恋するほどに切なくて


-3-

結局、葦原からは電話1本もらえないまま、文化祭の当日がやってきた。
文化祭の1日目は部外者を入れずに行われる。それのメインイベントがミスコンだった。
今年の優勝者には、やはり、僕のクラスの矢沢美帆さんが選ばれた。
僕は去年のミスに花の冠を被せてもらっている誇らしげな彼女の姿を見ていることが出来なくなって、会場をこっそり抜け出した。
校庭をぐるりと囲むように作られた屋台を抜け、裏庭に出ると、いつも葦原が座っている椎の木の影に腰を下ろした。
明日1日、葦原は矢沢さんと校内をデートする。
何処に隠れていたら、その姿を見ずに済むだろうか。
(今までの中で、最悪の誕生日…)
それが明日だ。
学校を休んでしまおうかとも思ったが、明日は僕が出るコンテストがある。まさか、クラスの代表として引き受けたからには、放棄する訳にはいかない。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
全ては僕が、葦原に少しでも近付きたいなどと身の程知らずなことを考えた所為なのだ。
多分、何もしなくてもきっと、葦原は僕に飽きて離れて行ったのかも知れない。
でもそれは、こんなに早くは無かっただろう。
僕が余計なことさえしなければ、葦原を怒らせたりしなければ、彼はもう少しの間、僕に夢を見させてくれたのだ。
誰にも認めてもらえなくたって良かった、褒められたくなんか無かった。 葦原1人が、綺麗だと、好きだと言ってくれさえすれば、それで良かったのだ。
欲しかった全てを、馬鹿な僕は自分から手放してしまったのだ。
「なにしてんの?北野」
声を掛けられて顔を上げると、落ち葉を踏み鳴らしながら野々宮さんが近づいて来た。
「の、野々宮さんこそ……」
「うん。ミスコンなんか興味ないし……」
言いながら彼女はスカートをくるりと抑えて、僕の隣に腰を下ろした。
彼女の気持ちは、多分、僕と同じだ。
そう感じた途端、僕は激しい胸の痛みに顔を歪めそうになった。
興味がないなら、最初から見たりしない。でも、誰がミスに選ばれるのか結果が気になる。何故なら、選ばれた人間が葦原の相手になるから。
それが気になって、ミスが誰になるのか確かめずにはいられなかったのだ。
「野々宮さん……、葦原のことが好きなんだね?」
「はっ……?な、なに言ってんの?」
笑い飛ばそうとした彼女の顔が段々に歪んできた。
「ンな訳無いじゃん。だって、あたしなんか、……ブスだし、がさつだし、こんな、男みたいで……」
(でも、女の子だよ…)
その1つだけでも、僕よりは有利な立場に居る。
そして、彼女は僕なんかと違って、誰からも愛される人だった。
「がさつなんかじゃないよ。野々宮さんはきめ細やかで明るくて、素敵な人だと思う。顔だって矢沢さんみたいな美人系じゃ無いけど、可愛いと思うよ。絶対、ブスだなんて思ってる人はいないよ」
驚いたような顔を上げて、野々宮さんは僕を見た。
「北野って、そんなお世辞が言えるとは思わなかった……」
しみじみといわれて、カッと頬に血が上った。
「お、お世辞じゃ無いって……」
「あはは…、ありがと。嬉しいよ、北野に褒めてもらって」
自分でも柄にも無いことを言ってしまったと思い、僕の頬は益々熱く火照った。
「葦原さあ…、なんで諒子先生と別れちゃったんだろうね…?」
それを聞いて、僕はギクリとして彼女を見た。
まさか僕の他に、そのことを知っている人間が居るとは思っていなかったのだ。
「なんで、知って……」
野々宮さんは苦い笑いを浮かべると、僕の目から視線を外した。
