恋するほどに切なくて
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文化祭が近付いていて、午後からはクラスの出し物を決める話し合いが行われた。
「えー、じゃあウチのクラスの出し物は、“ホラーカフェ”に決定します。いいですね?」
クラス全員から拍手を受け、出し物が決定した。
その後、役割が決められ、僕はカフェになる教室の装飾を担当する事になった。
美術部の2人が中心になって、明日からおどろおどろしいオブジェの製作に取り掛かる。お陰で、放課後は毎日、居残りを強いられる事になった。
「えー、それと、毎年恒例のミスコンに加えて、今年からミスターレディ・コンテストが開催されます ミスコンの方は、クラス投票で矢沢美帆さんが出ることに決まっていますが、ミスターレディの方の代表を決めたいと思いまーす。誰か、推薦したい人がいますか?」
委員長が言った直後、後ろの方で男子が数人手を上げた。
「はい、はいっ。北野くんがいいと思いますっ」
「そう、そうっ」
クラス中から同意の声が上がり、僕は呆気に取られてしまった。
ミスターレディ・コンテストは、勿論、男が女装して美しさを競うイベントで、ミスコン同様講堂の大きな舞台で行われる。そんな大勢の眼に晒されるようなことを、この僕に出来る訳が無い。
大体、どうして僕なのだ。今まで、僕のことなど誰も気にも留めなかったではないか。
「ほぼ、全員一致のようですが、どうですか?北野くん」
「ぼ、僕は……、無理です、そんな……」
泣きそうな声で僕が答えると、女子の1人が立ち上がった。
「大丈夫。北野なら絶対優勝出来るよ。あたしがさせて見せるから、まっかせなさーい」
「野々宮さん……」
美容師志望の野々宮さんはメイクアップにも自信が有るらしい。そう言えば、良く女の子達の相談を受けているのを見かけていた。
人気者の彼女は、クラス中の拍手を受けて、ひょうきんにそれに答えていた。
こうなったら断ることも出来ない。僕は仕方なく引き受けることになってしまった。
「えー、ミスコンの賞品ですが、優勝者には学食の食券20食分と、事前に行われた男子の人気投票ナンバーワンだった、ウチのクラスの葦原との1日デート権がもらえるそうです」
委員長が資料を読み上げると、クラス中から歓声が上がった。
矢沢さんの目が輝いて、葦原を見つめる。周りの女子が羨ましそうに彼女の身体を突付いた。
葦原は平然とした態度で面白くも無さそうに前を向いたままだったが、僕は胸が痛くて仕方なかった。
ミスコンの賞品は恒例になっていて、文化祭の前に必ず男子の人気投票が行われる。
1位の他は誰が何位だったか発表される事は無いが、去年もダントツで葦原が1位だったし、今年もそれは不動だろうと言われていた。だから、葦原の方もデート権のことは分かっていただろう。
「えー、静かにっ」
委員長の声にクラスのざわめきが収まった。
「ミスターレディの方の賞品は食券30食です分。それと、こちらにもデート権が有りますが、これはオークションで落札されるそうです」
「えー?どういうことですかぁ?」
「つまり、優勝者とのデート権を、デートしたいと思う人が値段を付けて競り落とす訳です。上限は3000円で、そのお金はユニセフに寄付されるそうです」
また、クラス中から嬌声が上がり、笑いが渦を巻いた。
つまり、それも一種の余興で、勿論、本気でデートしたいなどと思う男子はいないだろう。みんな、洒落で参加する訳だ。
「いい、いい、それ。北野、頑張れよ」
「優勝したら、俺たちも絶対に参加するからさ」
僕は曖昧に笑って答えながら、そっと葦原の方を窺った。
さっきと同じように前を向いたまま、こちらを見ようともしない。その表情は白け切っているように見えた。
