一緒に帰ろう


-9-

七於の意図も分からぬまま、輪島は彼と一緒に家へ行った。
七於には兄と姉が1人ずつ居るのだが、どちらも大学生で家から出て学校の近くに下宿しているし、母親も仕事をしているので夜にならなければ帰らない。
今日も、七於は玄関の鍵を開けると、無人の家へ輪島を招き入れた。
何か飲むかと訊かれ、輪島が首を振ると、七於は頷いて先に立って自分の部屋へ上がって行った。
「あ、あのっ、散らかっててごめんね」
そこらに脱ぎ散らかしたパジャマやら、読みかけの漫画雑誌やらを急いで集めて、七於はクローゼットへ押し込んだ。
「いいって、いいって。俺の部屋だって似たようなもんだし、気にしねえよ」
輪島が笑いながら言うと、七於も照れたように笑った。
「あ、あのあの…、適当に座って?やっぱ、なんか持ってくる?お菓子とか…」
何だか落ち着かない様子の七於の腕を輪島は掴んだ。
「いいって。なんも要らねえよ。今、タコ焼き食ってきたし…。それより、俺になんか話があるんじゃねえの?」
「あ…、あ、うん…」
頷くと、七於はぺたりとベッドに腰を下ろした。
輪島も鞄を置くと、マフラーを外してコートを脱ぎ、七於の隣へ腰を下ろした。
「どうした…?なんか、悩んでることとかあるのか?」
心配そうに覗き込まれ、七於は顔を上げた。
「えと…、悩みって言うか、あの…。俺…、変なのかなぁ…って…」
「変?」
怪訝そうに訊き返され、七於は眉を寄せて困惑の表情を作った。
「うんと…うんと…、あのさ…、ワジーはさ、やっぱり1人でする時ある?その…、1人エッチとか…」
恥ずかしそうに真っ赤になり、七於は小声でやっとそう言った。
「あー…、そりゃ、まあ…な。自然現象みたいなもんだし…」
輪島が答えると、七於は明らかに表情を硬くした。
「自然…現象…?」
「七於?」
七於の表情が変わった事に気付き、輪島も怪訝そうな顔になった。
「やっぱ…、そうだよね?……普通は、そうなんだよね…」
「おい、どうした?」
輪島が少々慌てた様子を見せると、七於は無理して笑って見せた。
「ううん…。あのさ…ワジー、見てくれない…?」
「見るって、なにを…?」
輪島が訊くと、七於は立ち上がって制服のベルトに手を掛けた。
「な、七於…?」
「お願い…。見て…」
ズボンを脱ぎ始めた七於を見て、さすがに輪島も彼が何を見て欲しがっているのかに気がついた。そして、気付くと七於を止めようとした。
「な、七於ッ、止せよ、おまえ…」
「やだ。お願い、ワジー…。俺のおかしいかどうか見て?確かめてよ…」
何かに怯える強張った表情で言い、七於は躊躇いもせずに急いでズボンと下着を脱いだ。
「おかしいって、なんで…」
「だって、だって俺…、まだ、オナニーとかしたことない…・ッ。おかしいよね?だって俺、もう高校生なのにっ…」
「七於…」
泣きそうな七於を見て、輪島は慰めるような表情になった。
「そんなん、個人差があるんだよ。別に七於がおかしい訳じゃねえって…」
だが、輪島の言葉を聞いても七於は頑なに首を振った。
「見てよぉ…。変かどうか、確かめて見てよ、ワジー」
しがみ付かれて、輪島は仕方なく頷いた。
「…分かったよ。座ってみ?」
七於を座らせると、輪島はその前に膝を突いて被さっていたシャツをそっと捲った。
「へん…?」
泣きそうな顔で七於は輪島に訊いた。
現れた性器は、確かに年齢にしては少々幼く見える。 自慰をしたことも無いと言っていたが、なるほど、まるで無垢な色をしていて、七於の肌が白い所為もあって、綺麗だった。
「触ったら、嫌か?」
コクッと喉を鳴らして唾を飲み込んだ後、輪島は顔を上げて七於に訊いた。
七於はすぐに首を振って答えた。
