恋するほどに切なくて
葦原の指が額の髪をそっと払い、そのまま滑って僕の頬に掛かった。
それだけで僕の心臓は破裂しそうなほどドキドキと高鳴り、彼の綺麗な黒い瞳を見つめている事が出来なくなってしまう。
目を伏せると、葦原の手が僕の顎を支えて持ち上げた。
「ちゃんと見て、七綱…」
僕は恐る恐る目を上げたが、視線が合うとすぐにまた怖気づいてしまった。
憧れていた葦原里久と両思いになって1ヶ月。僕にはまだ、これが現実だとは信じられない。
だって葦原は、地味で目立たない僕なんかと違って、誰からも好かれる、人を惹き付けて止まない男なのだ。
彼の周りには、いつも取り巻きのような友人が沢山居て、女の子からの告白など日常茶飯事だ。それも、下級生から上級生まで飛び切りの美女揃いだった。
僕だって、男の癖に彼の魅力に心を掴まれてしまった一人で、その言い出せる筈の無い想いを1年半も密かに抱えていたのだ。
それなのに、こんな取り得も無い僕を、葦原は綺麗だと、好きだと言ってくれた。
これが、夢でなくて何だろう。
チュッと葦原のキスが唇に落ち、僕はビクッと身体を震わせた。
「こっち見てったら…。うん?」
優しい葦原の囁きに、僕はやっと勇気を出して視線を合わせた。
「もう、涙ぐんでるの?可愛いな…、七綱は……」
だって、どうしたらいいのか分からない。
どうすれば、ずっと、ずっと、傍に居てくれるの?
どうすれば、こんな僕が君を引き止めておけるの?
どうすれば、君の心をずっと捕まえておけるの?
離したくない。離さないで欲しい。
でも、その為に、僕は一体何をすればいいんだろう。
「涙に濡れると、もっと綺麗になるな、七綱の瞳は……」
色素の薄い僕の瞳を、葦原は好きだと言ってくれる。
だから僕は、彼と居る時だけ眼鏡を外すのだ。
唇が合わさり、葦原の舌がするりと入り込んで来る。
もう数え切れないほど交わしたキスでも、僕にとってはその度毎に刺激的だった。
舌を吸われて思わず縋りつくと、葦原の手がシャツの下から潜り込んで来た。
そして、厭らしく尖らせた僕の乳首を摘む。
(いやっ……)
こうしてすぐに、物欲しげに身体が反応してしまう事が恥ずかしい。
それを、葦原に知られることが恥ずかしい。
僕が思わず腕を突っ張ると、葦原は直も抱きしめる手に力を込めた。
「声、出してごらん?」
囁かれて、僕は唇を噛み締めると激しく首を振った。
そんなこと、出来る訳が無い。恥ずかしくて死んでしまう。
「こんなに敏感なくせに、我慢してたら辛いよ…?」
擦られる度にビクッと身体が震えたが、僕は顔を背けて首を振ることしか出来なかった。
(そんなに弄らないで……。声が出ちゃう……)
男の喘ぐ声なんて、気持ち悪いに決まっている。
聞いたらきっと、葦原だって呆れるに決まっている。
「脱がせるよ?」
訊かれて、思わず“イヤ”と言いそうになる。
葦原みたいな見事な身体だったら見られてもいい。でも、あばらの浮いた貧弱な身体を見られる度に落ち込んでしまうのだ。
「ご……、ごめん……」
「え…?」
「か、硬くて、僕…。女の子みたいに、柔らかくないし……」
「また、そんなこと……」
呆れたように葦原は言うと、僕の額にキスを落とした。
「そんなこと、気にしなくていいって、いつも言ってるだろ?」
優しく言われて頷いたが、やっぱり気にしないではいられなかった。
だって、経験豊富な葦原は柔らかい女の人の身体を十分に知っているのだ。こんな僕の貧弱な身体で満足出来るとは思えない。
「ぼ、僕、自分で…するよ。解すから、……待ってて」
おまけに、女の子のように、すぐに葦原を受け入れることも出来ない面倒な身体。
僕がベビーオイルを掴むと、葦原はそれを取り上げた。
「いいから、任せろって…」
葦原に弄られるのも、そして感じてしまうことを気づかれるのも、恥ずかしくて堪らない。
僕は枕を掴んで、そこに顔を押し付けた。
濡れた指がゆっくりと入って来るのが分かる。
僕がギュッと枕を掴むと、葦原の動きが止まった。
