一緒に帰ろう
放課後の屋上で、七於はいつも下校して行く耀平を見ていた。
尤も、七於がこんなことをするようになったのは、最近のことだった。
そう、つい最近までは、こんな所で見ている必要も無く、七於は耀平と一緒に連れ立って帰っていたのだ。
だが、今は七於の方から避けるようにして、帰りは耀平と別々になる。
何故なら、耀平の隣には彼女の砂羽子が居るからだった。
耀平が砂羽子と付き合いだしたのは、4ヶ月ほど前だった。
最初、耀平は相変わらず七於を待っていてくれたし、砂羽子も気にする様子は無かったので、七於も2人と一緒に帰っていた。
だが、段々に、七於の方が2人と一緒に居ることに耐えられなくなってしまったのだ。
家も近く、小学校からずっと仲の良かった耀平と同じ高校へ入りたくて、七於は随分頑張って勉強した。
耀平の選んだ高校はそうレベルが高い訳でもなく、中位の成績なら入れる筈だったが、極端に勉強が出来ない七於にはそれでも大変なことだったのだ。
もっと低レベルの高校を選ぶようにと中学の担任に言われたが、七於は頑として言うことを聞かなかった。
「頭は悪いが、素直で可愛い」
彼よりも優位に立つ人間の半ば馬鹿にしたような評価だったが、それが、小さい頃から七於が言われ続けていた言葉だった。
だが、そんな七於がこの時ばかりは人に逆らったのだ。
それでも普通科では無理だと言われ、七於はその学校の工業科に何とか滑り込んだ。
だから、普通科に入った耀平とはクラスは別になってしまったのだが、それでも七於は嬉しかった。
また3年間、耀平の傍に居られる。学校へ行くのも帰るのも、ずっと一緒なのだ。
そう思っていた。
「まぁた、こんなトコで見てる…」
呆れたような言葉に、七於は振り返った。
「あー、ワジー」
ニコニコと笑って見上げると、クラスメートの輪島丈二は苦笑しながら七於の頭をクシャクシャと撫でた。
「まったく、おまえの笑顔は気が抜けるわ」
言いながら、輪島は小さな七於を後ろから抱きかかえるようにして長い脚で彼を挟んだ。
「寒くねえの?」
「寒いー」
「ばぁか、風邪ひくぞ」
「馬鹿は風邪ひかないんだってー」
輪島のマフラーを引っ張って自分の両頬に当てながら、七於は嬉しそうに言った。
「誰がそんなこと言った?」
眉間に皺を刻みながら輪島が言うと、七於は無邪気な顔で首を傾げた。
「うーん…、忘れた」
それを聞いて、輪島はまた苦笑した。
「おまえは、馬鹿じゃねえよ」
そう言って七於の頭の天辺に顎を乗せると、輪島は校門の向こうに消えて行く耀平と砂羽子を、七於と一緒に眺めた。
「こんなトコで見てるなら、一緒に帰りゃいいのによ…」
「やだよ。…俺、邪魔だもん…」
「邪魔だって言われたのか?」
輪島が訊くと、七於は首を振った。
「言われない。でも…、耀ちゃんと砂羽ちゃんが喋ってると、俺は入れないから…」
輪島はそれを聞いて、そっと溜め息をついた。
確かに、頭脳の面では人より少し劣っているかも知れない。だが、七於の感受性が豊かなことは輪島には良く分かっていた。そして、輪島から見れば、七於は天使のように優しく思えるのだ。
(邪魔してやればいいのによ…)
七於の気持ちを知ろうともせず、傷つけてばかりいる耀平が、輪島は嫌いだった。
「朝はさー、前と同じで、俺のウチに寄ってってくれるんだー。優しいんだ、耀ちゃん」
輪島が黙っていると、七於の話は続いた。
「時々さー、寝坊して、ご飯が間に合わなくてー、パン食べながら歩いても怒ったりしないの。ちゃんと噛めー、とか言ってくれるの」
嬉しそうに耀平の話をする七於が、輪島には切なかった。七於の耀平への気持ちが、恋だということを知っているからだ。
「優しいか?それ」
少々呆れたように、輪島は言った。
「優しいよー」
それは、優しさではなく耀平が七於を軽く見ている証拠ではないかと輪島は感じた。だが、それを敢えて口に出しては言わなかった。
その代わり、輪島は七於を抱きしめて、おどけた調子で肩越しに言った。
「じゃあ、俺はー?」
すると、七於はその輪島の腕を嬉しそうに掴んで言った。
「ワジーも優しー」
「じゃ、チューするかー?」
輪島が顔を寄せると、七於はクスクスと笑った。
「しなーい。チューは好きな人とするんだよ」
「俺のこと好きだろ?」
「でも、ワジーは友達だもん。友達とはチューしないんだって」
「誰が言った?」
「うーん…、小2の時、耀ちゃんが言った…」
そこで何かを思い出したのか、七於の声から元気が失われた。
「だから、俺はチューしちゃ駄目だって…」
どうやら、七於は耀平にキスをして怒られた事があるらしかった。
そんな子供の頃から、七於は耀平一筋に想っていたのだろう。それを思うと、輪島は益々切ない思いに囚われてしまった。
「帰っかー?なんか食ってくべ」
落ち込んだ七於の気持ちを引き立てるように明るく言うと、輪島はその肩をポンポンと叩いた。
「うんー。食ってくッ」
嬉しそうにそう言い、七於はぴょこんと立ち上がった。
翌朝、七於が急いで家から飛び出すと、耀平は門柱に寄り掛かって誰かと電話しているところだった。
「あ、出て来た。じゃ、後15分ぐらいで行くし…。うん、…うん、じゃな?」
耀平が電話を切るのを待ち、七於は彼を見上げてニコニコと笑い掛けた。
「耀ちゃん、おはよ」
「おう。飯食ったか?」
ぽんと頭を叩き、耀平は七於の笑顔に答えた。
「うん、食べたー」
「おう。じゃ、行くべ」
「うん」
耀平に並んで歩き始めると、七於は嬉しそうに彼の顔を見上げた。
こうして、耀平と一緒に登校する時間が七於は1番好きだった。
この時間だけは、耀平と2人きりになれる。耀平を独り占め出来るのだ。
だが、そんな七於に耀平は衝撃的な言葉を投げた。
「七於、今日から砂羽子も一緒に行くってさ」
「…え?」
「ちょっと遠回りになるけど、待ち合わせしてるし、寄っていいよな?」
「…う、うん…」
なんで…?