「やじゃない…。で、でも汚いよ?あ、洗ってこようか?ね?ね?」
慌てて立ち上がろうとした七於を押さえて、輪島は再び座らせた。
「いいって。大丈夫だ」
「で、でも…ッ」
「いいから。…ちょっと触るぞ?」
「う…うん…」
少し緊張した面持ちで、七於は頷いた。
そっと七於の性器に手を伸ばし、輪島は軽く扱くようにして先端を露出させた。
「ぅあっ…」
「痛い?」
七於が声を上げると、輪島は動きを止めて見上げた。
だが、七於が真っ赤になった顔をブンブンと横に振ると、また視線を落とした。
「ちゃんと、剥けるな。大丈夫だよ」
「そ、そう?ホント?」
「勃起はするんだろ?朝とか、勃ってることあるだろ?」
すると、輪島の言葉に、七於は益々赤くなって目を伏せた。
「う…。わ…かんない…」
また泣きそうになった七於を見て、輪島は優しい声で訊いた。
「夢精は?パンツが汚れてることねえの?」
その言葉に、七於はまた首を振った。
心配なのか、すっかり気を落としてしまった七於に、輪島は言った。
「ちょっと、扱いていいか?」
「えっ…、で、でも…」
「嫌?」
やはり、さすがに七於でもそれは嫌なのだろうと、輪島が手を離そうとすると、七於は心配そうな顔で言った。
「ワ、ワジーは嫌じゃないの?気持ち悪くないの…?」
どうやら躊躇った理由は嫌悪感からではなかったらしい、輪島はまた安心させるように笑みを見せた。
「いや、俺は平気だよ。七於が嫌じゃなかったら、してみていいか?」
「う…、うん…」
おずおずとだが頷いた七於を見て、輪島はゆっくりと手を動かし始めた。
「んっ…」
ギュッと目を瞑り、七於は身体に力を入れた。
「感じる…?」
「ん…」
益々赤くなり、七於は微かに頷くと自分のシャツの裾を両手でギュッと握った。
「大丈夫だ…、ちゃんと硬くなってきた…」
「んっ…な、なんか…ッ、ワジー…ッ」
初めての体験に怯える様子の七於を励ますように頷くと、輪島は勃起によって露出し、敏感になった先端を擦り始めた。
「大丈夫だ。それが普通なんだよ。ちゃんと、勃起してるから…」
「ん…んっ…んーんっ…」
感じた事のない感覚に襲われて怖いのか、七於は小刻みに首を降り始めた。
だが、間違いなく快感を得ている事は、その上気した顔と表情で分かった。
「七於…」
掠れた声で七於の名前を呼び、輪島がまたコクッと喉を鳴らした。
そして指が、また七於の敏感な部分を強く擦り始めた。
「んふっ…、も、や、やだっ…やぁっ…」
切なげに叫ぶと、七於は膝を自分の腹に引き付けて輪島の手から逃れようとした。
「七於ッ…」
それを遮り、輪島がいきなり七於を押し倒した。
「ぅむっ…ッ」
唇を塞がれて七於が喘ぐ。
だが、続けられていた愛撫によって、抵抗する力は失われてしまっていた。
ただ喘ぎ、嫌がって首を振ろうとするが、輪島の唇から逃れる事は出来なかった。
「うふぅぅっ…んっ、んっ、んぅぅッ…」
ビクン、ビクン、と七於の身体が大きく震え、輪島は彼が射精したのを知った。
やっと唇を離して七於を解放すると、起き上がりながら汚れた手を見る。そしてすぐにまた、横たわったまま呆然としている七於に目をやった。
真っ赤に上気した頬をして、荒げた呼吸に大きく胸を上下させている。シャツが捲れ上がって露になった真っ白な腹は、吐精した自分の体液で汚れていた。
「な…、七於…ッ」
カーッと、輪島の頬が突然紅潮した。
そして、突然また覆い被さると、七於の顎を掴んで激しく唇を押し付けた。
「んぁっ、ヤッ…も、もうやっ、やだっ…」
今度こそ激しく抵抗し、七於は輪島の身体を押し返そうともがいた。
その時、また、キュッと性器を掴まれ、七於はビクンッと大きく身体を震わせて跳ね上がった。
「あうっ…」
