涙の後で
-7-
「戸田って他県から来たんだな」
俺が話し掛けると、慶は頷いた。
「ああ、母親には悪いが、なるべく家から離れたかったからな…」
「え……?」
まさか、俺と同じような理由で慶がこの学校を選んだとは思わなかった。現金なもので、それを知った途端に俺は急に慶に親しみを覚えた。
「親と…、上手くいってないのか?」
それは、慶の話から最初に感じた印象だったが、訊いては悪いような気がして黙っていたのだ。だが、俺は思い切って訊ねてみた。
「ああ…。上手くいってないと言うか、親父と意見が合わなくてな…。向こうは勝手に俺の将来を決める気でいるし。俺はどうしても、自分の思うようにやりたいと思うし……。まあ、何処まで行っても平行線だよ」
そう言って、慶は苦笑した。
だが、俺はその話を聞いて感心した。
まだ高校受験を終えたばかりだし、俺なんか将来の事など何も考えていない。だが、慶はもう、自分の行く道をちゃんと考えているらしいのだ。
さっき、付属の大学には行く気は無いと言っていた所を見ると、進学したい大学もすでに決めているのだろう。
もしかすると、アルバイトしたいと言っていたのも、この事と関係があるのかも知れなかった。
だが、それを訊く勇気が俺にはなかった。
さっきの楠田のように、おまえには関係無い、と言われそうで怖かったのだ。
「昨日の夕方、何処行ってたんだ?姿見えなかったけど」
訊かれて俺は少し驚いて慶を見た。彼が俺の行動を気にするなんて思いもしなかったからだ。
だが、俺はすぐにそれが社交辞令なのだと気付き、内心で苦笑した。
別に、慶は俺が何処にいたのか本当に知りたかった訳ではない。もしかすると、これ以上、自分の事を話すのが嫌で話題を変えたかったのかも知れない。
「うん…、裏山に登ってた。景色、いいかと思って…」
俺は、半分だけ嘘をつき、半分だけ正直に答えた。
裏山に行った理由は慶と友井先輩の姿を見たからだったが、その時の気持ちを上手く説明出来そうもなかったし、それに、例え説明出来たとしても言うつもりはなかった。
すると、意外な事に慶は興味を引かれたらしかった。
「裏山?登れるのか?へえ…」
「うん。細いけど、ちゃんとした道が出来てたよ。運動部の人達がランニングしたりして、結構人が入るらしいから」
「ふうん…。なあ、今から行かないか?どうせ、暇だし」
「い…、いいけど……」
まさか、慶の方から誘うなんて思いもせず、俺は戸惑った。
だが、嫌な気持ちはしなかったのも確かだった。
俺の返事を聞くと、慶は俺を促すようにして玄関口へ向かった。
外へ出ると、俺は道案内がてら先に立って歩いた。
「なるほど、ここから行くのか」
「うん」
「ホント、ちゃんとした道が出来てるんだな」
俺のすぐ後ろを歩きながら慶はそう言って珍しそうに周りを眺めた。
まだ暑い季節ではないが、低い山でも天辺まで登れば幾らか汗ばむ。俺は、額を拭って後ろから来た慶を振り返った。
思いも掛けない状況に、俺は少し興奮気味だった。だから、思っていた以上に顔が火照っていたかも知れない。
それを見た所為か、慶の口元が僅かに緩んだ。
(笑った……?)
ハッとしてそれを見ていた俺の方へ、慶の手がスッと伸びた。そして、ほんの僅かにだが、慶の指が俺の頬に触れた。
「すげえ、ピンク。色、白いと思ってたけど火照ったりすると良く分かるな…」
それは、本当にほんの一瞬の事だった。
なのに、俺は何故か急にドキドキしてしまい、慶からサッと視線を外した。
そして、慶の触った所を無意味に擦ると、俺はボソボソと答えた。
「う…、うん。すぐに赤くなるから嫌なんだ……」
「どうして?別に恥ずかしく無いだろ」
素っ気無くそう言うと、慶は俺を通り越して崖の前に立った。
「ふうん…。ホントに此処に立つと学校の敷地がいっぺんに見渡せるんだなぁ」
「うん。ほら、あっちに町も見えるよ」
「ああ…」
俺が指さすと、慶も其方を見て頷いた。
そして、草の上にどっかりと腰を下ろすと後ろに両手を突いて身体を支えるようにして座った。
「3年も、此処で暮らすのか……」
余り感情の篭っていない声で、慶はぽそりと言った。
「……後悔してるとか?」
隣に腰を下ろしながら、俺は訊いた。
だが、すぐに慶は首を振った。
「いや…。退屈だとは思うが、後悔はして無い。下見に来て、自分で決めたんだからな」
言うと、慶は俺の方を見た。
「高梁は?もう、ホームシックになったとか?」
そう訊かれて、俺も首を振った。
