一緒に帰ろう


-13-

翌日の朝、耀平がメールすると、七於の熱は殆ど下がったので母親は昼食だけ用意して仕事へ出掛けたと言う返事だった。
どうやら、今、会社が忙しい時期に入っているらしく、休むのは難しかったらしい。
熱があると言っても微熱程度だし、それに七於ももう高校生で小さな子供と言う訳でも無い。だから、母親も無理して休もうとはしなかったのだろう。
本当の理由を知っていれば、勿論、休んだに違いなかったが、事実を打ち明けるのを七於はどうしても嫌がったのだ。
ただの風邪の熱だったら、そう高くはないし耀平も放っておく事が出来たのだろう。だが、原因を知っているだけに、こちらは七於を1人にしておくのが心配になった。
昨日預かったままになっていた七於の鍵を使い、耀平は学校へ行く前に様子を見に七於の家へ寄った。
部屋に行くと、七於は眠っているようだった。
ベッドの傍へ寄って、そっと手に触れてみたが七於は動かなかった。だが、離そうとすると、キュッと七於の掌が閉じ、耀平の指をその中へ閉じ込めた。
「耀ちゃん…?」
七於が呼ぶと、耀平は笑みを見せた。
「うん?」
返事をしながら、もう一方の手が七於の額へ乗った。
「まだ、ちょっと熱あるな…。苦しく無いか?」
「ううん…、もう平気。…耀ちゃん…?」
「うん?」
「優しくしてくれてありがとう…」
嬉しくて七於がそう言うと、耀平は照れたように笑った。
「なに言ってんだ…」
「耀ちゃん、あのね…、あの…」
今なら、自分の本心を言えるような気がして、七於は躊躇いながらも口を開いた。
「どうした…?」
「うん…。あのね…、俺、…俺ね、耀ちゃんのこと、好き…ッ」
言ってから怖くなって、七於はギュッと目を瞑った。
だが、耀平の手は握られたまま、七於の掌から逃げて行こうとはしなかった。
ゆっくりと目を開けると、もう一度七於は言った。
「俺、耀ちゃんが好き…。だから、耀ちゃんも俺のこと、好きになって?…お願い…ッ」
言いながら、目に涙が滲んだ。
すると、涙でぼやけた耀平の顔が困ったような表情を浮かべるのが分かった。
「耀ちゃんッ…」
ハッとして目を開けると、目の前に耀平の顔があった。
「耀ちゃ…」
「七於…」
それは、さっき見たのと同じ困惑気な表情だった。だが、すぐにそれを消し、耀平は笑みを浮かべた。
「ごめん…。起こしちゃったか?」
気付くと、七於はしっかりと耀平の指を握っていた。
それを急いで離し、七於は言った。
「お…、俺ッ、な、なんか言った?なんか今、変なこと言った?」
「いや…、なんにも」
「そ…、そう…?」
にっこりと笑われて、七於はホッとして息を吐いた。
「朝も寄ってみたら、良く寝てたんで起こさないで学校へ行ったんだけど…、おまえ、昼も食わないで寝てたんだな?下に昼飯の用意がそっくり残ってるぞ」
「あ、うん…。もう、そんな時間?」
驚いて時計を見ると、もう4時を回っていた。
「腹減っただろ?今、温めて持って来てやるよ」
「あ、いいよ。もう、起きられるから…」
七於が慌てて起き上がろうとすると、耀平がそれを押さえた。
「空きっ腹で、ずっと寝てたのに急に起き上がったりすると眩暈がするぞ。いいから寝てろ。すぐだから…」
「う、うん…。ありがと…」
出て行く耀平の後ろ姿を見送りながら、七於は酷くドキドキとしていた。
耀平は否定したが、もしかして自分は夢の中で言ったあの言葉を、実際に口走ってしまったのではないだろうか。
目を開けた時、目の前にあった耀平の困惑したような表情は、その所為なのではなかったのか。
「どうしよ…?俺…」
じわっと涙が滲んで、七於は両手の甲で目を覆った。
自分の気持ちを知ったら、きっと耀平は離れて行く。今は、乱暴された自分に同情して、こうして優しくしてくれるが、きっと傷が癒えたらその時は離れて行ってしまうに違いなかった。