心の中で七於は言った。
昨日まで、耀平からそんな話は一言も聞いていなかった。多分、昨日学校から帰る道すがら2人で決めたことなのだろう。
(2人だけで行きたいよ。今まで通り、耀ちゃんと2人で行きたい…)
そう思って七於は泣きそうだった。
だが、そんな素振りを耀平には見せずに、七於はにっこりと笑って頷いた。
「う、うん。いいよー」
耀平には勿論、七於の心の中など分かりはしなかった。七於がどんなに無理して笑っているかなど気づく筈も無く、耀平は軽く頷いただけでそのまま歩き出した。
だが、七於の足は急に重くなった。
「あ、耀ちゃん…」
突然、七於は立ち止まった。
「ん?」
「お、俺、俺ッ、忘れ物したー」
「えー?またかよ?」
呆れたように言うと、耀平はササッと手を振った。
「取って来い。待っててやるから」
いつも通り、耀平はそう言って腰に手を当てた。
だが、いつもなら嬉しそうに頷く七於が、今日は首を振った。
「い、いいよー。耀ちゃん、先行って。砂羽ちゃん、待ってるし、先行ってー。俺、走って追いつくしー」
「そうか?じゃ、先に行くから、走って来いよ?」
「うん、頑張るー」
ニコニコ笑ってそう言うと、七於は耀平に手を振り、後ろを向いて走り出した。
だが、暫く走ると立ち止まり、後ろを振り向いて小さくなった耀平の姿を見つめた。
そのまま、自分の方を振り向くことなく、燿平はさらに小さくなっていく。そして、その姿が完全に見えなくなると、七於は傍の塀に背中を預けてぺたりと腰を落として座った。
「耀ちゃん…、ただの友達って辛いね…?」
決して“彼女”の上にはなれない、ただの友達。
七於にはその自分の位置が、とても切なかった。
勿論、七於の忘れ物は嘘だった。耀平と砂羽子と一緒に、学校へ行くのは嫌だったのだ。
無い知恵を絞って、七於は一生懸命に耀平を先に行かせる言い訳を見つけたのだ。
「どうしよっかなぁ…」
追いかけて来いと耀平は言ったが、七於はそうするつもりは無かった。
だが、それなら、今度は追い掛けなかった理由を何か考えなければならない。
「走ったけど、追いつけなかったって言おうかなぁ…」
ぽろぽろと涙を零し、洟をすすり上げながら七於は言った。
本当は、そんな言い訳など考えたくは無かった。いつも通りに笑って、耀平の隣を歩いていたかった。
だが、砂羽子と一緒に居る耀平はちっとも自分を見てくれなくなる。それが、七於には酷く辛かったのだ。
「どうしよっかなぁ…」
また、悲しい声で呟くと、七於は立てた膝に顔を埋めてしゃくりあげた。
泣くと耀平に怒られる。いつまでも子供っぽいことをするなと、何度も怒られているのだ。
だが、今は耀平の目はここには無い。だから、七於は涙を我慢しなかった。
ぐすぐすと鼻を鳴らし、七於は涙を自分の膝に吸わせ続けた。
もう、学校へ向かって歩き出さなければ間に合わない。だが、涙は止まらなかった。
耀平のことが大好きだった。彼女の砂羽子より、ずっと好きだという自信があった。
だが、そんなものは何の役にも立たないのだ。
幾ら七於が耀平を好きでも、耀平は七於を友達以上に見てはくれないのだ。
「今から行ったって、もう追いつけないよなぁ…」
呟くと、七於はやっと膝から顔を上げた。
「七於…・?」
上から声を掛けられ、七於は涙に濡れた顔を上げた。