涙の後で


-8-

濡れた髪がセクシーだな、と思った。
慶と酷似した声でも、選ぶ言葉が違う。
抑揚も、語尾も、強さも。
顔を見て話せば、迷うことは無いと思った。
甘えて来る村内が可愛い。年上でも、守ってやりたくなる。
その癖、キスも愛撫も巧み過ぎて俺を翻弄した。
いつの間にかシャワーヘッドを下に落とし、両手が俺の身体を(まさぐ)っていた。
しがみ付くと、村内が耳元で言った。
「出よう?ベッドでしよう?」
「うん……」
風呂から出て身体を拭くと、俺たちは寝室へ行った。
寝乱れたまま整えられていないベッドだったが、俺は気にしなかった。
香水と村内の匂いのする枕に頭を預け、覆い被さって来た身体に腕を回すと、唇を貪り合った。
すると、すぐに熱くなって何も考えられなくなった。
この前と同じように、村内の愛撫に善がり、俺は我慢出来ずに声を上げた。
初めてキスされた時、真藤先輩の慣れた様子に驚いたが、やはり村内とは違う。俺は自分が息をしているのかも分からなくなっていた。
”可愛い”と何度も何度も囁かれ、好きだと言われながら、体中から快感を引き出された。
狂ったように喘ぎ、いつの間にか射精させられて些かぐったりしていると、村内は俺の腰を持ち上げさせて、ローションを注いだ。
冷たさに、ビクッとすると、動きを止めて俺の顔を見た。
「ごめん…、冷たかった?」
「うん…」
「ちょっと我慢して?」
「うん……。キスして……?」
俺から求めたのが嬉しかったのか、村内の顔が笑みを浮かべながら近づいて来た。 腕を回し、引き寄せると、まだ濡れていた村内の髪がすっかり冷え切っていた。
(風邪引かないかな…?)
そんな心配が頭を過ったが、巧みなキスですぐに忘れてしまった。
そして、また痛みを感じさせることなく、村内は俺の中に入って来た。
「痛くない…?」
訊かれたが、俺は首を振って彼を引き寄せた。

弄られている時から感じていた。 ローションの所為でくちゅくちゅと音が聞こえると、何時も恥ずかしくて少し熱が冷めてしまうものだったが、村内は更に俺を熱くさせたままで、挿入まで気を逸らさせ無かった。
「気持ちいい……?」
盛大に喘ぎ始めた俺を見下ろして村内が訊いた。
言葉では答えることが出来ず、俺はコクコクと頷いて彼を見上げた。
「可愛い……、ちーちゃん……」
また囁かれ、キスが降ってくる。開いたままの口の中を簡単に犯され、苦しくて更に喘いだ。
達きたくて泣きそうになり、村内の眼を見つめて腰を揺すった。
すぐに手が伸びて来て、手淫されて簡単に達した。
それでも中をコリコリと擦られ、切なくて首を振る。快感の波はまだ俺を溺れさせていた。
「ああ、いいよ……ちーちゃん……いい…ッ」
村内の律動が早くなり、目の前が涙でぼやけてきた。もう自分が泣きじゃくっているのにも気づかず、ただ俺は村内にしがみ付いた。



「大丈夫?ちーちゃん…」
心配そうに覗き込まれ、俺は頷いたが、身体を動かす気力はもう残っていなかった。
何度達かされたか覚えていない。恥かし気もなく、俺はまた村内に欲望を満たしてもらった。
「今、風呂の準備してるから…」
頷いて、手を伸ばすと、俺は村内の頬に触った。
「うん?」
笑みを浮かべて問い掛けられ、俺は口を開いた。
「……呆れた…?」
自分で思っていたよりも随分皺枯れた声だった。喘ぎ過ぎたのと泣いたからだろう。
俺の問いに村内は優しく笑った。
「なんで?凄く可愛かったよ」
好きだと言われる度に、また錯覚しそうになった。だが、閉じてしまいそうになる眼を開き、俺は何度も村内を確認した。
それでも、こんなにも感じてしまった。
泣きじゃくってしがみ付く俺に、本当に村内は呆れなかったのだろうか。
「恥ずかしい……、泣くほど……」
言葉を続けられなくて途切れさせると、村内は瞼にキスしてくれた。
「ちーちゃんが感じてくれたら俺は嬉しいよ。本当に可愛くて、抑えられなくなる…」
気を遣ってくれたのかも知れないが、嬉しかった。
俺の身体で村内が本当に満足しているのかは分からない。だが、幸せそうな表情は嘘ではないと思えた。



