一緒に帰ろう


-4-

「やだっ…」
七於は必死で耀平の後を追うと、その腕を掴んだ。
「ごめんなさいっ、耀ちゃん、ごめんなさいッ…」
目に涙を浮かべると、それが零れるのを拭おうともせず、七於はグイグイと耀平の腕を揺すった。
「言うこと聞く…、耀ちゃんの言う通りにするッ。だから、怒んないで…?怒んないでよぉっ…」
わぁっと子供のように声を上げると、七於はしゃくり上げながら両手で零れてくる涙を拭い取った。だがそれは、後から後から止まることなく流れ出し、拭うのが間に合わなかった。
「…ったく」
忌々しげに呟くと、耀平は手を伸ばして七於の頭に載せた。
「分かったよっ。もう泣くな、見っともねえ」
「耀ちゃん…」
まだヒクッとしゃくり上げ、七於は耀平を見上げた。
「ごめんなさ…」
その顔を見て苦笑すると、耀平はクシャクシャと七於の髪を掻き回した。
「ったく、いつまでガキなんだかな、おまえって…。世の中に悪い人間なんて居ないとでも思ってんだろ?そんなんだから、放っとけねえんだ…。……やんなるよ」
そう言うと、耀平は言葉の後に溜息をついた。
「耀ちゃ…」
“嫌になる”
その言葉がどんな意味で言われたのか、七於には確かなことは分からなかった。だが、それは七於の心を深く傷つけていた。
耀平は、仕方ないから自分と一緒に居てくれるのだ。
その事実を、改めて突きつけられてしまったように感じたからだ。
「俺のこと…、嫌い?耀ちゃん…」
悲しみに包まれたまま、七於は耀平に訊いた。
すると、耀平はフッと笑って、また七於の頭を撫でた。
「嫌いじゃねえよ。嫌いなら、とっくに知らん顔してる」
耀平の手が、七於の頭から背中へと落ちた。
「ほら、行くぞ。遅刻するぜ」
「…うん」
背中を押されて、七於は頷くと耀平と並んで歩き出した。