温め直した昼食をトレイに載せ、耀平が戻って来ると七於は急いで目を擦った。
きっと、真っ赤になっていた筈だが、耀平はその目を見ても何も言わず、トレイを折り畳みテーブルの上に載せた。
「起きれるか?それとも、ベッドの上で食べる?」
訊かれて、七於は首を振った。
「お、起きる」
耀平に手を貸してもらい、七於はゆっくりと起き上がった。
確かに、ずっと寝ていた所為と空腹の所為で、軽い眩暈のような感覚に襲われた。だが、酷いものではなかったし、ヨロヨロしながらだがベッドから降りてテーブルの前に腰を下ろした。
「いただきます…」
七於の好きなチキンライスとコーンスープだった。
スプーンを手に取って食べ始めた七於を、耀平は黙ってじっと見ていた。
「七於…」
やがて、何処か躊躇いがちに耀平は口を開いた。
「うん…?」
七於が視線を上げると、真剣な耀平の顔が見えた。
「今…、こんなこと言うべきじゃないのかも知れねえけど…、でも、後になったらまた、言えなくなりそうだから…」
「耀ちゃん…?」
持ち上げかけたスプーンを七於は皿の上に置いた。
「俺な、今度の事ではっきり分かった。…おまえの事は小さい時からずっと一緒だったし、トロくせえから俺が面倒見てやらなきゃ、なんて兄貴ぶって思ってた。一時、おまえの存在が面倒臭くなって、…疎ましくて、傍に来なけりゃいいのに、なんて思った事もあった。…けど、結局はほっとけなかったんだよな…」
そう言って、耀平は少し笑った。
七於も釣られて笑みを見せたが、それはすぐに消えてしまった。
耀平が次に何を言おうとしているのかを考えると、七於はとても怖かったのだ。
「いつも考えてる訳じゃねえけど、ふとした拍子に思い出す。七於、大丈夫かな…って…。そんで、そういうこと考えてる自分がうぜえなって思ったりさ…」
耀平はまた笑い、そこで言葉を切った。
そして、今度は真剣な目になると七於をじっと見つめた。
「こんな風にしておまえが傷つけられて、俺ははっきり分かった。…七於は俺にとって、すげえ大事な存在だって。同じ年だし、他人だけど、俺にとって七於は弟みたいなもんなんだって…。だから、…守ってやりたいと思う…」
「耀…ちゃん…」
スッと、耀平の手が七於の手を掴んだ。
「これが、俺の気持ちだ…。分かるな…?」
「…う…うん。…うん、…耀ちゃん…」
もう一方の手を耀平の手に重ね、七於はそれをギュッと握った。
触れなかったが、耀平はやはり自分の言葉を聞いていたらしい。そして、こうして、自分を傷つけないように答えを言ってくれたのだ。
その優しさが、七於は嬉しいと思った。
多分、自分は、耀平と結ばれる事を望んではいても、期待はしていなかったのだろう。
(最初から、分かってたよ、耀ちゃん…。俺、分かってたんだもん…)
辛かったが、これは必要なことなのだと七於は思った。
耀平の手がもうひとつ加わり、七於の手を包んだ。
どれほど時間が掛かるか分からない、だが、この想いを穏やかなものに変えられたらいいと思う。耀平との関係を壊すことなく、ずっとずっと続けていられたら、それはきっと幸せなことだと七於は思った。
目から涙が溢れたが、それでも七於は無理をしている訳ではなく笑った。
耀平の手がぽんぽんと七於の手を叩いた時、階下から玄関のチャイムの音が聞こえた。
「誰だ…?」
耀平は七於の手を離すと、立ち上がって部屋を出て行った。
その姿が消えると、七於はホッと息を吐いた。
もし、自分の本心を知られたら、きっと耀平に嫌われるだろうと恐れていた。だが、耀平は受け入れる事は出来なくても、自分の気持ちを否定せずに理解してくれたのだ。
これからも、今までと変わらずにいてくれるつもりなのだろう。
「ずっと…、傍に居てもいいんだよね?耀ちゃん…」
自分の心が耀平から離れない限り、辛い事は沢山あるのかも知れない。
