続 一緒に帰ろう


校舎の屋上に、一人でぽつんと座り、七於は膝を抱えて空を見ていた。
以前はここで、大好きな幼馴染の耀平と彼女の砂羽子が帰って行くのを、寂しく眺めていたものだった。
受け入れてもらえないことは分かっていた。だが、七於はそれでも耀平が好きだった。
思い掛けなく気持ちを伝えてしまったが、耀平の答えは、
“同い年の弟のような大切な存在”だった。
大切だと言ってくれた耀平の気持ちは嬉しかった。だから、七於は辛くても、それを受け入れようとした。
そんな七於の片想いの痛みを、いつも傍に居て慰めてくれたのが、クラスメートの輪島だった。
ここに居ると、いつも輪島が探し当てて来てくれた。そして、一緒に帰ろうと言ってくれた。
だが、近頃輪島は、ここに探しに来てはくれなくなってしまった。
最初、七於は輪島が、何か自分に腹を立てているのだろうかと思った。
だが、教室では普通に接してくれるし、今までと同じように七於の勉強も見てくれる。話し掛けても前と変わらない態度だったし、怒っている様子はなかった。
しかし、昼休みも下校時も、輪島は以前のように七於の傍に来てはくれなかった。
女の子に人気がある輪島だったから、昼休みはよく女子が誘いに来た。
彼女らと一緒に学食やランチルームに行くことも多く、必ず七於と一緒に食べる訳ではない。だが、3回に1回は一緒に食べていたし、下校時は殆ど一緒だった。
帰りに、七於の大好きな“やまや”のたこ焼きを食べに行ったり、二人で街をぶらついたり、輪島と居ると、いつも楽しかった。
だが、この頃は、いつも七於を置いて女の子と一緒に帰ってしまう。
その間に割り込んで、図々しく誘ったり出来る七於ではなかったから、帰る輪島に笑顔で“さよなら”を言うしかなかった。
だが、本当は寂しかった。
寂しくて、輪島が来ないと分かっていても、放課後になると七於は屋上へ来てしまうのだ。
「ワジー、俺のこと、嫌いになったのかな…」
呟いて、七於は頬を膝の上に乗せた。
こうしていると背中が寒い。
輪島が居ると、七於を後ろから長い脚の間に挟んで包むようにしてくれた。だから、ちっとも寒くなかった。
七於の癖っ毛を、大きな手でくしゃくしゃと撫でて笑ってくれる優しい輪島が、七於は大好きだった。
「チューだって、したのになぁ…」
そう言って、七於は深い溜め息をついた。
本当は、一時、輪島は自分のことが好きなのだろうかと思ったこともあった。
だから、あんなキスをしたのかと…。
だが、輪島は違うと否定したし、七於も自分の勘違いだったのかと思った。
「好きな訳ない…。ワジー、モテるし、俺なんか好きじゃないよなぁ。馬鹿だし、ガキっぽいし、……男だしさぁ」
それに、輪島は以前、七於の為に大怪我をしたことがあった。
女の子に人気のあるカッコいい輪島の顔が腫れ上がって、腕は骨折した。その時のことを思うと、申し訳なくて、七於は今でも泣きそうになった。
「好きな訳ないよなぁ…」
呟くと、何だか悲しくなった。
輪島に限らず、自分はこの先、誰からも愛されないのではないかと七於には思えたのだ。



今日も迎えに来た普通科の女子と、さっさとランチルームへ行ってしまった輪島を見送り、七於は溜め息をつくと、学食へ向かった。
一緒に食べてくれる相手は居ないが、混み合う購買で買い物をするよりはいいと思ったのだ。
学食へ行くと、奥の方に耀平と砂羽子が座っていた。
饂飩とプリンをトレイに乗せ、席を探していると、砂羽子が気づいて手招きをした。
恐る恐る近づくと、耀平も座る様に言ってくれた。
「いいの…?」
訊くと、二人は笑みを見せて頷いた。
「この頃おまえ、輪島と居ないな?喧嘩でもしたのか?」
七於の隣には大抵輪島が居たので、不審に思ったのか、耀平は眉間に皺を寄せた。
「う、ううん。喧嘩なんかしてないけど…。ほ、ほら、ワジーはさ、モテるからさ、女の子がいっぱい来るからさー」
「ふぅん?けど、それは前からだろ?」
「う、うん…」
頷いて、七於が箸を持つと、黙って聞いていた砂羽子が、少し身を乗り出すようにして言った。
「それがさ…、輪島君に本命が出来たんじゃないかって噂があってさ…」
「へえ?」
意外なことを聞いたという風に、耀平は眉を持ち上げた。
