一緒に帰ろう
-14-
七於はベッドに入る気にもなれず、その上に座って携帯電話を握り締めていた。
自分が乱暴されたことは、勿論まだ忘れる事は出来なかった。だが、それよりも七於は輪島の事が心配でならなかったのだ。
自分が傷つけられた事で、きっと輪島は酷いショックを受けたに違いない。
きっと、自分を責め続けているに違いない。七於にはそれが辛くて堪らなかった。
携帯の着メロが鳴りだすと、七於はすぐにそれを耳に当てた。
「もしもしっ、耀ちゃん?」
「ああ、七於…。輪島の家で聞いたら、まだ病院から戻ってねえって…。でも、右腕と、肋骨が1本折れたらしい…」
「ええっ…。そんな…、酷い…ッ」
「ああ。…けど、入院はしねえらしい。治療が終わったら家に戻って来るって話だ」
「そう…」
「もう、小母さん帰って来る時間だよな?俺は砂羽子を送ってこのまま帰るけど、明日の朝、また寄るから」
「あ、うん、分かった。…耀ちゃん、ありがとう…」
「いいって。それじゃな?」
「うん…」
電話を切った後で、七於は迷ったが輪島に宛ててメールを打つ事にした。病院に居ても、メールなら後からでも見てもらえるだろうと思ったのだ。
だが、何度打ち直しても、思うような言葉が出て来ない。
輪島の事が心配なこと。
怪我の具合はどうなのか。
自分の事で、また心配を掛けて済まないと思っていること。
輪島の所為ではないと思っていること。
傷つかないで欲しいと思っていること。
色々な想いが渦巻いて、何から打てばいいのか分からなくなってしまったのだ。
「ワジー…、俺…、俺…」
携帯電話を握り締めると、七於は悲しげに顔を歪めた。
何故、こんな事になってしまったのだろう。
そう思うと、七於は辛くて堪らなかった。
自分はただ、耀平に恋をしただけだった。それなのに、何故こんなにも皆が傷ついてしまったのだろうか。
「俺が…、もっとちゃんとしてれば良かったのに…。ちゃんと出来れば良かったのに…。耀ちゃんにも、ワジーにも頼らないで、自分で何でも出来たら…、そしたらきっと…」
呟いて、七於はまた携帯電話を持った。
思い切ってメール画面ではなくアドレス帳を開くと、七於は輪島の携帯番号を出して、発信ボタンを押した。
多分、マナーになっているか電源が切られているだろうが、そしたら伝言を残そうと思ったのだ。
だが、思い掛けない事に、輪島は電話に出た。
「はい…」
「ワ、ワジーッ?」
「…ああ。…七於、大丈夫か…?」
輪島の声は僅かだが震えていた。
それに気付いた途端、ブワッと涙が込み上げ、七於は必死で嗚咽を堪えた。
「大丈夫だよぉッ。俺は、俺は、大丈夫だよッ…。ワジー、怪我したのッ?大丈夫なのッ…?」
我慢出来なくなり、泣きじゃくりながら、七於は言った。
「…ごめんな?七於…」
答えの代わりに、輪島はそう言った。
その言葉が、益々七於の胸を詰まらせた。
「ワジーッ…、謝ったりしないでよっ…」
なんだか、これきり会えないような気持ちになり、七於は思わずベッドから立ち上がった。
輪島が自分の前から姿を消してしまうような予感に襲われ、急に恐怖が湧き上がったのだ。
「ワジー、今どこ?もう、家に帰って来たの?」
立ち上がって窓の傍へ行くと、つい七於は外を見下ろした。
そして、そこに、こちらを見上げる輪島の姿を見つけたのだ。
「ワジーッ…」
携帯電話を放り出し、七於は思わず走り出していた。
階段を駆け下り、玄関から飛び出すと、まだそこに輪島は居た。
「ワジー…」
「七於…」
ギブスで固定された腕を白い布で首から吊り、顔も殴られた所為でかなり腫れていた。その、痛々しい姿を見て、七於はまた目に涙をいっぱいに溜めた。
「ワジーッ…」
七於が傍へ駆け寄って見上げると、無理に笑おうとして切れた唇が痛んだのだろう、輪島はすぐに顔を顰めた。
「こんな…、酷いッ…」
輪島の吊るされた腕に手をやり、そこをそっと撫でながら七於は涙を零した。
「誰かに、聞いたのか?俺の…怪我のこと」
「うん…。砂羽ちゃんが来てくれて…」
「そうか…」
自分の腕を撫で続ける七於の肩に、輪島は無事な方の手を乗せた。
「こんなの、なんてことねえよ…。怪我はいつかは治る。けど…、おまえの傷は…・・」
口惜しげに口篭った輪島に、七於は首を振った。
「まさか…、ずっとここに居たの?」