だが、いつか他の誰かを好きになった時、きっと耀平は誰よりも自分を応援してくれるのだろうと七於は思った。
足音がして、七於は急いで涙を拭った。
すると、驚いた事に、耀平と一緒に砂羽子が部屋へ入って来た。
「砂羽ちゃ…」
七於が目を丸くすると、耀平が先に口を開いた。
「どうしても、おまえに謝りたいって…」
その言葉を切っ掛けにするように、俯いていた砂羽子が、そこへ膝を突いた。
「ごめんなさいッ…」
手を付いて頭を下げられ、七於は吃驚して彼女を見つめた。
「あたしが余計なこと言ったばっかりに…。謝って済むことじゃ無いって分かってるけど、でも、黙ってる訳にはいかなかった。ほんとに、ほんとに、ごめんなさい。まさか、…まさか、こんな事になるなんて、あたし…ッ」
最後は泣き出してしまったのだろう、言葉はそこで続かなくなってしまった。
「さ、砂羽ちゃんッ…、や、やめてよっ。砂羽ちゃんの所為じゃ無いよ」
七於が立ち上がって傍へ行こうとすると、その前に耀平が彼女の肩に手を掛けた。
「あんまり言うと、余計に七於の負担になるから…、な?」
優しくそう言われ、砂羽子も頷くとやっと顔を上げた。
「具合、どう…?熱が出たって聞いたけど…」
涙で濡れた顔で心配そうにそう訊かれ、七於は頷いた。
「うん、もう平気…。熱も下がったから」
「そう…、良かった…。あ、これ…、良かったら飲んで」
差し出されたスーパーの袋を受け取ると、七於は中を覗いた。
「あ、いちご牛乳だ…」
笑みを浮かべて嬉しそうにそう言った七於に釣られるように、砂羽子も涙を拭いて笑みを浮かべた。
「前に、耀平から、それが好きだって聞いたことあったから…」
「うん。大好き…。ありがとう、砂羽ちゃん」
中からひとつ牛乳のパックを取り出す七於を見ていた砂羽子が、急に何かを思い出して耀平の方に眼をやった。
「そう言えば、輪島君、来なかったよね?」
その名前を聞いて、耀平の顔が急に険しくなった。
「来ねえよ。来れる訳ねえだろ」
吐き捨てるようにそう言った耀平を見て七於は悲しげな顔になった。そして、すぐに砂羽子の方に向き直ると身を乗り出した。
「砂羽ちゃん、ワジーがどうかしたの…?」
「うん…」
砂羽子は耀平を気にして躊躇う様子を見せたが、結局は七於に話し始めた。
「今日の帰りね、偶然、メグ先輩に会って…、輪島君が野田たちを呼び出したみたいだって言うから心配してたんだけど…。探しても、何処にいるのか見つからなくて…」
「えっ…?ワジーがッ…?そ、それでどうしたのッ」
驚いて七於が腕を掴むと、砂羽子は頷いた。
「うん。色々聞き回ってみたら、輪島君、俺を恨んでるなら好きなようにしろって、抵抗もせずに野田たちにボコボコにやられたらしくて…」
「そっ、そんなッ…」
七於が蒼褪めると、さすがの耀平も驚いたらしく目を見張った。
「そんで、その代わりに、もう俺の友達には手を出さないでくれって言ったって…。相当酷くやられて、多分、骨の2、3本は折られたんじゃ無いかって…」
「そんなッ…。ワジーは悪く無いのにッ…」
七於が両手で顔を覆うと、耀平はコクッと喉を鳴らして、砂羽子に言った。
「なら、何処かの病院に運ばれたんじゃねえのか?救急車とか出なかったのか?」
「うん。自力で帰ったらしいよ…。でも、歩くのやっとだった筈だって…」
泣き出した七於を見て、耀平は複雑な表情を浮かべた。
「砂羽子、輪島の家、知ってるか?」
「あ、うん…。知ってるけど」
「連れてってくれ…」
「う、うん。いいよ」
耀平は七於に近付くと、その頭に手を乗せた。
「七於、俺が様子見てきてやる。だから、大人しく寝てろよ?」
「耀ちゃん…」
七於が涙に濡れた顔を上げると、耀平は安心させるように頷いた。
「大丈夫だ。あいつ、頑丈そうだし…。電話するから、な?」
「う、うんっ…」
七於が頷くと、耀平はもう一度その頭を撫でて砂羽子と一緒に出て行った。