達した後の余韻をなぞられ、切なさに身悶えしながら首を振る。その唇に、また輪島の舌が入り込んだ。
「む…ふぅんッ…」
ギュッと輪島の制服を両手で掴むと、七於は抵抗を止めた。
「んーーーッ…」
舌を吸い上げられて苦しげに呻くと、七於はコクッと喉を上下させて唾液を飲み込んだ。そして、何度も嫌々をするように首を振っては、泣きそうな声を漏らした。
不意に輪島の唇が離れ、七於はやっと大きく息を吸った。
だが、ホッとしたのも束の間、今度は胸に唇を感じてギュッと身体を強張らせた。
「や…ッ」
輪島の舌が、自分の硬くなっていた乳首を掬うのを見た。
吃驚して固まっていると、そのまま唇が降り吸い上げる。七於は急いで首を振り、今度こそ本当に泣き声を上げた。
「嫌だぁッ…、ワジー、止めてよぉっ。怖いッ…」
ハッとして、輪島が顔を上げた。
「な、七於っ…」
泣き出して両手の甲で目を押さえている七於を見てうろたえると、輪島はその両手を慌てて掴んだ。
「ご…、ごめんっ…」
ヒクッ、ヒクッ、としゃくり上げる七於を輪島が腕に抱きしめようとした時、いきなり部屋のドアが開いた。
「七於、居る…」
ドアを開けたのは、耀平だった。
ノブに手を掛けたまま、耀平は動きを止めた。
2人とも夢中で、恐らく耀平が鳴らしただろう玄関のチャイムにも、そして、階段を上ってくる足音にも気付かなかったらしい。
呆然と、耀平は2人を凝視した。
七於が裸同然なのは一目で分かったのだろう。そして、その意味もすぐに悟ったらしい事はその表情で分かった。
「お…まえ…。なにやってんだ…?」
忽ち怒りを露にし、耀平は輪島を見据えた。
輪島はすぐに、何か言おうとして口を開いたが、思い直して唇を結んだ。どうやら、言い訳をするつもりはないらしい。
だが、耀平の方は治まる訳が無かった。
「おいッ…」
持っていた鞄を投げ捨て、耀平は輪島に掴みかかろうとした。
「止めてッ…」
叫ぶと同時、七於がサッと起き上がって、自分の身体で庇うようにして輪島の身体に抱きついた。
「やだっ、耀ちゃんッ。止めてっ、止めてよぉぉッ…」
必死に輪島を庇う七於を見て、耀平は掴んでいた輪島の服を離した。
「やめて…。ワジーは悪くないから…。悪くないんだッ…」
「……七於…」
改めて七於の姿を見て、耀平は怯んだような表情になった。
明らかに、その下腹部が射精によって汚れているのが分かったのだ。
「おまえ…、やっぱりそいつの事が好きなんだな…?」
「えっ…?」
驚いて七於が顔を上げると、耀平はさっき投げ捨てた鞄を拾った。
「なら、俺がとやかく言う必要もねえよな」
そう言い捨てると、耀平はさっさと部屋を出て行ってしまった。
「よ、耀ちゃん…?」
七於は呆然として開いたままのドアを見つめると、力が抜けたようになって輪島の身体を離した。
「七於…。ごめん、俺…」
耀平を誤解させたと知り、輪島はすぐに七於に謝った。
だが、七於は力無く首を振った。
「いいよ…。ワジーの所為じゃない…。ワジーは悪くないよ」
「けど、俺が無理やり…」
「違う。…俺が頼んだんだもん。だから、ワジーが悪いんじゃない…」
そう言った七於の目には涙が滲んでいた。
耀平に誤解された事が、彼に大きなショックを与えていたのだ。
だが、その事で輪島が自分を責めるのは嫌だった。
「ちゃんと、俺…、耀ちゃんに、説明する…から」
泣くのを堪えながら、七於は必死で言った。
「だから、…ワジーは心配しないで…っ」
「七於…」
躊躇いがちに手を伸ばすと、輪島は泣き出した七於をそっと抱き寄せた。
「ごめん…。やっぱり、俺が悪かった…。ごめんな?」
頭を撫でられて、七於はまた首を振った。
何か言おうとしたようだったが、涙で言葉にならない。その代わりに、輪島の服を掴んで瞼を押し付けた。
