一緒に帰ろう
-7-
やがて、耀平の家へ着き、七於はそのまま一緒に彼の部屋まで行った。
部屋に入ると、耀平は疲れたようにベッドに腰を下ろした。
七於は所在無く立ち竦んでいたが、やがて彼の前へペタンと正座した。
「あ…、あの俺…、か、帰った方がいい…?」
恐る恐る七於が聞くと、耀平はやっと顔を上げて彼を見た。
「七於…」
「う、うん?」
七於が返事をすると、耀平はベッドから降りて来て、その前に膝を突いた。
「七於、ごめんな…?」
「え?」
耀平の手が伸びて、七於の身体を包んだ。
そのままギュッと抱き締められ、七於は驚いて息を飲んだ。
「よ…、耀ちゃん…?」
ドッドッと心音が早まる。
カーッと身体が熱くなるのを覚え、七於は頬を赤らめた。
「信じてやらなくてごめん…。俺、七於に酷い事ばっか言ったよな?ホントにごめん…。ごめんな?七於…」
「耀ちゃん…」
じわっと、鼻の奥が熱くなり、七於は首を振ると目頭を耀平の肩に押し付けた。
「俺こそ…、ごめんなさい…」
「何で?おまえが謝る事なんかねえよ」
「ううん…」
顔を上げると、七於は涙の溜まった目で耀平を見上げた。
「だって、俺の所為だもん…。砂羽ちゃんが怒ったの、俺の所為だもん…」
「ばっか…」
力無く笑うと、耀平は身体を離して七於の頭を撫でた。
「おまえの所為なんかじゃねえよ。…俺が馬鹿だったんだ。まんまと騙されて、砂羽子の言葉を鵜呑みにして…。おまえの話をもっとちゃんと聞いてれば良かったのに…」
自分の言葉は、他の人間の言葉より重みがない。だから、信じてもらえなかった。その事実が悲しかったが、七於は首を振った。
それは、誰が悪いのでもなく、仕方のないことだと思ったからだ。
「七於が、嘘なんかつかねえの、俺が1番良く知ってる筈なのに…」
そう言ってまた笑うと、耀平はクシャリと七於の髪を掴んだ。
「誰よりも、おまえは正直だって知ってた筈なのにな…。ごめんな?七於…」
なんと言っていいか分からず、七於はただ首を振った。
その、真っ赤に染まった目の縁を指でなぞると、耀平はまたその身体を胸に抱いた。
「泣かせてごめんな…?」
言われて、七於はまた黙って首を振った。
耀平がどんなに深く傷ついているか、七於には分かった。
こうして自分を抱きしめる事で、涙を堪えているような気がして、七於は切なくて堪らなかった。
何も言えない自分が辛かった。
慰めてもやれない自分が情けなかった。
耀平の為に、何一つ出来ない自分が、七於は嫌で堪らなかった。
(いつも…、耀ちゃんはいつも助けてくれたのに…。何で俺は、何にも出来ないんだろう…)
そう思うと、また涙が滲んでくる。
いつでも耀平の傍に居て、優しくしてもらえる砂羽子が羨ましくて堪らなかった。だが、その耀平と砂羽子の仲が壊れてしまった事を、七於はちっとも喜べなかった。
幾らこんな風に抱きしめられていても、自分では駄目なのだと分かっている。
本当の意味で、耀平の慰めになる事は出来ないのだ。そう思うと、大好きな耀平の腕の中にいるというのに、七於は酷く辛くなってくるのだった。
耀平に、結局何の言葉も掛けられないまま七於は自宅へ帰った。
翌朝、学校へ行こうと外へ出ると、家の前に耀平が待っていた。
「耀ちゃん…」
一瞬、口篭った七於だったが、すぐに何時ものように笑って耀平の傍へ駆け寄った。
「おはようっ、耀ちゃん…っ」
「おう。飯、ちゃんと食ったか?」
いつも通りに訊かれ、七於もいつも通りに頷いた。
「うんっ。食ったー」
「よし。じゃ、行くべ」
「うんっ」
ニコニコ笑い、七於は元気良く耀平の隣を歩いた。
多分、耀平はいつも通り接する事を望んでいるのだと思ったからだ。
「再来週から、中間だなぁ…」
「あ、そうだった…。うぅぅ…」
耀平の言葉に、七於は唸り出した。
また、七於にとっては辛い時期がやってくる。勿論、試験は誰でも嫌だろうが、七於には殊更に苦しい時だった。
普段だって、サボっている訳ではない。誰よりも一生懸命に勉強しているのだ。だが、それでも出来ない。
唸る七於を見て、耀平は苦笑した。
「明日から、学校終わったらウチに来いよ。見てやるし…」
