涙の後で
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小金井先輩の写真を見せてもらいながら、3人で暫く話をして、俺は先輩たちの部屋を出た。
また、途中で引き止められると困るからと言って、いいと言ったのに小金井先輩がA寮まで送ってくれた。
俺の部屋の手前まで来ると、先輩が立ち止まった。
「今日…、友井は長く居たのか?」
躊躇いがちに、先輩はそう訊いた。
「いえ…。すぐに帰ってしまいました。戸田から本を借りると、ホントにすぐ…」
答えながら俺は先輩の少し強張った顔を見つめた。
やはり、友井先輩と小金井先輩の間には何かあるらしい。気になったが、俺が踏み込んでいい事ではないと思った。
「そうか。…あ、高梁、これ俺のケイバンとアドレスだから。貰ってくれるよな?」
笑いながらそう訊かれ、俺はすぐにメモを受け取った。
「勿論です。有難うございます。後で、俺の番号もメールしますから」
「うん、待ってるよ。じゃ、またな?おやすみ」
「おやすみなさい」
数歩歩き出して振り返ると、先輩は俺に軽く手を上げて帰って行った。
俺は、先輩の姿が見えなくなるまで見送ると、ドアを開けて部屋に入った。
慶はベッドの上に寝転がってヘッドフォンで音楽を聴きながら本を読んでいた。
「おかえり」
ヘッドフォンを外してちらりと目を上げると、慶はそう言って俺を見た。
「ただいま…」
俺が答えると、慶は音楽を止めてヘッドフォンを外した。
「小金井先輩って、高梁と付き合いたいみたいだな?」
笑いながらそう言われ、俺はまた顔が赤くなるのを感じた。
「なんで、俺なんかいいのか分からないけど…」
俺の答えに慶はまた笑った。
やはり、少しは親しくなれたということなのだろうか。あれほど珍しかった慶の笑顔を、いつの間にか見る機会が増えた。
「可愛いからだろ?それに、大人しそうだし……。こういう学校じゃ、高梁がモテるのは分からなくも無いよ」
(か、可愛い…?)
まさか、慶の口からそんな言葉が出るなんて思いもしなかった。
俺は驚いてしまって答えを返せなかった。
「あ、そうだ…」
だが、慶の方は特別に意識して言った訳でもないのだろう。俺の答えを待たずに、すぐに何かを思い出すと机に手を伸ばした。
「一応、アドレスとか教えといてくれるか?」
「あ、うん…」
携帯電話を手にして慶に言われ、俺は慌てて自分の携帯を出した。
慶とデータを交換し終えると、俺は思い出して、ポケットから小金井先輩のメモを出した。ついでに登録してしまおうと思ったのだ。
そう言えば、今日は何人もの相手からアドレスを貰う日だったなと思った。
迷ったが、古賀先輩のアドレスは登録しなかった。
その代わり、さっき部屋に遊びに行かせてもらったお礼を小金井先輩に打って、自分の番号を最後に入れて送った。
翌朝、朝食を済ませると、俺は出掛ける支度をして表へ出た。
9時頃行こうと真藤先輩は言っていたが、敷地が広いから学校を出るのにも時間が掛かるし、早目に出ないとバスの時間に間に合わない。
「じゃあ、行ってくる」
俺が声を掛けると、慶は本から顔を上げて頷いた。
「ああ。楽しんで来いよ」
「うん…。じゃ」
俺は頷くと、ドアを開けて外へ出た。
俺たちの部屋からだと、寮の中を通って通路まで行くより、一旦外へ出て行った方がB寮に近い。俺は寮の玄関へ向かって階段を下りた。
すると、靴を履き替えようとした所に真藤先輩が姿を見せた。
「おう、丁度良かった。部屋まで迎えに行こうかと思ってたんだ」
「あ、スミマセン。バスの時間見たら、そろそろ出た方がいいと思って」
「うん。じゃあ、行こうか」
「はい」
歩き出しながら俺を見ると、先輩は笑みを見せて言った。
「可愛いな、私服も」
「えっ…?か、可愛いって…」
その言葉に俺が戸惑うと、先輩は楽しげに笑った。
確かに今日は、先輩と出掛けるので少しは気を使って服を選んだ。でも、まさか可愛いなんて言葉を言われるなんて思わなかったのだ。
「昨日、古賀たちに掴まったんだろ?あいつら、今朝もおまえの話ばっかりしてたぞ。可愛かったってさ、大騒ぎだった」
「そ、そんな……」
なんと答えていいか分からず、俺はただ、赤くなるばかりだった。
中学の時、女子に何度か“高梁は可愛いね”なんて、からかわれた事もあった。でも、まさかこんなに騒がれるなんて想像もしていなかったのだ。