今まで輪島は、決まった彼女を作らなくて有名だったのだ。それだけに、誤解されることも多く、やっかみもあって悪い噂を立てられたこともあった。
「ワジーの本当の彼女?」
七於も驚いて砂羽子に訊き返した。
「うん。他校の友達から聞いたんだけど、この頃、輪島君、誰が誘ってもデートしないって。カラオケとか遊びには付き合うけど、すぐ帰っちゃうらしくて…。そしたら、凄く綺麗な子と歩いてるの見たっていう話もあるし、とうとう本命を決めたんじゃないかって噂だよ」
「そ、そうなんだ…」
そんな話は全く知らなかった。輪島が自分には何も話してくれなかったことが、七於にはショックだった。
「けどまあ、それが普通だろ?今までが今までだったんじゃねえの?」
そう言った耀平に頷き、七於は無理してニコニコと笑った。
「そうだ、七於、おまえ今日から帰りは俺たちと帰れよ。工業科の外で待っててやるから」
耀平に言われて七於は驚いて目を見張った。
「な、なんで?」
七於が遠慮する形ではあったが、もう随分長い間、耀平と一緒に帰ったことはない。何故、急にそんなことを言うのだろうか。
「おまえの…あの…、ほら、輪島を殴った奴らな…」
乱暴された過去を七於が思い出すのを恐れたのか、途中で言葉を選び直して耀平は言った。
「あの中の一人が、おまえのこと聞き回ってるって砂羽子が聞いてきたんだよ。だから、危ねえからさ、俺らと帰れ。いいな?」
それを聞いて、七於は蒼褪めた。
あの時の恐怖が、忽ち蘇る。
小刻みに震え出した七於を見て、隣に座っていた砂羽子がその腕を掴んだ。
「大丈夫だよ。一人にさえならなきゃ、大丈夫。一緒に帰ろ?ね?」
そう言った砂羽子に頷いて笑みを見せようとしたが、七於はどうしても笑えなかった。
輪島が抵抗せずに殴られたことで、あの3年生たちも留飲を下げた筈だった。もう七於には手を出すなと輪島が言ってくれた筈だった。
その為に輪島はあんな大怪我をしたのに、まだ七於に何かしようというのだろうか。
「大丈夫だ、七於。念の為の用心ってだけだから、心配すんな」
耀平の言葉に、七尾はまた頷いた。
だが、もう食欲は失せてしまい、七於は食事に手を付けなかった。



学食から戻ると、輪島はもう教室に帰っていて、友達と話をしていた。
あの連中が、輪島にもまた何かするのではないかと心配になったが、七於は彼に耀平たちに聞いたことは言わなかった。
言えばまた、余計な心配を掛ける。自分の所為で、輪島がまた怪我をしたらと思うと七於は躊躇ってしまったのだ。
放課後、輪島はまた女子と連れ立って帰って行き、七於は一人で教室を出た。
言った通り、耀平と砂羽子は工業科の校舎の入り口で七於を待っていてくれた。
すっかり怖気づいてしまった七於は口数も少なかったが、それでも二人に気遣って、話し掛けられればニコニコと笑って答えた。
二人が自分を心配してくれたことが嬉しかった。だから、出来れば怯えていることを隠したいと思ったのだ。
数軒しか離れていないのだから大丈夫だと言ったのだが、耀平は自分の家を通り越して七於の家の前まで送ってくれた。
礼を言って七於が中に入ると、耀平も帰って行った。
家には誰もいないと分かっていたので、七於は玄関から真っ直ぐに自分の部屋へ行った。
入ると、カバンを置いてベッドに腰を下ろし、そのまま横たわって小さく丸くなった。
途端に、体が震え出し、七於は拳を握った。
あの時の恐怖が、また蘇り、胸の奥の方から嗚咽が込み上がって来た。
ポロポロと涙を零し、七於はしゃくり上げた。
何人もの男に無理やり犯された記憶は、忘れたくても忘れられるものではなかった。
「怖い……、怖い……よ、ワジーッ……」
無意識に輪島の名前を呼んでしまい、七於はハッとなった。
いつでも傍で守っていてくれた輪島だが、もう頼ることは出来ない。
自分は嫌われてしまったのだ。
今頃、輪島は砂羽子が言っていた女の子と一緒に居るのだろう。
「本気の…彼女…。……どんな…ひ…と……?」
まだ震えの治まらない声で言い、七於はギュッと目を閉じた。
恐怖からだけではない涙が、七於の目から溢れた。
「ワジー……俺…、怖…い……」



翌朝、昨日は何も言わなかったが、七於が家から出て行くと、耀平が待っていてくれた。