「痛い……?」
僕が首を振ると、また指がゆっくりと押し込まれる。
こうしていつも葦原は、僕の身体を気遣って時間を掛けて慣らしてくれる。それが、余計に恥ずかしかった。
指が2本に増えて動き始めると、もう我慢していられなくなる。
声を堪える為に、僕は枕を噛んだ。
「うん、いいよ…。この頃、慣れて、柔らかくなるのが早いね」
(そんなこと言わないでッ…)
僕はまた、泣きたくなった。
いつでも飢えて、葦原のことを欲しがっているのがバレてしまう。僕が凄く厭らしい奴だって気づかれてしまう。
「もう、いいよ。もう、して……」
だが、葦原は首を振った。
「駄目だよ、まだ十分じゃ無い」
「いいよ、平気だよっ……」
本当は平気などではなかったが、早く終わらせて欲しくて僕は言った。
少しぐらい、苦しくても、痛くてもいい。いつまでも見っとも無い姿を、葦原の前に晒しておく方が辛い。
「じゃあ、力抜いて…」
脚を抱えられて僕は頷くと、挿入に備えて身体の力を抜いた。
ズンッ、と最初の衝撃が、僕のそこに訪れた。
「くぅぅ……う…」
やはり十分に解されていない所為か、幾ら力を抜いても僕の身体には痛みが走った。
ミシミシとめり込んで来る感覚に、僕は堪え切れずに呻いてしまった。
「やっぱり、痛いんだろ?」
動きを止めた葦原を見上げて、僕は必死で首を振った。
「ううんっ、大丈夫だよ。いいから、続けて……」
「七綱……」
「平気だよ、痛くなんか無い。……してよ…」
痛くたって平気……。
だから、面倒だって思わないで……。お願いだから、こんな身体でも我慢して抱いて欲しい。
すると、葦原が身体を引き、その手が優しく僕の髪を撫でた。
「七綱、もし辛いなら、別に無理してセックスしなくたっていいよ?しなくたって俺はおまえのこと……」
「いやっ……」
葦原の言葉に、僕はうろたえて首を振った。
「いやっ、やだよ…。ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」
「七綱、俺は……」
「ちゃんとしとく。これからは、里久と会う前に、ちゃんと出来るようにしとくから。怒んないで?お願…い……」
「もう…」
苦笑いしながらそう言うと、泣き出した僕の身体を、葦原は腕に抱きしめた。
「そんなこと、言ってないだろ?怒ったんじゃないって……」
「ごめんなさ……」
「だから、謝るなって。俺はいつだって七綱としたいよ。でも、おまえはいつも辛そうだから…。俺の所為で身体に負担を掛けさせてるんじゃないかって思ったんだ」
「そ、そんなこと……。そんなこと無いよ」
「ほんと?」
頷くと、その拍子にまた涙が零れた。
僕は慌てて両手で目を擦り、残りの涙を拭い取った。
「無理なんかしてない。僕だって…、里久と……」
また見ていられなくなって、僕は目を伏せてしまった。
その額に、葦原の唇が押し付けられる。
次第に下がって、最後は唇に届いた。
「痛かったら、言うんだよ?我慢しなくていいから…」
「うん……」
熱いキスの後で囁かれ、僕は頷くと彼の身体にしがみ付いた。
「好き、好き、……大好き……」
自分のベッドに横になり、脇の机に置いた水槽を指で弾き僕は呟いた。
水槽の中には2匹の金魚。
ジンジャー・ジュニアと恋人のペッパー。どちらも葦原がプレゼントしてくれた僕の大事な宝物。
「大好き、大好き、大好き……」
ガラスに付けた僕の指に、金魚たちが集まって来た。 僕はその様子に思わず笑みを浮かべた。
「ジンジャー、ペッパー、里久もね、僕のことを好きって言ってくれる。凄く大事にしてくれる」
また不安に襲われ、僕は笑みを消した。
「でも、それって、いつまでかな……?」
自分がどんなに平凡で詰まらない人間か、僕はちゃんと知っている。
見た目だってぱっとしないし、チビで冴えない奴だ。 運動は全然駄目だし、成績だって特別いい訳じゃ無い。
実際、葦原だって、あの温室で会うまで僕が同じクラスに居た事さえ知らなかった。