「あたしのウチって、先生のマンションと近いんだ。葦原が先生と一緒に帰って来たの、偶然に見ちゃって……」
「そう……」
頷くと、野々宮さんがまた僕の方を見た。
「でも、…って言うことは、北野も知ってたんだね?やっぱり、北野と葦原って仲がいいんだ。葦原、諒子先生との付き合いは他の誰にも内緒にしてたみたいなのに……」
「そ、そんなんじゃ無い。別に……」
「何で教室では喋んないの?お互いに知らん振りして……」
「だ、だって……、おかしいだろ?僕みたいのが、葦原と友達なんて…。みんな、変に思うし、葦原だって、迷惑だよ」
「そんなこと無いよ。それこそ、そんな考え方する方がおかしいよ」
野々宮さんは怒ったように言うと、僕の方に身体ごと向き直った。
「なんで北野はそんな風に自分を卑下するの?あんたは、あんまり喋んないし大人しいから、みんな気づかないだけで、いい奴だよ。葦原だってそれを知ってるから、きっと大事な話もするんだよ。もっと自分に自信持ちなよ。あたしは好きだよ、北野のこと……」
「あ、ありがと……」
また僕は頬が火照るのを感じた。
野々宮さんはにっこり笑うと、また木の幹に寄り掛かった。
「葦原がさ、諒子先生と付き合ってるって知った時、なるほどなぁと思ったんだ。……だって、あんなにモテるのに、彼女が誰なのか分からなかったでしょ?噂にもならないの、おかしいって思ってた」
「……そうだね」
「今は、フリーなのかな……。知ってるんでしょ?北野」
「僕は……」
口篭ると、野々宮さんが僕の肩を叩いた。
「はは…、いいよ。ごめん……。卑怯だよね、こういうの」
「野々宮さん……」
僕はなんだか、彼女に対して後ろめたいような気持ちがした。
今、葦原はフリーだよと言ったら、彼女は葦原に告白するだろうか。
黙り込んだ僕の肩を、彼女は励ますように叩いた。
「さ、もう行こ?カフェの方、手伝わなくちゃ」
「うん…」
「明日、頑張ろうね、北野。あたし、あんたのこと、矢沢なんかよりずっと綺麗にしてやるから」
「はは……。宜しく」



前日も僕たちのカフェは盛況で、ケーキはあっという間に売切れてしまった。
まだ届かないが、今日は外部からのお客さんも沢山来るので、その数も見込んで葦原が注文しておいたらしい。
カフェの準備を少し手伝った後、僕と野々宮さんはコンテストの準備の為に楽屋に使われる教室に移動した。
僕たちは準備の途中で抜け出して来たので葦原はまだ教室に居た。
だから、矢沢さんとのツーショットを見なくて済んだ。
楽屋に使っている教室に入ると、もう何人かが準備を始めていた。
見えない方が上がらずに済むと思い、僕はコンタクトレンズをわざと付けないことにした。
ステージ上にはエスコートしてくれる男子が居るという話だし、転ぶことも無いだろう。
僕には良く見えなかったが、ぐるりと周りを見回して出場者を確認すると、野々宮さんは僕を見て力強く頷いた。
「大丈夫。絶対、北野が優勝出来る」
別に優勝したいとは思わないし、それに、出来るとも思っていない僕は曖昧に頷いた。
僕たちも空いている隅っこの席に座り、準備を始めた。
「ほんと、羨ましいぐらい色が白いね…。透き通るみたい」
僕に化粧を施してくれながら野々宮さんは言った。
僕には鏡の中の自分がぼんやりとしか見えないので、まだどんな風になっているのか良く分からない。 彼女の言う通り、下を見たり、上を見たりしてされるままに従った。
周りの出場者もクラスメイトの女の子に化粧をしてもらいながら、結構楽しそうにはしゃいでいる。中には今頃になって髭を剃っている男子も居た。
「あはは…。北野はツルツルだから、楽でいいね」
