涙の後で


-10-

高梁家と戸田家の両方の家族が揃う日、俺は自分で料理を用意しようと思ったのだが、忙しい思いをさせたくないと、母が料理屋に予約を入れてくれた。
昼前に、両方の家族が一旦、店に集まることになったので、俺は朝の内に掃除だけ済ませておいた。
近くに客用に借りている駐車場があり、11時過ぎに着いたと連絡があったので俺と慶は迎えに出た。
車から瑠衣子ちゃんが降りて来るのを見つけると、俺は思わず駆け寄って彼女を抱きしめていた。
「千冬さんッ」
俺の身体に腕を回し、瑠衣子ちゃんはギュッと力を込めて抱き返してくれた。
「会いたかった…」
「うん、俺も…」
久し振りに会った瑠衣子ちゃんは、大人っぽくなって、思っていた通り益々綺麗になっていた。
「髪、切っちゃったの?」
長かった髪が、今は耳の下位にカットされていた。
「うん。イメチェンしたの。おかしい?」
少し頬を染めてそう言った瑠衣子ちゃんに、俺は首を振った。
「ううん。短いのも似合うよ。可愛い」
最後に会った時は随分痩せてしまっていたが、今は食欲もあるのか、頬もふっくらして血色も良かった。化粧はしていなかったが、唇にはグロスを付けているのか艶々している。
「行こう。まだ庭は殆ど緑が無いけど、店でコーヒー淹れるから」
「うん。嬉しい」
改めて、院長と夫人に挨拶すると、俺は瑠衣子ちゃんと手を繋いで店へ向かった。
庭を見せて、店へ案内し、俺はみんなにコーヒーを淹れた。
「いい店だねえ。コーヒーもとても美味しい」
院長に褒められて俺は礼を言った。
「ほんと、瑠衣子だけじゃなく、私たちも楽しみにしてたのよ。素敵なお店だわ」
夫人がそう言った横で、院長は少し渋い顔になった。
「慶は役に立ってるのかな?不愛想だから、客商売にはどうかと思うんだが」
「煩いな。俺だって少しは愛想笑いくらい出来るようになったよ」
慶のお陰でランチ以外にも女性客が増えたのだと言うと、院長は少し嬉しそうだった。
憎まれ口をきいてもやはり父親だ。慶のことが心配だったのだろう。
店の中を色々と見て、どんなケーキがあるのか、ランチは何があるのかなど俺に質問したり、メニューを見たりして、瑠衣子ちゃんは本当に嬉しそうだった。
コーヒーは苦手そうだったので、瑠衣子ちゃんにはラテにしたのだが、それも美味しいと言って飲んでくれた。
やがて、母たちが到着し、ひとしきり挨拶が済むと、万秋がみんなの手から手へと移された。
「可愛いなぁ、可愛い…。万秋ちゃん、はじめまして」
恐々と万秋を抱っこして、感激したのか瑠衣子ちゃんは顔を紅潮させた。
「本当に可愛いわねえ。赤ちゃんなんて久し振り…」
「千冬君に似てるね。でも、お父さんにも似てるなぁ」
戸田家が万秋に心を奪われている間に、母はお土産に買って来たケーキの箱を開けた。
すると、それを見て、夫人が自分で持って来た大き目の袋を出して来た。
「美味しいかどうか分からないけど…」
夫人は自分で作ったケーキとタルト、それから、母たちのお土産用に焼き菓子まで用意してくれていた。
「わ、凄い…。千冬から聞いてましたけど、本当にプロ級なんですね。美味しそう」
甘い物の好きな母は忽ち相好を崩した。
「食事の前に食べちゃったら、ご飯が入らなくなるんじゃないの?」
俺が窘めると、母は口を尖らせた。
「1個だけ。見たら食べたいでしょ」
そう言って母は夫人作のナッツのタルトを箱の中から摘まみ上げた。
「わ、美味しいっ…。あの、これって日持ちします?」
「ええ。このタルトは日持ちしますよ。あと、こっちのケーキも洋酒を使ってるし、結構持ちます」
夫人の説明を聞いて、母は俺の袖を引っ張った。
「千冬、発注しなさい」
「え?」
