続 一緒に帰ろう
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結局、七於は栗原に貰ったパンを捨てなかった。
食べ切れなかったからと言ってクラスメートに渡すと、喜んで貰ってくれた。
放課後、また輪島が傍に来て、一緒に帰ろうと言ってくれた。
「でもあの…、耀ちゃんと砂羽ちゃんが、待ってるから…」
七於が戸惑うと、輪島は七於の上着のポケットから勝手に携帯を取り出し、七於に渡した。
「メールして?俺と帰るって」
強引な輪島の態度に、七於は益々戸惑った。
輪島は何かに腹を立てているように見える。昼休みのことで、まだ怒っているのかも知れない。
七於は言われた通りに耀平にメールした。
耀平の返事は短い物だったが、七於がまた急に輪島と関わり始めたことを不審に思っているようだった。
”何かあったら言えよ?”
その言葉に、七於は”ありがとう”と送った。
待っていてくれた輪島と一緒に教室を出て、七於はちょこちょこと付いて行った。
小さい七於が輪島と歩くと、どうしても歩幅が合わない。だからいつも、七於は速足になった。
「あ、ごめん…」
気が付いて、輪島は歩調を緩めた。
以前、毎日のように一緒に居た時は、輪島はいつも気遣って七於に合わせて歩いてくれた。そのことを七於は思い出した。
「ありがと、ワジー」
七於が見上げると、輪島は眉間に皺を寄せた。
「なんだよ。おかしいぞ、改まって…」
何時もの事なのに、わざわざ礼を言われたことに違和感を覚えたのだろう。
だが、七於は今でも輪島が自分を気遣ってくれることを、当たり前とは思えなくなっていた。
「どうする?今日もタコ焼きか?」
訊かれて、七於は首を振った。
「ううん。今日はいい」
「なら、ハンバーガーとか?それか、甘い物食べに行くか?」
「ううん。何にも…。お腹空いてないから」
「七於…」
また輪島に心配を掛けているのだと気づき、七於は顔を上げた。
「ごめん、ワジー。俺、今日はホントにお腹空いてなくて…」
「それは、栗原の所為か?」
「え…?」
輪島の眉間に刻まれた皺を見て、七於は首を振った。
「違うよ…」
七於の答えに、輪島は何も言わなかった。その代わりに笑顔を見せると、少し屈んで七於に目線を合わせた。
「なら、久し振りに俺んちに来るか?」
その言葉に驚いて、七於は眼を見開いた。
確かに、以前はよく、学校帰りに輪島の家へ寄って、勉強を教えて貰ったり、ゲームをしたりした。だが、それはもう随分前の事だったのだ。
七於が答えずにいると、輪島の手がポンと七於の背中を叩いた。
「よし。そうしよう。ほら、行くぞ」
久しぶりの輪島の部屋は、何も変わっていなかった。
大学生の姉はまだ帰っていないらしく、家には母親しかいなかった。
下から七於の為に飲み物やお菓子を運んでくると、輪島は机の上にそれらを置いた。
「ワジー、やっぱ、俺、帰るよ」
ベッドに腰を下ろした七於は、着替えようと制服を脱いでいた輪島の背中に言った。
「なんで?」
輪島は振り返ると、裸の腕にTシャツの袖を通しながら言った。
「だ、だって…、昨日も付き合ってもらったし、ワジー、忙しいのに、悪い……」
項垂れてしまった七於の前に膝を突くと、輪島は七於の顔を下から覗く様にして言った。
「七於…、今まで放っといて悪かったよ。俺に嫌われたなんて思わせたのも、元気が無いのも、笑わないのも、俺の所為だ。そうなんだろ?」
そう訊かれて、七於は激しく首を振った。
「違う。ワジーの所為じゃない」
「じゃあ、なんだ?」
黙ったまま、七於はまた首を振った。
本当のことなど言える訳がない。
輪島に恋をしているからだなどと、言える訳がなかった。
「……傍に居なくて悪かった。帰りは毎日って訳にはいかねえけど、後は前みたいに一緒に居るから。な……?」
そう言って、輪島は七於の頭に手を乗せると、くしゃくしゃと髪を撫でた。
その瞬間、七於の眼から涙が溢れた。
以前と同じように、輪島が頭を撫でてくれた。
その、全く変わらない手が嬉しくて、悲しくて、そして七於の胸を締め付けた。
「七於ッ…」
その涙を見て、輪島が七於を抱き寄せようとした時、いきなりドアが開いた。
「丈二ッ、あんた今日ミナと一緒じゃなかったの?」
七於が居ることを確かめもせず、輪島の姉、朱莉が慌てた様子で言った。
「いや、今日は約束してねえし…」
輪島が答えながら立ち上がり、ドアの方へ行った。
「小母さんから連絡あったのよ。あんたに会うからって言って出掛けたって」