いいと言ったのに、また村内は風呂まで俺を抱いて行ってくれた。
こんなに甲斐甲斐しく世話を焼かれると、くすぐったくなる。
セックスの終わった後で身体を具に見られるのは恥かしくて堪らなかったが、また村内は俺の身体を綺麗に洗ってくれた。
中の中まで綺麗にしてもらい、俺はまたベッドへ戻された。
サッとシャワーを浴びて戻って来た村内は手に飲み物のペットボトルを持っていた。
喉を潤しベッドの中に入ると、俺は寄り添った村内の腕の中で丸くなった。
「寒くない?」
「うん…」
見上げると、優しい笑みが俺を迎えてくれた。俺も笑みを返すと、村内の胸に額を付けた。
何だか幸せな気分になり、俺はその温もりに身を任せた。
このまま、俺はこの腕の中に居ればいいのかも知れない。そうすればもう、誰も傷つけないでいられるのかも知れないと思った。
「小5くらいの時さ……」
また、何かを思い出したのか、俺の髪を撫でながら村内が話し始めた。
「施設に保護されてきた小1くらいの男の子が居てね、随分母親に虐待されてたらしくて、その所為か女の人を怖がって、何でか、いつも俺の後にくっ付いて来たんだ…。夜寝ると、怖い夢を見るらしくて、俺の布団に潜り込んで来ることがあった。俺は面倒臭いって思ったけど、あんまり懐くから、段々その子が弟みたいに思えて来た……」
やはり村内は優しいのだな、と俺は思った。
中にはきっと、自分の不幸に耐えられなくて、そういう子を虐める子供も居ただろうに、村内は面倒見が良かったのだろう。
「家に戻れば酔っぱらったお袋しか居なかったけど、施設ではそういう出会いもあった。まあ…、いい親戚が居たりして引き取られることもあって、本当はみんな温かい家庭に迎えられることを望んでいたんだろうけど……」
「その子はどうなったの…?」
俺が訊くと、村内は寂しげに笑った。
「俺はその子が来て3か月ぐらいで家に帰った。暫くして、またお袋が入院して、戻った時にはもう居なかった。訊いても仕方ないから、どうしたのか訊かなかったし、後の事は何も知らない……。でも、俺にも本当は弟が居てさ、一緒に暮らせてたら、あの子みたいに俺の後をくっ付いて来たのかな…、なんて思ったりしたよ」
笑った村内の顔を見上げて、俺は僅かに眉を寄せた。
「弟……?」
その言葉が妙に引っ掛かった。
「ああ、うん。居るって話を後から聞いただけで、会ったことも無いんだけどね。お袋の腹が大きくなったのだけは朧げに覚えてるんだけど、病院で産んだ後、帰って来たのはお袋一人で、赤ん坊は連れて帰らなかったから…」
苦笑しながら言った村内の言葉が、何だか俺を不安な気持ちにさせた。
「……何処に居るかも分からないの?」
「知らない…。父親の方が引き取ったんだと思うけど、俺は会ったことないしね。……ただ、お袋の腹が大きくなる前に、怖い爺さんが家に来たのは覚えてるんだ。……大分大きくなってから思い当たったけど、あれは息子と手を切るように父親がお袋に言い含めに来たんじゃないかなって…。何処かの病院の息子らしかったから、お袋みたいな女とは手を切らせたかったんだろうな……」
その言葉に、俺は冷水を浴びせられたようになった。
(病院の息子……?それじゃあ、村内さんの弟って……)
他人の空似ではなかった。
この声は、慶と同じこの声は、二人が兄弟だからだったのだ。
「うッ……」
突然、胃の中の物が逆流し、俺は手で口を押えると、ベッドから飛び出してトイレへ向かった。
「ちーちゃんッ?」
驚いて村内が後を追って来たが、俺はトイレのドアを閉めると、便器の中に勢いよく吐いた。

頭の中に、さっきの村内の言葉が次々と木霊した。
弟……。
慶は村内の弟なのだ。
なんと言う皮肉な出会いだろう。
慶を想い続けている俺が、知らないこととは言え、その兄とまぐわったのだ。
こんな罪深いことがあるだろうか。
絶望的な思いに囚われ、俺は吐き続けた。



胃の中が空っぽになると、俺は少し落ち着いた。
今更、してしまったことを消せる訳じゃない。
村内は何も知らなかったのだ。
ただ、俺を好きになってくれただけなのだ。
何度も、トイレのドアを叩き、心配して俺の名を呼んでくれている優しい男。
俺だって、好きだから抱かれたのだ。
もっと好きになりたいと思ったから抱かれたのだ。
「ちーちゃん、大丈夫?」
ドアを開けると彼が待っていた。俺は頷いて、洗面所へ行くと、何度も口を漱いだ。
タオルを取って渡してくれた村内の顔は心配そうな表情を浮かべていた。
「ごめん…。俺が調子に乗って 無理させ過ぎた……。ごめんね?」
「違うよ…。村内さんの所為じゃないから……。心配しないで。もう大丈夫だから」
「でも、顔が真っ青だよ。薬買ってこようか?胃薬とかならコンビニにも…」
そう言った村内の腕を掴んで俺は首を振った。
「大丈夫。ほんとに……。ベッドに戻ろ?寒くなっちゃった…」
「あ、うん…」
寝室に戻りベッドに入ると、俺は村内の頬に手を伸ばした。
「心配しないで?もう平気だから…」
「うん…」
頷いたが、村内の顔はまだ心配そうだった。
眉も眼も、鼻の形も唇も、慶と似ているところは無いと思う。
ただ、その声だけが、二人を繋ぐものの様に感じた。
「弟に……、会いたいと思ったこと無いの?」
俺が訊くと、村内は寂しげに笑った。
「昔は思ったよ。一人で寂しかった時とかね。……でも、今はいい。弟までがお袋のことを背負う事になったら可哀相だし…」
その言葉に、俺は胸が熱くなった。
「優しいね…、本当に……」
俺が言うと村内は照れ臭そうに笑った。
「そんなんじゃないよ。今の俺を見られたく無いしね…」
慶はどうだろうと、ふと思った。
慶は、兄が居るのだと知ったら会いたがるだろうか。
それとも、今更会いたくないと思うだろうか。
俺が、自分の兄とセックスしたのだと知ったら、どう思うだろう。
気持ち悪いと思うだろうか。腹立たしく感じるだろうか。
それとも、ただただ軽蔑するだろうか。
だが、俺にはもうどうでもいいことのように思えた。
もう俺には、多分、慶の気持ちを知る機会など訪れないだろう。
だからもう、どうでもいい。
「ちーちゃん…?」
身体に腕を回すと、村内はすぐに抱きしめてくれた。
「眠くなった?」
頷いて目を瞑る。

俺は一体、どうするつもりなのだろう。
これから、どうなっていくのだろう。

もう何も分からない。
今はただ、温かいこの腕の中で眠ってしまおうと思った。