だが、やがて泣き止むと、七於は真っ赤な目で輪島を見上げた。
「耀ちゃん…、俺のこと軽蔑したかな…?気持ち悪いって思ったかなぁ?」
不安げな震える声で七於が訊くのに、輪島は答えてやる事が出来なかった。ただ、黙って辛そうに目を伏せるだけだった。
すると、七於はその顔をじっと見て言った。
「ワジー…、なんでさっき、俺にチューしたの…?」
すると、輪島は目を開き、寂しげな笑顔を見せた。
「…そか。ごめん…。チューは、好きな人とするんだっけな…」
「う…?」
輪島の悲しげな瞳に気付き、七於は眉を寄せた。
「ワジー…?まさか…、まさか…ッ、俺のこと、好きなの…?」
一瞬、輪島の首が頷きそうに見えた。
だが、すぐにフッと笑うと、輪島は首を振った。
「違うよ。…七於が、あんまり可愛かったからさ、ついチューしたくなっただけ…。ごめんな?初チューだったのによ」
その言葉を、七於は信じたのかどうか分からなかった。ただ、眉間に寄った困惑気な皺はまだ刻まれたままだった。
「い…、いいよっ。お、俺、ワジーのこと好きだもんッ。だから、チューしてもいいけど…」
尻窄みに弱々しくなった声で、七於は先を続けた。
「けど…、あんなの、したことなかったから…、だから、ちょっと怖くて…」
「うん、ごめん。七於にはちょっと早かったな」
そう言ってまた笑った輪島の顔を、七於は真剣な目で見上げた。
「ワジー、いつもあんなチューしてるの?付き合ってる女の子と、いつもするの?」
「ああ、まあな…」
その答えを聞いて、七於は俯いてしまった。
「じゃあ、耀ちゃんもするのかな…?するんだよね?きっと…」
「七於…」
輪島が手を上げてその髪を撫でようとする前に、七於は顔を上げて彼を見た。
「今日、ごめんね?ワジー、変なこと…させちゃって。で、でも俺、なんかちょっと安心した…。ちゃんと…出せたし…。感じた…し…」
最後の言葉は殆ど聞こえなかった。
真っ赤になって俯いた七於を見て、輪島はまたフッと笑った。
汚れた身体を洗ってくるように言われ、七於は着替えを持ってバスルームへ行こうとした。
だが、急に不安になって立ち止まると、輪島を振り返って言った。
「ワジー、俺が居ない間に帰ったりしないでね?待ってて?待っててね?俺、シャワーから出たら、お茶淹れたりするし。だから、待ってて?」
「ああ、分かった。ちゃんと待ってるから、行って来いよ」
苦笑しながら答えた輪島に、七於はホッとして頷くと部屋を出て行った。
言わなければきっと、輪島は自分が居ない間に帰ってしまったような気がした。
自分が変な事を頼んだ所為で、また輪島は耀平に誤解されてしまった。不安は解消されたが、また七於には別の悩みが出来てしまった。
耀平は、自分と輪島の関係をすっかり誤解してしまった。
それに、自分の事を異常だと思ったかも知れない。
「どうしよ…」
裸になってシャワーを浴びながら、七於は自分の身体を見下ろした。
さっき、輪島の手の中で確かに自分は勃起し、そして刺激を受けて射精した。
今まで、異性に対して興味を持った事がなかったが、男の輪島にはちゃんと反応した事になる。
「やっぱり俺…、変態なのかなぁ…」
呟くと、七於は自分の唇に指を当てた。
「チュー…しちゃった…」
余りに突然で、そして激し過ぎて、恐怖が先に立ってしまったが、もし、もっと優しく輪島がしてくれたなら、もっと違う感じがしたのだろうか。
さっき、嫌じゃ無いと言ったが、確かに嫌悪感は少しも無かった。
「耀ちゃんじゃなくてもいいのかな…、俺…」
そう呟くと、何だか急に涙が出た。
やはり、初めてのキスは耀平としたかったと思った。やはり自分は、どうしても耀平が好きなのだ。