「…いや。病院終わって、ちょっと寄って見たんだ。けど、おまえの顔…、見る勇気がなくて…」
輪島はそう言ったが、もしかすると長い時間外に立って居たのではないかと七於は思った。
「おまえ、風邪引くぞ。俺はもう帰るし、中に入れよ」
そう言われて、七於は首を振った。
「ワジーも来て?なんか、温かいもん淹れるし。ね?ね?」
「いいよ。おまえまだ、具合悪いんだろ?」
「大丈夫だよ。来て。帰らないでッ…」
七於はそう言うと、怪我をしていない方の輪島の手を取り、グイッと引っ張った。
「七於…」
まだ躊躇っているようだったが、輪島は手を引かれるままに七於に付いて行った。
帰られないようにと思うのか、七於は輪島の手を離そうとはせず、そのまま2階の自分の部屋まで引っ張って行った。
そして、輪島を座らせると、七於はその顔を改めてじっと見た。
女の子に人気のある輪島のカッコいい顔が、無残にも腫れ上がって酷い痣になっていた。
それを見ると、七於の目にはまた涙が滲んだ。
「ワジー…。痛かったでしょ…?」
震える声でそう言うと、七於は輪島の肩に瞼を押し付けた。
「平気だよ。思った程、やられなかったし…。泣くなよ、七於…」
言葉の後に、輪島の手が七於の髪を撫でた。
「ごめんな…?俺がちゃんと始末をつけてりゃ、おまえをあんな目に合わせずに済んだのに…。ごめんな?七於…」
言われて、七於は顔を上げると輪島の目を見つめながら首を振った。
「そんな風に思わないでよッ…。ワジーの所為じゃないから。違うから。だから、自分のこと、責めたりしないで…」
「いや…。今度の事は全部俺が…」
「違うッ…」
激しく首を振った七於を見て、輪島は言葉を止めた。
「そういうの嫌だよ…。ワジーがそんな風に思ったら、俺、…俺…、悲しくて、どうしていいか分かんなくなるよぉっ…」
「七於…ッ」
感極まったように名前を呼び、輪島は動く方の腕で七於を抱き締めた。
「あの時、口惜しくて…ッ、胸が張り裂けそうだった…。けど、耀平の言う通り、俺にはおまえに触る資格はないんだと思ったんだ…」
顔を上げると、七於は涙を拭った。
「あの時は、耀ちゃんも普通じゃなかったんだよ…。でも、さっきね、砂羽ちゃんが来て、ワジーのこと教えてくれたら、耀ちゃん、自分が様子を見てくるって言ってワジーの家に行ってくれたんだ」
「耀平が…?」
「うん。…きっと、耀ちゃんもワジーのこと心配してると思う…」
七於の言葉に、輪島は答えなかった。だが、七於の顔を見ると僅かに頷いた。
その七於の表情が、ふと変わった。
それに気付き、輪島は何かを感じて眉を寄せた。
すると、七於の口がゆっくりと開いた。
「ワジー…、俺ね、耀ちゃんの気持ち、聞いたんだ…」
「え…?」
輪島から離れると、七於は座り直した。
その唇には、薄っすらとだが、笑みが浮かんでいた。
「俺ね…、寝言で告っちゃったみたい…」
「えっ…?」
輪島の目が見開かれ、七於はまた笑みを見せた。
「そしたらね、耀ちゃん…、ちゃんと俺に、答えてくれた」
「…耀平は…、なんて…?」
躊躇いがちに輪島が訊くと、七於は穏やかな表情を崩さないまま、静かに答えた。
「俺のこと、凄く大事だって言ってくれた…」
その答えに、何を思ったのか、緊張気味だった輪島の表情がふっと緩んだ。
「そうか…」
「うん。凄く大事で、守ってやりたいって」
今度は答えず、輪島はただ頷いた。
その顔には諦めたような笑みが浮かんでいた。
「同じ年だけど、俺は弟みたいなんだって」
ハッと輪島の顔が上がった。
「弟みたいに、大事なんだって…」
「な…、七於…」
忽ち心配そうな表情に変わった輪島を見て、七於はまた笑みを浮かべた。
「俺…、大丈夫だよ、ワジー…。だって、最初から分かってた…。俺は耀ちゃんと友達以上にはなれないって。…だからね、嬉しかった…。耀ちゃんは、俺を恋人にはしてくれないけど、でもきっと、俺のこと特別に思ってくれてるんだって分かったから…。だから、嬉しかったよ」
輪島はすぐには答えられなかった。
だが、やがて七於と同じように薄っすらと笑みを浮かべると、その目を見ながら頷いた。
「そうか…」
「うん…」
「また、ここに居たのか…」
屋上のドアを開け、七於の姿を見つけると輪島は苦笑しながら近付いて行った。
「寒くねえの?」
