一緒に帰ろう


-5-

放課後、今日は用事があるからと言って帰って行った輪島と別れ、七於は普通科の校舎へ向かった。
待っているから、終わったら教室へ来いと耀平に言われていたからだった。
昼も大した会話をした訳ではなかったが、久し振りに耀平と一緒にいられて七於は幸せだった。おまけに、朝も帰りも一緒に歩ける。
砂羽子にも輪島にも悪いとは思ったが、久し振りに耀平を独占出来たような気がして、素直に嬉しかったのだ。
(急がないと…。耀ちゃん、待ってるよぉ…)
今日はHRが長引いて、何時もより遅くなってしまった。耀平が待っていると思い、七於は急いで渡り廊下を通ると、階段を駆け上った。
普通科はもうどの教室も下校が済んだらしく、廊下にも人は居なかった。
余計に焦り、七於は息を切らしながら耀平のクラスを覗いたが、そこには目当ての姿は無かった。
その代わり、七於は見てはいけないものを見てしまった。
「あ…っ」
思わず声を上げてしまい、七於はハッとして両手で口を塞いだ。
振り返った砂羽子は、今まで抱き付いていた男子生徒の身体を離すと、サッと身を翻して七於の方へ歩いて来た。
七於は驚いて、思わず戸口から離れると、逃げようとして走り出した。
だが、すぐに砂羽子に追いつかれて掴まると、そのまま壁に背中を押し付けられてしまった。
「ちょっと…ッ」
腕がグイッと七於の喉に入ってきた。そしてそのまま、砂羽子に圧し掛かられて七於は動けなくなった。
男と女とは言っても、砂羽子の方が七於よりも身体が大きいのだ。
「あ、あのっ…砂羽ちゃん、俺っ…べ、別になんにも…ッ」
「耀平に言ったら、承知しないよ?」
七於をきつく睨み付けると、砂羽子は低い声で言った。
さっき、確かに砂羽子は一緒に居た男子生徒とキスをしていた。
だが、その迫力に恐れをなし、怯えた目で見上げると七於は首を振った。
「い、言わないッ。俺、俺、言わないよ…ッ」
「そう?ふん…、馬鹿でもそれぐらい分かるか」
そう言って砂羽子は皮肉な笑いを見せた。
「あ、それから、もうひとつ言っておくけど、あたしのこと“砂羽ちゃん”なんて、馴れ馴れしく呼ばないでくれる?気色悪い…」
吐き棄てるように言われ、七於は益々蒼褪めた。
「ご、ごめんなさ…い…」
俯いた七於の目を覗き込み、砂羽子はまた嫌な笑いを見せた。
「ねえ…、あんたさぁ、友達の振りしてるけど、ホントは耀平の事好きなんでしょ?」
「え…?」
驚いて、七於は砂羽子を見た。
まさか、砂羽子が自分の気持ちに気付いているなんて思いもしなかったのだ。
なんと答えていいのか分からず、七於は乾いた唇を震わせて、ただ砂羽子を見つめた。
「鈍感な耀平は気付いてないみたいだけどぉ?いっつも熱っぽい顔して耀平の事見つめちゃって…。バレバレなんだよ。気っ持ち悪い…」
「お、俺…」
どう答えていいか分からなかった。
動転して、その上怖くて、七於はただ震えると、また目を伏せた。
そんな七於に追い討ちを掛けるようにして、砂羽子は意地悪な口調で続けた。
「あたしがあんたの本心バラしたらさ、さすがの耀平もあんたから離れて行くだろうねえ…。馬鹿な上にホモだなんて、幾ら長い付き合いの幼馴染だってさ、嫌になるよねぇ」
“嫌になる”
今朝、耀平からも言われた言葉を、今度は砂羽子が口にした。
それを聞いた瞬間、七於の胸はツキンと音を立てて痛んだ。
「お、俺…、俺っ…ちが…」
零れそうになった涙を七於が拭った時、すぐ傍の階段を耀平が上って来た。手には、図書館で借りたらしい本があった。
「砂羽子…?なにやって…、七於?」
耀平に声を掛けられて、砂羽子はすぐに七於から離れた。
「どうしたんだ?」
2人が一緒にいる事を不審に思ったのか、耀平は少し険しい顔で近付いて来た。
「耀平…、七於君が…」
今までとは打って変わった困り切った表情で、砂羽子は耀平の方を見た。
「耀ちゃんを裏切ったって、あたしのこと…。許せないって、別れろって…っ」
(えっ…?)
