一緒に帰ろう


-3-

吹き晒しの屋上は人影も無かった。
「耀ちゃん、やっぱり怒ってるのかな…」
話があるから電話すると、さっき耀平に言われたのを思い出し、七於は心配そうにそう呟いた。
前にも七於が輪島と仲良くしていると知って、耀平は酷く機嫌が悪くなったことがあったのだ。
「おまえ、あんなタラシ野郎と付き合ってんのか?」
輪島の噂は普通科の耀平の耳にも届いていたらしい。幾ら七於が違うと言って説明しても耀平は聞き入れてくれなかった。
「いいか?あいつは女だけじゃなく男にも手を出すって有名なんだぞ。おまえみたいなガキ、簡単に丸め込まれてヤられちまうからな?そうなってから泣いたって、俺は知らねえぞっ」
輪島はそんな人間じゃない。
七於はそう思ったが、耀平は耳を傾けてはくれない。
仕方なく、耀平の機嫌を取ろうとして、七於はもう輪島と必要以上に仲良くしないと約束したのだ。
だが、今朝の電話で七於が嘘をついていたのがバレてしまった。多分、耀平は今夜そのことで電話してくるに違いなかった。
「寒いなぁ…」
冷たいイチゴ牛乳をストローでチューッと吸い上げると、七於はブルッと身体を震わせた。
すると、屋上のドアが開いて輪島が顔を覗かせた。
「こらっ」
「あ…、ワジー…」
「何で居なくなるんだよ?探したじゃねえか」
「え…?だって…」
輪島はてっきり彼女と一緒に学食へでも行ったのだろうと思っていたのだ。
「お?1人でパン買えたのか?」
七於の手に卵サンドがあるのを見て、輪島は感心するように言った。
「ううん。耀ちゃんが…」
「え?…・耀平が…?」
余程意外だったのだろう。輪島は驚きに目を見張った。
「うん。俺が買えなくて困ってたら、後ろから来てこれをくれたの。ね?耀ちゃん、優しいでしょ?」
嬉しそうにそう言う七於を見て、輪島は曖昧に笑った。
「そっか。良かったな…」
「うん。ちゃんと卵サンドとイチゴ牛乳。俺の好きなの分かってるんだぁ」
「ふうん…。で?その耀平は?」
「砂羽ちゃんが、学食で待ってるんだって…。すぐに行っちゃった…」
寂しそうにそう言った七於の隣に腰を下ろすと、輪島はそれ以上そのことに触れずに、持っていた袋から焼きソバパンと烏龍茶を取り出した。
「ここ、寒くねえ?」
七於の気分を変えようとして、輪島は少々大袈裟に身を震わせて見せた。
「寒いー。でも、好きなんだ、ここ…」
「変わってんなぁ、おまえは…」
「へへっ…」
カプリとサンドイッチを口に含んだ後、七於はやはりパンに齧り付いた輪島の顔を不思議そうに見た。
「ワジー…、さっき、彼女来てたよね?」
「あ?ああ…。別に彼女って訳でもねえけどな…」
「そうなの?」
「ああ」
「ねー、なんで、ちゃんと彼女作らないの?いっつもさー、付き合ってる娘のこと彼女じゃないって言うよねー?」
心から不思議そうにそう言った七於に輪島は肩を竦めた。
「マジになると棄てられっからさ…」
「うそー」
目を丸くしてそう言った七於に輪島は同じ調子で言った。
「ほんとー」
輪島がふざけているのだと、さすがに七於にも分かったらしい。頬を膨らませてグイッと顎を突き出した。
「嘘つきッ」
輪島はプッと吹き出すと、七於の頭を撫でた。
「いいじゃねえ。本気にならなくたって俺も彼女も幸せならさ」
「…ふうん」
釈然としない顔で七於はそれでも頷いた。
だが、すぐに表情を曇らせると、俯いて手に持っていたサンドイッチに視線を落とした。
「俺も…、俺もさ…、本気じゃないって言ったら、冗談でもいいって言ったら…、怒らないかなぁ、耀ちゃん…」
「七於…」
ウーロン茶のストローを銜えかけていたが、輪島はそれを離すと顔を上げた。
「駄目かなぁ。冗談だって言っても駄目かなぁ…。気持ち悪いって言われちゃうかなぁ…。嫌いって言われちゃうかなぁ…」
段々に声を震わせ、七於は酷く悲しそうにそう言った。
「なんで諦めないのかなぁ、俺…。耀ちゃんは駄目だって分かってんのに。ちゃんと分かってんのに…」
「よせよ。もう、考えんな」
少々きつい声で輪島に言われ、七於は頷くと下を向いたままサンドイッチに齧り付いた。
「サッサと食って行くぞ。いつまでもこんなトコに居たら風邪引いちまう」
「…うん」
無言のまま、黙々とパンを食べ終えると、2人は食べ終えた袋を持って屋上を後にした。
七於は空になった袋を丸めてしまったが、前を行く輪島の袋の中にはまだ何か入っているように見えた。
その袋を、輪島は偶然前から歩いて来たクラスメートにすいっと差し出した。
「おい、田中。部活やって腹減んだろ?パン余ったからやるよ」
「おお、悪りぃな、輪島…」
嬉しそうに言って、それを受け取った柔道部の田中は、厳つい顔に笑みを浮かべながら早速袋を開けて中を覗いた。
「おい、卵サンドはいいけどよー、なんでイチゴ牛乳だよ?」
呆れたようにイチゴ牛乳を掴み出した田中に輪島はパパッと手を振った。
「いいだろ?たまには可愛いもん飲んで、おまえも可愛くなれ」
「はぁー?」
訳が分からんと言いたげに田中が首を振るのを後にし、輪島は構わず教室に向かって歩いて行った。
その後をちょこちょこと付いて歩きながら、七於は何度も田中の方を振り返った。
(卵サンドと、イチゴ牛乳……)
それは多分、輪島が自分の為に買ってくれたに違いない。
「ワジー?」
追い着いて後ろから制服の裾を掴むと、七於はぐいぐいとそれを引っ張った。
「あー?」
振り返りもせず、気の無さそうに輪島は返事をした。
「あれさー、さっきのあれさー…」
輪島の腕に纏わり付くようにして、七於は輪島を見上げた。
「あれ、俺にじゃないの?卵サンド…」
「別にぃー、そんなんじゃねえよ。自分で食おうと思って買ったんだけど、腹いっぱいになったからさ」
嘘だと七於は思った。
輪島は絶対に自分の為にパンと牛乳を買ってきてくれたのだ。そうでなければ、甘いものの嫌いな輪島がイチゴ牛乳など買う訳が無い。
(俺の好きなの…。ワジー…、ちゃんと買ってきてくれたんだ)
七於は勢い良く輪島の腕を引いた。
「ワジー、あのさ、あのさー、今日、俺、帰りになんか奢ってやるー。たこ焼き奢ってやるー」
「たこ焼きぃ?」
苦笑しながら輪島は七於に目をやった。
「“やまや”のたこ焼きかぁ?おまえ、好きだなぁ、あれ」
「うんっ、大好きー。な?俺、今日奢ってやるから、食って行こう?なー?」
「おう。じゃ、奢ってくれ」
「うん。奢ってやるぞ」
偉そうにそう言うと、七於は嬉しそうに笑って輪島を見上げた。