「ううん。俺も後悔して無いよ」
「そっか…」
答えて前を見た慶の横顔を俺はじっと眺めた。
慶が此処へ誘ってくれたのは、本当に暇だったのと、そして気まぐれからだろうと思う。だが、俺が思っていたほど、慶は俺を嫌ってはいないのかも知れない。
嫌いだったら、部屋を離れてまでわざわざ二人きりになったりしないだろう。
喋らないし、素っ気無く見えるが、慶は誰に対してでもこんな風なのかも知れない。俺が深読みし過ぎていただけなのかも知れなかった。
「戸田は…、モテたんだろ?中学でも…」
俺が訊くと、慶は前を向いたままで首を傾げた。
「どうかな?何度か告られた事はあったけど、俺は愛想がないから…。近寄りがたいとか、良く言われるし…」
そう言って慶は苦笑した。
「怖いって言われるよ。高梁も最初、そんな事言ってたろ?」
慶の言葉に俺は慌てて首を振った。
「怖いなんて言ってないよ。ただ…、なんか機嫌が悪いのかと思っただけ」
俺の言葉に慶は此方を向いた。
「ごめんな?俺みたいなのが同室で…。貧乏くじ引いちゃったな?高梁」
「そ、そんなこと思って無いって…」
俺は慌てて両手を胸の前で振った。
「お…、俺の方こそ、戸田は俺と同室なのが嫌なのかなって、ずっと思ってたから…。俺、友達作るの下手だし、面白い事も言えないし…」
俺の言葉に、慶は笑った。
その表情にハッとし、俺はじっと彼を見つめてしまった。
慶が笑ってくれた事が、何故だか酷く嬉しかった。俺は、馬鹿みたいに感動している自分に気がついた。
「そんなのお互い様だろ?別に、高梁に笑わせてもらおうとか期待してないから」
「う…、うん」
俺が頷くと、慶は少し伸びをしてからそこへゴロリと寝そべった。
「まだ、少し寒いな…」
呟くように言った慶に、俺は頷いた。
もっと、色々と話がしたいと思ったが、目を閉じてしまった慶に話し掛ける勇気が起きなかった。
その代わり、その濃い睫が作る影をじっと見つめた。
ほんの少しだったが、慶と話が出来て俺は嬉しかった。
あの後、慶は横になって目を瞑ったままで何も言わなかったし、俺も話し掛けなかった。だから、慶が起き上がって“帰ろうか”と言うまで、俺たちはただ黙ってそこにいたのだ。
でも、それでも俺は慶と二人で過ごせた事が嬉しかった。
それに、ほんの少しだけだが、前よりも慶に近づけたような気がしたのだ。
昼食に、慶は言った通り俺にプリンを奢ってくれた。
学食のプリンは慶の情報通りで、手作りで美味しかった。だが、甘い物が苦手だと言ったのは本当だったらしく、俺の分だけ買って慶は食べなかった。
「うん、旨い…」
一口食べて俺が言うと、慶も嬉しそうに頷いた。
「そうか。良かったな」
「うん、ありがと」
「いや…」
何かもっと話をしたいと思ったが、何も思いつかないまま俺はプリンを口に運んだ。慶はもう食べ終わっていたが、俺が食べ終わるまで待っていてくれるつもりらしく、席を立とうとはしなかった。
だが、入り口に楠田が姿を見せると、慶はサッと立ち上がった。
「悪い。先に戻る」
「あ、うん。分かった」
俺が頷くと、慶は自分の食べ終わったトレイを持って返却口の方へ歩いて行った。
楠田に話しかけられるのが余程嫌らしい。
俺は、可笑しくなって笑いを噛み殺した。
慶が行ってしまうのを楠田は残念そうに見送ったが、しつこく話し掛けたりはしなかった。そして、慶がいなければ俺に用はないらしく、チラリと見て笑みをくれただけで他の友達の方へ行ってしまった。
現金な奴だとは思ったが、俺も別段、彼と話をしたかった訳ではないので気にしなかった。
それにしても、楠田は先輩達が言っていたように慶を擬似恋愛の対象として見ているのだろうか。
だが、彼は真藤先輩にも興味を持っているようだった。
俺としては、幾ら擬似恋愛とは言え、外見だけで相手を選ぼうとしているように見える楠田が理解出来なかった。
一目惚れとうのが無いとは言わないが、それは、一人に対してのことだろう。
見た目のいい相手なら誰でも対象にしているように見える楠田の気持ちが、俺には分からなかったのだ。
プリンを食べ終え、俺もトレイを片付けて食堂を出た。
明日は入学式だ。
母さんと一緒に正孝さんも来る。
余計な心配をされるのも嫌だったし、話をしたいとも思わなかった。
ただ、早く帰って欲しい。俺の見えない所へ、早く二人で行ってくれたら良かった。
お祝いの言葉も、余計な話もしなくていい。
会わずに帰ってくれたらそれでいいと、俺は本当にそう願っていた。