自分の方を振り返ってニコニコと笑っている七於にそう訊くと、輪島は彼の身体を長い脚で挟むようにしてその後ろに座った。
「うん。今日はポカポカして、そんなに寒くなーい…」
「そうだな。もう春だなぁ…」
「うん。春休み、どっか行く?ワジー」
「うーん…、おまえは?」
訊き返されて、七於は首を傾げた。
「うーんと…、うーん…」
その様子に、輪島はクスッと笑った。
「じゃ、一緒にどっか遊び行くか?」
訊くと、七於は振り向いて勢い良く頷いた。
「うんッ、行くッ」
「よし、行くべ」
輪島がそう言って頭に顎を乗せると、七於はまた校庭の方を見下ろした。
「あ…」
七於の声に、輪島も校門の方に目をやった。
すると、そこには砂羽子と並んで歩く耀平の姿があった。
「元鞘か…」
輪島が呟いたが、七於は何も言わなかった。
あの後、暫くして、砂羽子の方から耀平にもう1度付き合って欲しいと言ってきたのだ。 耀平は少し躊躇ったようだったが、砂羽子の真剣な気持ちに気付いたのだろう。付き合う事を承知したのだ。
今度こそ、砂羽子もちゃんと耀平と向き合ってくれるだろう。
耀平が幸せになれるといいと、七於はそう願っていた。
「さ…、俺たちも、帰るべ」
ポンと頭を叩かれて、七於は頷いた。
「たこ焼き、食ってくか?」
「うんっ。食ってくっ。…あ、でも、大丈夫?手…」
まだギブスの取れない輪島の腕を見て、七於は心配そうに言った。
利き腕なので、輪島は何かと不自由しているのだ。
「ああ。たこ焼きなら爪楊枝で刺して食えるし。大丈夫だろ」
「ふーん…?あ、そうだっ。俺、アーンてしてやるっ」
勢い込んでそう言った七於に向かって、輪島は顔を顰めた。
「ああ?いいって、そんな恥ずかしいこと。マジ、嫌だから」
その答えに、七於は不服そうに頬を膨らませた。
「ええー?なんでー?」
「当たり前だろ?男同士でそんなこと出来るか。…ほれ、行くぞ」
「えー?なんでー?チューは出来るのに、なんでー?」
ふざけているのか、それとも真剣なのか、七於は輪島の無事な方の腕にぶら下がる様にして食い下がった。
「あのな…」
うんざりした顔で七於を見おろした輪島だったが、その無邪気な目に見上げられると、忽ち力が抜けたように笑みを浮かべた。
「チューならしてもいいけどな」
すると、七於は掴んでいた腕を離した。
「やだよー。チューは好きな人とするんだもん」
そう言ってニッと笑うと、七於は先に立って階段を降り始めた。
その背中を見ながら苦笑すると、輪島は屋上のドアを閉めた。
もう、忘れたように笑って見せる七於だったが、その心に受けた傷はまだまだ深いに違い無い。耀平に失恋したことも、きっとまだまだ忘れられないだろう。
だが、七於から笑顔が失われた訳ではない。それが救いだ、と輪島は思った。
「ワジー、奢ってやるから、早く行こうっ」
下からそう叫んだ七於に、輪島は笑って頷いた。
「おう、奢ってくれ。“やまや”のチーズたこ焼き、大盛りな?」
「えー?大盛りぃー?」
目を丸くした七於だったが、すぐにまたクスクスと笑い出した。
その顔に、本当の笑顔が戻るまで、自分も彼の傍で笑っていてやろうと輪島は思った。
「そ、大盛り」
踊り場で待っていた七於に追いつくと、輪島は彼の頭にポンと手を載せた。
「大盛りかぁー。よしっ、大盛りなっ」
そう言って七於は、また輪島の腕を掴んだ。
一緒に笑っていたら、その内にその笑顔が本物になるかも知れない。
その日が、1日でも早く来るように、いつも傍で笑っていよう。そう思って輪島が見ると、七於がふっと視線を上げた。
「心配しないで?」
「え…?」
心の中の呟きが聞こえたのかと、輪島がギョッとすると、七於はニッと笑った。
「ちゃんと、それぐらいのお金、持ってるしー。大丈夫だからな?」
その言葉に、輪島はふっと力が抜けた。
「おう、安心して奢ってもらうわ」
「うんっ…」
元気に頷いた七於に釣られ、輪島も頷いた。
もしかしたら、七於は分かっているのだろうか。
輪島は、そう思わない訳でもなかった。
だが、それを訊いても仕方がない。七於の澄んだ瞳を見ていると、輪島にはそう思えた。
「さ、行くべー」
七於の腕を取り、笑いながら輪島は言った。
今はただ、一緒に帰れる幸せを素直に喜ぼう。
そして、2人並ぶと、歩を揃えて一緒に階段を降り始めた。