砂羽子の言葉に驚き慌てると、七於はすぐに耀平の事を見た。
「なに…?」
耀平の顔にサッと朱が差した。
怒りが、その表に現れるのを七於は確かに感じた。
七於は衝撃を受け、何も言えずにただ首を振るしかなかった。
「そりゃ、他の男と付き合って悪かったけど、でも、ホントにお茶飲んだだけなんだよ?耀平の事裏切ってなんか無いよっ」
腕を掴んで揺すりながら、砂羽子は必死の表情で耀平に訴えた。
「ねえ、許してくれるよね?別れんのなんか、やだよ、耀平…」
腕にしがみ付くようにしてそう言われ、耀平は砂羽子の肩に手を置いた。
「七於」
名前を呼ばれて、七於はビクッと身体を震わせた。
耀平の表情が酷く険しい。自分を見る目の冷たさに、七於は震えた。
「おまえなりに俺を心配してくれたのかも知れねえけどな、余計なお世話だ。俺たちのことは俺たちで解決するから」
「耀ちゃ…」
何も言えなかった。
どう説明していいのか分からない。
一体、どうすれば耀平の誤解を解けるのか、七於には成す術が見つからなかった。
「俺…、俺…」
口篭る七於をまるで見限るように、耀平はサッと背を向けた。
「砂羽子、行くぞ。ちゃんと話そう」
「うん…。鞄取ってくる…」
「ああ」
そのまま、七於の方を見ようともせず、耀平は砂羽子の肩を抱いたまま行ってしまった。
「お…、俺…、違う…、耀ちゃ…」
空しく首を振り、七於は立ち尽くした。
さっきまで、久し振りに耀平と2人で帰れる事に浮かれていた筈だった。それなのに、何故こんな結末になってしまったのだろう。
グスッと洟をすすると、七於はゆっくりと向きを変えて、階段を下り始めた。
耀平は、明らかに自分に腹を立てている。そして今度は、簡単に許してくれそうな気がしなかった。
「どうしよ…。どうしよぉ…」
いつも何も出来ない自分が、七於は口惜しくて堪らなかった。
もっと、みんなのように頭が働いたら、きちんとした言葉でちゃんと説明が出来たら、耀平だってきっと、もっと自分を信じてくれたに違いない。
だが、耀平は砂羽子の言葉を鵜呑みにしてしまった。
馬鹿で浅はかな七於だから、良く考えもせずに余計な事をしたのだろうと決めてしまったのだ。
「ちゃんと説明しなきゃ…。耀ちゃんに分かって貰わなくちゃ…。このまま嫌われちゃう。また、嫌になるって言われちゃう…っ」
だが、砂羽子の行動をそのまま伝えたのでは余計に耀平を傷つける事になるだろう。大体、また自分が嘘を言ったのだと思われてしまうかも知れない。
悲しいことだが、耀平は自分よりも砂羽子の方を信じているのだ。
砂羽子の裏切りを話さずに、誤解を解くのは難しいことだったが、それでも七於は耀平に分かってもらいたいと思った。
「後で、耀ちゃんちに行こう…。言って、ちゃんと話して分かってもらうんだ…」
そう決意すると、七於は涙を拭いて唇を結んだ。


家に戻って私服に着替えると、七於は耀平の家へ出掛けた。
だが、耀平はまだ帰って来ていなかった。
出直そうかと思った七於だったが、玄関先に出て来た母親は上がって待つようにと言った。
七於の事は、小さい頃から知っていて家族ぐるみの付き合いだったし、今までも本人不在の部屋へ通していたので、なんとも思わなかったのだろう。
「小母さん、今から夕飯の買い物に出ちゃうけど、いいわよね?耀平の部屋で待ってなさいよ。多分、もうすぐ帰って来ると思うから…」
