一緒に帰ろう
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夕食の後で、七於は家を出た。
耀平に会って、誤解を解いておかなければならない。
それは、自分の為だけでなく、輪島に対する誤解を解く為でもあった。
「今晩は。耀ちゃん…いる?」
玄関に出て来た母親に訊くと、部屋に居ると言うので上がらせてもらった。
ドアをノックして、ドキドキしながら待つと、やがて中から耀平がドアを開けた。
「こ、今晩は…」
ぺこりと頭を下げると、耀平はじっと七於の顔を見た。
「…あ、あの…ッ」
「なんか用か?」
冷たく言われ、七於の目に涙が滲んだ。
だが、泣くのを堪えると、七於は一生懸命に笑おうとした。
「あの、あの…、聞いて欲しくて。耀ちゃん、誤解してるみたいだったから…。だから俺…」
「誤解…?何を…?」
あくまでも冷ややかな耀平の声に、七於の決意が殺がれていく。だが、帰る訳にはいかなかった。
「お願い…。話、聞いて…よ」
上着の裾をギュッと掴み、七於は祈るように言った。
すると、頭の上でフッと溜息が聞こえた。
「入れよ」
耀平の身体が脇に避けられ、七於はホッとして顔を上げると耀平の部屋へ入った。
試験勉強をしていたらしく、耀平の机の上には教科書が広げられていた。
「あ…、勉強してた?ごめん、俺、邪魔しちゃって…」
七於がうろたえると、耀平は首を振ってそこへ座るように示した。
「いいって。けど、再来週からテストだってのに、おまえは余裕だな?今日もその事で行ったら、あんなことしてるしよ…。勉強も、俺じゃなく輪島に見てもらった方がいいんだろ?」
不機嫌な顔でそう言われ、七於は慌てて身を乗り出した。
「ちがッ…」
「違わねえじゃん?おまえ輪島と、そういうことしてたんだろ?」
「だから、それはっ…。それは、違うんだッ。聞いてよ…、ホントの事言うから、聞いてよ、耀ちゃん…ッ」
「ホントの事…?」
「…うん…」
七於が頷くと、耀平は渋々頷いた。
「分かった。聞くから、話せよ」
「うん…」
七於は頷くと、座り直した。
「あの…、あの…、俺ね、なんか自分が変なのかなって思って、ずっと心配で…」
「変って?」
「うん…。その、…みんなみたいに、女の子の事とかあんまり考えたこと無いし、うんと…その…、エッチな本とかも見たいとか思わないし…。耀ちゃんが言うように、俺、ガキなのかなぁって、ただ、それだけなのかなぁって、思ったんだけどね…」
七於の言いたい事が段々に分かってきたのか、耀平の顔色が変わった。
「な…、七於…?」
その顔を見て、七於はちょっと怯んだ。だが、気を取り直すと先を続けた。
「その…、そうじゃなくて、もし何処か身体がおかしいんだったら、どうしようって心配で…、だから…、だから俺…」
「それで、輪島に見てもらったって…?」
呆れたように耀平が言うと、七於は真っ赤になったままコクンと頷いた。
「馬鹿かッ…」
忌々しげに罵られ、七於はビクッと震えた。
恐る恐る見上げると、明らかに耀平は怒っているようだった。
「なんだって、そんな馬鹿な事考えんだよ?そんで?勃起するかどうか試したくて、あいつに弄ってもらったってか?そんな事させる方が、余計に変だろうがッ」
「だ、だって…、だって、俺っ…、こ、怖かったんだもんッ…」
耀平の怒りに、とうとう七於は泣きだした。
すると、そんな七於を見て、耀平もやっと怒りを治めた。
「七於…」
泣きじゃくる七於を腕に抱き寄せると、耀平はまた溜息をついてその頭を撫でた。
「そんなもん、自分でしてみりゃ分かんだろ?…なんだって、輪島になんか頼むんだ…」
「だっ…、だって俺っ…、し、したこと無いんだもん…」
「なっ…?嘘だろ…?」
驚いて耀平が聞き返すと、七於は涙を拭きながら首を振った。
「おまえ…」
まさか、七於がそこまで子供だとは思っていなかったのだろう。耀平は呆れるよりも驚いてしまったようだった。
多分、この調子では、輪島に相談したのも真剣に悩んだからで、厭らしい意味は少しも無かったのだろう。それが分かると、耀平は身体から力を抜いた。
「まったく、おまえは…。けど、それなら、なんだって輪島なんだよ?子供の頃から、何でも俺が教えてやったのに…」
その言葉に、七於は泣き止んで耀平を見上げた。
「え…?」
「何で俺に相談しねえんだ?俺じゃ、なんか拙い事でもあったのか?」
少々面白く無さそうな口調でそう言われ、七於は慌てた。
「だって…、耀ちゃんに、き、気持ち悪いって思われたら嫌だから…。嫌われるの、怖かったんだもん…」
「七於…」
フッと、耀平の唇に笑みが浮かんだ。
「ばーか。そんなんで今更、おまえのこと嫌ったりするか」
「ほんと?」
「当たり前だろ」
「耀ちゃん…」
その言葉にホッとしたのか、やっと七於の顔にも笑みが浮かんだ。
だがすぐに、その笑みは浮かんだのと同じように消えていった。
「あの…、耀ちゃん…」
「うん?」
「あの…、あのね。俺が、その…、もし、…もしも、その、ホ…、ホモでも、嫌いにならない…?」
「えっ…?」
七於の口から出るには、余りにも思い掛けない言葉だったのだろう、耀平は絶句したまま、マジマジと七於の顔を見つめた。
「ホ、ホモっておまえ…、やっぱり、そういう意味で輪島の事が好きなのか…?」
「ちっ、違うよッ…」