それを見て、僕の胸がまた少し痛む。
きっと、この事態を葦原は良く思っていないのだ。
でも、僕だって、ミスの人と葦原がデートするなんて耐えられない。
それが例え、本気のデートじゃなくたって、たった1日の事だって嫌だった。
だけど、葦原にそんなことを言える訳が無いし、言ったところで葦原にも止めることは出来ない。
もし、葦原がミスコンの優勝者とデートして、そして彼女に本気になってしまったらと思うと、怖くて、怖くて、堪らなくなってくる。
だって、皆から選ばれた、学校一の美人が相手なのだ。そうならない保障なんか何処にも無いではないか。
僕なんかより、その子の方が魅力的なのは明らかなのだから。
「北野、後でサイズ測らしてね?」
野々宮さんに声を掛けられて僕はハッとして顔を上げた。
「え?サイズ?」
「うん。ウエストとか。北野なら細いし小さいから、女物のMサイズでも大丈夫だと思うけど、サイズが合わなかったら直さなきゃならないし……」
「あ、うん。宜しくお願いします」
「OK、OK。ドーンと任せなさーい。とびっきりの美人に仕上げるよ」
「はは……。どうも……」
その夜、僕は1人で夕食を済ませ、葦原が来るのを待った。
アルバイトは9時までなので、多分来るのは10時頃だろう。
風呂に入って念入りに身体を洗い部屋に戻ると、僕は抽斗からオイルの瓶を出した。
学校で彼の機嫌を損ねてしまった事を、僕はずっと気にしていた。だから、今夜は葦原に面倒を掛けないように、ちゃんと準備をして待つつもりだった。
パジャマのズボンと下着を脱いでオイルを指に取ると、その手を後ろに回す。
ここを弄るのは初めてでは無いので躊躇わずに指を入れた。
葦原を思って1人でする時、いつもここが寂しくなって慰めてしまう。
葦原に抱かれるようになって、僕の身体は彼と繋がることの喜びを覚えてしまっていたのだ。
そして、終わった後は、いつでも激しく後悔する。
こんな厭らしい僕を、絶対に葦原には知られたくないと思うのだ。
「あ……」
指を動かすと、自然に声が漏れる。
葦原の前では決して上げる事が出来ない喘ぎ声を、僕は抑えることなく唇から押し出した。
「あ、あ、……ん…、んぅ…、あぁ……」
指を増やし何度も擦る。 そうすると、葦原がここに入ってきた時のことを思い出して、身体が熱くなった。
堪えきれなくなって掴むと、もう前も、はちきれそうに育っていた。
「里久…、里久……」
本物の彼に抱かれている時には決して見せられない淫乱な姿。
葦原の名前を呼んで自慰に悶える厭らしい僕を知っているのは、水槽の中の2匹の金魚だけだった。
10時少し前に、葦原はやって来た。
「お腹空いてないの?なんか食べるなら……」
「いいよ。店で食ってきたし」
葦原の表情は、まだ晴れていなかった。
昼間の事をまだ怒っているのだろう。僕が勝手にイメチェンした事も、その所為でコンテストになんか出る羽目になったのも気に入らないのだ。
「じゃあ…、じゃあ、何か飲む?温かいのがよければ……」
「いいよ。何にもいらない。部屋に行こう」
「うん……」
僕の部屋に入ると、葦原はすぐに僕を引き寄せて唇を押し付けてきた。
「いい匂いする……。ボディソープの……」
キスの後で囁くと、葦原は僕の項に顔を埋めるようにして息を吸い込んだ。
「里久、今日はすぐに挿入れても平気だよ。ちゃんと…、しといたから……」
ゆっくりと顔を上げて、葦原は僕を見下ろした。
「里久…?あの……」
じっと、険しい目で見つめられ僕は不安になった。
葦原は黙って僕を見つめたまま何も言おうとしない。
「里……」
沈黙に耐え切れなくなって僕が口を開きかけた時、葦原の手が乱暴に僕をベッドの上に押し倒した。
「あっ……、や……」