「でもそれって、男としてはどうなの?」
僕が顔を顰めながら言うと、野々宮さんはまた楽しげに笑った。
「いいじゃん。いつかは生えるって……」
メイクが出来上がり鏡を近付けて見て驚いた。
彼女の技術の所為だろうが、まるで女の子にしか見えない。
「これ、僕……?」
「そうだよ。綺麗でしょ?やっぱ、思った通りだ」
自慢げに言った彼女の言葉を後ろで聞き、僕は鏡から目が離せなくなっていた。
「凄い…。なに?この睫。これって、僕の睫なの?」
「そうだよ。元々長かったから、ビューラーとマスカラで…。お人形みたいだよね?」
「うん……」
薄かった眉毛も、髪の毛と同じ色のペンシルで綺麗に描き足してあって、唇はサクランボみたいにつやつやと光っていた。
「じゃあ、これに着替えて。ウチの姉貴の制服。去年まで着てたんだ」
僕はきちんと畳まれた他校の制服を渡されて受け取った。
ブラウスとプリーツスカート。それに紺色のセーターと臙脂のネクタイだった。
「え?こんな短いスカート穿くの?」
広げて見て、ギョッとして僕が言うと、野々宮さんは当然というように頷いた。
「そうだよ。サイズは直してあるし、大丈夫だから」
ちっとも大丈夫ではないが、僕は仕方なく衝立の後ろに回って制服を脱ぎ始めた。
「野々宮さ…」
困った事に気づき顔を覗かせると、野々宮さんが近づいて来た。
「下着、裾からはみ出すよ。どうしよう」
トランクスがスカートの裾からチラチラと見えてしまう。野々宮さんはクスクスと笑って袋を差し出した。
「脱いで、これ穿いて」
袋の中には女物の下着が入っていた。
「新しいのだから大丈夫。それに、ビキニじゃ恥ずかしいと思って、ボクサータイプのにしといたし」
「嘘でしょ…?」
きっと僕が、余程情け無さそうな顔をしていたのだろう。野々宮さんは吹き出して笑った。
「はいはい。早くしてね。ヘアーの方がまだなんだから」
仕方なく僕は履いていたトランクスを脱いで女物の下着に穿き替えた。
色がスカートと同じ紺色なのは良かったが、幾ら引き上げても、臍の下までしか届かない。スースーして穿き心地が悪かった。
着替えを終えた僕をまた座らせると、野々宮さんは器用に髪形を整えてくれた。
「OK、出来上がり。うーん、我ながら上出来だぁ」
野々宮さんが満足げに言うと、周りの出場者やサポートの女の子たちが、僕を見て騒ぎ始めた。
「すっげ、可愛いー」
「あれ、だあれ?あんな子、居たっけ 」
「ちょっと、まさか本物の女の子を出したんじゃないでしょうね?」
3年らしい気の強そうな女子に言われて、野々宮さんは笑った。
「な、訳ないじゃ無いですか。彼は正真正銘の男ですよ」
ざわざわと騒がれて僕は恥ずかしくて堪らなかった。
その時、係りの生徒が現れ、出場者に集まるように言った。



僕も野々宮さんと一緒に教室を出て講堂へ行き、ステージの裏に全員が集まった。
「クラスと名前を呼ばれますので、そしたらステージに進んで袖に居るエスコートの男子の腕を取ってください。彼が一緒にステージ上を歩きます。それに従って歩いてください」
渡されたクラスの札を胸につけて、僕達は出番を待った。
みんな、お互いの顔や衣装を見て、笑い合ったり馬鹿にし合ったりしている。このイベントが笑いを取る目的で行われるのを知っているので、みんな余り緊張している様子は無かった。
僕はコンタクトレンズを外しているので他の出場者の顔は見えない。
でも、中には小柄で可愛らしい感じの男子も多く混ざっていた。
司会の生徒がコンテストの開始を告げて、大きな拍手が客席の方から沸きあがった。