「ケーキよ。奥様にお願いしたらどう?」
「ええ?」
俺が驚くと、母は夫人の方へ身を乗り出して説明を始めた。
イートイン用とテイクアウト用に日持ちのするケーキやお菓子を作ってもらおうと言うのだ。
「そんな、図々しいよ、母さん」
俺はそう言ったが、驚いたことに夫人は乗り気になってくれた。
「私で良かったらお役に立ちたいわ。このお店で私のお菓子を置いてもらえるなんて素敵だもの」
「本当ですか?俺は嬉しいけど…」
まだ俺が躊躇っていると、今度は瑠衣子ちゃんが言った。
「お母さんのケーキなら、きっとお客さんも喜んでくれるよね?いいでしょ、千冬さん。私もラッピングとか手伝いたい」
「本当に?お願いしてもいいのかなぁ」
まだ遠慮が先に立っている俺を他所に、母と夫人はイートイン用には何がいいか、テイクアウト用には何がいいかと、もう相談を始めていた。
だが時間が来て、男性陣がそろそろ料理屋へ出かけようと促した。
2台の車に分乗し、母の予約していた料理屋へ着くと、店の奥の離れのようになった部屋へ通された。
万秋が居るので、泣いたりして他のお客の迷惑にならないようにと母が頼んだらしい。落ち着いた静かな部屋だったので、皆も喜んだ。
「まだ、千冬が万秋より少し大きいくらいだった時、1度来てるのよ。おじいちゃんとおばあちゃんと、それから…お父さんとね」
母の言葉に俺は驚いた。勿論、その時の記憶はなかったが、母がそんな思い出の店を選んだことが驚きだったのだ。
「改装されて随分変わったけど、この離れの場所は変わってないわ。……なぁんだか、懐かしい」
珍しく、しみじみとした口調で言った母が、少し寂しがっているように感じた。
俺には記憶にない父のことを、母は滅多に話すことはない。だが、勿論忘れ去ってしまった訳ではない筈だった。
だが、俺が言葉を探していると、すぐにニッと笑い、いつもの明るい母に戻っていた。
「今度は新しい家族と一緒に来れて良かったわ。ねえ?千冬」
「うん、そうだね」
本当にそうだ。
まさか、慶の家族と、それから正孝さんと、弟までが一緒に集える日が来なんて夢にも思わなかった。新しい家族が増えたその喜びが、改めて俺の中に湧き上がっていた。
料理が運ばれて来て、それらを見ると、院長は呑みたそうだった。
帰りは夫人と母が運転して行くことになり、院長は日本酒を頼んで、正孝さんと一緒に呑むことにした。
母と夫人はまた、瑠衣子ちゃんを交えて、店で売るケーの話で盛り上がり、いつの間にか、1週間に1度、夫人がケーキを焼いて持って来てくれることに決まっていた。
俺の店なのに何だか蚊帳の外に置かれたようになり、俺は苦笑して慶を見た。
みんなが話に夢中になっている間に、慶が万秋を膝に乗せていた。
万秋を左腕に抱いて、器用に料理を口に運んでいる姿が、まるで若い父親のように見える。それを見て、俺は胸が苦しくなった。
俺では慶を父親にはしてやれない。
今更ながら、その事実を俺は思い出していた。
「しかし、慶のそんな姿を見る日が来るとはなぁ…」
院長の言葉に、俺は彼を見た。
その目尻に優しい皺が浮かんでいる。思いもしなかった息子の姿を見て嬉しそうだった。
「案外、子供好きだったんだな、おまえ」
「どうかな?今までは子供に接したことなかったから、何とも思ったことないけどな。でも、万秋は可愛いよ」
そう言うと、慶は俺を見て笑った。
「千冬に似てるからかな?」
「え…?え…と…」
俺が言葉に詰まっていると、院長が吹き出して笑った。
「しれっとした顔でそういうこと言うんじゃないぞ。千冬君ばかりか、瑠衣子まで赤くなってる」
「あ、ごめん」
慶が言うと、母が笑って万秋を引き取った。