無言で僕を押さえ付けると、葦原は乱暴に僕のズボンと下着を剥ぎ取った。
そして、有無を言わさず僕の腰を掴むと、そのまま一気に挿入してきた。
「あっ、い……っ。ああっ……」
驚きと恐怖で思わず身体に力が入る。
「緩めろよっ」
忌々しげに言った葦原に無理やり捻じ込まれ、僕は痛みに呻いて涙を零した。
うつ伏せに頬をシーツに押し付けた僕の頭を、上から葦原の手が押さえつけた。そしてそのまま、グイグイと容赦なく押し込んでくる。
「いた……、いや…、里久…、いやぁ……」
「こんなセックスが望みなんだろっ?ただ、挿入れるだけの…。そんなのが七綱はいいんだろっ?」
「ちが……、違う……」
「違わねえっ」
「いっ……、うっ、うぅ…」
僕は泣きながら自分の拳を噛んだ。
また葦原を怒らせてしまった。
どうして、彼をいい気分にさせてやれないのだろう。こんな風に、どうしていつも嫌な気持ちにさせてしまうのだろう。
そんな自分が、嫌で、嫌で堪らない。
(きっと、きっともう、呆れてる…)
このまま、棄てられてしまうかも知れない。
「……め…んなさ……」
小さな声が僕の唇から漏れた。
「ご…めんなさい……、ごめんなさ……、ごめんなさい……」
泣きながら、まるで呪文のように僕は繰り返した。
それ以外の言葉は言おうとしても何も出てこない。
「ちくしょうっ……」
忌々しげに叫ぶと、葦原は僕の身体から出て行った。
「里久……?」
振り返ると、一瞬、恨めし気な目で僕を見た後、葦原はジャケットを掴んで部屋を出て行った。
「い……、いや……」
慌てて起き上がって、僕は閉められた部屋のドアを見つめた。
「や、やだ…、行かないで……?」
ホロホロと大粒の涙が頬を伝い落ちる。
それに構わず、僕は首を振った。
「行かないでよ、里久……。お願い……、おねが……い……っ」
もう、堪え切れなかった。 僕はベッドの上に突っ伏すと、そのまま声を上げて泣き出した。
真夜中頃、泣き疲れた僕の元に、葦原からメールが届いた。
”乱暴な事してごめん、俺が悪かった。暫くの間、店が忙しくて毎日出ることになったから、時間が取れないと思う。ごめんな…”
僕は返信を打たずに携帯電話を閉じた。
このまま、葦原はもう、僕との付き合いを止めるつもりなのだろうか。 幾ら待っていても、もうここには来てくれないのだろうか。
やっぱり、僕なんかじゃ、葦原の心を掴んでおくことは出来なかったのだろうか。
やっと止まった涙が、また滲んで零れる。
あのまま片想いで終わっていた方が、僕にとっては良かったのかも知れない。
そしたら、これほどの苦しみを味わわずに済んだのかも知れないと思った。
「あれぇ?また眼鏡に戻っちゃったの?」
教室に入ると野々宮さんがそう言って近づいて来た。
「うん、コンタクト、やっぱり合わなくて……」
本当は、泣き腫らした目を隠す為だったが、僕はそう言い訳した。
「そっか。でも、当日はちゃんとコンタクトにしてきてね?そんなでっかい黒ブチ眼鏡じゃ、化粧しても映えないし」
「うん。分かってるよ」
登校して来た葦原は、僕を見ると何か言いたげな顔をしたが、結局僕に話しかけることも無く席に着いた。
この日から僕も放課後は居残りになり、葦原も毎日アルバイトが入っていて、本当に学校で会う以外、彼の顔を見ることは無くなってしまった。
僕は何度か、学校帰りに彼のバイト先のカフェへ行ってみようかと思ったが、結局勇気が出せず、途中まで行っては引き返してしまった。
葦原はあれ以来、僕にメールも送ってはくれなかった。
裏庭の椎の木の下にも現れることは無く、僕はもう、彼との別れを覚悟するしかないと諦めていた。
たった1ヶ月の短い間だったが、葦原は僕に夢を見せてくれた。
告白する事さえ叶わないと諦めていたのに、その腕に抱きしめて好きだと言ってくれたのだ。
