続 一緒に帰ろう
午後には熱も引き、翌日は登校することにした。
外に出ると、門の所で耀平が待っていてくれた。
「大丈夫か?」
心配そうにそう言い、耀平は七於の額に手を当てた。
「うん、大丈夫。ありがと、耀ちゃん」
「気をつけろよ。ほんとおまえ、小さい頃から、よく熱出してたしな」
「うん。俺、馬鹿なのにねー。すーぐ風邪引いちゃう…」
七於がそう言うと、耀平は少し険しい顔になった。
「誰がそんなこと言う?」
訊かれて、七於は思い出した。
以前、同じことを言って、輪島も耀平のように怒りを表して訊いてきたことがあった。
「んー?忘れたー」
その時と同じように七於は答えた。
「おまえは馬鹿だけど、馬鹿じゃねえよ」
耀平が笑いながらそう言った。
「えー?どっちか分かんないよー」
輪島もあの時、“おまえは馬鹿じゃない”と言ってくれた。
それが、七於は本当に嬉しかった。
随分、色々な相手に馬鹿にされてきたし、実際に、馬鹿だと何度も言われた。だが、輪島だけはいつも七於を褒めてくれたのだ。
「人間はみんな、馬鹿なところがあるんだよ」
耀平の言葉に七於は首を傾げた。
「そうなの?」
「ああ。だから、気にすんな」
「うん」
耀平も優しい。
だから、耀平のことも大好きだった。
いつも傍に居たかったし、誰よりも大切に思っていた。
だが、今思うと、耀平とは輪島としたようなキスをしたいと思ったことはなかったのだ。
教室に着くと、珍しく、もう輪島が来ていた。
「七於、風邪は?もういいのか?」
訊かれて、七於は頷いた。
「うん、もう大丈夫。心配してくれて、ありがと」
精一杯元気よく答えたつもりだったが、七於はいつものように笑うことが出来なかった。
すると、輪島は眉を寄せて七於の顔を見た。
「まだ、具合良くないんじゃないのか?」
「ううん…。元気だよ。もう、元気」
そう言って、七於は自分の席へ向かった。
だが、輪島はまだ難しい顔つきで七於を見ていた。
これではいけないと分かっていた。何時もの様に笑って、何も変わらないと思わせたかった。
だが、七於はこの日から笑うことが出来なくなってしまった。
“馬鹿だけど素直で可愛い”
“おまえの笑い顔見ると気が抜ける”
よく、そんなことをクラスメートに言われていたが、その七於から笑顔が消えたことを、気にする人間もいた。
「おまえ、どうしちゃった?」
休み時間に、隣の席の平沢が七於に言った。
「どうって?なに?」
「いっつも、何がおかしいのかヘラヘラ笑ってたじゃん。この頃、全然笑わねえからさぁ。もしかして、誰かに虐められてんのか?」
「そ、そんなことないよ。誰にも虐められてない」
「そうか?なら、いいんだけどよ」
心配してくれたのだと知り、七於は嬉しかった。
「ありがとう、平沢君」
「いや…」
今までの七於なら、ニコニコ笑って見せた筈だった。だが、少しも笑わない七於を見て、平沢は戸惑っているようだった。
七於が平沢の方から顔を前に向けると、輪島がこちらを見ていた。
いつもなら、目が合えばにっこり笑った筈の七於が、やはり表情を動かさなかった。
輪島は立ち上がると、心配そうな表情で七於に近づいた。
「七於…」
「なあに?」
見上げた七於に、やはり笑顔はなかった。
「今日、帰り暇か?」
「え…?」
驚いて、七於は輪島を見た。
「暇なら、一緒に帰らねえ?タコ焼き食いに行こう」
笑顔でそう言われて、七於は戸惑った。
もう、2度と誘ってくれないと思っていたのに、どうして今日は声を掛けてくれたのだろうか。
「……いいの?」
恐る恐る七於が言うと、輪島はまた笑みを見せた。
「いいに決まってんだろ?」
「うん…」
七於が頷くと、輪島は席へ戻って行った。
今日は、あの綺麗な人とデートしないのだろうか。それとも、自分とタコ焼きを食べた後に会いに行くのだろうか。
何故、誘ってくれたのだろう。あんなに優しく笑ってくれるのだろう。
(俺のこと、嫌いじゃないの?)