それぐらい、存在感が無い。
葦原がつい最近まで付き合っていたのは校医の諒子先生で、飛び切りの美人で男子生徒の憧れの的だ。スタイルだって抜群で、グラビアのアイドルみたいな豊かな胸をしている。
葦原だって、もし先生がお見合いなんかしなかったら、今でも付き合っていた筈だった。
僕は起き上がると、部屋を出てバスルームへ行った。
洗面所で眼鏡を外し、鏡を見る。
葦原はこの顔を綺麗だと言ってくれる。だけど、僕にはそうは思えなかった。
男の癖に、異常なほど白い肌も、雀斑の浮いた鼻と頬も、子供っぽく丸みの帯びた顔のラインも、みんな嫌い。
葦原が好きだといってくれる色素の薄い眼は、大き過ぎてバランスが悪い。
僕は、手入れもしていない伸び過ぎた髪をグイグイと引っ張って、顔を隠すようにした。
「髪形も変えたら、すげえ綺麗になる」
初めて温室で会った時、葦原はそう言ってくれた。
勿論、お世辞だろうけど凄く嬉しかった。
僕は洗面台の扉を開けて、仕舞ってあったコンタクトレンズの入れ物を取り出した。
容器の蓋を開けて液で濯ぐと、用心深くコンタクトレンズを眼の中に入れた。
「う……」
やはり、少しゴロゴロして涙が滲む。
でも、僕は何度も瞬きして我慢すると、そのまま洗面所を出た。
母の勤めている病院の近くに、結構人気の美容室がある。
僕は思い切って、そこへ行ってみることにした。
髪形を変えたら、もしかして少しは見られるようになるかも知れない。 見た目だけでも、少しは葦原と釣り合うようになれたらと思ったのだ。
バスに乗って15分。
僕は、美容室の入り口でガラス越しに中を覗いた。
ここまで来てみたものの、やはり気後れがして足が前へ出ない。
やっぱり止めて帰ろうかと考えていると、後ろから肩を叩かれて振り返った。
「北野じゃない?なに、やってんの?」
「の、野々宮さん……」
立っていたのは、クラスメイトの野々宮小枝だった。
コンビニ帰りらしく、コミック誌と飲料水の入った袋を手に提げている。私服の彼女は何だかいつもと違って見えた。
「へえ、眼鏡してないと違う人みたい。その方がいいよ」
しげしげと見つめられて、僕は恥ずかしくなった。
「野々宮さん、この近くなの?」
「近くって、ここだよ。この美容室があたしんち」
「えっ?そうなのっ?」
「うん。北野、髪やりに来たの?なら、入んなよ。兄貴ィ……」
僕の腕を掴んで半ば強引に店の中へ入ると、野々宮さんは他のお客さんの髪をセットしていた男性に声を掛けた。
「この後、予約入ってる?あたしのクラスメイトなんだけど、いいかな?」
「ああ、OK。丁度1人キャンセルになったから……」
「良かった。……北野、あっちでシャンプーしてもらって」
野々宮さんに促されて、僕はシャンプー台の方に向かった。
美容室は野々宮さんのお母さんが経営者で、チーフがお兄さん、後は美容学校に通っているお姉さんがアシスタントで、後は雇われのスタッフが2人だった。
野々宮さんのお姉さんにシャンプーをしてもらいながら、僕はその話を隣のシャンプー台に腰を下ろした野々宮さんから聞いた。
生まれて初めて美容室に来た僕は、かなり緊張して上がっていたが、野々宮さんが傍にいて話かけてくれたので心強かった。
「野々宮さんも美容師になるの?」
「うん、その予定。この仕事、好きだしね」
僕のシャンプーが終わると、前のお客さんを終えたお兄さんが待っていて、僕を椅子に座らせると鏡越しに顔を見た。
「どんな感じにしましょうか?」
「わ、分かりません。あの…、お任せします」
「そうだね……、うーん、じゃあさ、少し髪の色を抜いてもいいかな?」
すると、後ろから見ていた野々宮さんが口を出した。
「OK、OK。やっちゃって、兄貴」
すると、チーフは笑いながら妹を見た。
「おまえは保護者か?」
「だって、北野は色が白いし、眼の色も薄くてハーフっぽい感じだから、髪も少し明るい方がいいと思うんだよね」
すると、お兄さんは頷いて僕の方に視線を戻した。