「うん。じゃあ、そうする」
そう答えて、七於の方も遠慮せず母親の言葉に従った。今までも、部屋で待っていて耀平が怒ったりした事は無かったからだ。
だが、実は七於がこうして耀平の部屋へ来るのは、随分久し振りの事だった。高校に入ってからは、余り遊びに来る事もなくなってしまったし、それに、耀平が砂羽子と付き合うようになってからは一度も訪れた事がなかった。
「お邪魔します…」
誰も居ないと分かっていても、七於は一応そう言いながら耀平の部屋に入った。
もう日も暮れて、部屋の中は薄暗かったが、なんとなく悪い気がして七於は電気を点けなかった。
「あんまり変わってない…」
それが嬉しくて、七於は少し微笑みながら部屋を見回した。
耀平の部屋にはロフトが付いていて、梯子で上れるようになっている。子供の頃はそこへ上るのが楽しくて仕方なかった。
“秘密基地”と称して毛布やら玩具のピストルなどを持ち込み、2人で良く遊んだものだった。
普段、耀平はベッドに寝ているのだが、七於が泊まりに来た時は、そこに布団を敷いてもらい2人で並んで寝たこともある。
七於は懐かしくなって、梯子に手を掛けるとロフトへ上り始めた。
子供の頃は漫画の本や玩具などが散乱していたものだったが、今は不用品置き場のようになっていた。衣装ケースやダンボールなどが幾つか置いてある他は、古い雑誌が紐で束ねて重なっていた。
「こんな、狭かったっけ…?」
子供の頃はもっと広いように感じたが、荷物を片付けても2枚の布団を並べて敷けたとは思えない。多分、重ねるようにして何とか敷いてもらったのだろう。
天井も思っていたのよりも大分低い。七於は身を屈めて入り込むと、そこへ座った。
「あの頃は、楽しかったな…」
七於を馬鹿にして苛める子供も居たが、耀平だけはいつも一緒に遊んでくれた。ゲームをしても、覚えの悪い七於だったが、それでも覚えるまで待っていてくれた。
いつも、いつも、耀平だけは七於の味方だった。
なのに、思えば自分は、そんな耀平に何一つしてやれる事がない。
フッと溜息をつき、七於は悲しげに笑った。
傍にあった衣装ケースを何気なく覗いてみると、そこに懐かしい物があった。
「あ、これ、中学の時の…」
それは、中学校で着ていた耀平の体操着だった。
七於は懐かしげに引っ張り出すと、それを自分の身体に当ててみた。
今は見上げるほどに大きくなってしまった耀平だったが、この頃は今の七於と余り変わらなかったらしい。
「ふうん…、耀ちゃん、こんなに小さかったっけ…」
耀平が今の自分と同じくらいの大きさでも、自分はその頃、今よりずっと小さかったから、七於にはなんだかこの体操着の大きさが不思議な気がするのだった。
ゴロンとそこへ寝転び、七於は体操着を抱き締めるようにして胸の上へ載せた。
勿論、洗濯して仕舞って置いたのだからそんな筈はなかったが、それでも幾らか耀平の匂いが残っているような気がした。
そのまま目を閉じてじっとしていると、なんだか酷く穏やかな気持ちになった。
今日、耀平が見せた冷たい表情も現実ではなかったような気がした。
懐かしいこの場所で、懐かしい思いに浸ると、七於には、本当は今でも耀平はあの頃のまま変わっていないのだと思えてならなかった。
「耀ちゃん…、許して…?」
体操着を抱えたまま、七於は丸くなった。そして、いつの間にか眠りに落ちていった。