「色白かったなぁーとか、睫毛長かったよなーとか騒いでたから、俺は今日、千冬とデートだって自慢してやった」
「ええっ…」
「そしたら、ボコられそうになったんで、実は早目に逃げてきたんだ」
そう言って笑った先輩に釣られ、俺も吹き出して笑った。
デートだなんて言われても、そうは思えなかったが、それでもやはり先輩と一緒に出掛けるのは楽しかった。
俺の私服を褒めてくれたが、先輩もセンスが良くてカッコいい。きっと、共学の学校を選んでいたら随分と女子にモテただろう。
そう思って、俺はふと疑問に感じた。
先輩は、何故、こんな辺鄙な学校を選んだのだろうか。
「ああ、俺?」
訊いてみると、先輩は苦笑いを見せた。
「どうせ、家に居ても親は居ないし。それなら寮に入った方が楽だと思ってさ。田舎で、山の中だから遊べないのは不自由だけど、まあ、中学で散々遊んだしな…。そろそろ落ち着いてもいいかと思って」
「親が居ないって…?」
「うん。俺が中2の時に離婚したんだけど、お袋はもう別の男と暮らしてるし、親父も海外赴任で家に居ないんだ。だからさ」
「そうだったんですか…。スミマセン、余計なこと訊いて…」
俺が謝ると、先輩はまた苦笑した。
「いいって、別に隠してないし。それに今時、こんな話は珍しくないだろ?ウチの学校は結構多いぜ。大学までエスカレーター式だから、それを理由に入学した奴が多いけど、寮を目当てに入学する奴も少なくない。そういうのは大体、親元に事情があるとかだろ?」
「そうかも知れないですね…」
俺の場合は、親の事情というよりは自分の心の問題だったが、寮が目当てでこの学校に決めたことには変わりない。そして、慶もまた、ここへ来たのには特別な事情があるらしかった。
門を出て歩いて5分程のところに山を降りる為のバス停があった。
その近くに来ると、疎らだが民家も見える。
バスは、あと5分ぐらいで来る筈で、先客が2組居た。
「ちーす…」
先に真藤先輩に頭を下げてきたのは2年生のグループ三人で、先輩は彼らに軽く頷くと、その向こうに立っていた3年生二人組みと挨拶を交わした。
興味深そうに目線を向けられながら、俺は、先輩たち全部に挨拶をして、真藤先輩の隣に立った。
「映画か?拓馬」
3年生の一人に声を掛けられて先輩は頷いた。
「ああ。おまえらも?」
「うん。他に行くトコもねえしなぁ」
この学校へ来る為に、駅から町を通って来たのだから、勿論、様子は分かっていた。
駅前にマーケットが1軒と、小さな商店街。娯楽は映画館と寂れたゲームセンター。大人ならパチンコ屋も2軒ぐらいはあるらしい。
だが、未成年の俺たちが遊べるのは、先輩たちの言う通り他にはカラオケ屋ぐらいしかなかった。
バスが来て、俺たちは乗り込んだ。始発からふたつ目のバス停だったが、他に乗客は居なかった。
「町を挟んでちょうど反対側に高校がふたつあってさ、そこはどっちも男女共学で、近辺に住んでる奴らは大抵そのどっちかに通ってるんだ。ウチのガッコにも自宅組が少しは居るけど、町から通うにはバスも少なくて不便だろ?でも、自宅があるのにわざわざ金の掛かる寮に入る奴なんて居ないし」
「そうですね。町の近くに高校があるなら、わざわざウチへは来ないでしょうね」
先輩の説明に、俺は納得して頷いた。
すると、先輩は何を思ったのか苦笑を浮かべた。
「それに…、下の高校の奴らは俺らのガッコを“ホモ高”って呼んでるらしいよ。そんな訳だから、お互いに余り仲良くない」
町へ行くと、その学校の生徒に会うかも知れないが、気にしない方がいいと先輩は言った。
「じろじろ見られたり、ヒソヒソ話されたりするかも知れないけど、無視してればいい。それ以上のことは無いし、絡まれたりもしないから」
「分かりました」
外から見ても、やはり俺たちは特殊に見えるのだろう。
中に入った俺からすれば、本当に驚くことばかりだった。
でも、別に今のところ、それが不快だという訳ではない。元々、正孝さんを好きになったくらいだし、俺は多分、ゲイなんだと思う。だから、女性の居ない世界を苦痛に感じることは無かったのだ。
町に着いて、俺たちはバスを降りたが、2年生のグループはもっと先の駅の方まで行くらしく、下車しなかった。
電車で、後3駅ぐらい行くともっと大きな街がある。そっちには、勿論ここよりも娯楽が豊富なので、休みになると電車に乗って出掛けて行く生徒も多いらしかった。
俺と先輩は3年生のコンビと一緒にぶらぶら歩いて映画館まで行った。