「ふん。さすが、俺の妹だな。……どうかな?少しだけ明るい感じにしてみてもいい?」
「はい。お任せします」
そういう訳で、生まれて初めて僕はカラーリングをすることになった。
僕の意見など聞こうともせず、野々宮さんがサンプルを見て色を決めた。
「これぐらいなら、学校もパスだし、大丈夫」
ほんの少しトーンが明るくなっただけでまるで印象が違う。
僕は髪の色が変わった自分を驚きの目で見つめた。
「今から、カットでもっと変わるよ。兄貴の腕は確かだから安心して」
野々宮さんが請合った通り、お兄さんの鋏の動きは正に芸術的だった。
僕はその動きから目を離す事が出来なくなって、感心して眺めていた。
すると、いつの間にかカットが終わって、スタイリングが始まった。
やっと鏡の中の自分に目をやり、僕は息を呑んだ。
「これ…、僕ですか……?」
「そうだよ?気に入った?」
「……はい……」
そこに居たのはまるで別人だった。
「うわ、可愛い……」
カットが終わる間、買って来たコミック誌を読んでいた野々宮さんも近付いて来て鏡を覗いた。
「北野って綺麗な顔してたんだねぇ。いっつも、眼鏡と髪の毛で顔が見えなかったから分かんなかったよ」
野々宮さんの言った通り、伸び切ってぼさぼさだった髪が、まるでアイドルか何かのように流行のスタイルに変わっていた。
気の所為か、顔立ちまで明るくなったような感じがする。
お兄さんはスタイルを保つ為のやり方を丁寧に教えてくれて、僕はその為に必要なスタイリング剤を買った。
「明日、皆が驚くよ。楽しみだなぁ」
そう言って笑った野々宮さんとお兄さんに何度も礼を言い、僕は満足して美容室を出た。
明日、学校へ行ったら、葦原はなんと言うだろうか。気に入ってくれるだろうか。
僕は、少し心を躍らせながらバス停までの短い道程を歩いて行った。
翌朝、ドキドキしながら学校へ行くと、教室に入ってすぐ、クラスメイトの1人が怪訝そうな顔で近付いて来た。
「おまえ、誰?転入生?」
訊かれて僕は真剣に驚いた。 何度も話したことがある筈なのに、まさか、彼まで僕の存在を知らなかったと言うのだろうか。
「え?ぼ、僕、北野だよ」
「えぇっ?おまえ、北野なのっ?」
素っ頓狂な彼の声に、教室に居た皆がこちらを振り向いた。
途端に、ざわざわと騒ぎが広がり、何人もが僕の周りに集まって来た。
「ほんとに、北野かよ?」
「うっそぉ、別人じゃーん」
皆に囲まれて、僕はどうしていいか分からなくなってしまった。
「北野くんがこんなに可愛いなんて知らなかったよ。ねえ?」
「ほんと、ほんと。外国人の男の子みたい。かっわいい…」
女の子達が口々に言って騒ぐのに頷きながら、男子たちもニヤニヤと興味深げに僕を見た。
「どうしちゃったんだ?急に」
「恋でもしたとか?」
カーッと頬が熱くなる。
「うわ、マジ?」
「やーん、超かわいー」
そんな僕を見て、また回りのクラスメイト達が一斉に騒ぎ出した。
「うるせえぞっ。いい加減にしろよ」
戸口から鋭い一声が上がり、皆は口を閉じてそちらを見た。
そこには、眉間に皺を寄せて、険しい表情をした葦原が立っていた。
「チャイム鳴ったぜ。席に着けよ」
そう言うなり、葦原も自分の席に着いた。
同時に担任の先生の姿が見えて、皆も慌てて席に戻って行った。
僕も自分の席に座りながら、恐る恐る葦原の方を見た。
明らかに、葦原は機嫌が悪い。さっきも、僕の方を見ようともしなかった。
喜んでくれるかと思って髪形を変えたのに、気に入ってもらえなかったのだろうか。それとも、僕が 恋をしているのかと聞かれたことが嫌だったのだろうか。
自分が僕と付き合っていることを人に知られるのが嫌なのかも知れない。
(きっと、そうなんだ…)
僕と葦原は、クラスではあまり話したりしない。
急に仲良くなって、変に勘ぐられたりしたら葦原に迷惑が掛かるから、僕の方から言い出して、そうしてもらっているのだ。
葦原は皆に何か言われても構わないと言ってくれたけど、本心ではきっと、僕との付き合いを秘密にしておきたいのだろう。
