にんじんのお星さま

第1話 失恋とうさぎのパン


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こんな告白がなんになるのかと、そう思って後悔する。
だが、もう止まらなくなっていた。
「まさか、椎名さんの恋人も男だったなんて……。なんだか、すごくショックで…。期待したらいけないって、分かってるけど……」
ギュッと膝の上で両手を握り、彪芽は苦しそうに言った。
「卑怯ですか?俺…。今、こんな事言うなんて、卑怯ですよね…?」
椎名はふっと笑うと首を振った。
「そんな事ないさ…」
彪芽が顔を上げると、いつもの穏やかな視線がそこにあった。
「今すぐ…答えを出さなくてもいいよね?自然に答えが見えるまで待ってくれる?」
「考えてくれるんですか?」
驚いた彪芽に椎名は頷いた。
「俺も、君が好きだよ。君はいつでも精一杯頑張ってる。そんな姿を見ているのは嫌じゃない。いや…、見ていたいのかも知れない…」
「椎名さ…」
「でも、それ以上の気持ちになれるのかどうかは、まだ分からない。軽い気持ちで付き合いを始められるほど、もう若くないんだな、俺は」
椎名に限らず、自分が相手では用心深くなるのは当たり前だと彪芽は思った。
自分の後ろには岳斗が居る。自分と付き合うからには岳斗までを背負う事になる。
だが、それを察したのか椎名はすぐに言った。
「誤解しないで欲しいんだけど、岳斗の事を言ってるんじゃないよ」
「え…?」
「俺にとって岳斗は少しも障害じゃない。ただ、昨日の今日だし、自分の気持ちにまだ整理もついてない。分かってくれる?」
「はい。そうですよね…。分かってます。考えてくれるって…、それだけで嬉しいです」
そうだ。余り期待をしてはいけない。こんな言葉をもらえただけでも十分だと思わなければ…。
「君、幾つだっけ?」
突然、笑いながら椎名は訊いた。
「20歳ですけど…」
それを聞くと椎名は声を上げて笑った。
「あの…」
戸惑って見つめる彪芽を見て、椎名は笑いを納めた。
「俺はもう、35だよ。干支なんか一回り以上違うんだけど、いいのかな?」
「え…?そ、そんな事関係無いですよ」
慌ててそう言うと椎名はまたクスクス笑った。
「嬉しいな。こんな小父さんでもいいなんて、奇特な人だね君は…」
「お、小父さんなんかじゃないです。全然、そんな事ない」
彪芽が必死でそう言うと、椎名は笑いを引っ込めた。
じっと見つめられると、彪芽の胸が段々と高鳴ってきた。
「ちょっとだけ…、抱きしめてもいいですか…?」
思い切ってそう訊いてみた。
「いいよ」
穏やかな声がそう答えた。
彪芽は近付くと椎名の体を胸に抱いた。
この前、泣いて抱きしめてもらった時と、今日は少し感じが違う。
それは、彼に対する彪芽の気持ちが変化した所為だろうか。
「ドクドクって…心臓の音が聞こえる。これ、俺の?それとも君のかな…?」
静かに語り掛けてくる椎名の声を聞くと、何だか分からない暖かいものが込み上げて、彪芽は彼の肩に額を押し付けた。
「椎名さんに…、恋してるなんて嘘かも知れない…。ただ、甘えたいだけなのかも知れない…」
泣きそうな声でそう言うと、僅かに椎名が頷くのが分かった。
「それでも、いいんだよ。きっと…」
突然、彪芽の体に回された椎名の腕にギュッと力が籠った。
「…キスしようか?」
「え…?」
呟くように言った椎名の言葉に、彪芽は驚いて少し身を起した。
「キスして、抱いて、慰めてもらおうかな…?」
辛そうな声だった。
そんな行為が、少しも慰めにならないことを知っている声だった。
「椎名さん…」
顔を上げて見つめると、椎名はふっと笑って目を逸らした。
「卑怯なのは、俺の方だな…」
彪芽が彼の顔から目を逸らさずに居ると、椎名の視線が戻って来た。
僅かに躊躇った後、彪芽は椎名の唇を捕らえた。
慰められたらいいと思った。
椎名にそれを貰ったように、自分が少しでも与えられたら、そしたら、どんなにいいだろうか。
ゆっくりと彼の唇を覆い彪芽は目を閉じてその身体を強く抱きしめた。
椎名は逃げなかったが、その温かさを求めて彪芽が舌を差し入れようとすると、少し身を引いて追い掛ける彪芽の唇から離れた。
「ごめんなさ…」
謝ろうとした彪芽の唇に指を当て、その言葉を遮ると椎名は首を振った。そしてまた、じっと彪芽の目を見つめる。
「やっぱり、しようか…?なんだか、答えが見えそうな気がする…」
「椎名さん…」
彪目は再び彼の体を抱き寄せた。
キスをしてすぐに舌を入れても、今度は逃げなかった。
椎名の口蓋を舌先でなぞり、彪芽は絡みついてくる彼の熱い舌を受けた。
それだけで興奮して夢中になる。
もう、椎名を慰めたいという、さっきの思いは片隅へと追いやられてしまった。
若い彪芽の欲望には、簡単に火がついてしまう。ましてや、欲しかった相手なら尚更だった。
背中から椎名の両手がシャツの下に入り込み彪芽の肌を弄った。
彪芽は彼に触れられると頭を撫でられた時と同じに何だかとても安心出来るのが分かった。
そのまま彼を押し倒し、片手でシャツのボタンを外した。
現れてくるその肌に沿って唇を移動させる。乾いていた肌が段々に湿り気を帯びてくるのが分かった。
こんな風に彼と肌を合わせる時が来るなんて思ってもいなかった。
抱いてしまった後に出された答えが”NO”だったら、もうどうしていいか分からなくなってしまうだろう。
頼むから自分をこのまま受け止めて欲しい。
いつまでもこの温もりで包んでいて欲しい。
彪芽は強くそう願いながら椎名の体を愛撫した。