新しいとは言い難い建物だったが、一応上映室が2つあるらしく、映画は洋画と日本映画の2本が掛かっていた。
「どっち見る?上映時間はどっちも一緒だな…」
洋画はアクション物で、日本映画は結構話題になった、親子を描いた感動作品だった。
3年生コンビはアクション物を見るらしく、俺たちに軽く挨拶するとチケットを買って中へ入った。
「俺はどっちでも。先輩の好きな方でいいですよ」
俺が答えると、先輩は少し首を傾げるようにして貼ってあったポスターを眺めた。
「じゃあ、こっちにするか…。出てる俳優が結構いいし、たまには真面目な映画観るのもいいかもな。こっち見て、それから飯食いに行こうよ」
「あ、はい。いいですよ」
俺が返事をすると、遠慮する俺を遮って、先輩は二人分のチケットを買ってくれた。
それを持って中へ入り、俺たちは目当ての映画が掛かっている左側の上映室へ向かった。
時間が早い所為もあって、予想通り中はガラガラで、俺と先輩は中央の一番見やすい席に座ることが出来た。
予告編が何本かあり、先輩と小声でその映画について色々と話した。
中の1本は二人とも好きなシリーズの最新作だと分かり、封切られたら一緒に見ようと約束した。
やがて、本編が始まって、俺たちは黙った。
“親子”がテーマというのは、俺にとって少し重かった。
だが、もしかすると、それは先輩にも当て嵌まる事だったのかも知れない。
主人公の両親は幼い頃に離婚して、母親と二人で生きてきた。成人してから、それとは知らずに父と出会う。そして、お互いに親子とは知らずに交流を持つ…、という内容だった。
気が付くと、先輩の手が俺の手を掴んでいた。
その意味は、良く分からない。
先輩を見ると、彼はスクリーンを見たままで俺の方を見ようとはしなかった。
でも、その代わり、俺の手を握った指が動いて指に絡んできた。
離そうと思えば出来たかも知れない。
でも、俺は指を離さなかった。
手を繋いでいることが、嫌だとは思えなかった。
二人の間に、似たような感情が、その時にはあったように思えたのだ。
説明するのは難しいが、映画に感動しているのとも違う、共感しているのとも違う、それは、酷く曖昧な、そして生暖かいものだったように思う。
繋いだ手を離さずに、俺たちは黙って映画を見終わった。
エンディングロールが終わって、館内が徐々に明るくなると、先輩はスッと俺の手を離した。
そして、何事も無かったかのように、いつもの笑顔で俺を見た。
「腹減ったな?何、食いたい?」
「なんでも…。何屋があるのか知らないし、先輩に任せます」
「そか……」
伸びをしながらそう言って、先輩は立ち上がった。
「じゃ、ファミレスでいいか?こっからだと、一番近いし」
「あ、はい。いいですよ」
頷きながら俺も立ち上がり、先輩に付いて座席の間を移動し始めた。
先輩は、さっき手を繋いだ理由を言おうとはしなかった。
そして俺も、訊かなかった。
今見た映画についても、何故かお互いに語ろうとは思わなかった。
その代わり、先輩は俺に思いがけないことを訊いて来た。
「昨日さ…」
外に出ると、先輩は少し言い辛そうに切り出した。
「ユキ…、尚也となんかあったか?」
「え……?」
意外な質問に俺が驚くと、先輩はすぐに表情を変えた。
「あ、いや…。なんも知らないならいいんだ。けど、もしかして、尚也が戸田とでも会ってたのかと思ってさ」
小金井先輩と友井先輩の間には何かがあるらしいとは思った。だが、まさかそれを、真藤先輩が気にしているとは意外だった。
一体、この3人の間には何があるのだろうか。
そして、慶と何の関係があるのだろう。
「あの…、友井先輩は昨日、戸田の部屋に本を借りに来て、その時、小金井先輩と俺が偶然居合わせたんです」
躊躇ったが、俺は本当のことを話すことにした。そうすれば、俺にも事情が飲み込めるように先輩から何か聞けるかも知れないと思ったのだ。
「やっぱり……、戸田と尚也が一緒だったのか…」
予想していたらしく、真藤先輩は渋い顔で頷いた。
「はい。友井先輩は本を受け取ったらすぐに帰ってしまったんですけど、でも……」
「でも?」
「小金井先輩は、何だかいつもの先輩らしくなくて……」
「そうか…」
「あの…、何かあるんですか?小金井先輩と友井先輩は……」
俺が訊くと、真藤先輩はフッと笑った。
「いや、なんもないよ。多分、このままずっと、何も無いままだろ」
「え……?」
訊き返したが、先輩はそれきり口を噤んでしまった。