その夜、七於は携帯電話を前に置き、ベッドの上に正座して耀平からの電話を待っていた。
眉間に皺を寄せて、神妙な顔つきでじっと携帯電話を見つめている。そうやって、もう1時間が経とうとしていた。
学校からの帰り、七於は約束通り輪島と一緒にたこ焼きを食べに行ったが、耀平に言われたことは何も話さなかった。
本当は、自分の大好きな耀平と輪島が仲良くしてくれたらいいと思う。
七於にとって、耀平は一番好きな相手で、そして、輪島は一番大切な友達だった。その2人が嫌い合うのはとても辛いことだったのだ。
「耀ちゃん、何で分かってくれないのかなぁ…。ワジーは凄く優しくていいヤツなのに…。皆の噂なんて本当じゃないのになぁ…」
とうとう足が痺れてしまい、七於は正座を崩すと疲れたようにベッドの上に横たわった。
「耀ちゃん…、忘れちゃったのかなぁ」
眠そうに呟くと、七於は目を閉じた。
耀平からの電話が来るのは本当に久し振りのことだった。
その内容は余り嬉しくないことでも、耀平と電話で話せるのは嬉しいと七於は思った。そうでなくても、この頃は耀平と話す機会はどんどん減っているのだ。
幾ら声を聞きたいと思っても、七於の方から耀平に電話することは無い。用も無いのに電話を掛けて、嫌われたら嫌だと思うからだ。
ふわっと欠伸をし、七於は片手で携帯電話を持つともう一方の手で枕を抱えた。
「耀ちゃん、あんまり怒ってないといいなぁ…」
本当はもっと楽しいことで耀平と話をしたかった。
昔のように一緒に遊びに行ったり、食事をしたりしたかった。
砂羽子に向かってそうするように、自分にも優しい笑顔を向けて欲しかった。
同じ音楽を一緒に聞いたり、一緒に映画を見たり、買い物に行ったりしたかった。
砂羽子が耀平と一緒にしていることを、本当はすべて自分が出来たらいいのにと七於は思った。
「俺じゃ、駄目なんだもんなぁ…」
悲しそうに呟き、七於は枕に頬を摺り寄せた。

嫌われたくないから、本心を言えない。
嫌われたくないから、傍に行けない。
嫌われたくないから、決して邪魔をしない。

ただ、耀平の前ではニコニコと笑っているしか出来なかった。
「耀ちゃん…」
呟くと、七於の閉じた瞼の下からつっと涙が零れた。
だが、それに自分でも気づかぬまま、七於は眠りに落ちていった。