味わった事の無い幸せを、彼は僕に与えてくれた。
それなのに、僕は彼に何一つ与える事が出来なかった。
こんな僕が、いつまでも彼を縛り付けて置ける筈なんかなかったのだ。
「ジンジャー、ペッパー……、今までが出来過ぎだったんだよね?僕が里久の恋人になれる筈なんか無かったんだ。だって、彼のことを好きな女の子はあんなに沢山いるのに……。里久はその気になれば幾らでも、綺麗な可愛い子と付き合えるんだもん」
水槽のガラスを指で突付き、僕は金魚たちに話し掛けた。
「僕のクラスの代表になった矢沢さんもね、凄く綺麗なんだ。今年は、彼女がミスに選ばれるかも知れない。そしたら、里久は文化祭の2日目に彼女とデートするんだ……」
堂々と腕を組んで、一緒に校内を歩く。僕には1度も出来なかったこと。
去年の文化祭も、葦原はミスに選ばれた3年生の先輩をそうやってエスコートした。僕はそれを遠くから羨ましげに見ていたのだ。
今年はきっと、例え遠くからでも見ることは出来ないだろう。
悲しくて、辛くて、耐えられないだろう。
「嫌だッ。誰にも触らせたくないっ…」
枕の上に突っ伏して僕は叫んだ。
「他の誰にも、笑いかけたりしないで……。触らせたりしないで……。ずっと、ずっと、僕だけのものでいてよぉっ」
もう、戻ってきてくれはしないと分かっているのに、僕は未練たらしく泣き叫んだ。
「何でも言う事利くから、何でも言う通りにするから、だから……、もう1度……」
好きだって言って欲しい。
手を伸ばして机の上から携帯電話を取ると、僕はメールの受信ボックスを開いた。
葦原が送ってくれたメールは全部、どんなに短い文章でも消去しないで取ってある。
もう声を聞くことが出来ないなら、葦原を近くに感じられるものは、これしか残っていない
その一つ一つを、僕は読み返しては泣いた。
「おお、スゲェ。ちゃんと光るねえ…」
ゾンビの顔の、目玉の部分に仕込んだ電飾の具合を確かめ、装飾係のリーダーは満足そうにそれを眺めた。
「クリスマスのヤツだろ?それ。ちゃんと、チカチカするとこがいいじゃん」
石膏で作ったゾンビの手に血糊をなすり付けながら、もう1人が言った。
「そう言えばさ、カフェで出すケーキって、葦原くんが調達したんだって?」
大きく広げた新聞紙の上で、ランプの電球に血の色を塗っていた女の子が言うと、同じ作業をしていた野々宮さんが頷いた。
「そうそう。今、アルバイトしてるとこのケーキらしいんだけど、評判良いんだって…。特別に頼んで、回してもらうことになったらしいよ」
「へえ?食べたいなぁ。…ねえ、今日さ、帰りに寄らない?」
「いいねぇ。行こう、行こう。そうだ、北野も行こうよ」
「えっ…」
突然、水を向けられて僕は驚いた。
彼女の母親の美容室で髪をカットして以来、野々宮さんは僕に親しみを感じてくれたらしく、良く話し掛けてくれるようになっていた。
だけどまさか、こんな誘いまで掛けてくれるとは思わなかった。
「で、でも僕は……」
誘った方の女の子を見ると、笑いながらウンウン頷いてくれている。
野々宮さんも笑いながら言った。
「いいじゃん。北野、甘いもん好きだって言ってたでしょ?」
葦原の働いている店に行けば、勿論彼が居る。 僕が行ったりしたら、また彼に嫌な思いをさせるかも知れない。
でも、少しでもいいから葦原の姿が見たい。
それに、女の子たちと一緒なら迷惑は掛からないかも知れない。
お客さんとしてなら、もしかしたら話だって出来るかも知れない。
僕は野々宮さんたちに頷いた。
「うん、じゃあ……」
「よし、決まりっ。じゃあ、今日のノルマ、チャッチャと終わらすよっ」
「おうっ」
僕たち3人は作業をスピードアップして、残りの電球を急いで塗り始めた。