「えっ、ホント…?」
驚いて見上げると、耀平は頷いた。
「おまえ…、俺と砂羽子に遠慮してたんだろ?もう、そんな必要ねえし。分からないトコがあったら、遠慮しないで、前みたいに来いよ」
「あ、ありがと。耀ちゃん…」
耀平の誘いは嬉しかったが、それが、砂羽子との仲が終わったからだと思うと、七於は複雑な気持ちだった。
「今まで、どうしてたんだ?誰かに教えてもらってたんか?」
「あ…、あの…っ」
口篭ると、耀平の眉が曇った。
「まさか…、輪島が…?」
迷ったが、七於は頷いた。
「う、うん…。ワジーね、頭いいんだ。それから、教え方も上手いの。だからね、俺ね、ワジーのお蔭で赤点にならずに済んでるんだ」
「…そっか」
七於の言葉に、耀平は面白く無さそうな顔になった。
輪島が、砂羽子にちょっかいを出したのだと言う誤解は解けても、耀平の輪島に対する嫌悪感が無くなった訳ではないのだ。
「おまえ…、まさか、何にも無いよな…?」
「え…?なにが…?」
きょとんとした顔で七於が聞き返すと、耀平は眉間に皺を寄せたままで言った。
「輪島に…、変な事されてねえだろうな?」
「さ、されてないよッ…」
耀平が何の事を言っているのかやっと気づくと、七於は驚いて否定した。
「耀ちゃん、誤解してるよ。ワジーはそんなヤツじゃないよ。ホントに、優しくて、いいヤツなんだよ。それに…、俺なんか相手にしなくたって、凄くモテるもん。必要ないよ…」
「七於…」
七於の言葉に、耀平はまた眉間に皺を刻んだ。
「まさか、おまえ…、あいつのこと…?」
「え…?」
七於が聞き返すと、耀平は笑いながら首を振った。
「いや、なんでもねえ。…兎に角、勉強はまた俺が教えてやるし。今日からでも、明日からでも家に来いよ。な?」
「う…、うん。ありがと…」
耀平が言い掛けた事が気になったが、七於はしつこく訊かなかった。
だが、耀平が輪島の事を誤解したままなのがどうしても気になった。
それとも、砂羽子の事で、お門違いだとは分かっていながらも、輪島を恨んでいるのだろうか。
(耀ちゃん…、ワジーのこと悪く思わないで…)
何も知らないのに、輪島が恨まれているのかと思うと、七於は悲しくて堪らなかった。2人の間の蟠りを取り去る事は出来ないのだろうか。
悲しげに溜息をつき、七於は隣を歩く耀平を見上げた。
七於が教室に着いて暫くすると、輪島が登校してきた。
今朝は1人ではなく、隣のクラスの女子と一緒だったらしい。教室の外で手を上げて別れると、輪島は中へ入って来た。
通り掛りに、周辺に居たクラスメートと挨拶を交わしながら、輪島は七於の傍へ来た。
「よ…」
短く声を掛け、輪島は何時ものように七於の髪をクシャっと掴んだ。
「おはよう…」
今まで、散々心配させているのは分かっていたし、七於も昨日の事を輪島に話さなければいけないと思っていた。だが、そうすることでまた、輪島に余計な負担を掛けるのではないかと恐れてもいたのだ。
気に病んでいる所為か、それが声に表れてしまったのだろう。返事をした七於を見て、輪島は眉を顰めた。
「また…、なんかあったんだな?」
輪島の言葉に、七於は慌てて首を振った。
「う、ううんっ」
「七於…」
「あ、あのっ…」
七於は輪島の袖を掴んで、彼の言葉を遮った。
「あ、あとで…、ちゃんと話すから…。ね?」
七於が必死の形相でそう言うと、輪島はまだ尺然としない表情ながら頷いた。
「分かった。じゃ、後でな?」
「う…、うん。後で…」
そう答えたが、七於は迷っていた。
輪島を傷つけないようにして昨日の事を説明するには、一体どうしたらいいのだろうか。
真剣に聞いていても半分も理解出来ない授業だったが、今日は気も漫ろだった所為かまるで頭に入らなかった。
もうすぐ試験だというのに、これでは駄目だと思ったが、どうしても輪島の事や、それから耀平の事が気になって集中出来ない。
七於は深い溜息をついて、ベルが鳴り終わると教科書を机の中へ仕舞った。
「七於…」
昼休みになり、輪島が席へやって来て声を掛けた。
朝、耀平に一緒に昼食をとろうと誘われていたので、七於は少し困った顔で彼を見上げた。
「あの、ワジー…、俺、今日は耀ちゃんと…」