翌朝、七於が玄関を出ると門の外に耀平が立っていた。
「あ、あれっ、耀ちゃん…」
驚いて、七於は咥えていたパンを口から離すと、耀平に駆け寄った。
「えと、えと…、昨夜電話した?俺、寝ちゃって…。あの、ごめんね?ごめんね?耀ちゃん…」
今朝、目を覚まして一番に携帯電話の着信を調べたから耀平からの電話が無かったことは分かっていた。だが、耀平の強張った表情を見て、七於は必死で謝った。
「いや、電話してねえよ。…昨夜は、それどころじゃなくなったから」
「え…?」
「いいから、行くぞ」
「え?あの…、砂羽ちゃんは?」
「いいんだよ。いいから、来い」
「う…、うん…」
もしかすると、耀平は昨夜、砂羽子と喧嘩でもしたのかも知れない。七於は気が付いて口を噤むと、耀平と並んで足早に歩き始めた。
「おまえ、俺に嘘ついたな?」
忌々しげに耀平に言われ、七於は困惑した顔で彼を見上げた。
「う…、うんと…、あの…」
言いたいのは輪島のことだと分かっていた。だから七於は、なんと答えていいのか分からずに口籠ってしまった。
「別にいいけどよ。おまえが誰と付き合おうと、おまえの勝手だしな。俺が一々口挟むことじゃねえし…」
吐き棄てるようない口調でそう言う耀平を、七於は泣きそうな顔で見上げた。
「おまえだってもう、ガキじゃねえんだし。付き合うヤツぐらい自分で選ぶよな?俺と居るより輪島と居る方が楽しいんだろうし」
「ちがッ…」
七於は持っていたパンを取り落とすと、そのままその手で耀平の腕を掴んだ。
「俺っ、耀ちゃんと一緒に居たいよ。耀ちゃんと居るのが一番楽しいよ。ホントだよ?耀ちゃん…ッ」
耀平の脚がぴたりと止まり、きつい視線が七於を見下ろした。
「だったら、輪島と付き合うのは止めろよ」
「えっ…」
「おまえが輪島と付き合うのを止めねえなら、おれはもう、おまえと友達でいるのは止めるからな。金輪際、おまえとは口を利かねえ」
「そんな…ッ。なんで?なんで?耀ちゃん、なんでそんなにワジーのこと嫌うのッ?」
悲しくなって七於は目に涙を浮かべた。
何故、これほどまでに耀平は輪島を嫌うのだろうか。何故、自分の言うことを信じてくれないのだろうか。
「あいつはおまえが思っているようなヤツじゃねえッ。おまえは馬鹿だから騙されてんだよッ」
「ちが…」
七於が首を振ると、耀平は忌々しげに腕を掴んでいた七於の手を振り払った。
「違わねえっ…」
余りの耀平の剣幕に、七於はビクッとして身体を強張らせた。
「…あいつ、砂羽子にまでちょっかい掛けやがってっ。他人のモンだろうと何だろうとお構い無しだ」
「そ、そんなっ…。そんなの嘘だよッ、嘘だよッ」
七於は必死になって耀平の腕に縋った。
確かに輪島はモテるし、誘われれば断らないかも知れない。だが、誰かの彼女だと知っていながら、こちらから誘うような男ではなかった。
「嘘じゃねえッ。俺は砂羽子から直接聞いたんだからな」
「うそ…」
七於に掴まれた手をグッと引くと、耀平は歩き出した。
「昨日の帰り、砂羽子のヤツ、友達と買い物に行くって言うから俺は先に帰ったんだ。そしたら、一緒に行った筈の友達が駅前に居た。家に帰って電話したら、砂羽子のヤツ…、輪島に誘われて一緒にお茶したって…」
「うっ、嘘ッ…」
昨日の帰り、輪島はずっと七於と一緒だった。砂羽子と出掛けられる筈が無い。そのことを言おうとして七於が口を開くと、その前に耀平が凄い目で睨み付けてきた。
「砂羽子がわざわざそんな嘘つくわけねえだろ?他の男と一緒に居たなんて、隠しておくのが普通じゃねえか」
「でっ、でもッ…」
「砂羽子はただ、お茶飲んだだけだって言ってたけどな、だからって黙って許す訳にいかねえ」
砂羽子が何を考えて、わざわざ耀平にそんな嘘をついたのか七於には分からなかった。だが、確かに耀平の言うように、嘘をついてまで彼氏に他の男とデートしていたなんて言うのはおかしいだろう。
現にこうして、耀平はそのことに腹を立てて砂羽子と喧嘩してしまったらしいのだ。
「嘘だよッ…。昨日、ワジーは俺と一緒だったもん。一緒に帰ってきたもん。だから、違うっ。違うよっ…」
「おまえッ…」
七於の腕をギュッと掴むと耀平はその顔を睨みつけた。
「そこまでして、あいつを庇いたいのかよっ」
「ち…」
「もういいッ。おまえは精々、あいつと仲良くやりゃいいさ。その代わり、もう俺とは友達だと思わねえでくれよなっ」
バッと忌々しげに七於の腕を振り払うと、耀平は足早に歩き出した。