「よ、耀ちゃん、ごめんッ」
驚いて駆け寄ると、耀平は七於に笑みを見せた。
「おはよ。飯、食ったか?」
「う、うん…。ごめんね?待っててくれるなんて思ってなくて…」
「いいよ。暫くは、おまえを一人にするのは俺も心配だし」
そう言いながら歩き出した耀平に並び、七於は足を速めた。
七於の中から、まだ恐怖が消えた訳ではなかったが、自分のために心を砕いてくれる耀平に、これ以上心配を掛けたくなかった。
「耀ちゃん、あのさ、俺、大丈夫だと思うんだー。俺のこと聞いてたって言ったけど、違うと思う。それに俺、ガッコ終わったら速攻帰るし。寄り道しないし。だから、大丈夫だよ」
必死に言い募る七於に耀平は苦笑した。
「おまえなぁ、今更俺に遠慮なんかするなよ。それに…、おまえが怖がってることくらい分かってるって」
やはり自分が嘘をつくのは無理らしい。七於はそう思った。
どんなに言葉を選んでも、見破られてしまう。
「耀ちゃん……。ごめんね…」
「いいって。ほら、もっと足動かせー。遅刻するぞ」
頭を撫でられて、七於は頷いた。
本当は、七於が怖いのはあの3年生たちだけではなかった。
このまま、輪島と離れていくことが怖くて堪らない。
2度と、前のように隣を歩くことが出来ないのかと思うと、辛くて今にも泣き出しそうだった。
校舎の違う耀平と別れて、七於が昇降口から階段の方へ歩いて行くと、2階へ行く途中の踊り場にあの3年生の1人が立っていた。
ハッとして、足を止めた七於を見てにやりと笑うと、預けていた背中を壁から起こし、七於の方へ近づこうとした。
(やだッ…)
恐怖に駆られ、七於はさっと踵を返すと、階段を駆け下りた。
(やだッ、やだ、やだッ…)
必死で走って、また昇降口へ戻ろうとすると、靴を履き替えていた輪島が七於に気付いた。
「七於ッ…」
腕を掴まれて七於は顔を上げた。
そして、それが輪島だと気づいた途端、七於の眼から涙が溢れ出した。
「ワ、ワジ……」
「どうした?何かあったのか?」
険しい顔で言う輪島に、七於は首を振った。
だが、輪島に会って安心した所為で、涙が止まらなくなってしまった。
「な、何でもな……、な、ないからっ…」
ひくっ、ひくっと喉が鳴ってしまい、上手く喋れない。だが、七於は輪島に心配を掛けたくなかった。
(だってもう、嫌われてるんだ。だからもう、駄目なんだ。ワジーに頼ったら駄目なんだ)
「何でもない訳あるか。どうしたんだ?言えよ、七於」
腕を揺すられたが、七於は首を振り、両手で自分の涙を乱暴に拭った。
「な、何でもない。ごめんね?ワジー。教室行かなきゃ…」
そう言うと、七於は輪島に背を向けた。
七於を追って、輪島が教室に入ると、すぐに予鈴が鳴った。
すでに席に座っていた七於に近づこうとしていた輪島は諦めて自分の席へ座った。
席に着いてからも、七於の身体は恐怖で小刻みに震えていた。
何故、あそこにあの3年が居たのだろう。まさか、自分を待ち伏せていたのだろうか。
七於を襲った他の3人は普通科の生徒だったから校舎が違う。だから、あれから滅多に姿を見掛けることも無かった。
だが、さっきあそこに居たのは七於と同じ工業科の生徒だった。階が1階違うだけで、同じ校舎に居るのだ。
(どうしよ…。どうしよぉ…)
怖くて、もう教室を出ることも出来ない。だからと言って、校舎の違う耀平に傍に居てもらう訳にはいかなかった。
顔を上げて、七於は斜め前に座る輪島の背中を見た。
(ワジー…、助けて……)
声に出してそう言えたら、優しい輪島はまた助けてくれるかも知れない。
だが、嫌われていると分かっているのに助けを求めることは出来なかった。
両手をギュッと握りしめ、七於は震えを止めようとした。
(平気だよ。怖くない…。怖くないよ…)
1人でも怖くない、と七於は思い込もうとした。
同じ校舎に居るとは言っても、周りに大勢人目のあるところで何かされる訳がない。だから、必要以上に怖がることなどないのだ。
そう思うと、やっと震えが止まった。
帰りはまた、耀平と砂羽子が待っていてくれる。だからもう、輪島を煩わせることなどない。
(頼っちゃ駄目だ…)
そう思って、七於はもう1度、輪島の背中を見つめた。