涙の後で


ー第12部ー

救急車のサイレン音で、近所の人たちがパラパラと様子を見に現れたが、俺を刺した女性は村内が離れた場所へ連れて行ったので、見咎められることは無かった。
警察沙汰になど、絶対にして欲しくなかったし、俺は村内の行動に感謝した。
慶は俺を励まし続け、担架に乗せられるまで抱いていてくれた。
そのまま、一緒に病院まで付いて行ってくれ、俺がすぐに治療室に入ると、俺の携帯から母に連絡してくれたらしかった。
応急処置をした後、俺はすぐに手術することになり、麻酔をされて、病室で目覚めるまで、記憶はなかった。



目が覚めると、蒼褪めた母の顔があった。
「千冬ッ…」
その後ろに、正孝さんの顔も見えた。
「うん…。ごめん、吃驚させて…」
痛み止めが効いていたので、腕の痛みはなかったが、自分のものとは思えないほど重くて、動かすことは出来なかった。
「なんなの?どういうことよ?刺されたなんて…ッ」
気の強い母が、さすがに狼狽えていた。正孝さんがその後ろに立ち、両手で励ますように母の肩を掴んだ。
「兎に角、命に別条がなくて良かったよ」
正孝さんの優しい言葉に、俺は頷いた。
「うん、ごめん…」
自分でも、状況が良く思い出せない。俺が言葉を途切れさせると、母たちの反対側に居た慶が口を開いた。
「一緒に居た男を庇ったんです。それで千冬が刺されて…」
母が慶の顔からサッと俺に視線を移した。
「一緒に居た男って?」
何と言おうか迷っていると、看護師が入って来た。
みんなが俺のベッドから離れ、看護師は処置を始めた。
「高梁さん、担当の先生がお話があるそうなので、いらしてください」
処置を終えた看護師に言われ、母は正孝さんと一緒に部屋を出て行った。
すると、慶が俺の傍に近寄って来て椅子に座った。
「千冬…、どうしてだ?なんであいつを庇ったりした?」
辛そうな顔でそう言い、慶は無事な方の俺の右手を両手で掴んだ。
見ると、慶のコートは俺の血で汚れていた。
「ごめん…、汚して…」
その血の染みを見ながら俺が言うと、慶はもどかし気に首を振った。
「そんなのどうだっていい。何で庇ったんだ?千冬が刺されるなんて…、そこまでして庇うような相手なのか?」
「それは……」
何と答えていいのか分からず、俺は口籠った。
村内だから庇ったのかと言われれば、そうではなかった気がした。多分、そこに居たのが誰だろうと、俺の身体は動いていただろう。
正直にそう答えると、慶の険しかった眼が少し緩んだようだった。
「誰なんだ?あれ…。女に刺されるような男と何で千冬が関わってる」
ギュッと手を握られ俺は怯んだ。
慶の顔を見ることは出来ないと、ずっと避けていたのに、こんな最悪の事態になってしまうなんて、どうしていいのか分からなかった。
答えずにいると、慶はまた怖い顔になった。
「あいつと…、寝てるのか?」
ビクッと俺の身体が動いた。
暫く目を瞑った後で、答えを待つ慶をゆっくりと見た。
「うん…。そうだよ」
「千冬…」
答えは分かっていたのだろうが、それでも慶は信じられないといった表情で俺を見た。
「こんなことがあったから、慶には悪人に見えるのかも知れない。でも、あの人は凄く優しい人なんだ。分かってもらえなくても仕方ないけど、それは事実だから」
俺が言うと、慶の手が俺の手から離れて行った。
「じゃあ、俺に会ってくれなかったのは何でだ?嘘をついてまで俺を避けたのは、あいつの所為じゃないって言うのか?それだけでも、俺はあいつを信じられない」
俺を大切に思ってくれている慶にしてみれば、村内を悪く思うのは仕方ないことなのかも知れない。だが、本人たちも知らない二人の関係を想うと、俺は悪い感情を持って欲しくなかった。
「嘘をついたのは悪いと思ってる。でも、慶を避けてたつもりはないんだ。ごめん……」
すると、慶は深く溜め息をついて首を振った。
「分かった、もういい…。けど、これだけは答えてくれ。この先も、もう俺とは会いたくないか?これで、俺たちの関りは終わりか?」
その眼は、俺の答えを恐れているように見えた。
もう会えないと、本当は思っていた筈だった。だが、こんな慶を見て、俺が彼との関りを断ち切れる筈がなかった。
手を伸ばすと、今度は俺が慶の手を握った。
「そんな訳ない。そんなこと、ある筈ないだろ?……今度だって、慶が居てくれて良かった。慶が傍に居てくれたから、怖くなかったよ」
「千冬…ッ」
慶の手が、また俺の手を包み、そのまま持ち上げて祈るように額に押し付けた。
「怖かったのは俺だ。千冬がこんな目に合うなんて信じられない。千冬がこんな形で傷つけられるなんて……」
「慶……」
何か言わなければと思ったが、言葉が見つからなかった。
そして、最悪の形で出会ってしまった二人がこれからどうなるのか、俺は怖くて仕方なかったのだ。