「いいわね、万秋。イケメンのお兄ちゃんに可愛がってもらって」
「私も抱っこしたいです」
瑠衣子ちゃんが両手を出してそう言い、母は万秋を彼女の腕に預けた。
「ほら、今度は美人のお姉ちゃんよ、万秋。いいわねぇ」
人見知りしないので、すっかりアイドルになってしまった万秋は、また、みんなの腕から腕へ移って行った。
料理は基本、和食だったが、創作料理で和食では珍しい食材も使われていた。酒にも合うようで、院長と正孝さんは機嫌よく杯を重ねていた。
本当に、今日が初対面だとは思えないほど打ち解け、誰もが、まるで昔から家族ぐるみの付き合いをしているようだった。
その光景を見ると、俺はまた胸が熱くなった。



もう1度家に戻り、ゆっくりしていってほしいと言ったのだが、瑠衣子ちゃんが疲れてきたようだったので、戸田家は料理屋から真っ直ぐ帰ることにした。
週に1度お菓子を運んで夫人が来てくれることになったので、瑠衣子ちゃんはまたその時に一緒に来ると言って帰って行った。
母たちは家に寄って、夫人の手作りケーキで、また俺の淹れたコーヒーを飲んだ。
戸田家と家族になれて嬉しいと母が言うと、慶は照れ臭そうだったが嬉しそうだった。
「実は少し前まで親父とは少し蟠りがあって…。今みたいな関係になれたのは千冬のお陰でもあるんです」
「そうなの?」
母に訊かれて俺は首を振った。
「そんなことないよ。俺は何にも…」
言いながら、俺は村内のことを思い出していた。
慶を傷つけるのではないかと恐れていたが、村内との出会いが、悪いことではなかったのだと今では思えた。
村内に寂しい思いをさせてしまったことは今でも後悔している。だが、きっと何れは、慶とも兄弟として蟠りなく会える時が来るだろう。
その時には俺もまた、村内に会うことが出来るかも知れない。
彼に抱きしめられた時の感覚を、俺の身体は今でも覚えている。
その優しい腕を思い出すと、いつでも涙が滲みそうになる。
そして、俺を愛してくれた人達は、本当にみんな、泣きたいほどに優しい人だったと思うのだ。
皆が俺を幸せにしてくれた。
誰にも何一つ返せはしないが、俺は一生、彼らの幸せを願おう。
そして、いつかまた、笑って会える時を待とう。
そんな日が来るのを、俺は本当に心から願っていた。



「また、泣いてる」
俺の目に涙が溜まっているのを見つけ、慶は少し咎めるような口調で言った。
「だって…」
「今度はなんだ?」
笑いながらそう言った慶の首に腕を回し、俺はその肩に頬を乗せた。
「だって、嬉しくて…。瑠衣子ちゃん、元気だったし…」
「うん」
「いっぱいご飯も食べれて、声にも張りがあって、綺麗になってて…」
「うん」
「慶のお父さんも、お母さんも、うちの母も正孝さんも、みんな仲良くて、嬉しそうで、楽しそうで、……良かった…」
「うん、そうだな」
慶に髪を撫でられて、俺はとうとう涙を零した。
「ごめんね?」
「何で謝る?」
「俺…、慶のこと父親にしてあげられない」
「ん?」
訊き返した後で、慶はくすくす笑った。
「なりたいって言ったか?」
答えずにいると、慶はまた俺の髪を撫でた。
「そんなの考えたこともない。それに、それを言うなら俺だって、千冬を父親にしてやれないぞ」
笑いを含んだ言葉に顔を上げると、慶の眼は笑っていた。
「自分が女だったら良かったとか思ってるのか?」
訊かれて迷っていると、慶の眼から笑いが消えた。
「俺は、千冬が男で良かった。だって、考えてみろよ。そもそも、男同士じゃなかったら、俺たちは出会ってない」
そう言われて愕然とする。
そうだ。
俺は男だからこそ、慶に出会えたのだ。
いや、慶だけじゃない。
俺が女だったら、学園で出会った大切な人たち全てと、知り合うことは無かった。