遅刻気味で教室に入って来た輪島だったが、七於の傍を通る時、その顔を見て眉を顰めた。七於の目が腫れているのに気付いたからだろう。
だが、もう教師が入ってきて教壇に立っていたので、何も言わずに席に着いた。
七於も、ただ輪島の視線から目を逸らしただけで何も言わなかった。
だが、授業が終わるとすぐに輪島は七於の傍へ来た。
「七於、何かあったのか?」
「う、ううん。何にも無いよ」
目を逸らしながら精一杯笑って七於は言ったが、勿論、そんな事で誤魔化される輪島ではなかった。
「嘘つくな。今朝、耀平と一緒だったんだろ?おまえ、また何か言われたんじゃないのか?」
「ううん、言われて無い。何にも言われて無いよ」
必死で首を振る七於の様子ですぐに気付いたらしく、輪島はそこへしゃがむと視線を合わせるようにして言った。
「俺のことか…?俺の事でまた、なんか言われたのか?」
「ちがっ…」
七於が必死に否定すればするほど、それは肯定しているのと同じだった。
輪島は深く溜息をつくと、七於の腕を掴んだ。
「俺が直接、耀平と話しするから……」
そう言われて七於は吃驚して顔を上げた。
「だっ、駄目ッ…」
そんなことをしたら、きっと耀平と輪島は喧嘩になるに違いなかった。
誤解だとも知らず、耀平は砂羽子の事で輪島に腹を立てている。それでなくても、お互いに気に入らない相手なのだ。頭に血が上って暴力沙汰になるかも知れない。
深く物事を考えるのが苦手な七於にも、さすがにそれぐらいの見当は付いた。
「だ、駄目だよっ。ホントに、違うからっ。ワジーの事じゃないからっ、違うからッ、違うからッ…」
「七於…」
その必死の形相を見て、輪島もそれ以上言うのは止めてしまった。
自分の行動が、七於を傷つける事に繋がるのなら、例え、彼の為に良かれと思ってする事でも、してはいけないのだろう。
それでなくても、耀平の事で散々傷ついている七於なのだ。自分くらいは、いつでも彼を守ってやる立場で居てやりたい。
「分かった…。耀平には何にも言わねえよ。けど、俺にはちゃんとホントの事言えよ。な?」
優しく言われて、七於は掴んでいた輪島の袖を離した。
「うん…、ごめん」
「あ、ベルだ。昼に話すべ?」
「あ…、お昼は耀ちゃんと食べるって約束したんだ…」
済まなそうにそう言われ、輪島はまた眉を寄せた。
耀平が昼休みを砂羽子と過ごさずに七於と約束するなんておかしいと思ったのだ。
(耀平のヤツ…、砂羽子となんかあったのか…?)
そうだとすれば、輪島はまた七於が心配になった。
妙な期待を持たされて、七於がまた傷つく事になるのではないか。そんな予感がしたからだった。
「そっか…。じゃ、また後でな?」
「う、うん…」
どんなに自分が心配しても、七於が1番に考えるのは耀平の事だった。
だが、その耀平がいつも七於を傷つける。本人にそのつもりはなくても、輪島にはそれが許せなかった。
昼休みに、教室を出て行く七於を黙って見送ったが、内心ではそれを引き止めたいと思っていた。
だが、そうした所で七於は耀平の下へ行くのを止めないだろう。
思わずフッと溜息をつくと、普通科から遠征して来た女子が2人、昼食に誘う為に輪島の前に立った。
「丈二、おべんと作ってきたんよ。一緒に食べよ?」
「…へえ?美奈が?それって、ちゃんと食えんの?」
茶化してそう言うと、相手は笑いながら輪島の背中をバシッと叩いた。
「ひでえっ、食べられるって。旨いんだから。ほら、行こ」
「分かった、分かった。引っ張るなって…」
苦笑しながら立ち上がり、輪島は2人と一緒に教室を出た。
年中、こうして女子に構われている輪島に対して、周りの男子のやっかみ混じりの視線はきつかった。
だが、それももう慣れている。輪島は周りの視線を受け流して、ランチルームへ入って行った。
すると、そこに他の女子と一緒に弁当を広げている砂羽子を見つけた。
やはり、耀平と喧嘩でもしたらしい。昼時に2人が一緒じゃないのは付き合い始めてから初めての事だろう。
入って行った輪島にチラリと視線を投げたが、砂羽子はそのまま友達の方へ視線を戻して話を続けた。
実は、耀平と付き合う前に、輪島は砂羽子に何度かモーションを掛けられていた。だが、面倒臭そうな相手だと思ったし、好きなタイプでもなかったので断ってしまったのだ。
それ以来、砂羽子との接触はなかった。
(まさか、あの後すぐに耀平とくっ付くとはな…)
どちらから告ったのかは知らないが、輪島から見ると少々意外な取り合わせのような気がしていたのだ。
以前の耀平の彼女は他校の子だったが、どちらかと言うと大人しいタイプだった。だが、砂羽子は美人だが子悪魔的な雰囲気がある。
遊ぶのには楽しそうだが、耀平のタイプではないような気がしたのだ。
(付き合って4ヵ月?5ヵ月か…?持った方か…)
どうせ、砂羽子の方が耀平では物足りなくなったのだろう。
耀平と付き合っていながら、砂羽子が他校の男子とも遊んでいることは、遊び仲間の女子達から聞いて輪島は良く知っていたのだ。
このまま2人が別れてしまえば、七於にとってはいい事かも知れない。だが、耀平が七於の本心に気付いて受け入れてやらない限り、また同じように七於は傷つくのだろう。
耀平に新しい彼女が出来る度、七於はまた辛い思いをする事になる。そんな七於を、輪島はもう見たく無いと思った。
「どう?丈二。旨い?」
美奈に訊かれて、輪島は慌てて頷いた。
「おう。吃驚したよ。やるじゃん、美奈」
「だろー?」
「うん。旨い、旨い。…って、ホントは母ちゃんが作ったんじゃねえの?」
「違うってッ」
トスン、と額にチョップを食らい、輪島は美奈たちと一緒に笑った。
すると、チラリと振り返って砂羽子が此方を見たが、またすぐに元の方を向いてしまった。
教室に帰ると、七於の姿があった。
「七於、飯、済んだのか?」
「あ、うん。…耀ちゃんと学食で食べた」
「そっか…。な?さっきの話だけど…」
「う、うん。あの…、俺、嘘ついてないよ?…耀ちゃん、ワジーの事とか、なんにも言って無いから。ホントだから…」
言いながら七於の目がしきりに泳いでいる。嘘だと言うことは一目瞭然だった。
七於が他人に分からないように嘘をつくなんて、土台、無理な話なのだ。
輪島は七於の腕を引くと、寒いのを承知でベランダへ連れて行った。
「七於、おまえには嘘つくなんて無理だよ。バレバレだって…」
「う…」
苦笑交じりに輪島が言うと、七於は言葉を失ったまま項垂れてしまった。
「なあ…、また、俺と付き合うなって言われたんだろ?」
「う…、うう…」
七於は何も答えなかったが、その様子だけで自分の言った事が当っていたのだと輪島には分かった。
七於は、自分と耀平の板挟みになっている。多分、どちらを選ぶ事も出来ずに悩んでしまっているのだろう。
「なあ、七於…、俺の所為でおまえが耀平に責められるなら、俺はもうおまえと話すのは止めるよ。その方がおまえが楽になるなら、そうするから…」
仕方なく輪島が言うと、七於はサッと顔を上げた。
「やっ…」
ギュッと拳を握り締め、七於は目に涙を浮かべて首を振った。
「やだ…、やだよ。俺、ワジーの事、好きだもんッ…」
「七於…」
「でっ…でも、耀ちゃんが…、耀ちゃんが、もう、友達やめるって…」
言葉を続けられなくなり、七於はヒクッとしゃくり上げると両手で乱暴に涙を拭った。
「俺…、俺…、どうしたらいいか、分かんないよぉ…」
輪島は慌てて七於の肩に手を置くと顔を覗き込むようにして言った。
「泣くなよ。俺が耀平と話するから、な?」
「だ…駄目ッ…」
まだ涙に濡れた顔のままだったが、七於は泣き止んで慌てたように輪島の顔を見上げた。
「耀ちゃん、ワジーの事誤解してるんだ。だからきっと、喧嘩になるから…。だから、駄目っ。ワジーは耀ちゃんと話しちゃ駄目だよっ」
必死になる七於を宥めるようにして笑うと、輪島はその頭をポンポンと撫でた。
「大丈夫だ。もし、喧嘩売られても俺は買わねえし。それから、今度は何の事を言ってきたのか知らねえけど、あいつが誤解してるなら解くようにするから…」
「で、でも…」
「大丈夫だって…」
輪島が請け合うように言うと、七於はやっと身体の力を抜いた。
「ごめんね、ワジー…。俺がちゃんと耀ちゃんに説明出来ないから…。いっつも迷惑掛けてごめん…」
「いいって。七於は悪くねえよ。後で、ちゃんと耀平に話しに行くから、心配すんなって」
「うん…」
七於が頷いた時、昼休み終了のチャイムが鳴った。輪島は七於を促して、教室の中へ入った。