄太が訊くと、城は後ろに片手を突いて身体を支え、もう一方の手でビールの缶を持った。
「まあな…」
曖昧に答えると、そのままビールを煽り、城は目を逸らしたままで窓の方を見た。