話を続ける姉をドアの外へ押し出しながら輪島は言った。
「いや、連絡来てねえよ」
輪島も外に出てドアを閉めたが、姉の声はまだ聞こえていた。
「あんた、責任持つからって小母さんに約束したんでしょっ?もっとちゃんと……」
遠ざかりながら話をしているらしく、段々声が小さくなり、七於には聞こえなくなった。
「どうしたんだろ……?」
不安そうに呟くと、七於は輪島が消えたドアを見つめた。
朱莉の様子から察するに、何か大変なことが起きたらしい。
自分がここに居てはいけないのではないだろうか。立ち上がって鞄を背負うと、七於はうろうろと部屋の中を歩き回った。
すると、輪島が戻って来た。
「悪い、七於。俺、今から出掛ける…」
そう言うと、着替え途中だった輪島はズボンを穿き替えて、掛けてあった上着を取った。
「わ、分かった。じゃ、俺、帰るね」
何があったのか気になったが、七於は訊かなかった。
すぐに部屋を出て、階段を駆け下りた七於を輪島が追って来た。
「待てよ、七於。途中まで送って行く」
「い、いいよ。一人で帰れるからっ」
急いで靴を履いて、七於が外へ出ると、すぐに輪島も出て来た。
「だ、大丈夫だよ、ワジー。俺…」
追って来ようとする輪島を振り返って、七於が手を振ろうとすると、輪島がその手を掴んだ。
「待てって…」
輪島が引き留めようとした時、少し離れた所から彼を呼ぶ声がした。
「丈二ッ…」
「え…?」
輪島が視線を七於からそちらへ移した。
そして、自分を呼んだ相手を見つけると、掴んでいた七於の手を離した。
七於は振り返って、輪島の彼女がそこに立っているのを見た。
(あ…、ワジーの……)
間近で見ると、本当に綺麗な人だった。
見惚れてしまうほどに、彼女は美しかった。
そう思うと、七於はまた、胸が苦しくなるのを感じた
「ミナ…」
名前を呼んだ輪島に、彼女は笑顔で近づいて来た。
「ごめんね?急に来て…」
そう言うと、七於がそこに居るのも構わずに、ミナは輪島に抱き付いた。
「い、いや…、いいよ。けど…」
少し戸惑う輪島を見上げて、ミナは言った。
「会いたくて…」
「うん…」
輪島が頷くのを見て、七於は少しずつ、彼等から遠ざかった。
まるで、彼女には自分が見えていないかのようだと七於は思った。
まるで、輪島の他には何も見えていないようだと。
「七於ッ…」
離れて行った七於に気付き、輪島が呼んだ。
だが、七於は黙って彼に手を振り、その場から駆け出した。
背を向けた途端に、七於の眼から涙が溢れた。
それを拭いながら、必死で走り続ける。
ここから早く、逃げ出したかった。
遠くまで、誰も知らない所まで行きたかった。
だが、その内に息が上がり、限界が来て、とうとう七於の脚が止まった。
ハァハァと荒い息を吐き出し、七於はそこへしゃがみ込んだ。
中々息が整わない。
胸が苦しいのは、走った所為なのか、それとも、抱き合う輪島と彼女を見た所為なのだろうか。
「駄目だッ……お…れ、…もう…笑えないッ」
ギュッと拳を握り、それを両目に当てると、七於は絞り出すような声で言った。
翌朝、七於が門を出ると、耀平が待っていた。
「おはよ…」
七於が言うと、耀平はまた顔を曇らせた。
「何かあったのか?」
「ううん。何にも…」
「七於…」
歩き出した七於の腕を掴み、耀平は引き留めた。
「泣いたのか?」
「ううん。泣いてないよ」
明らかに泣き腫らした眼をしている癖に、七於はそう答えた。
「七於…」
何時もなら、男のくせに泣くなとか、何時まで経っても子供だとか、七於を叱る耀平だったが、今日の七於の様子を見ると何も言えなくなった。
耀平が手を離すと、七於はまた歩き出した。
「耀ちゃん、俺、今日から一人で帰るから。もう、大丈夫だから」
「えっ?どうして」
驚いて耀平が訊くと、七於は前を向いたままで言った。
「あの3年生と話したんだ。もう、俺に構ったりしないと思うし、何にもしないと思うし」
「話したって?輪島も一緒にか?」
そう言われて七於は首を振った。
「ううん、俺一人で話した」
「なにッ?何でそんな危ないことをッ」
驚く耀平に七於は言った。
「大丈夫だよ。危なくなかった。昼休みだったし、中庭に一杯人居たし、ほんとに話しただけだし。それに…、俺もう、一人で頑張んなくちゃ。耀ちゃんも、ワジーも忙しいのに、俺の面倒見るの大変だもんね?俺、みんなに迷惑かけないようにする。頑張る」
「な、七於……」
何時もの甘ったれた口調ではなかった。
まるで、人が変わったように淡々と話す七於を見て、耀平は尋常ではないものを感じた。