1年の最初の組から順に出場者の名前が呼ばれ、次々にステージに出て行く。1人出て行く度に、客席からは大きな拍手と歓声が沸きあがった。
中には、友達が出てくると野次を飛ばす生徒も居て、それでまた笑いが起きる。 どうやら、このイベントは大成功のようだった。
僕の前の組の男子が出て行くと、野々宮さんが僕の背中を励ますように叩いてくれた。
「頑張ってよ、北野」
「うん……」
何をどう頑張ればいいのか分からなかったが、僕は一応頷いてステージに出て行った。
すると、エスコート役の3年生の男子が、僕に腕を差し出しながら小声で言った。
「おまえ、ほんとに男?」
「そうです」
「へえ…、綺麗だなぁ…」
名前が呼ばれて、僕は彼の腕に掴まったままステージの中央まで進んだ。
すると、今までざわめいていた会場が、ぴたっと静まり返り、僕は慌ててしまった。
なにか、拙い事でもあったのだろうか。
眼が見えないだけに、不安になって僕は隣の3年生を見上げた。
すると、会場から一斉に拍手と歓声が上がった。
「かっわいーい」
「七綱ちゃん、最高っ」
「俺とデートしてーっ」
次々と上がる野次や口笛に、カーッと頬が熱くなる。
僕は忽ち逃げ出したくなってしまった。
3年生に連れられてぐるりとステージ上を一周すると、僕は他の出場者と一緒に自分の位置に並んだ。
いたたまれない様な気持ちで立っていた僕だったが、やっと全部の出場者が並んで、すぐに投票が始まった。
投票は僕たちの目の前に置かれた籠に、薄紙で作った花が入れられていく方式だった。
会場に集まった人たちが手に持った花を、どんどん籠に入れていく。
驚いたことに、僕の前には長蛇の列が出来てしまった。
「こりゃ、決まりだな」
隣のクラスの代表が笑いながら僕の肩を叩いた。
「いいなぁ、学食30食分」
反対隣の生徒もそう言って笑う。
僕は恥ずかしくなって顔を伏せた。
まさか、こんなことになるとは思ってもいなかった。
これも、野々宮さんのメイクアップ技術が優れていた所為だろう。賞品の半分は彼女のものだ。
投票が終わると、僕の籠だけが入り切れない花で溢れていた。
司会が僕の優勝を告げ、客席とステージ上から同時に拍手が起こる。 僕は賞品を授与されて、皆に頭を下げた。
やっと終わって安心し、みんなと一緒に引っ込もうとすると、司会が慌てて僕の腕を掴んだ。
「あー、まだ、まだ。優勝した北野くんには、この後、君とのデート権を賭けたオークションが残っていますよ」
そうだった。 まさか優勝するなんて夢にも思っていなかったから、そんなイベントがあったことをすっかり忘れていたのだ。
「上限は3000円まで。100円からスタートですっ」
司会の他に係りの生徒が数名出て来て、オークションが始まった。
僕なんかとデートしたい男子がいるとは思えなかったが、驚いたことに予想に反して、すぐに1000円まで競られていった。
僕は呆気に取られて、会場の人波をステージの上から見つめていた。
「さあ、1000円まで来ましたよ。後はありませんか?」
司会がそう言った時、一際大きな声が会場から聞こえた。
「3000円っ」
「おおっとぉ、いきなり3000円が出ましたっ。落札ですっ」
信じられない。
僕なんかとデートする為に、まさか3000円も払う男子がいるとは。
会場のざわめきが大きくなり、落札した生徒がステージに近づいて来た。
コンタクトをしていないので誰だか分からないが、彼を見て皆からどよめきが起きている。
「これは驚きました。なんと落札したのは今年のプリンス、葦原里久くんです」
司会の言葉を聞いて、僕は余りの驚きに息を呑んだ。
(嘘でしょう…?)