明日また来ると言って、慶は帰って行った。
担当医から今後の治療について説明を受け、母は暫く会社を休んで、俺のアパートへ寝泊まりして、病院へ通うとこになった。
完全看護だし、必要ないと言ったが、母は聞いてくれなかった。
それに、まだ俺から状況の説明を受けていないし、母の怒りも治まっていなかった。
俺は、村内と自分の関係を隠したまま、彼の職業や刺した女性との関係などは話すことにした。
思い出したのだが、多分あの女性は、前に村内と揉めているのを見かけた客だった。彼が店以外でのサービスを断ったことで、思い詰めてしまったのだろう。
俺の話を聞いて、母は益々腹を立てたようだった。
だが、忌々し気に、
「もっと慎重に友達を選びなさい」
と言っただけだった。
言葉が少なかったことが、余計に母の怒りを感じさせ、俺は素直に頷いた。
「母さん、お願い…、警察には届けないで?」
俺が頼むと、母は溜め息をつきながら頷いた。
「ええ…。千冬の命には別条なかったし、騒ぎになるのはあなただって嫌でしょうから、訴えたりはしないわ」
母の言葉に俺はホッとした。
すると正孝さんが、自分が残るから、アパートへ俺の要るものを取りに行ったらと言ってくれた。
母もそうすると言い、コートを着ると病室を出て行った。
それを見送ると、正孝さんはベッドの脇の椅子に腰を下ろした。
「千冬君…、庇った相手って、千冬君が付き合ってる人なんじゃないの?」
俺の性癖を知っているからこそ、正孝さんは気づいたのだろう。そして、気遣って、母のいない処で訊いてきたのだ。
「……うん」
俺が頷くと、正孝さんは躊躇った後で口を開いた。
「職業だけで人を判断するのは間違っていると思うし、俺はその彼に会ったことも無いから、決めつけるつもりはないけど……、でも、千冬君が付き合うような種類の人間なのか、疑問は感じる。千夏さんに、あんまり心配掛けないで欲しいな」
優しい口調だったが、正孝さんは俺の父親として、そう言ってくれたのだと分かった。
「ごめんなさい…。俺、勝手なことばかりして……」
そう言って項垂れると、正孝さんの手が俺の肩に乘った。
「何か困ったことがあったら何でも相談して欲しい。千夏さんに言えない事でも、俺は秘密を守るから。ね?」
「ありがとう…」
顔を上げ、俺は正孝さんの優しい眼を見つめた。
今になって思えば、彼が母と結婚してくれて本当に良かった。この優しい人が、母を守ってくれるのだと思うと、俺は心から安心することが出来たのだ。