葦原の居るカフェは、お客さんで賑わっていた。
夕方からは軽いお酒も出すらしく、男のお客さんやカップルも多い。それに混じって、女子高生らしい女の子たちが大勢座っていた。
「見なよ、矢沢たち……」
小声でそう言い、野々宮さんは僕たちを突付いて注意を店の奥へ向けさせた。
そこには矢沢さんが2人の女の子と一緒に座っていた。
「葦原目当てに毎日のように通ってるって噂、ほんとだったんだ…」
呆れたようにそう言い、野々宮さんは彼女たちから離れた席を選んで座った。どうやら、余り矢沢さんの事を良く思っていないらしい。
葦原は忙しそうに働いていたが、生き生きとして楽しげでもあった。
口元には笑みを絶やさない。
僕にはもう向けられる事の無いその笑顔が、無性に眩しかった。
白いシャツに黒いベストとズボン、ギャルソン風の白いエプロンの制服が葦原をいつもより大人びて見せている。お客さんたちはきっと彼を高校生だとは思っていないだろう。
彼目当てらしい女の子は矢沢さんたちだけではなかった。熱っぽい眼差しで彼の動きを追っている人が何人も居た。
やはり彼は、どんな場所に居ても人の注目を浴びる存在なのだと改めて感じた。
手の届かない人。
思えば葦原は、僕にとってそういう存在だった。
それなのに、ほんの少しの間だけでも、僕は彼を独占していたのだ。そのこと自体、奇跡のような出来事だったのだ。
葦原が気が付いて、僕たちのテーブルにやって来た。
会いたくて堪らなかったくせに、僕は、目を伏せたまま、彼の方を見ることが出来なかった。
「いらっしゃい。装飾の作業、終わったのか?」
「うん、今日のノルマは達成。ケーキの味見に来ちゃった。繁盛してんだねぇ」
「ああ。この時間じゃ、ケーキもあんまり残ってないぜ」
「えー」
残念そうに声を上げた野々宮さんに、葦原はメニューを手渡した。
僕は、葦原が水のグラスやお絞りをテーブルに置く間も、野々宮さんと話をしている間も、1度も顔を上げる事が出来なかった。
だから、僕が来たことを葦原がどう思っているのか、どんな表情で僕を見たのかさえ知らなかった。
「どうする?北野。ケーキ、何がいい?」
「あ、え…と……」
僕が慌ててメニューを覗き込むと、肩越しに葦原の指がすっと伸びて写真を指差した。
「これにしろよ。おまえ、栗が好きだったろ?まだ、1個だけ残ってる」
季節限定の栗のタルト。
前に葦原が買ってきてくれて、僕が美味しいと言ったのを覚えていてくれたのだ。
僕はやっと、恐る恐る顔を上げて葦原を見た。
彼の表情は無表情に近かった。でも、怒っているようには見えない。
僕はホッとして頷いた。
「うん……。じゃあ、それ……」
「あたしはシフォンの抹茶」
「あたしはぁ……、あ、これがいい。洋ナシのヤツ」
「OK。飲み物は?」
「カフェオレ」
「アイスティー」
続けて僕が口を開こうとすると、その前に葦原が言った。
「七綱はアッサムのストレートだよな?」
「……うん」
野々宮さんたちの視線を感じて、僕は目を伏せた。
葦原はきっと、わざと彼女達の前で僕を名前で呼んだのだ。
どうして、こんなことをするのだろう。 やっぱり、僕が店に来たことが嫌だったのだろうか。
「ねえ、ねえ。あんたたちってホントは仲が良かったの?」
葦原が行ってしまうと、すぐに野々宮さんたちが僕に迫ってきた。
「そうだよ。七綱なんて、名前で呼んでるの初めて聞いた」
「それに葦原ったら、北野の好みまで良く知ってるみたいだし……。どうなってんの?」
「あ…、ま、前に1回来たことあって、それで…、覚えてたのかな……?」
僕が苦し紛れの嘘をつくと、彼女たちは何とか納得してくれたようだった。
会話が途切れた時、野々宮さんが、チラッと店の奥に目を走らせて言った。