そうだったら嬉しいと七於は思った。
好きになってもらえなくても、せめて嫌われたくない。
昼休みに、今日は輪島と帰る約束をしたと耀平に言うと、少し難しい顔になったが、何も言わなかった。
放課後になり、七於は久し振りに輪島と並んで学校を出た。
もう隣を歩くことも無いのかと思っていたから、七於は少し緊張した。
見上げると、輪島は七於を見て笑ってくれた。
だが、七於の顔に笑みが現れないのを見ると、すぐに硬い表情になった。
久しぶりの“やまや”で、七於は大好きなチーズ入りタコ焼きを買うと、輪島と一緒に奥のテーブルに座った。
ここまで来る間、輪島は余り喋らなかった。
以前なら、輪島が喋らなくても七於が煩いほど話し掛けたのだが、今日は七於も殆ど口を開かなかった。
そんな七於を、輪島は心配そうに見ていた。
「七於…、何かあったのか?」
熱いタコ焼きをフーフー吹いている七於を見ながら、輪島が訊いた。
「何かって?」
「いや…、耀平と……」
「ううん、何にもないよ」
「じゃあ、他の誰かに何か言われたとか?」
「何にも…」
そう答えて、七於はタコ焼きを口に入れた。
「何もない筈ないだろ?元気ねえし、全然笑わねえ…。どうしちゃったんだよ?」
輪島が心配しているのだと知り、七於は無理してでも笑わなければと思った。
「やっぱり美味しいー。ワジー、食べないの?」
タコ焼きを飲み込むと、顔が引き攣らないようにと祈りながら、七於はにっこりと笑った。
「七於…」
「俺、元気だよ。…ただ…、ワジーに嫌われたのかと思っただけ…」
「え…?」
驚いた輪島に、七於はまた笑って見せた。
「でも、また誘ってくれたし、嬉しかったから、もう平気―」
「……ごめん…。ちょっと、色々事情があって…」
済まなそうにそう言った輪島に、七於は首を振った。
「いいよ。……本気の彼女出来たんでしょ?仕方ないよね、忙しいんだもんね?」
「誰に聞いた?……ああ、砂羽子か…」
まさか、七於の口からそんな話が出るとは思わなかったのか、輪島は驚いたようだった。
だが、七於が答える前に、輪島は答えを見つけて納得した。
「……綺麗な人って、言ってた…」
見たことは言わず、だが、あの人を思い出しながら七於は言った。
「ああ…、そうだな。綺麗だよ」
「ワジー、本気にならないって、前、言ってたのに…。俺…、ちょっと吃驚した…」
「うん…。ははッ…、そうだったな」
七於は頷き、またタコ焼きを一つ摘まむとフーフー吹いた。
「七於…、まさか、笑わなくなったの、俺のせいなのか?」
嘘をついてもバレてしまうのは分かっていた。いつでも、上手い言葉が出て来ない。
こんな時ぐらい、輪島を納得させる嘘がつければいいのにと思う。馬鹿な自分が七於は本当に嫌だった。
口の中に入れようとしていたタコ焼きを皿の上に戻し、七於はそれをじっと見ながら言った。
「俺…、そんなに笑わない?」
自分ではもっと普通に笑っているつもりだった。だが、平沢にも言われたし、輪島も心配している。きっと、自分は随分暗い顔をしているのだろうと七於は思った。
「ああ…。なあ、七於…」
輪島が何を言おうとしたのか分からなかったが、七於はそれを遮った。
「この頃俺…、何か、色々考えちゃうんだ…」
「色々って?」
「……なんで俺、こんなに頭悪いのかなぁ、とか、なんでいつまでも子供なのかなぁとか、一人で何にも出来なくて、人に迷惑ばっか掛けてて…。本当は俺だって、耀ちゃんやワジーみたいになりたい。そうだったら良かったのになって…。俺、何にも持ってないから、誰にも好きになってもらえないんだなって…」
「な、なに言ってんだよ?」
七於の言葉に、輪島は驚いてテーブルの上にあった七於の手首を掴んだ。
「七於にはいい所がいっぱいあるだろ?何にも持ってないなんて、そんなことない。何で急に、そんな風に思うんだ?」
やっぱり輪島は優しい、と七於は思った。
落ち込んでいる自分を一生懸命慰めてくれようとしている。だが、七於は絶望から這い上がることは出来なかった。
(じゃあ、俺のこと好きになってくれる…?)
心の中で呟くと、七於は自分で答える様に首を振った。
あの美しい人と、自分を比べてまた絶望する。
自分の中に、いい所なんて一つも見つけられなかった。
答えない七於に、掛ける言葉が見つからなかったのか、輪島も黙ってしまった。
すっかり冷めてしまったタコ焼きをパックに入れてもらい、店を出ると、七於は輪島に”さよなら”の意味で手を振った。
「大丈夫だよ。俺、すぐに元気になる。ワジーは、心配しないで?ね?デート行って?」
「七於ッ…」
持ち上げていた手を掴まれ、七於はビクッと震えた。
「何言ってんだよ。家まで送る。今日はどこへも行かねえよ」
険しい顔で輪島はそう言った。
「い、いいよ。一人で帰れるし、ホントに大丈夫。俺、考えるの苦手だし、すぐ忘れちゃうよ。俺、…馬鹿だから、忘れちゃうから…」
忘れたい。
こんな辛い恋は、本当に忘れてしまいたかった。
「おまえは馬鹿じゃねえよ。何度も言ってるだろ?」
握った手を離さず、引く様にして輪島は歩き出した。
もう触れてはくれないのだと思っていたその手が、自分の手に繋がれているのを見ると、七於は泣きそうだった。
輪島に優しくされるのが嬉しい。
嬉しくて、切なくて、そして胸が痛かった。