涙の後で


-10-

その夜も村内に抱かれ、そのまま部屋に泊まった。
朝になってメールをチェックすると、数件のメールの内、1件は慶からだった。
「もう実家か?まだなら、会えないか?暇が出来たら、メールくれ。夕飯でも奢るから」
何時もの素っ気ない文体だったが、慶が俺に会いたがってくれているのは本当らしかった。
だが、今の俺は怖くて慶の顔なんか見られる訳がなかった。
もう実家に居るからと嘘の返信をし、俺は携帯の電源を切った。
朝食を作ろうかとキッチンへ行こうとすると、俺がベッドに居ないことに気が付いて、村内が慌てて寝室から出て来た。
俺の顔を見ると、ホッとしたように笑みを浮かべ、近づいて来て後ろから俺を抱きしめた。
「おはよう…」
俺が笑いながら回された腕を叩くと、村内は俺の肩の上で深く息を吸い込んだ。
「おはよ…。居てくれた……」
昨夜も俺が起き上がれなくなるほど抱いていながら、それでもこんなにも不安なのかと思うと、俺は何だか申し訳ない気持ちになった。
あの朝、黙って帰ったりせず、メモ位は残してくれば良かったのかも知れない
「朝ごはん、何がいい?」
わざと触れずに俺が訊くと、村内はやっと俺の身体を離した。
「なんでもいいよ。…ちーちゃん、身体大丈夫?辛かったら、俺がなんか作るよ。……その、トーストとか…」
それ以外は出来ないらしく、村内はばつの悪そうな顔をした。
「じゃあ、トースト焼いて?その他は俺が作るから」
笑いながら言うと、村内は照れたように笑った。


二人で朝食を作って食べ、午前中はゆっくり過ごして、お昼は外で食べようと言うことになった。
食後にお茶を飲んでいる時、ふと思い出して俺は訊いた。
「そう言えば、前に偶然、花屋の前と公園で会った時、何処へ行ってたの?向こうの方に何かあるの?」
この部屋とも、聞いていた村内の店の方角とも違う場所で、何故俺と出会ったのか、今になると余計に不思議だった。
すると、村内は少し暗い顔になった。
「ああ…、病院だよ。お袋の……。いつもは少し遠いからバスで行くんだけど、あの時は歩いて帰って来て……。そうすると、あそこを通るんだ」
「そうだったの…」
俺の言葉に村内は頷いた。
「公園で会った時はさ、良くなってきてたと思ったお袋が、抜け出してまた呑んでさ、病院から呼び出された時で、ちょっと落ち込んでたんだ」
そう言って、村内は笑った。
「でも、ちーちゃんに会えた…。だから、良かったよ」
「そんな…」
俺に会ったのは、村内が本当に辛い時だった、だからきっと偶然出会った俺に、縋ってしまいたいと思ったのだろう。
あの時の村内は確かに、人恋しくて俺と過ごしたがっていたように見えた。
彼の心を思い、俺までが寂しくなって、カップを置くと村内の首に腕を回した。
「ちーちゃん、大丈夫だよ。俺、もう落ち込んでないから…」
俺の腰に腕を回し、村内は優しく笑った。
「ちーちゃんに会えたから、今は凄く幸せだ。こうしてると、嫌なこと全部忘れられる…」
本当にそうなら嬉しいと思った。俺が少しでも村内を幸せに出来ているなら、もっともっと彼を癒したかった。
キスされて、俺は益々しがみ付いた。
すると、村内は唇を離して言った。
「駄目だよ……。俺、ヤバいから……」
見上げて頷くと、村内は俺をじっと見降ろした。
「身体、辛くないの…?」
また頷くと、村内は両手で俺の頬を包んだ。
「いいの…?俺、マジで抑え利かないよ?」
「ん……」
もう1度頷き、今度は村内の顎に唇を押し付けた。
本当は、まだ少しだるかったが、それでも構わないと思った。
「また……、そんな可愛いことする…」
また咎めるような口調だったが、村内は俺の顔から眼を離さずに怖いくらいじっと見つめた。
そして、抱いていた俺の腰を離すと、今度は両手でソファから抱き上げた。
「不安定な格好だとちーちゃんが辛いから、ベッドでしよ?」
夜だけじゃ足りなくて、また求めてしまった自分が恥ずかしくて、俺は村内の肩に顔を隠して頷いた。
何時も俺の身体を気遣い、村内は本当に1度も痛い思いも、苦しい思いもさせなかった。
濃密な、それこそ泣く位の快感を俺に与えながら、あくまでも優しい。こんなに大切にされたら、少しくらい疲れていたって、また抱かれたくなってしまう。
ベッドに運ばれて下ろされると、村内にされるまま、俺はズボンと下着を脱いだ。
何度も見られてはいても、やはりすっかり裸にされると恥ずかしくて眼を逸らしてしまった。
「寒くない?」
「ん…」
訊かれて頷くと、村内はローションを取り出した。
「ごめんね。冷たいと思うけど…」
今度は首を振ると、俺はまた眼を逸らした。
ローションが塗り付けられると、やはり冷たさに少しビクッとしてしまった。すると、村内の手が止まった。
「やっぱり冷たい?」
「へ…き…」
俺が答えると、村内は頷いて指を進めた。
この頃は、こうして少し弄られただけで身体が熱くなってしまう。それは多分、村内とのセックスが俺を変えたからだろう。
「も…、入るから…。昨夜もしたし……」
息が上がり、俺はもどかしくて、つい恥かしいことを言ってしまった。
すると、村内は首を振った。
「駄目だよ。ちーちゃんが痛かったら嫌だから…」
優しく言われて、俺は村内の首に腕を回した。
「……じゃ、キスして…?」
もっと夢中にさせて欲しくて俺は言った。ほんの少し残っていた羞恥心を、全て消し去って欲しかった。
「ちーちゃん……」
愛し気に俺を見つめると、村内はキスしてくれた。
すぐに夢中になり、俺はすべてを忘れた。