真藤先輩とも、有川とも、坂上、小金井先輩、楠田、その他にも沢山の出会いがあったのは、俺が男だったからなのだ。
その事に気付いて感動を覚え、俺がまた涙ぐむと、慶の目はまた笑っていた。
そして、俺の頬から涙を吸い取ると、そのまま唇にキスをした。
涙の味がしてキスは少ししょっぱかった。だが、それは幸せの味だと思った。
「もう、挿れていいか?」
「……駄目」
裸で抱き合っているのだから、慶のものが大きく育っていることは、勿論分かっていた。
だが、俺は意地悪く拒絶した。
「千冬…」
咎めるように俺を見て、慶は腰を上げさせようとした。座って抱き合った姿勢のまま挿入しようと言うのだ。
「いや…」
もっと抱きしめていて欲しくて、俺は首を振った。
「嫌じゃない。ほら、千冬…」
だが慶は、俺の腰を持ち上げさせると両手で双丘を開いた。
「自分で挿れて…」
熱っぽい目で俺を見上げた慶の声は少し掠れていた。
観念してゴクッと喉を鳴らし、俺は右手を後ろに回すと、硬くなった慶の性器を持って自分で アナルの入口へ宛がった。
自分で挿入するのは初めてだった。だから、緊張して少し身体が強張ってしまった。
首を振って見つめると、慶は両手で俺の腰を掴んで支えてくれた。
それでもまだ怖かったが、ジェルのお陰で先が入ると後はそれほどの抵抗も無く、慶の性器は俺の中へ納まっていった。
「うく…うッ…う…」
俺が何とか最後まで腰を沈めると、慶は俺を見上げた。
「キツいか?少し待つ?」
「ん…」
頷いた俺の首を引き寄せ、慶は熱くキスをした。
舌を嬲られ、吸われていると、股間に血が集まってくるのが分かった。
慶の指が胸の上を滑り、勃起した乳首を摘まむ。クリクリと擦られて、合わせた唇の隙間から吐息混じりの声が漏れた。
「可愛いな…」
喘ぐ俺を見て慶は言い、片方を弄りながら、もう片方の乳首を口に含んだ。
「んやッ…、ん…」
喘ぎ続けていると、俺の胸にキスの痕を残しながら慶が見上げた。
「ほんとに、自分にこんなに性欲があるなんて思わなかった。したくて堪らない…」
その言葉に、俺は自分の顔から耳までが信じられないくらい熱くなるのを感じた。
「何処もかしこも可愛くて、おかしくなりそうだ。一晩中抱いていたい」
「慶…」
嬉し過ぎて、幸せ過ぎて、また涙が滲んだ。
求められる喜びが俺の全身を包む。
「もう馴染んだろ?」
動くように促されて、俺は腰を浮かせた。
慶のもので中を擦られて、忽ち快感が生まれる。
熱い瞳で射抜かれるように見つめられ、心までが震えた。
「や…、できな…」
上手く動けなくてもどかしくなり俺が首を振ると、慶が腕を掴んで自分の首に回させた。そして、上がらない方の肘をしっかりと掴んで支えてくれた。
慶にしがみつき、俺は懸命に動いた。
慶のことを少しでも気持ち良くしたい。
今までされるばかりで、快感を与えられるだけだったが、慶には出来る限りのことをしたかったのだ。
「ああ…、いい…よ…千冬ッ…」
気持ち良さそうな慶の声が俺の耳を刺激した。
だが、俺の方もいつもよりも強い快感に溺れそうだった。
自分の体重で、いつもより深く突き刺さる。奥に当たる度に、背筋をビリビリと快感が駆け上って行った。
「あ…んッ…あっ…、俺っ…、変ッ…へん…ッ」
一瞬、息が止まった。
声も出せず、ビクビクと身体が震えた。
今まで知らなかった種類の絶頂が俺を震わせていた。
「千冬…」
ギュッと身体を抱きしめられたが、俺は慶にしがみついたまま動けなかった。
治まらなくて、息がつけない。中だけで達してしまったのだと、すぐには分からなかった。
「千冬、大丈夫か?」
「ん…」
やっと顔を上げて慶を見ると、嬉しそうな顔をしていた。