「けどさ、矢沢もあからさまだよね。前に1回、葦原に告って振られた癖にさ、懲りない女」
「へえ、そうなの?」
野々宮さんは友達も多い所為か色々と情報に精通しているらしく、矢沢さんの噂も聞いているらしい。
「そりゃ、綺麗だけどさ。葦原くらいのモテ男くんになると、それぐらいじゃ靡かないって。矢沢は自信満々で告ったらしいけど、付き合ってる人がいるからって、あっさり振られたらしいよ」
「へえ。それでもまだ、諦めてないんだ?」
「うん。どうやら、葦原が前の彼女と別れたらしいって噂でさ。それを聞いて、また性懲りも無く付き纏ってんじゃないの?」
その口調から察するに、やはり野々宮さんは矢沢さんの事を余り好きでは無いらしい。もしかすると、彼女もまた、葦原に想いを寄せているのだろうか。
僕はふと気になって、彼女の顔を見た。
野々宮さんは矢沢さんほどの美人では無いが、ボーイッシュな雰囲気が可愛い。 性格も気さくで明るくて、人気者だった。
根暗で口下手で、引っ込み思案なこんな僕のことまで、気を掛けてくれて誘ってくれる優しい人だ。きっと彼女なら、いつも葦原を楽しい気分で居させる事が出来るだろう。
こんな人なら、きっと葦原も……。
「お待たせしました」
葦原の声がして、僕はハッとして野々宮さんから視線を外した。
僕の前に、栗のタルトと紅茶のポット、そして、温められたカップが並んだ。
「わ、美味しそう……」
僕のタルトを覗き込んで野々宮さんたちが言った。
そして、自分たちのケーキをそれぞれに見比べる。
「こっちも、美味しそう。ね、ちょっとずつ、交換しよ?」
「うん、うん」
僕達は食べる前にそれぞれのケーキを3等分して交換した。
ケーキはどれも美味しかったが、やはり、僕の栗のタルトが1番人気だった。
そう意見が一致した時、お茶を飲み終わって帰るらしい女の子が数人、僕たちの脇を通りながら話しているのが聞こえた。
「あー、栗のタルト、売り切れてて残念だったなぁ…」
「しょうがないよ。あれって、人気が有るんだって。この時間じゃ、残ってないって」
それを聞いて僕たちは顔を見合わせると、自分たちの皿に目を落とした。
食べかけの栗のタルトが載っている。
不思議そうに顔を上げて、野々宮さんが言った。
「どういうこと……?」
2人の視線が僕の方に集まった。
僕にも理由なんか分からない。ただ、首を振るしかなかった。
とうとう、葦原と碌な会話も出来ないまま、僕は店を出て家に帰って来た。
やはり、葦原は僕が行ったことを良く思っていないのだろうか。迷惑だと思っているのだろうか。
だからあんな風に、わざと野々宮さん達の前で、僕と親しいことを仄めかすようなことをしたのだろうか。
あれは、僕に対する警告だったのだろうか。
僕は携帯電話を取り出すと、メールを打ち始めた。
『今日は店になんか行ってごめん。どうしても、里久の顔が見たくなって……。だって、ずっと、話も出来なかったし、会いたくて……。もう、学校以外じゃ会えないの?そんなに僕のことが嫌になったの?もう、駄目なの?謝っても、許してもらえないの?僕は……』
打っている内に涙が滲んできて画面が見えなくなってしまった。
僕はメールを打つのを止めて、枕に顔を押し付けた。
「誕生日……」
思い出して、僕はカレンダーを見た。
来月の文化祭の2日目は、僕の誕生日と重なる。
本当は葦原に言って、その日の夜は一緒に過ごしてもらおうと思っていた。
でも、何と無く気後れがして言い出せないままに日が経ってしまった。
もうきっと、一生言える日なんか来ない。
今年はいつもと違うと思っていたのに、結局、今までと同じ1人きりのバースディだ。
そして、その寂しさは、去年までよりもずっと身に沁みるに違いない。
それを、僕は今から覚悟しなければと思っていた。