お互いの荒い息遣いが部屋の中に満ちる。
欲求が頂点に達し、彪芽はすぐに余裕を無くしてしまった。
「椎名さん…」
切なげに彪芽が名前を呼ぶと、椎名は目を開けて頷いた。
「うん、いいよ。おいで…」
彪芽は彼の両脚を抱え上げると、熱く滾る自分自身を彼のその部分に宛がった。
もう1度頷いた椎名の目を見つめたまま、彪芽は深く腰を入れた。
「くっ…う…」
「痛い?椎名さ…」
眉を寄せた椎名を見て、彪芽は動きを止めた。
だが、椎名は首を振って少し笑った。
「いや、大丈夫…」
「椎名さん…」
さっきの不安が胸を過り、彪芽は椎名を見下ろしたまま言葉を失った。
その髪を、手を伸ばして耳の後ろに掻き上げやりながら椎名は言った。
「何でそんな顔するの?」
「椎名さん、俺…」
彪芽は両腕を回して彼の体を抱きしめた。
このまま離さなくてもいいですかと、心の中で訊いた。
椎名はそんな彼の背中を優しく撫でた。
「気持ち良くしてくれないの?」
「……く…ない…・」
殆ど聞き取れないほどの声で“離したくない”と彪芽は言った。
答えを求めた訳ではなく、椎名を縛ろうとした訳でもない。だが、心の中に完全に仕舞っておくには辛すぎて、思わず漏らしてしまった言葉だった。
「動いて…?」
聞こえたのか、聞こえなかったのか、椎名は答えなかった。
ただ、優しくそう言うと、彪芽の背中をゆっくりと撫でた。
彪芽は体を離すとその唇を捕らえ、キスをしながら動き始めた。
椎名の中はその笑顔や掌と同じに温かかった。
そう思っただけで体の芯が揺さ振られる。
この人を好きだと切ないほどに感じた。
「椎名さ…、いい…。俺、駄目かも…すぐに…」
「いいよ…。大丈夫…大丈夫だよ…」
安心させる様に椎名は言い、彪芽の体を抱きしめた。
「やっぱり、嘘じゃない…。凄く好き…、好きですっ…」
その優しさに感極まって、彪芽は泣きそうになりながら訴え掛ける様に言った。
椎名は笑って頷き、自分の肩に顔を埋めた彪芽の髪を撫でた。



結局、椎名はまだ、答えを言ってはくれなかった。
自分が、あの剛を超える存在になれるかどうかは、多分、自分自身に掛かっているに違いないと彪芽は思った。
時間は掛かるかも知れないが、ほんの少しずつでもいいから、椎名の傍に近付けたらいいと思う。
彼の傷を癒せる存在に、自分がなりたいと彪芽は思った。
翌朝、いつもの時間に彪芽は玄関で岳斗を呼んだ。
「岳斗ぉー、早くおいでー」
すると、岳斗は何故か台所から出て来た。
その手にはキャベツの葉が二枚握られていた。
冷蔵庫の重い野菜室を開けて引き千切ってきたらしい。
「あれ?なんだそれ?」
「あのね、“うしゃぎしゃん”だって。美味しんだって」
「ああ、そうか。保育園のうさぎさんにあげるのか」
納得して靴を履かせ、外に出て鍵を掛けた。
通りに出ると、アパートの入り口から椎名が出て来た。
「おはよう」
笑い掛けられると彩芽の頬が赤らむのが分かった。
それを見て椎名はまた少し笑った。
「お、岳斗、今日はおんぶじゃないんだ?」
その言葉に岳斗はすぐに反応した。
両手を彪芽の方に差し出して背伸びをする。
「おんぶ、いい。あーたん、おんぶ」
「あれー?悪い事言っちゃったなぁ」
その様子を見て椎名は岳斗の前にしゃがんだ。
「じゃあ、今日は俺がおんぶしてやる」
「うんっ」
喜んで椎名の背中に飛びつく岳斗に、彪芽は慌てた。
「いいですよ、椎名さん」
「いいよ、いいよ。その代わり、曲がり角までだぞ」
「うんっ。パパ、いい」
「え?パパ?」
椎名は驚いて振り返った。
「こら岳斗、パパじゃないよ」
彪芽は焦って言った。
「保育園に背広姿で子供を送って来るお父さんが居るんですよ。子供がパパって呼ぶから、背広の人はみんなパパって思ってるのかも…」
「なるほど…」
椎名はその説明に納得して笑った。
「岳斗、パパでいいよ。全然、OKだよな?」
「うんっ。パパ、いいもんねー」
「椎名さん…」
彪芽は岳斗を背負って楽しそうに歩く椎名に肩を並べて歩き出した。
「俺、あの星型の人参見た時から、ほんとは少し参ってたのかも…」
前を見たままで、突然、椎名は言った。
「え…?」
彪芽が横顔を見ると、椎名も彼の方を向いた。
「いや、かなり参ってたのかもな…」
そう言って椎名は照れた様に笑った。
(ほんとに……?)
彪芽の胸が、ドキドキと高鳴った。
この笑顔にずっと傍に居てもらえるなら、人参だろうと大根だろうと、ジャガイモだろうとカボチャだろうと、何だって星型に繰り抜いて見せる。
だから、傍に居てくださいと、彪芽はその横顔に心の中でそう言った。