俺の夕食が済み、母と正孝さんも、外で夕食を取るために病室を出て行った。
間も無くして、躊躇いがちにノックの音がし、答えると、村内が顔を見せた。
どうやら、随分前から来ていたのだが、誰も居なくなるのをずっと待っていたらしい。
「ちーちゃん…」
泣きそうな顔で俺の名を呼ぶと、村内はベッドの脇に膝を突いて俺の手を取った。
「ちーちゃん、ごめん…、ごめん…」
握った俺の手に額を押し付け、村内は言った。
その手に涙が落ちるのを感じ、俺は身体を屈めると彼の頭に頬を寄せた。
「いいから、もう泣かないで。大丈夫だから…」
俺の言葉に村内は首を振った。
俺は握られていた手を引き抜き、そのまま彼の濡れた頬に当てた。
「大丈夫だよ。こっち向いて?」
俺が言うと、村内はやっと顔を上げて俺を見た。
「ちーちゃん、ごめんね?俺の所為で…。俺が送るなんて言わなければ良かった。一緒に居なければ、ちーちゃんがこんな目に合うことなかったのに。ううん、俺がちーちゃんに付き纏わなければ良かったんだよね…?」
ほろほろと涙を零しながら、村内は辛そうにそう言った。
成人している男が、こんな風に泣くのを俺は初めて見た。
そして、俺の為に泣いてくれる村内が愛しいと思った。
「ね…、キスして?」
俺が言うと、村内の眼が見開かれた。
「ちーちゃん?」
「早く…」
俺が腕を引くと、村内は立ち上がってベッドの端に腰を下ろした。そして、引き寄せる俺に従い、唇を寄せた。
最初は軽く、唇が重なって離れた。
だが、すぐにまた近づいて、今度は深く重なった。
離れて行ったが、村内の顔はまだすぐそこにあった。その眼を見つめて俺は言った。
「ね?大丈夫…。俺は大丈夫だから、自分を責めないで。俺は離れて行ったりしないよ」
「ちーちゃんッ…」
村内の腕が俺の身体に回され、瞼が肩に押し付けられた。
動く方の手で、俺は村内の髪を撫でた。
「仕事、休んだの?あの人は?」
俺が訊くと、村内は顔を上げた。
俺の乗った救急車が行ってしまうと、村内はあの女性を何とか落ち着かせ、家まで送って行ったらしい。
自分の貯金の全てをつぎ込んでまで、熱を上げていた村内に冷たくされ、思い詰めてしまった。村内の部屋を突き止めて押しかけようとしたらしかったが、俺が一緒に出て来たので、後を付けて来たらしい。
俺を刺したことで我に返ったようで、もう2度と迷惑はかけないと約束したと村内は言った。
「ちーちゃん、警察には…?」
心配そうに訊いてきた村内に俺は首を振って見せた。
すると、ホッとした表情を浮かべ、村内はまた俺の手を取った。
「痛い?ちーちゃん…。俺の事なんか庇うことなかったのに…。俺は刺されて当然なんだ。それなのに、ちーちゃんにこんな大怪我させて……」
また泣きそうになるのを、俺は首を振って遮った。
「薬が効いてるし、痛くないよ。村内さんの所為じゃないから…。もう、心配しないで」
そう言っても、村内の表情が晴れる訳もなかった。彼が、自分を責めずにいられないことも分かっていた。
面会時間が終わり、村内は明日も来るからと言って帰って行った。
慶は多分、コンビニの仕事が終わってから来るだろうし、村内は仕事の前に来るだろう。掛け違って顔を合わせることは無い筈だ。
ただ、村内に会って母が怒りを爆発させはしないだろうかと、それが心配だった。
だが、村内に来るなとは言えない。言えば、俺に拒絶されたと感じて、また傷付くに違いない。
俺は、母を外に出す理由を考えなければと思った。