葦原が喜んでくれるだろうと期待していた、さっきまでの弾むような気持ちが、今は萎んで重く沈んでしまった。
昼休みにフイッと消えた葦原を探して、僕は裏庭に行った。
今はもう、僕たちが出会った、あの壊れかけた温室は無くなってしまった。
でもたまに、葦原は1人になりたい時、その温室の有った裏庭に出かけるのだ。
いつも人に囲まれていると、時折静かな場所が恋しくなるのだろう。 定位置の大きな椎の樹の陰に葦原は座っていた。
「七綱……」
そっと覗くと、葦原は僕に気づいて手招きをした。
「怒ってるの……?」
前に立つと、葦原は下から僕をじっと見上げた。
「ごめんなさい…、僕はただ、自分を変えてみたくて……」
ふっと溜息をつき、一瞬目を閉じると、葦原は僕の手を掴んだ。
「ごめん、俺が悪かった。七綱は何も悪くなんかないよ。さっきのは、俺の下らない焼きもちだ」
「え……?」
「言ったろ?七綱は綺麗なんだ。俺だけがそれを知っていて独り占めしてたのに、皆に知られたことが嫌だった。今更、あんな風に騒ぐあいつらに腹が立っただけだよ」
手を引かれて、僕は葦原の前に座った。
「凄く似合うよ。雀斑までが引き立って見える」
優しく笑って言った葦原の言葉を、僕は鵜呑みにすることが出来なかった。僕に気を遣ってくれただけかも知れないと思ったからだ。
「ほんと?ほんとに怒ってない?…嫌だったら僕、明日からまた眼鏡して、そして……」
葦原は軽い溜息をついて僕の腕を掴むと、言葉を遮った。
「七綱…、もっと自分に自信を持てよ。嘘なんか言ってない。あいつらが騒ぐのは当然だよ。七綱は本当に綺麗なんだから…」
そう言われても、僕は信じ切ることが出来なかった。
葦原の言い方にはどこか蟠りが感じられる。やはり僕のしたことを面白く思っていない部分があるのだ。
「あの…、今日、来てくれる?母さん、夜勤だから……」
恐る恐る切り出すと、葦原は少し困った顔をした。
「ごめん、今日はバイト入ってて……」
「あ、うん。分かった……」
葦原は最近、知り合いのカフェでアルバイトを始めたのだ。学校が終わってから、週に3、4日はランダムに働いている。
「あ、そうだ。だったら、店に晩飯食いに来いよ。俺、奢ってやるから」
「いいよっ。そんなの、いい……」
僕は慌てて手を振った。
そんなことをしたら、僕との付き合いが知られてしまう。
店には彼がアルバイトをしていると知って、ファンの女の子達が通い詰めているらしいのだ。中には僕のことを知っている子だっているだろう。
「じゃあ僕、もう教室に戻る…」
立ち上がろうとした僕の手を再び掴んで、葦原はそのまま僕の身体を腕の中へ引き寄せた。
「行くよ。遅くなるけど、店が終わったら行くから。待ってて?」
「い、いいよ。無理しないで…。里久の都合のいい時でいいんだ。僕は、いつだって。が、学校でだって会えるんだし…」
答えを聞いて、葦原の眉がギュッと寄せられた。
「ほんと?そしたら暫く時間が取れないかも知れないよ?店が忙しくなってきて、毎日入ってくれって言われてるし…」
それを聞いて僕はショックを受けたが、無理をしてすぐに頷いて見せた。
「うん、分かった。仕方ないもん……」
「七綱…」
クイッと顎を上げられ、僕は涙の滲んだ目を葦原に見られてしまった。
「そんな目をするくらいなら、正直に言えよ」
「…ごめんなさ……」
「ほら、言ってごらん?」
僕は葦原の首に腕を回して縋りついた。
「今夜、来て。ずっと、ずっと、待ってるから。絶対、来て…」
葦原の手が僕の背中を撫でる。
「分かった。絶対に行くから…」
待ってる。
何時になっても、どんなに遅くなっても、来てくれるならずっと待ってるから……。
ギュッと葦原にしがみ付いていた僕は、気が着いてハッとすると、すぐに身体を離した。
こんな場所で、もし誰かに見られたりしたら取り返しがつかない。
「ご、ごめん。僕、もう行くよっ」
慌てて立ち上がると、僕は葦原を残してその場から駆け出した。