「俺のだけでイッてくれたの?」
その言葉を聞いて初めて、自分に何が起こったのか分かった。そして、分かると急に恥ずかしくなった。
全身がカーッと熱くなる。両手で顔を覆う代わりに、俺はまた慶の肩に顔を伏せた。
「幸せだ、ほんとに…」
心からそう思っていることが慶の声から感じられた。
「うん…、俺も…」
小さく呟くと、慶の手がまた優しく俺を撫でてくれた。



約束してくれた通り、夫人のケーキの定期便が定休日に届くようになった。
その味を知ると、常連客も定期便を待っていてくれるようになり、ケーキセットの他にもテイクアウトの売れ行きも上々だった。
毎回ではなかったが、来られる時には瑠衣子ちゃんも一緒に来て、テイクアウト用のケーキを並べたり、可愛いポップで飾ってくれたりした。
何時もの様に帰る二人を駐車場まで送って戻って来ると、俺は見ていなかった郵便受けをチェックした。
請求書やダイレクトメールに交じり、少し大きめの茶封筒が入っていた。
見ると、出版社からで、中には雑誌が入っているようだった。
宛名が慶になっていたし、彼が取り寄せでもしたのだろうと俺はそれを持って、庭の手入れをしていた慶の所へ行った。
本当は店も手伝ってくれているし、小説を書く時間が減ってしまうからやらなくていいと言ったのだが、暖かくなってきたし、行き詰った時の気晴らしになると言って、庭を弄り始めたのだ。
そして、それが案外、性に合ったらしい。
今では、祖母の指導もあって、庭は慶のお陰で以前の活気を取り戻していた。
慶は俺が差し出した封筒を見ると、立ち上がって軍手を外した。
受け取って、その中から雑誌を取り出すと、何かをチェックして、それを俺に示した。
「どうやら、入選したらしい」
「え…?」
何のことか良く分からず、俺は慶の示したページを見た。
そこには、その雑誌が募集した短編小説の入賞作が発表されていた。
「え?え?」
佳作に次いで、入選作の10作の中に”戸田慶”の名前が確かに書かれていた。
「け、慶ッ…」
俺が絶句すると、慶は少し笑った。
「まあ、入選だからな。賞に入った訳じゃないけど、第一歩ってとこか」
「何言ってんの?それでも凄いよッ。凄いッ…」
いつの間に応募していたのか、俺はそれさえ知らなかった。
だが、嬉しくて、胸が震えた。
「お祝いしなきゃ。どうしよ?どうする?」
興奮して、何をどうしていいのか分からなかった。
そんな俺を見て、慶はまた笑った。
「お祝いは賞に入ってからでいい」
「でもでも、何かしたい。あ、あ、今晩、何か美味しい物食べに行こう?ね?」
見上げた俺の腰を両手で抱き、慶はまた笑った。
「いいよ。家でゆっくりしたい。千冬と二人で…。それが一番の褒美だよ」
「慶…」
慶の額が、俺の額に押し付けられた。
「改めて約束する。…絶対に、デビューするから。待っててくれ」
「うん…。信じてる」
俺たち2人の旅は、始まったばかりだ。
出合って今まで、随分色々なことがあったし、長い時間が経ったような気がしていた。
だが、俺と慶はまだまだこれから、一緒に長い時を歩むのだ。
何があるか分からない。
もしかしたら、悲しいことも待っているのかも知れない。
だが、今の俺には幸せしか見えていなかった。
そして、心からそれを噛みしめていた。
「じゃあ、せめて、ワインでも開けようか?」
俺が言うと、慶は微笑んで頷いた。
「そうだな」
言った後でキスが降って来た。
幾ら店が休みとは言え。往来から見られるかも知れない庭だったが、俺はもう、そんなことは気にならなかった。
「二人でささやかに…」
慶の言葉に頷くと、俺は彼の瞳に映る幸せそうな自分の顔に気付いて、胸を熱くした。