「じゃ、どういうことだよ?」
「だ、だって…、だって俺…。女の子、好きじゃないかも知れない。好きになった事ないし…、あの…、ほら、エ、エッチな写真とかも見たいと思わないし…」
七於の答えを聞いて、耀平は笑った。
「あのなぁ…、だからってホモって事にはならないだろ?」
「そ、そうなの?」
七於が訊くと、耀平は安心させるように頷いてその頭に手をやった。
「七於はまだ、好きな子が出来ないだけだよ。その内にきっと、誰か出来るって。心配すんなよ」
「で…、でも…」
「七於はちょっと人より遅いのかも知れないけどな、そんなのはみんな違うんだし、早熟な奴もいれば、七於みたいに遅いヤツだっているんだよ。だから、心配しなくて大丈夫だって」
「でも…」
七於が口篭ると、耀平は眉を寄せた。
「まだ、何かあるのか?」
「…あの、もしね?もし、俺が、やっぱりずっと好きな女の子が出来なくて、そんで、男が好きになったりしても、耀ちゃん怒らない?…俺の事、嫌いにならない?」
真剣な目で見つめられ、耀平は少したじろいだようだった。
だが、やがて七於をじっと見たままで口を開いた。
「まあ、別に嫌いになったりはしねえよ。七於は、七於だしな…。けど、ホントにおまえ、輪島の事が好きなんじゃねえのか?だから、そんなこと…」
「違うッ…。それは、ホントに、ホントに違うから…ッ」
「そっか…。分かった。なら、いいよ。もう、そんな心配してねえで、おまえ、明日っから、ちゃんと勉強しに来いよ?赤点取っても知らねえぞ」
「う、うんっ。ちゃんと来る…。来るよ」
「おう」
耀平は自分の心配が取り越し苦労だと思ったのだろうか。それとも、本当に、もし自分が同性愛者でも変わらずにいてくれるのだろうか。
多分、耀平はそう言った通り自分を嫌ったりはしないのかも知れない。
だが、七於はホッとした反面、寂しかった。
もしかしたら、耀平が少しぐらい輪島に嫉妬してくれたのではないかと思っていたのだ。
だが、輪島に対する嫌悪感から腹を立てただけで、輪島が自分の身体に触れた事に怒った訳ではないらしいと分かった。
(やっぱり、耀ちゃんは俺の事、ただの友達以上には思ってないんだ…)
改めてそう確信すると、七於は悲しげな溜息をついた。
もし、耀平が腹を立てた原因に、少しでも輪島に対する嫉妬が混じっていたのなら、七於は思い切って自分の気持ちを告げようと思っていた。
だが、きっとそんな事をすれば、耀平を困惑させるだけだろう。そして、結局は自分から離れて行ってしまうに違いなかった。
だから七於は、何も言わずに耀平の家を出た。
明日から、耀平が勉強を見てくれる。また、元のように、毎日一緒にいられるのだ。
それだけでも、良いと思うしかない。
それ以上の事を、決して自分は望んではいけないのだ。
振り返って耀平の部屋の窓を見上げると、七於はもう一度、深い溜息をついた。
翌朝、待っていてくれた耀平と一緒に登校すると、輪島はもう教室に来ていた。
「おはよ…」
昨日の事が思い出されて、七於は少しはにかみながら挨拶をした。
「よ」
だが、輪島の方では何時もと変わらない笑顔を向けてくれた。
それにホッとし、七於は自分の席に着いた。
休み時間になると、七於は昨日、耀平の家へ行った事を話そうと、輪島の席へ行った。
「ワジー、あの…、昨日の事だけど…」
「ん?…出る?」
輪島は拘る様子も無くそう言うと、ベランダの方を指差した。
「あ、うん…」
一緒にベランダへ出ると、七於は昨日、耀平の家へ行った事を話した。
「そっか…」
「うん。あの、そんでね?俺、ちゃんと、どうしてあんなことしてたのか、正直に言ったの。そしたら、耀ちゃん、分かってくれた。ワジーの事も、誤解だってちゃんと分かってくれたからね?」
「そっか…。ありがとな?七於、言うの辛かったんじゃないのか?」
「う、ううんッ」
輪島に優しく言われて、七於は急いで首を振った。
「だって、自分の事だから、ちゃんと自分で言わなくちゃ…。それに、耀ちゃんに誤解されたままなのは嫌だもん」
「そうか…。そうだな」
やはり輪島は、何時もより少し元気がないような気がした。それは多分、自分の所為なのだろうと思うと、七於は顔を曇らせた。
「ワジー…」
「うん?」
やはり輪島は、何でもないように見せようとして、無理に笑ってくれているように思えた。
「ワジー、俺と…、友達でいるの、嫌?」
「…なんで?そんなこと、ある訳ねえじゃん…」
そう言うと、輪島はまた笑って見せた。
「俺たち、ずっと友達だよ。…そうだろ?」
「…うん」
頷いたが、七於は顔を上げられなかった。
本当は、輪島の言葉がとても嬉しい。だが、その半面で酷く切ないような気がした。
すると、何時ものように七於の頭に、ぽん、と輪島の掌が乗った。
「今日、飯は?耀平と食うのか?」
さり気なく、何でも無い事のように輪島は話題を変えてくれた。
だが、七於はまだ顔を上げる事が出来なかった。
「うん…」
下を向いたまま力無く頷くと、頭に乗っていた輪島の手が、クシャッと軽く七於の髪を掴んだ。
「そっか…。寒いな…、もう、中に入るべ…」
そう言うと、輪島は先に教室の中へ戻って行った。
その後ろ姿を見つめて、七於は泣きそうになっていた。
全て自分が悪いのに、それでも輪島は何処までも優しい。それが辛くて、胸が痛かった。