それなのに耀平は、自分が輪島を好きなのだと勘違いしている。本心を告げられない苦しみで、七於は今にも崩れてしまいそうだった。
ドン、と壁を叩き、七於は言った。
「俺が好きなの…、耀ちゃんだよ…?耀ちゃんだよぉぉ…ッ」
はっきりと、そう言ってしまえば楽になるのかも知れない。だが、言ってしまって、もう2度と口も利いて貰えなくなったら耐えられない。
七於は上を向くと、シャワーの下で何度も何度も顔を擦った。
部屋に戻ると、輪島は雑誌を読んでいた。
「ごめん。お待たせ…。あ、俺なんか持って来る。何がいい?冷たいのがいい?それとも、コーヒーとかがいい?」
「あ、じゃ…コーヒー」
「うん、分かった。ちょっと待ってて?」
元気に答えると、七於はまた部屋を出て階段を下りて行った。
兎に角、もうこれ以上、輪島には心配を掛けたくなかった。自分が、耀平の事で悩んでいるのを知れば、また輪島が心配する。
それは、良く分からなかったが、輪島を傷つける事になるような気がした。
さっきのキスの意味も、輪島の答えは嘘だったような気がして仕方なかった。もし、自分が疑ったように輪島の心が自分に向けられているのだとしたら、自分はもう耀平との事で輪島を心配させる訳にはいかないのだと七於は思った。
「自分1人で解決しなくちゃ…」
今までは、辛い時にはいつも輪島が慰めてくれた。
確かに自分は、それに甘えていたかも知れない。
だが、それはもう、してはいけない事なのだ。
自分を慰めてくれながら、密かに輪島が傷ついていたのだとしたら、七於は申し訳なくて堪らなかった。
あんなにモテるのに、特定の彼女を作らないのも、“マジになれない”と言っていたのも、もしかしたら全部、自分の所為なのかも知れない。
そう思うと、七於は遣り切れなかった。
本当は、こうして傍にいる事も輪島の為にはならないのだろうか。だとすれば、自分は彼から離れていかなければならないのだろうか。
「俺…、いつも迷惑掛ける…。みんなに、迷惑掛けてばっかだ…」
自分の存在が、自分自身にさえ疎ましいものに感じられ、七於は情けなくて堪らなかった。
インスタントのコーヒーを2人分淹れ、トレイにカップと、それから砂糖とミルクを載せると、七於はそれを持って部屋へ戻った。
「お待たせー」
笑顔でそう言い、折り畳みテーブルの上にトレイを置くと、カップをひとつ取り輪島の前に置いた。
「お砂糖入れる?ミルクは?」
訊くと、輪島は首を振った。
「いや、どっちも要らねえ」
「苦くないのー?」
言いながら七於は、自分の分のカップに砂糖を2本とミルクをたっぷり入れた。
「おまえこそ、甘くねえの?」
笑いながら輪島にそう訊かれ、七於は頷くと美味しそうにコーヒーを飲んだ。
「うん、美味しいよ」
「そっか…」
笑みを浮かべたままカップを口に運ぶ輪島を、七於はじっと見つめた。
「あの…、ワジー…?」
「ん?」
「あの…、ごめんね?」
項垂れると、輪島の手が七於の頭の上に乗った。
「なんだよ?もう、いいって…。それに、謝る必要なんかねえし」
「うん…」
だが、そう言われても七於は顔を上げなかった。
謝りたかったのは、さっきの事ではないのだ。
輪島が自分を想っていてくれたのかも知れない事を、そして、ずっとそれに気付きもしなかった事を、本当は謝りたかった。
だが、どう言えばいいのか言葉が見つからない。それに、謝る事で、更に輪島を傷つけるのかも知れないと思った。
(大好きなのに…、俺…、何にも出来ない…)
無力な自分が、これほど嫌だったことはない。
「こら、泣くな。もう、気にすんなって…。な?」
そう言って、輪島は頭を撫でてくれた。
自分にとって、誰よりも、そしていつでも優しい輪島の手が、今日はやけに悲しかった。