どうして葦原が、競になんか参加したのだ。大体、どうして彼がこの会場にいるのだろう。
だが、嘘ではなかった。
ステージに上がって僕の隣に立ったのは確かに葦原だった。
「葦原くんは、今日、ミスのエスコートがあるんじゃないですか?」
司会者が訊くと、葦原は笑いながら差し出されたマイクに顔を近づけた。
「2年連続でミスを独り占めしたら悪いので、今年は辞退させてもらいました。エスコートは3年生の遠藤先輩が引き受けてくれました」
「それにしても、このオークションに君が参加するとは……」
僕と同じ疑問を持ったらしく司会者が言うと、葦原は悪戯っぽく笑って見せた。
「優勝者があんまり綺麗なんで、思わず叫んでしまいました」
すると、客席からどっと笑いが起こった。
「そうですか。では、この3000円は寄付させてもらいます。それでは、ご両人、この後は思いっきりデートを楽しんでください」
客席からの拍手喝采と野次の中、僕は葦原に腕を取られてステージから降りた。
「どうして?」
会場を出ると、僕は葦原に訊いた。
彼がなにを考えているのか分からず、不安で堪らなかった。
「他の男とデートしたかったのか?」
不機嫌に言われて、僕は慌てて首を振った。
そんな訳が無い。葦原以外の誰だろうと、一緒に歩きたい相手などいないのだ。
だが、周りの人たちの視線が、見えない眼にも感じる。 慌てて腕を離そうとすると、葦原は僕の手をグッと掴んで自分の腕に絡めさせた。
「権利は俺が買ったんだからな。今日は1日付き合ってもらう」
「だって、みんなが見て…」
「いいだろ?今日は七綱は女の子なんだから、堂々としてろよ」
グイッと腕を引かれて、僕は俯いたまま付いて行った。
矢沢さんとこうして歩く葦原を見るのは、どんなにか辛いだろうと思っていた。
それなのに今、彼の腕を掴んでいるのは僕なのだ。
まるで奇跡みたいな出来事に、僕は女装して良かったと初めて思った。
コンタクトレンズをしていないので、そっと見上げた葦原の横顔が少しぼやける。その表情を確かめられなくて不安になり、僕は思わずコクリと喉を鳴らした。
すると、葦原がその音に気づいてこちらを見下ろした。
「緊張して喉が渇いてんだろ?なんか飲もう」
「うん」
葦原と歩くのは嬉しかったが、何処を歩いてもからかわれて、僕はどうしていいのか分からなかった。
葦原にジュースを買って貰って、植え込みの淵石に並んで腰を下ろした。
「脚。閉じないとパンツが見えるぞ」
言われて、僕はハッとして脚を閉じた。
見ると、葦原はジュースのストローを口に銜えたまま前を見ている。その様子を見ても、あまり機嫌がいいようには思えない。
僕と歩くのが嫌だったら、どうして権利を買ったりしたのだろう。それに、どうしてミスのエスコートを辞退したりしたのだろう。
その理由は分からなかったが、でも、僕は嬉しかった。
こんな風に葦原が傍に居てくれるのは随分久し振りだったのだ。
「もう、話しかけてくれないと思ってた…」
僕の言葉に、葦原はやっとこちらを向いてくれた。 謝れば、もしかしたら許してくれるだろうか。
「勝手なことばっかりして、ごめん。この前も、店に行ったりして…、ごめんなさい」
葦原は呆れたように溜息をつくと、また前を向いてしまった。
「俺が、そんなことで怒ってると思ってんのか?」
だったら、何がいけなかったのだろう。僕は黙り込んでしまった葦原に何を言っていいのか分からず、泣きたくなってしまった。
「どうして、矢沢さんのエスコート断ったりしたの?僕になんか構ってないで、彼女とデートすればいいだろ?」
そんなことは微塵も思っていないのに、僕は葦原の態度に腹が立って思わず恨み言を言ってしまった。
「本気で言ってんのか?」
「だって…、だって、もう、僕のことが嫌になったんだろ?ずっと、電話も、メールさえくれなかったし…」
僕は零れそうになった涙を指で払った。
「最初から分かってたけど、それならそうと、ちゃんと言ってくれればいい。僕だって、いつまでも里久が僕なんかに興味を示してくれる筈が無いって分かってたもん…」
ハァッ、と、また葦原の口から溜息が漏れた。
「七綱…」
葦原が言いかけた時、向こうからクラスの委員長が走って来た。
「葦原、ケーキの数が合わないんだけど」
「えっ?」
葦原は慌てて立ち上がった。
「七綱、ちょっと、ここで待ってて…」
「おおっ?おまえ、北野か?すげぇな、美人じゃんか…」
「いいから、委員長」
何故か苛々した様子で、葦原は委員長の肩を掴んだ。
「いいか、いなくなったりするんじゃないぞ」
僕にそう言い残し、携帯電話を取り出して店にかけながら、葦原は委員長を無理やり引っ張って行った。