七於が言うと、一瞬眉を曇らせたが輪島はすぐに笑みを見せて頷いた。
「そっか…。分かった。じゃ、帰りは一緒に帰ろうぜ?…ちゃんと、話聞かせてくれるんだろ?」
「う、うん…。ちゃんと、話すよ」
七於が答えると、輪島は頷いて教室を出て行った。
その後ろ姿を見送り、七於は溜息をつくと自分も教室を出る為に立ち上がった。
耀平と学食で待ち合わせている。だが、なんだか食欲が無かった。
学食へ行くと、耀平が席を取って置いてくれた。
その前へ座り、七於は持っていたトレイを置いた。
「なんだ?それしか食わねえのか?相変わらず、小食だなぁ、おまえ」
「う、うん…」
元々、余り食が太くない七於だったが、今日は特に食べたくない。トレイの上には半麺の饂飩とイチゴ牛乳しか乗っていなかった。
「そんなんだから、いつまでもチビなんだよ」
「へへっ…」
曖昧に笑って誤魔化すと、七於は箸を取った。
だが、そう言う耀平も余り食が進んでいるようには見えなかった。やはり、昨日のショックがまだ尾を引いているのだろう。
(耀ちゃん、やっぱり元気ないなぁ…)
心配になって何度も見るが、何か慰めになるような事を言いたくても何も思い付かない。そんな自分が嫌で、七於はまた悲しくなってしまった。
「俺の事なら、心配要らねえぞ」
「え…?」
丼の中の饂飩を掻き回すだけで口に入れようとしない七於を見て耀平は言った。
「それとも、別の事考えてたか?…輪島の事とか…?」
「ち…、違うよっ…」
「ふぅん…」
納得していない口ぶりで、耀平は頷いた。
「耀ちゃん、あの…っ…、ワジーの事、誤解しないで?みんなが噂してるのは、嘘だよ。ワジーはそんな悪いヤツじゃないんだ。ホントだよ?」
何とか輪島に対する耀平の誤解を解きたい。七於はそう思って、一生懸命だった。
「そりゃ、ワジーはモテるから色んな女の子と付き合ってるけど、でも、自分から誘ってる訳じゃないよ。いつも、女の子の方から言ってくるんだ。それを…断らないだけ…」
段々自信がなくなってきて、七於の声は尻窄みに小さくなった。
どうして輪島は、ちゃんとした彼女を作らないのだろう。そうすれば、皆から誤解されたりなどしないのだ。
「それって、タラシってことじゃねえのか?噂と何処が違うんだよ?」
意地悪く耀平に言われて、七於は黙り込んでしまった。
すると、フッと溜息をついて耀平は言った。
「でもまあ、噂ほど悪いヤツじゃねえってことは分かったよ。少なくとも、友達は大事にするヤツみたいだしな?」
耀平の言葉に、七於は顔を輝かせて頷いた。
「うんっ。そうだよ、いいヤツなんだ、ワジー」
七於の笑顔に苦笑すると、耀平はもう一度頷いて、箸を取った。
学食からの帰り、校舎の違う耀平と別れて七於が渡り廊下を歩いて来ると、向こうから3年生のグループが歩いて来た。
その中に、見知った顔を見つけ、七於はハッとした。
(あいつ…、昨日の…ッ)
それは、昨日、放課後の教室で砂羽子とキスしていた男子生徒だった。
一瞬の事だったし、向こうは自分の事など覚えていないだろうと思ったが、何だか嫌な気持ちがして胸がドキドキとするのが分かった。
だが、七於が目を逸らして脇に避けると、4~5人のそのグループは何故か通り過ぎずに七於の前で足を止めた。
皆身体が大きく、小柄な七於は見上げるほどだった。しかも、相手は上級生だ。そんな相手に囲まれて、七於は恐怖を覚えた。
「あ…、あの…」
退いてもらおうと七於が勇気を出して口を開くと、また更に輪が縮まり、完全に七於を取り囲んだ。
「おまえか?信田七於って?」
中の1人に声を掛けられ、七於は飛び上がった。
「えっ…?は…、はい…」
何故、自分の名前を知っているのだろう。
一体、自分に何の用があるのだろう。
七於は怖くて、脚がガタガタと震え出した。
「ふぅん…、おまえかぁ…」
さっきの1人がそう言うと、全員が何故かニヤニヤと笑い出した。
その意味が分からず、七於は益々怖くなった。
「あ…、あのっ…、な、なにか俺に用ですか…?」
泣き出しそうな声で七於は必死に訊ねた。
すると、砂羽子とキスしていた男がスッと手を伸ばして七於の髪の毛を一束摘んだ。