「身体だけでもいいよ…、俺の事好きになって…?ほんの少しでいいから……」
俺を抱きながら村内は囁いた。
俺は何度も頷き、
「好き……」
と答えたような気がした。



村内に支えてもらいながら一緒にシャワーを浴び、少し休んで、俺たちは外へ食事に出るために支度した。
本当に、こんな風にしていると、真藤先輩が言ったように村内は俺の彼氏なのかも知れないと思った。
セックスだけではない。一緒に食事していても、こうして一緒に出掛けるのも楽しい。それはもう、恋人と呼べる関係なのかも知れない。
小さなレストランに入り食事を済ませると、村内はまだ名残惜しいのか、俺の手を掴んだ。
「帰らないで、また、部屋に来て?」
切なそうな眼に、頷きそうになる。だが、俺は首を振った。
「今日は帰るよ。祖母の家の片付けが済んだら、また部屋に行くから…」
俺が答えると、村内は仕方なさそうに頷いた。
「送って行っちゃ駄目?」
今まで遠慮していたのか、村内は、とうとう俺の連絡先を訊くことも、自分のアドレスを教えることも無かった。だが、本当は何時でも俺と繋がれるものが欲しかったのかも知れない。
「うん。送って?」
もう、アパートの場所を知られてもいいと思った。
俺は村内との繋がりを切ることは出来ないと思っていた。いや、切りたくないと思っていたのだ。
「うんッ」
顔を輝かせて、村内は頷いた。
店を出て並んで歩き、もうすぐ俺のアパートの前という所で、向こうから来た人物に驚いて立ち止まった。
向こうも俺に気づいたらしく、立ち止まってこちらを見た。
「慶……」
俺が立ち竦んでいると、慶は一瞬、戸惑いの表情を浮かべた。
だが、すぐにそれは確かな怒りの表情に変わった。
チラリと村内を見て慶は言った。
「実家じゃなかったのか?まさかとは思ったけど、確かめに来たんだ。……でも…、本当に俺に嘘をついてたなんて…」
ごくっと喉を鳴らして唾を飲み込むと、俺は心配そうな村内を残して、慶に近づいた。
「ごめん…」
その怒りの籠った眼を見ていられなくて、俺は眼を逸らしながら言った。
「そんなに俺に会うのが嫌だったか?どうして……?」
「……そうじゃない。別に…、会いたくなかった訳じゃないよ」
「なら、なんだ?」
ギュッと両腕を掴まれ、俺は顔を歪めた。
その力の強さが、慶の当惑と怒りを表しているようだった。
「あの…」
俺を心配したのだろう。遠慮がちに、だが慶を遮ろうとして村内が近づいて来た。
この出会いを、俺はどうすればいいのか分からなかった。
もしかすると兄弟なのかも知れない二人を、何の準備も無く、こんな風に引き合わせてしまったことに、俺は困惑するしかなかった。
「慶…、兎に角、あ、後でちゃんと…」
説明するから、と言おうとした時、村内の後ろから女が近づいて来るのが見えた。
(うん…?)
キラリと何かが光って見えた。
そして、その手に刃物が握られていることに気づいたのだ。
「侯ッ…」
村内の名前を呼び、女が彼に向って来た。
俺は咄嗟に、振り向こうとした村内の前に出て女との間に入った。
「うぁッ…」
左腕に焼けつくような痛みを感じ、俺は叫んだ。
「ちーちゃんッ」
村内が俺の名を叫び、後ろから抱きとめた。
腕に、深々と包丁が刺さっているのを、俺は呆然と眺めた。
「そんな…、あたし……、あたし…ッ」
顔を両手で覆い、女はその場にへなへなと崩れ落ちた。
「千冬…」
余りに思い掛けないことに、何が起きたのか分からなかったのか、慶は一瞬呆然として俺を見た。
だが、すぐに顔色を変えると近づき、村内の腕から奪うようにして俺を抱きかかえた。
「千冬ッ」
「だ、大丈夫……」
言ったつもりだったが、殆ど声は出なかった。だが、痛みに顔を歪めたまま、俺は何とか頷いて見せた。
「救急車呼べッ」
物凄い声で、慶は立ち竦む村内に叫んだ。